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クルド人の少数派宗教、「ヤジディ教」の歴史・・ゾロアスター教の伝統を汲む

2015-10-10 | エジプト・イスラム・オリエント



イスラム国に捕らえられていたヤジディ教徒たち200人が、解放された、という新聞記事を読んで、ヤジディ教について
「古代オリエント辞典」で、調べてみました。

クルド人問題という、非常に込み入った歴史的問題があり、長い歴史の中で生き続けてきた、古い複雑な宗教であるということが分かりました。


                    *****

                  (引用ここから)

「ヤジディ教」


クルド人とヤジディ教

ヤジディ教とは、イラク北部からトルコ東部の山岳地帯に居住するクルド人によって信仰されている宗教である。

その教義は古代イラン神話とスーフィズムが融合したもので、それがクルド人に受容されることによって独自の宗教となった。

現在の信者数は、欧米へ離散した層も含めて20万~30万人と推定されている。

ヤジディ教の名称は、かつては古代イラン語の「ヤザダ(崇拝すべきもの)」に由来すると考えられていたが、現在ではウマイヤ朝カリフ・ヤジディ(~683)から採られたとされる。


ヤジディ教の歴史

ヤジディ教成立の直接の契機は、ウマイヤ朝カリフの子孫と称するフャイフ・アディーがスーフィー教団の一派「アダヴィー教団」を創始し、イラク北部のクルド人の間に布教を開始した12世紀初頭に遡る。

この教団は布教の便法として、土着の古代イラン神話を吸収しつつ、次第にイスラームから逸脱する傾向を見せながら、
クルド人の間で広く信者を獲得することに成功した。

とくに13世紀のモンゴル人政権期には、教団からイスラームとは別宗教の態をなしたヤジディ教に発展し、急激に勢力を伸ばした。

16世紀以降のオスマントルコ統治時代に入ると、ヤジディ教のクルド人諸侯がイラク北部からトルコ東部で世俗的な支配者に任命され、この地域でのヤジディ教徒による支配体制を強固なものとした。

しかし19世紀に入るとヤジディ教は「啓天の民」ではないと見なされ、しばしば周辺のスンニー派イスラム教徒から迫害を受けるようになった。

このためヤジディ教徒は徐々にオスマントルコ領内からグルジア、アルメニアなどのコーカサス諸国へ逃亡した他、20世紀後半になると知識人層のドイツの移住が目立つようになる。

現在のヤジディ教徒は、イラク北部からトルコ東部といった従来からの本拠地の他に、コーカサス諸国とドイツに分布している。


ヤジディ教の資料

ヤジディ教に関する研究は、1850年ごろからスタートした。

しかし彼らに関する情報は限られている。


一次資料は、20世紀の後半になってやっと出揃った。

第1に、ヤジディ教徒の吟遊詩人達が、宗教行事の際に朗読する讃歌を集大成した「ケウル」。

本書はアラビア語の語いを大量に含んだ北東クルド語で書かれてるが、正確な成立年代は不明である。

1979年になって、やっとアラビア文字で記したものが公刊された。

1985年にその補遺も出版された。


第2に、シャイフ・アディー作と伝わる2編のアラビア語詩。


第3に、「ジルヴェ」とその注釈「メシェフ・レシュ」と称される二つのアラビア語文献。


これら以外には、周囲のイスラーム教徒による外部観察記録がある。

それらにはイスラーム的な先入観があるので、外部資料だけに依拠するならば、ヤジディ教は、逸脱的イスラームの一派のように見える。

1930年以降はこの立論が支配的になり、ヤジディ研究はイスラーム学の枠内で試みられた。

古代イラン的な観点からも研究されるようになったのは1990年以降のことである。



ヤジディ教の信仰


一次資料によると、ヤジディ教の骨子は古代イランの信仰から継承したと思われる。

カースト制度、清浄儀礼、拝火儀礼、聖紐の着用などである。

すなわち、ヤジディ教はクルド人としての出生によって帰属するもので、改宗は不可能である。

また血統にもとづく階級制度が存在し、神官階級に生まれないと、ヤジディ教神官にはなれない。

さらに七大天使(総称してハフト・セッルと呼ぶ。その首位は孔雀の形をしたマラク・ターウース。イスラーム教徒からは、これがサタンを表わすと理解され、「悪魔崇拝者」と蔑称される)と、それらが統括する地水火風などの諸元素への崇拝が重要で、特に拝火崇拝が大きなウエイトを占める。


これらに対して、ヤジディ教と古代イランの信仰との相違点も明らかになっている。

ヤジディ教において、神の代わりに世界を支配する孔雀天使(マクラ・タウース)は、善と悪の両方を支配し、この世の悪に対しても責任を負う。

また七柱の聖なる存在が輪廻転生を繰り返すとされ、他宗教の信仰を融合するシステムとしても機能している。

さらに、教祖シャイフ・アディーを埋葬した「ラリシュの谷」を聖地とし、ヤジディ教徒が毎年10月に訪れなくてはならない教団の中心と定められている。


ヤジディ教の創成神話

ヤジディ教の構成要素は、イスラーム的な教義だけで説明できるものではない。

彼らの創世神話によれば、神は「世界の要素がすべて詰まった真珠」からこの世を創造し、大天使に委託してそれを運行させている。

ここまでは七大天使思想、「犠牲祭」による世界創造などの点で、ゾロアスター教に近い。

しかし、この後ヤジディ教の神聖史は、あからさまにイスラーム的な観念を接合する。

すなわち、最初の人類アダムには、シャヒード・イブン・ジェールという息子がいた。

これが、クルド人=ヤジディ教徒の始祖である。

アダムの真の信仰は、実はこの知られざる息子に継承された。

その子孫がウマイヤ王朝の始祖ムアーヴィア(在位661-680)であり、その息子、ウマイヤ王朝第二代カリフ・ヤジディ(在位680-683)にいたって、シャヒードの教えを復活させたのである。


以上のような、ゾロアスター的であり、同時にイスラーム的な教義がヤジディ教の創世神話である。(青木健)


                (引用ここまで)

                  *****


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