ルドルフ・カイザー著「ホピ・宇宙からの予言」を読んでみました。
リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。続きです。
ホピの待つ「白い兄」とはどんな人なのか、ということが考えられています。
*****
(引用ここから)
要約すると、「白い兄とその帰還(証として聖なる石板をもってくるという)」はもっとも古い中心的な「ホピの予言」のモチーフである。
黙示録的なテーマ、灰のつまったひょうたん、懲罰、滅亡、その後に訪れる千年至福王国や、
世界を揺さぶる3度の動乱、白い兄につき従う2人の協力者、そして清めの火が迫っている、といった「予言」は、
おおむね「白い兄」の「予言」の後に生まれたもので、時に生きた神話化過程と呼ばれる現象の産物だ。
しかし伝統派のホピ指導者が演説や手紙で圧倒的に重視しているのは、この後者のモチーフである。
そしてこの終末論的なテーマは、西欧世界のどこでも、人々の想像力を刺激した。
しかし「ホピの予言」について考える時は、古い、また千年至福王国的ではない、伝統的な“核”の部分と、その後にできたと思われる黙示録的な部分や解釈とを、区別しなければならない。
もともとは「白い兄」はこの世界を次の段階に移行させる人物だった。
このことから、裁判官にして破壊者という見方が出てきたのだ。
また古い「予言」には、ただ一人の「清める者」しか語られていない。
「浄化」というテーマにしても、その元になっているのは、邪悪なものや望ましくないものを周期的にふるい分けなければならない、という考え方にすぎない。
これが一種の懲罰とみなされるのは、後になってからのことである。
もともと「予言」は、ホピの生きる道のうち“未来”を語っている部分でしかなかった。
しかしこれを公表すると決まった1947年以降、「予言」はいよいよ重要になり、それと共にホピ神話の総体から次第に洗練されていった。
「ホピの予言」は独立した、それだけで完結した伝承ではなく、ホピ神話の一部である。
ホピ族の古来の教えに組み込まれた「予言」はいわば、“現代についての神話”の終焉をなしているのだ。
ホピ神話のもっとも古い時代についての伝承が、この世界がどのようにしてできたか、を伝えているように、「予言」は未来とこの世界の終末を語っているわけだ。
つまりどちらも本質的には体験不可能な出来ごとを扱っているわけで、解釈に左右されやすいところはある。
しかし第二次世界大戦以後、「ホピの予言」は非常に重視されるようになったため、神話体系の一部でありながら、ある程度独立に扱われるようになった。
そして日常の政治問題にも、また現在の文化変容についての議論にも、重要な意味をもつようになった。
「ホピの予言」は歴史を予想するものではなく、歴史の意味と起こり得る未来を解釈しようとする試みなのだ。
「予言」は部族の神話から成長する。
そしてある意味では、過去から現在、そして未来にまで延長された神話なのだ。
したがって「予言」を部族の神話の全体から切り離すことはできない。
全体の一部としてとらえなければ、理解することも評価することもできないのだ。
その意味では「予言」されているこの世界の浄化と破滅は、ホピの神話に語られる太古の3つの世界が破滅したことの再現である。
また「失われた白い兄の帰還」という「予言」を正しく理解するには、先史時代に兄弟が離れ離れになったという神話を知り、「兄の帰還」がその別離の時代の終わりを意味するということを知っていなければならない。
しかもホピの神話認識は、時と共に発展する。
この世界に始めから存在していた「種子」が、次第に成長するからである。
未来の出来事は過去にその「種子」があって起きる。
そしてホピの神話は過程であり、出来ごとの連なりである。
出来事の「種子」は過去に播かれ、その最終的な結末ははるかな未来に訪れる。
このように、すでに存在する「種子」の成長した姿が未来であるとすれば、当然「予言」に基づいて神話を解釈出来るはずである。
この世界への人類の出現と世界の浄化とは、ホピにとって、人間存在の境界を確定する周期的な出来ごとであり、始まりと終わりであって、過去と未来なのである。
この周期性は宇宙のリズムを反映している。
ホピの神話の場合は、「4」というリズムになる。
(引用ここまで)
*****
続きます。
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画面右上の小さな検索コーナーを「ブログ内検索」にして
種子 8件
ソヤル 5件
白い兄 6件
白い神 4件
石版 9件
ホピの予言 15件
などあります。
(重複しています。)
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ホピの待つ「白い兄」とはどんな人なのか、ということが考えられています。
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(引用ここから)
要約すると、「白い兄とその帰還(証として聖なる石板をもってくるという)」はもっとも古い中心的な「ホピの予言」のモチーフである。
黙示録的なテーマ、灰のつまったひょうたん、懲罰、滅亡、その後に訪れる千年至福王国や、
世界を揺さぶる3度の動乱、白い兄につき従う2人の協力者、そして清めの火が迫っている、といった「予言」は、
おおむね「白い兄」の「予言」の後に生まれたもので、時に生きた神話化過程と呼ばれる現象の産物だ。
しかし伝統派のホピ指導者が演説や手紙で圧倒的に重視しているのは、この後者のモチーフである。
そしてこの終末論的なテーマは、西欧世界のどこでも、人々の想像力を刺激した。
しかし「ホピの予言」について考える時は、古い、また千年至福王国的ではない、伝統的な“核”の部分と、その後にできたと思われる黙示録的な部分や解釈とを、区別しなければならない。
もともとは「白い兄」はこの世界を次の段階に移行させる人物だった。
このことから、裁判官にして破壊者という見方が出てきたのだ。
また古い「予言」には、ただ一人の「清める者」しか語られていない。
「浄化」というテーマにしても、その元になっているのは、邪悪なものや望ましくないものを周期的にふるい分けなければならない、という考え方にすぎない。
これが一種の懲罰とみなされるのは、後になってからのことである。
もともと「予言」は、ホピの生きる道のうち“未来”を語っている部分でしかなかった。
しかしこれを公表すると決まった1947年以降、「予言」はいよいよ重要になり、それと共にホピ神話の総体から次第に洗練されていった。
「ホピの予言」は独立した、それだけで完結した伝承ではなく、ホピ神話の一部である。
ホピ族の古来の教えに組み込まれた「予言」はいわば、“現代についての神話”の終焉をなしているのだ。
ホピ神話のもっとも古い時代についての伝承が、この世界がどのようにしてできたか、を伝えているように、「予言」は未来とこの世界の終末を語っているわけだ。
つまりどちらも本質的には体験不可能な出来ごとを扱っているわけで、解釈に左右されやすいところはある。
しかし第二次世界大戦以後、「ホピの予言」は非常に重視されるようになったため、神話体系の一部でありながら、ある程度独立に扱われるようになった。
そして日常の政治問題にも、また現在の文化変容についての議論にも、重要な意味をもつようになった。
「ホピの予言」は歴史を予想するものではなく、歴史の意味と起こり得る未来を解釈しようとする試みなのだ。
「予言」は部族の神話から成長する。
そしてある意味では、過去から現在、そして未来にまで延長された神話なのだ。
したがって「予言」を部族の神話の全体から切り離すことはできない。
全体の一部としてとらえなければ、理解することも評価することもできないのだ。
その意味では「予言」されているこの世界の浄化と破滅は、ホピの神話に語られる太古の3つの世界が破滅したことの再現である。
また「失われた白い兄の帰還」という「予言」を正しく理解するには、先史時代に兄弟が離れ離れになったという神話を知り、「兄の帰還」がその別離の時代の終わりを意味するということを知っていなければならない。
しかもホピの神話認識は、時と共に発展する。
この世界に始めから存在していた「種子」が、次第に成長するからである。
未来の出来事は過去にその「種子」があって起きる。
そしてホピの神話は過程であり、出来ごとの連なりである。
出来事の「種子」は過去に播かれ、その最終的な結末ははるかな未来に訪れる。
このように、すでに存在する「種子」の成長した姿が未来であるとすれば、当然「予言」に基づいて神話を解釈出来るはずである。
この世界への人類の出現と世界の浄化とは、ホピにとって、人間存在の境界を確定する周期的な出来ごとであり、始まりと終わりであって、過去と未来なのである。
この周期性は宇宙のリズムを反映している。
ホピの神話の場合は、「4」というリズムになる。
(引用ここまで)
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続きます。
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白い兄 6件
白い神 4件
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