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海の神と、クグツ・・北陸の白山信仰(2)

2015-09-06 | 日本の不思議(中世・近世)


すっかり間が空いてしまいましたが、白山信仰について考察している、前田速夫氏の「白の民俗学へ」のご紹介を続けます。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。

                   *****


               (引用ここから)

「白い神々の系譜」

磯良神と傀儡舞(イソラ/シラ神とクグツ舞)

磯良は「イソラ」、ないし「シラ」と読み、古代海人族の安曇氏が祀った神だ。

彼らの本拠地であった博多湾上の志賀島には、「磯良大明神」を祀る志賀海神社があり、その神社の祭りには「細男(サイノオ)の舞」が奉納される。


この「細男の舞」の起源が、一風変わっている。

「八幡宮同君」や「太平記」が伝えるところでは、こうだ。

神功皇后の三韓征服に際して、竹内宿祢は、

「竜宮に汐干珠、汐満珠という、潮の干満を自在にする宝珠がある。これを得れば刀に血を塗らずとも服属するだろう」と奏上した。

さて、「その竜宮に誰を遣わすか?」という段になって、住吉の大神が次のように言った。

「海中に久しく住んで、海の案内をする安曇磯良(あずみのいそら)という者がいる。ただし、カキ殻が取り付いて醜い男であることを恥じて、召しても応じないであろうから、彼の好きな舞を舞っておびき寄せることにしよう」

するとはたして亀の背に乗って現れて、顔に白い覆いをして、自らも舞ったので、「細男の舞」、す
なわち「磯良の舞」と呼んだというのである。

この 「細男の舞」は、志賀海神社の祭りの他に、全国の八幡系の神社を中心に、春日若宮のおん祭や、祇園御霊会で演じられ、宮中にも取り入れられて、神楽の元祖となった。


そしてこれと関連するのが、豊前の古表八幡社が今に伝える、傀儡(クグツ)による舞である。


折口信夫は次のように言う。

神楽の最初に「阿知女阿知女(アチメアチメ)おおお(オオオ)」と述べる「阿知女作法」というのは、「太平記」が伝える名高い伝説でも想像できるように、「阿知女阿知女」は磯良を呼ぶ声で、
「おおお」は磯良の返答である。

あるいは人長と「才の男(サイノオ)」といったような対立で演じたものであったかもしれない。

とにかく磯良の出現によってこの儀式は始まった、という元の記憶が留められているのである。

「才の男」は海系統の者、「大人」(おおびと)は山系統の者と見てよいであろう。

でもこの二つは、元はやはり一つ考えのものでなければならない。

この「才の男」の末が二つに分かれて、一つは傀儡子の手に移って、「手くぐつ」から次第次第に「木偶(でく)人形」となった。

「手くぐつ人形」の略語が、「木偶人形」となったのであろう。

もう一つの流れは、早く「大人」と融合して、大社大社の「細男」・「青農」となった。


             (引用ここまで)


               *****


これはちょっと難解で、これから勉強したいと思います。

白山本宮神社史編纂委員会編「図説・白山信仰」という本に、直接関係はないと思いますが、ここに書かれている話に近いのではないかと思われる写真がありましたので、ご紹介させていただきます。

今回は写真だけです。

「新潟県糸魚川市能生の白山神社で行われる舞楽・稚児舞」という写真があり、実に怪異な印象を受けました。

舞いの舞台は、神社内にある池の中に仮設され、橋がかけられている「水舞台形式」というものだそうで、これは海の中から現れる「磯良(いそら)」に似ているのではないかと考えました。


              *****


            (引用ここから)






「陵王」という主人公の舞い



画面左下は、「陵王の古面」



「能抜頭(のうばとう)」という役の舞い


            (引用ここまで)


              *****

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               ・・・

wikipedia「阿知女作法」より

阿知女作法(あちめのわざ、あちめわざ、あちめさほう、あじめのさほう)とは、宮中 及び神社等で歌われる神楽歌の一つ。

本来は、神の降臨を喜び、神聖な雰囲気を作るためと思われる一種の呪文。

あ~ち~め―(一度)、お~お~お―(三度)、お~けー(一度)のフレーズを阿知女作法と呼び、これが2組(本方・末方)に分かれて唱和される。

神楽歌は、庭燎(にわび:夜の準備)、採物(とりもの:神迎え)、前張(さいばり:神祭り)、明星(あかぼし:神送り)の段階に大きく分けられるが、阿知女作法で有名なものは庭燎の後に、また、採物、前張
等でもフレーズを変えて繰り返される。

鎮魂祭の歌(下記)にも使用される。

平安中期には儀礼として完成していた。

延喜末年頃に譜の統一が行われている。


十一月中寅日 鎮魂祭歌

あ~ち~め―(一度)、お~お~お―(三度)
①あめつちに きゆらかすは さゆらかす かみわかも かみこそは きねきこう きゆらならは

あ~ち~め―(一度)、お~お~お―(三度)
②いそのかみ ふるやしろのたちもかと ねかふそのこに そのたてまつる

あ~ち~め―(一度)、お~お~お―(三度)
③さつおらが もたきのまゆみ おくやまにみかりすらしも ゆみのはすみゆ

あ~ち~め―(一度)、お~お~お―(三度)
④のほります とよひるめかみたまほす もとはかなほこ すゑはきほこ

あ~ち~め―(一度)、お~お~お―(三度)
⑤みわやまに ありたてるちかさを いまさかへては いつかさかえむ

あ~ち~め―(一度)、お~お~お―(三度)
⑥わきもこが あなしのやまのやまのもと ひともみるかに みやまかつらせよ

あ~ち~め―(一度)、お~お~お―(三度)
⑦たまはこに ゆうとりしてて たまちとらせよ みたまかり たまかりまししかみは いまそきませる

あ~ち~め―(一度)、お~お~お―(三度)
⑧みたまみに いまししかみは いまそきませる たまはこもちてさりくるみたま たまかへしすなや

⑨ひと ふた み よ いつ むゆ なな や ここの たりや


意味が判明していないところが多く、漢字を当てたとしても、その漢字が意味と合っているかも判っていない。

歌なので、音はそれほど変遷していないとの仮定で、ひらがな表記とした。


「あちめ」とは、男神と考えられている安曇磯良を指すといわれ、「お~お~お―」とは、安曇磯良が返答している声との説(太平記等)がある。

しかし、後世に当て字したものだろうか、「阿知女」と、「女」の漢字がついており、詳細は不明である。

また、「うずめ」の転訛との説もある(愚案抄)。


①「ゆらかす(振らかす)」の言葉が使われており、鎮魂祭にあたり、天皇の衣を動揺させることを歌った可能性がある。

「きね」とは巫女である可能性もあるとされる。

②「いそのかみ ふるやしろ」とは石上神宮を指していると考えられる。

③「さつお」とは猟夫と漢字で当て、猟師のこととされる。

④「とよひるめ」とは天照大神であるとされる。

「ほこ」は矛であるとされるが、意味不明。

⑤「みわやま」は三輪山である。

抄「ちかさ」は茅草の転訛とする説もある。

⑥「みやまかづら」とは、山蔓などで作った鬘という説がある。

⑦「たまはこ」とは、魂の鎮まる函。実際には葛函という。

⑧「たまかへしすなや」は、「ゆっくりお留め申すがよい」と訳す説もある。

⑨数を1から10まで数えており、十種神宝の呪法として有名な「ひふみの祓詞」と関係があると考えられる。

                  ・・・

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