白山信仰について研究しておられる前田速夫氏の「白の民俗学へ」のご紹介を続けさせていただきます。
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(引用ここから)
折口信夫の一文に触発されて、門下の西角井正慶は、実地に古表八幡社を調査して、「才の男抄」を著し、傀儡人形の写真をそえて詳細な報告をした。
八幡社のすぐ近くには、現在も「傀儡回し」が住んでおり、県指定文化財の人形芝居が今に伝えられている。
宇佐八幡のすぐ西には、「傀儡の化粧水」という名の井戸が復元され、隣接して、はやとの凶首塚と百太夫殿(百体神社)がある。
境内に入る前に禊をし、また傀儡の徒が集結した場所だった可能性が高い。
滝川清次郎は、この磯良舞=傀儡舞は、安曇族が外来族から伝習したものだ、として次のように論じた。
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人の舞う「細男(さいのお)の舞」は「栄花物語」の時代(1025)以前には遡れない。
「細男」とあるのは、「細い男」なる当て字を訓読したものであって無論誤りである。
細男は一般に「さいのお」と読ませている。
これを「才男」として「さいのお」と読ませているものもあれば、「青農」と書いている場合もある。
「せいのう」は「さいのふ」の音便であって、「才夫」と書くが正しかろうと思う。
「才夫」は「「才人白丁」の男」の意味であり、「細男の舞」とはすなわち「才人白丁の舞」であって、「傀儡の舞」というに等しい。
なんとなれば彼らは、朝鮮の漂白優良民である「才人白丁」の日本に渡来した者、すなわち「傀儡子族」であるからである。
「細男の舞」は「磯良舞」とも呼ばれるが、磯良は「イソラ」にあらずして、「シラ」である。
これを「芝良舞(しらまい)」と表記したものもある。
「シラ」は「新羅」であって、「磯良舞」すなわち「朝鮮舞」の意である。
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「傀儡族」が「才人白丁」で、日本に渡来したもの、という説にはただちには同意しかねるものの、「磯良」は「シラ」であるという指摘は、海に潜る「海女」が「白水郎」と漢字表記されることともあいまって、「白山神」の謎と通い合う。
細川氏は、「細男の舞」の舞人が白布で顔を覆っているのは「住吉神社記」が記す、「すなわち素旗をあげて自ら服ひぬ、
素組もて面獏す」の「面獏」から来ており、この屈辱的な「細男の舞」を「才人白丁」である傀儡族に代わって安曇族が行うようになったのは、彼らもまた大和朝廷によって征服された被征服民族だったからであろう、と付言しているのは、我が国の芸能の起源を海人族のわざおぎに求めた折口説と一致する。
磯良を「シラ」であろうと述べたのは栗田寛氏が最初である。
「たれしの神にてさむらふ 名のらせさむらへ 聞きまほしくさむらふ」
との問いかけに対する返答に、
「あれは御心筑紫の志賀の島にます神、名は安曇の芝良にてさむらふ」と答えている。
「芝良(シバラ)」と表記されていることから、「シラ」と読むべきである、と書いている。
この語は「蛇や蟹が殻を脱ぐ意味に用いられている」、と解説したのはまことに卓見であった。
「磯良神」=「シラ神」説は、西田長男にも支持されている。
「それが「オシラ神」なる傀儡子の起源の一つをなすものであったと考えても、誤りはないのではあるまいか」と述べている。
「百神は白神か?」
傀儡といえば、大江○房の「傀儡子記」は、貴重な示唆と情報を与えてくれる。
(引用ここまで)
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Wikipedia「傀儡子」より
傀儡子集団は定まった家を持たず、テント生活をしながら水草を追って流れ歩き、北狄(蒙古人)の生活によく似ているとし、
皆弓や馬ができて狩猟をし、2本の剣をお手玉にしたり七つの玉投げなどの芸、「魚竜蔓延(魚龍曼延)の戯」といった変幻の戯芸、木の人形を舞わす芸などを行っていたとある。
魚龍曼延とは噴水芸のひとつで、舞台上に突然水が噴き上がり、その中を魚や竜などの面をつけた者が踊り回って観客を驚かせる出し物である。
また、傀儡女に関しては、細く描いた眉、悲しんで泣いた顔に見える化粧、足が弱く歩きにくいふりをするために腰を曲げての歩行、虫歯が痛いような顔での作り笑い、朱と白粉の厚化粧などの様相で、
歌を歌い淫楽をして男を誘うが、親や夫らが気にすることはなく、客から大金を得て、高価な装身具を持ち、労働もせず、支配も受けず安楽に暮らしている。
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白い布で顔を覆って舞う。。不思議ですよね。
実は、私の母方の田舎(鹿児島県の徳之島)にもこのような風習があります。
私は、実際に見たことはないのですが^^;
私も、その風習はずっと不思議に思っていて、その見た目から何処か遠い地からもたらされたものなのかな。。と気になってます。
その写真の載った新聞記事を投稿したいと思ったのですが、画像は投稿出来ないのですね。残念です💦
もし、このコメントにお気づきになり、また、ご興味がありましたら、お知らせ下さい。では。
コメントをお送りくださり、まことにありがとうございました。
このコメントは拝読しており、なんてお返事しようかとうれしく思っておりましたのですが、アフリカの習俗の紹介記事がそれだったかと、間違えて、お返事申し上げる順番が、逆になってしまいました。
大変大変、失礼いたしました。
徳之島の習俗、とっても気になります。
どうやったら拝見できますでしょうか?
ほんとうに失礼申し上げました。
ごめんなさい。