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土の中で息絶えることをめざす荒行「土中入定」・・日本のミイラ(2)

2012-11-13 | 日本の不思議(中世・近世)


内藤正敏氏の「日本のミイラ信仰」を読んでみました。

ミイラを信仰することと、ミイラになろうと信仰することとが絡まりあっています。


             *****


         (引用ここから)


湯殿山の「即身成仏」行者に重視された修行に「千人沢山籠修行」があった。

これは湯殿山奥ノ院近くの千人沢という所に、一千日以上に渡って木喰行をしながら山籠する修行である。

ここは冬には5メートル位の積雪があり、バスも半年間ほど不通になる。


そうした深山にこもりきり、毎日奥ノ院に参籠し、真冬でも雪の中で水垢離を取らなければならなかった。

寒中の水垢離は単に水をかぶるだけという形式化したものではなかった。

沢や川などの氷を割って水中に身体を入れ、手のひらに立てたロウソクや線香一束が燃え尽きるまで、じっと水中に身を沈め続けたという。

このため意識を失ってしまうことも多かった。

仏海上人も村上市の三面川で水垢離中に失神して下流に流されては、漁師に助けられたことがたびたびあったという。


寒中水垢離だけではない。

即身仏を志す行者たちは進んでわが身を荒行の中に投じた。


たとえば、仏海上人はミイラ化しやすいように漆を飲む修行をしたという。

また「手行灯」といって、手のひらにロウソクをともす修行もした。

ロウソクといっても太い百貫ロウソクで焼いたため、観音寺に残る仏海上人の手形を見ると左手の指の付け根のあたりには全然墨の跡がない。

手行灯の結果、その部分が焼けただれているのである。


こうした荒行の総仕上げが、「土中入定」であった。

生きながら木棺の中に入り、土の中の石室に降ろしてもらい、息つぎ竹を地上に出して、土をかけて埋められる。

この中で鉦をたたき、読経をしながら死んでゆき、三年三か月後に掘り出されて、「ミイラ」となり、衣を着せられて厨子に安置され、「即身仏」としてまつられる。

湯殿山の「即身仏」はこうした「土中入定」伝説を伴っているのである。


「一世行人」は寺男のような存在で、掃除や炊事、薪作りなどの雑用をはじめ、お札作りや祈祷の手伝いなどの下働きをさせられた。

多くは出身階層も低く、中には前科者や流れ者もいた。

湯殿山系の「即身仏」になったのは、すべて「一世行人」なのである。


「一世行人」には本明海、忠海海のように、「海」の字がついている。


これは弘法大師空海の「海」の一字をもらってつけたもので、海号といって制度化されていた。

湯殿山系寺院では、開山の空海が湯殿山権現の化身八代金剛童子から授けられたという「上火」と呼ぶ聖なる火を切り出す作法を伝えており、その担い手が一世行人だった。

そのため上火が穢れることを忌み、一世行人は妻帯が禁じられ、別火を用いて生活した。

一世行人の千人沢山籠修行や木喰行も、本質的には清浄な上火を守るための別火精進修行が専門化したものといってよい。

湯殿山系「即身仏」の一世行人は、平安時代の「即身仏」が由緒ある名刹の高僧であり、平泉の藤原四代のミイラが貴族であったのとは対照的である。


            (引用ここまで)


              *****


言葉の定義として、即身仏とは何か、と言う問題があると思うのですが、内藤氏の力強い言葉には、彼ら荒行者の魂が乗り移っているようで、引き込まれます。

空海がどのように関与しているのか、と言う問題も、謎めいています。


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ミイラ     8件
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などあります。(重複しています)


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2 コメント

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すさまじい修行 (根保孝栄・石塚邦男)
2012-11-14 20:17:43
土中入定か。階級によって、身分によって即身仏のありかたも違うのか。何と言う無残、と思うのは・・
返信する
謎の荒行・・ (veera)
2012-11-15 00:46:42

根保孝栄・石塚邦男様

コメントありがとうございました。

王様が死後に家来たちにきれいにされて、ミイラにされるのと違って、自分ひとりでなろうっていうんですから、気迫が違うとわたしは思います。

わたしの疑問は、なぜ腐敗せず、白骨化もしないのか、という点なんです。

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