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スカイピープルと古代人・・ホピ族のペテログラフ(岩絵)(2)

2014-02-13 | ホピの白い兄・石版など


吉田信啓氏の「岩刻文字の黙示録」のご紹介を続けます。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。

           *****

         (引用ここから)


「確かにこれはUFOだし、宇宙船ですね。

こんな思想が,いつの頃からホピインディアンに伝わったのですか?」と私はマーティン氏に尋ねた。


「マヤやインカの人々は、元々ホピと同族なのです。

その絵図にあるということは、はるか古代から言い伝わっていると言えます。

元々ホピの伝説では、「マサウ」というホピの神が最初に地上に出現し、人類に生き方を教えたとされていますが、

その「マサウ」自体が「天空人」ですから、人類の始源から「スカイピープル」は関わっていたとみるべきでしょう」

とマーティン氏は答えて、ホピ茶を勧めた。


そのマーティイン氏の説明を傍証する岩壁画を、私は日本から同行した16人の仲間と共に、数日後、ホピの村近くのシェブロン峡谷で見ることになった。

3台の四輪駆動車に分乗し、フラッグスタッフのホリデイインホテルを出発。

シェブロン川が流れる荒野に入った私たちは、前の車があげる砂埃が雲のように視界をさえぎるガタガタ道を2時間かけて峡谷へと向かった。

やがて道路は鉄条網で囲まれた、なにやら訳のありそうな荒れ野原に入り、木枠と鉄条網で作った門に何度も行く手を阻まれることになる。

その扉には、

「アメリカ合衆国政府がインディアンと建国時に取り交わした協約によると、「インディアンの聖地を犯す者には死をもって報いる」という条文があり、今でもその法律は生きている」とある。

それにジャックという私の車の運転手によれば、

「このあたりにはいろいろな秘密機関の基地があり、中には悪い宇宙人と共同研究している基地もあるらしい。

だから地平線の彼方まで広がるこのあたりの荒野の私有地は、名目上はアメリカ人のものになっていても実際にそこを利用しているのはアメリカ以外の機関かもしれないし、宇宙人である確率も高い。

だから警告板を無視して、こうやって侵入を続けるのは、本当に危険なんだ。

万が一とがめられたら、僕たちは日本人のお客に命令された通りに運転しているだけだと言う。一切、責任はとらないよ。
実際どこに行くのかも知らないのだから」

と諦めと怒りの入り混じった表情で私に告げた。



シェブロン峡谷で見た岩肌は、まるで岩の奥からコールタールか重油が染み出しているかのように、こげ茶色から黒色をしていた。

その黒茶色の層はさほど厚いものではなく、2センチそこそこのものであった。

だからそこに線刻されていた文様や図形は、掘られた部分だけが下の層の白い岩質が現れるため、全体としてこげ茶色の壁面に白か薄茶色の線刻や図形が描かれたことになって、くっきりとした画面を見せていた。

しかし古いものは2000年から3000年というから、長い年月の風化や剥落で傷みが激しく、描かれた人物の顔全体が消え失せていたり、

せっかくすばらしい造形だと見えたものが、近づくにつれて崩落寸前のひび割れだらけだったりという状況だった。

アメリカという国家の文化財産であるはずのインディアンの聖地のロックアートには、まったく保護措置がとられていないことが見てとれた。

アメリカ岩石芸術学会やアメリカ碑文学会、ルイジアナ遺跡学会、アメリカ文化学会など、多くのロックアート学術機関が、インディアンの聖地に残るロックアートの保存と保護を唱導しているわりには、シェブロンキャニオンの谷間では、措置は全くとられていない。

それは途中に立ち寄ったウォルナッツキャニオンの遺跡でも同じであった。

フラッグスタッフから車で40分ほどのウォルナッツキャニオンは・・キャニオンというからにはグランドキャニオンなどの広大な峡谷を想像していたが・・現場は飛び越せるほどの小川が流れる「クルミの森」の谷のそばの十数メートルの丘の南斜面にある岩場だった。

ホピ族の自然神殿だったという丘の一角には、横数10メートルほど、縦4メートルほどの岩塊があり、そこの岩には星や太陽、甲虫、蛇、イモリ、カメ、カエルなどと共に、杖を持ったシャーマン(呪術師や巫女)、雷文様などが彫ってあった。

しかし、アメリカの岩刻画学会で研究発表者が誇り高く報告するような保護や保存の痕跡は、まったく見られなかった。

それはホピインディアンの居住地・オールドオライビからの帰途に調査したループキャニオンでも同じことであった。

幅約50メートル、両岸の断崖の高さが最高で約10メートルのループキャニオンは、ホピ族がそれを採取してお茶として飲むハーブの甘酸っぱい芳香におおわれていた。

その匂いの方向に、岩だらけで水のない川底を歩いていくと、谷間で盆地のようになった住居跡らしい草地や砂地に、ハーブ茶の原料となる草が群生していた。


ホピインディアンは、寒風が吹きつけない谷間の陽だまりで、周辺は断崖や巨石で見通しが悪くて中が覗かれないような水場に野営地を設けた。

人の背丈ほどもある岩だらけの峡谷だから、仮に敵に見つかっても攻撃されにくく、防衛しやすい。

峡谷には水は流れていないが、伏流水があるのだろう。

あちらこちらの岩陰に、底も見えないほどの深い淵がある。

水は澄んでいるから、相当に深いのだと分かる。

その縁に岩場の楓やハゼの紅葉が映えて、真っ青な空を背景に温和な詩画をつくる。


切り立った岩壁には、カメ、いもり、足形、手形、同心円、螺旋文様、雷文様、鹿、犬などとともに、人物が刻印されていた。

聞けば、その岩壁や棚はホピやナバホインディアンの祭壇であったという。

そこが彼らの神殿であったのだ。

              (引用ここまで)

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