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岩倉の狂女 恋せよ ほととぎす(蕪村)・・花田春兆著「岩倉」考

2016-11-15 | 日本の不思議(中世・近世)



脳性麻痺の障がいを持ちながら、同病の方たちと作る「しののめ」という俳句の同人誌の主筆であり、障がい者問題に長く広く関わっておられる花田春兆氏の「日本の障がい者・今は昔」という本をご紹介します。


HP「春兆のページへようこそ」もあります。
http://www5c.biglobe.ne.jp/~shuncho/


           *****

        (引用ここから)


「岩倉の狂女 恋せよ ほととぎす」

芭蕉に次ぐ古典俳句の大家として知られる与謝蕪村の晩年の句に、こんな目をひく作品がある。

思いつめたような激しさで鳴くほととぎすの声に、気違いというのは少々ニュアンスを異にする、もの狂いの女性の恋するひたむきさを想い合わせた、いわば幻想の句なのだ。

京都の「岩倉」は田舎びた土地で、ほととぎすがよく聞けるような場所だったことは、南北朝のころの「徒然草」にも出てくるから、それ以前から知られていたらしい。


でもなぜ、京都の「岩倉」と狂女が結びついたのか?

多くの蕪村についての評釈書も触れていない。


平安時代後期の後三條天皇に、佳子内親王という姫君がいた。

この姫君が、精神がおかしくなられた。

一時的な精神障がい、もしくはノイローゼであったろう。

ところが内親王は「岩倉」へ行って、日ならずして治ってしまう。

大雲寺の「不増不減の泉」と「不動の滝」との、明らかな霊験のおかげということになる。


噂はたちまちに広まって、精神障がいや精神薄弱の人を連れての岩倉参りの列が始まる。

「岩倉参り」と言うよりも、霊験が現れるまで滞在するのだから、「岩倉ごもり」と呼ぶべきかもしれない。

ピーク時には800人に達した、とする記録もあるそうだ。


付近の農家がそうした人々を泊めて、現在の民宿もどきのものができたことも考えられる。

それでも治らずに長引くとなれば、経費節減のために養子縁組のシステムをとるケースも定着していったらしい。

土地をめぐるいざこざが起こったりした時、都の貴族に縁故を持つことは、農家にとってもメリットがあったのである。

そして農作業などは、治療に役立ったことも、もちろんであろう。


後三條天皇は西暦1000年頃、つまり11世紀の頃だから、蕪村とは700年近く隔たっている。

「岩倉の狂女」は、蕪村自身は幻想で句作したかもしれないが、なんと「岩倉」には、その当時も明らかに実在していたはずなのである。

というのは蕪村からさらに100年あまりを経た明治29年、ロシアから訪れた医者が「「京都の岩倉」は精神治療の世界的なメッカとも評すべきだ」との意味のことを発表しているからだ。


終止符が打たれたのは、終戦後の昭和25年。

「精神病者はすべて医者の、つまり医療施設の管理下に置かれるべきだ」とする国の方針が確定し、「岩倉」のシステムが非医学的でいい加減なものだと評価されたからである。

現在行われている精神障がいの治療、もしくはアフターケアとしての外気解放の生活療法、その先端を行っていたとも思われる900年来の伝統と、それを絶ってしまった管理中心の医療行政。

果たしてどちらが新しかったのだろうか?


           (引用ここまで)


            *****


この本は、非常に興味深く読みました。

京都の北にあるという「岩倉」という農村の名は、はじめて聞きました。

そこに1000年近くも、「精神障がい」の方々が普通の村人と共に生活する場所があった、ということに驚きました。

1000年というのは、長い長い時間です。

はたしてどんな日々だったのでしょうか?

また、この「京都の岩倉」では、「精神障がい」の方と「知的障がい」の方が混在して、村の方々と共に、村の家々で生活していたということだと思われます。

今まで連続してご紹介してきた記事は「知的障がい」の方がたのことで、この話は「精神障がい」の方の話が新たに加わっています。

二つの疾患は別のものだと思います。

さらには「身体障がい」もまた、全然別の疾患だと思います。

そのことも考えながら、寛容だった日本の農村の歴史に、思いをはせたいと思いました。




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1 コメント

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岩倉の病院 (京都人)
2021-05-05 21:47:38
実際に、京都在住者にとって
「岩倉の病院」というと精神病院を意味しますから、こういった歴史的経緯は大変興味深いですな。
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