始まりに向かって

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山尾三省の遺言…清らかな水と安らかな大地

2008-10-27 | 環境(ガイア)



子供達への遺言・妻への遺言

      

山尾 三省


 僕は父母から遺言状らしいものをもらったことがないので、こ
こにこういう形で、子供達と妻に向けてそれ書けるということが、
大変うれしいのです。
 というのは、ぼくの現状は末期ガンで、何かの奇跡が起こらな
い限りは、2、3ヶ月の内に確実にこの世を去って行くことにな
っているからです。
 そのような立場から、子供達および妻、つまり自分の最も愛す
る者達へ最後のメッセージを送るということになると、それは同
時に自分の人生を締めくくることでもありますから、大変身が引
き締まります。

 
まず第一の遺言は、僕の生まれ故郷の、東京・神田川の水を、も
う一度飲める水に再生したい、ということです。
神田川といえば、JRお茶の水駅下を流れるあのどぶ川ですが、
あの川の水がもう一度飲める川の水に再生された時には、劫初に
未来が戻り、文明が再生の希望をつかんだ時であると思います。

 これはむろんぼくの個人的な願いですが、やがて東京に出て行
くやもしれぬ子供達には、父の遺言としてしっかり覚えていてほ
しいと思います。


 第二の遺言は、とても平凡なことですが、やはりこの世界から
原発および同様のエネルギー出力装置をすっかり取り外してほし
いということです。
自分達の手で作った手に負える発電装置で、すべての電力がまか
なえることが、これからの現実的な幸福の第一条件であると、
ぼくは考えるからです。


 遺言の第三は、この頃のぼくが、一種の呪文のようにして、心
の中で唱えているものです。
その呪文は次のようなものです。
 南無浄瑠璃光・われらの人の内なる薬師如来。
 われらの日本国憲法の第9条をして、世界の全ての国々の憲法
第9条に組み込まさせ給え。武力と戦争の永久放棄をして、すべて
の国々のすべての人々の暮らしの基礎となさしめ給え。

 
以上三つの遺言は、特別に妻にあてられたものなくても、子供
達にあてられたものでなくてもよいと思われるかもしれませんが、
そんなことはけっしてありません。

ぼくが世界を愛すれば愛するほど、それは直接的には妻を愛し、
子供達を愛することなのですから、その願い(遺言)は、どこま
でも深く、強く彼女達・彼ら達に伝えられずにはおれないのです。
 つまり自分の本当の願いを伝えるということは、自分は本当に
あなたたちを愛しているよ、と伝えることでもあるのですね。

 死が近づくに従って、どんどんはっきりしてきてることですが、
ぼくは本当にあなた達を愛し、世界を愛しています。
けれども、だからといって、この三つの遺言にあなたがたが責任
を感じることも、負担を感じる必要もありません。

あなた達はあなた達のやり方で世界を愛すればよいのです。
市民運動も悪くないけど、もっともっと豊かな”個人運動”があるこ
とを、ぼくたちは知ってるよね。
その個人運動のひとつの形としてぼくは死んでいくわけですから。



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やまお さんせい
詩人。1938年東京神田生まれ。早稲田大学文学部西洋哲学科中退。
77年鹿児島県屋久島に移住。執筆と農耕の日々を過ごす。
エッセイ集も数多い。        
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 上記「遺言」、『MORGEN』2001年7月7日号より転載



wiki「山尾三省」より
 
早稲田大学西洋哲学科を中退し、1960年代の後半にナナオサカキ長沢哲夫らとともに、社会変革を志すコミューン活動「部族」をはじめる。1973年、家族と、インド、ネパールへ1年間の巡礼の旅に出る。1977年、屋久島の廃村に一家で移住。以降、白川山の里づくりをはじめ、田畑を耕し、詩の創作を中心とする執筆活動の日々を屋久島で送る。2001年8月28日、屋久島にて亡くなる。
                         
          ***

息子が鼻水がでるというので、今日は学校を休ませて、耳鼻科に連れて行った。
耳鼻科に行くのは何年ぶりだろう、数年前まで二人の子どもたちとかわるがわるこの耳鼻科に通っていたことを思い出した。
小さい子は鼻がつまることが多いので、いつも同い年くらいの小さい子どもたちがいっぱい来ていた。

お医者さんは久しぶりに伺った息子に目を見張って、「うわぁー、おっきくなったもんだねー!外で会ったら分からないねー、あっはっは。」と豪快に笑って懐かしんでくださった。

待合室で、持ってきた田口ランディさんの本「旅人の心得」を読んだ。
山尾三省の話がでてくるのだ。


三省さんは
「東京の水が飲めるようになったら、社会は変わります。
だけど、それはそんなに難しいことでしょうか。
まずは自分の住んでいる町の川をきれいにする。
そこから始めればいいわけです。
水は実は循環しながら世界を繋いでいます。私たちは水によってつながれたひとつの生態系に生きているんです。」と言っていた。


「水は自然界の魂なのではないでしょうか?」と言う田口さんに、三省さんは

「そうですね。わたしは魂を濃度変化だと思っています。
密度が薄くなれば幽霊のようになり、濃くなれば人間になり、もっと濃くなれば神になる。
だけど、それは濃度が変化しているだけで、おおもとは同じものなのだ、と。
水も水蒸気になったり、氷になったりする。でもおおもとは変わりません。とても、魂に似ていると思います。」と言っていた。


水は自然界の魂であろう、、そして魂もまた、自然界に、濃くなったり薄くなったりして立ち現われているものであろうと、ふたりは感じているのである。

濃度が濃ければ、神になります、というのである。
比喩でないところが、三省の真髄である。


東京の水と言えば、三省さんの遺言は、「ふるさと東京を流れる神田川を、もう一度飲める川に再生したい、」というものだった。

町のなかに川が流れるということは、町のなかに魂が立ち現われる、ということだ、、
そういうことが言いたいのではないかと思う。
川が澄み、清くなればなるほどに、町には魂の力が充ち溢れ、神々しさをとりもどす、と。

屋久島ではないこの町に暮らすわたしにも、もっと自分の魂に近づきたいという望みはある。
おだやかに過ぎてゆくこの町の日々もまた、魂の現れであり、止めることのできない急流そのものなのだと思う。

wiki山尾三省
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%B0%BE%E4%B8%89%E7%9C%81
田口ランディブログ
http://runday.exblog.jp/
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