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明けまして おめでとうございます。
今年も どうぞよろしくお願いいたします。
この記事は、以前エジプト展に行って、触発されて調べたりしていたものです。
エジプトという大きな文明のことを思うと、ワクワクします。
もっともっと勉強したいと思っています。
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吉村作治氏の「貴族の墓のミイラたち」という本を読んでみました。
吉村氏率いる調査隊が、200体のミイラを発見した時の記録です。
リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。
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(引用ここから)
死者のために大量の護符が用意されたり、神殿や墓の中にも描かれた背景には、古代エジプト人の独特な死生観があった。
古代エジプト人は死後の世界を信じており、冥界の入口でオシリス神の裁判を受けて、死後の世界に入ったなら、もやは死ぬこともなく、幸福に暮らせると考えていた。
しかし至福境に至るまでには多くの難関があり、それを乗り越えるために死者にさまざまな力を与える護符がぜひとも必要であったのである。
もちろん護符が死者の体に置かれる時には、神官によって定められた呪文が唱えられる。
この呪文によって、護符はそれが持つ効力を十分に発揮するとされていた。
高位の人物の包帯の中には少なくとも100以上納められたと言われているからである。
そしてそれほど多くの護符が巻きこめるほど、包帯は繰り返し巻かれたのである。
包帯巻きは、初めは大きな布で死体をくるみ、包帯で固定されたら、次に手足の指を別々に包帯で巻き、続いて顔の包帯巻きが行われる。
この時顔の凹凸を補うために、こめかみ、耳、口の上などにそれぞれ神の名を記した詰め物が置かれた。
そして頭全体は、X字型に包帯で巻きつけられた。
包帯巻きの作業は非常に手の込んだもので、この作業だけで少なくとも15日間は必要であった。
包帯巻きが終わったミイラには、死者に似せた埋葬用のマスクがかぶせられた。
日本にもやって来たツタンカーメン王の黄金のマスクからも分かるように、埋葬用のマスクは王や貴族の場合、金や準宝石類を使った豪華なものであった。
死者にマスクをかぶせる風習は、死者をミイラにしたりミイラの体の中に心臓が残されたのと同様に、古代エジプト人の死生観や宗教観から生まれたものである。
古代エジプト人は、死ぬと、ミイラとなった遺体と「魂(バー)」「精霊(カー)」そしてやはり霊の一種である「アク」という4つの存在になると考えていた。
「バー」は人頭の鳥の姿で現され、来世と死者の体を行き来すると考えられていた。
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それに対して二本の腕を差し上げた形で現される「カー」は、「バー」より精神的な存在で、本来はファラオ(王)の聖性であった。
王は生きている間「カー」と霊感で交渉を持ち、死後はそれと合体するのである。
信仰が一般庶民のものになってからは、誰もが「カー」を持ち得るようになり、それは生きる活力と聖なる第二の自分との中間的な存在となった。
古代エジプト人が、できるだけ保存のきくミイラを作ろうと努力を重ねたのは、「バー」や「カー」の戻る所として、死者の体を永久に残さなければならなかったからである。
また、墓が岩盤に彫り込まれたり、石で造られたのも、ミイラが保存される場所として決して朽ちない物でなくてはならなかったからである。
さらに、死者の顔にマスクを被せたのは、現世と来世を行き来する「バー」が自分が戻るべきミイラを見間違わないように、という配慮であり、マスクに黄金を使ったのは、黄金が当時の金属の中で唯一腐敗することのない永遠の金属だったからである。
(引用ここまで)
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写真は「バー」(大英博物館 古代エジプト展カタログより)
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