また、前回の続きです。
「ガイアシンフォニー3番」の製作終了後、龍村仁監督とアラスカ・クリンギット族の語り部ボブ・サムは次の土地、奈良の天河神社を訪れ、神前で「ワタリガラスの神話」を奉納しました。
その地を選んだ理由を、監督はこのように述べています。
*****
それはこの地こそ、神武天皇と「ヤタガラス」神話の舞台となった土地だからだ。
神武天皇が日本国の統一を願ってこの吉野の山深くで祈願の神事をされたとき、どこからともなく飛んできて、神武天皇の弓の先にとまり、暗闇の世界に光を当てながら先導した者こそ、黄金に輝く「ヤタガラス」だった、というあの神話だ。
星野道夫は、北方アジアに住む「ワタリガラス」の神話を持つ民族は皆、最後の氷河期が終わる頃、バイカル湖の周辺からアジア各地に移住していった同じ民族の子孫ではないのか?、という抑えがたい直感によって、この神話を持つ人々を訪ねる旅に出たのだ。
(龍村仁著「ガイアシンフォニー3番・魂の旅」より抜粋)
*****
古代の吉野・熊野(奈良・和歌山)の地で神武天皇を助け導いた「ヤタガラス」というカラスは、どのような「カラス」なのでしょうか?
アラスカインディアンと古代日本を結びつける「カラス」の神話は、日本の地では、三本の脚を持ち、黒いかと思うと金色でもあるような、神の使いとしての霊獣のすがたをとります。
龍村監督は、次のように推理します。
*****
神武天皇の弓の先にとまった黄金に輝く「ヤタガラス」はたぶん、ある高度な技術文明をもった先住民族のシンボルなのだろう。
吉野・熊野の奥地には“丹生(にう)”という名のつく土地が多くある。
“丹(に)”とは水銀のことであり、金をはじめ、様々な金属を鋳造する上で欠かせない触媒である。
水銀を多く産出する吉野、熊野に住む先住民の人々は、非常に早い時期に、それらを扱う技術をもっていた。
「ヤタガラス」は神武天皇の国家統一に協力した黄金鋳造の技術を持つ先住民(縄文人)のシンボルではないだろうか?
(同著より)
*****
龍村監督は、「ヤタガラス」は熊野・吉野の地の先住民たちの優れた技術と知恵のシンボルだったのであろうと考えました。
調べてみると、「カラス」の神話は、アラスカと日本以外にも、イギリスや北欧、ギリシャ、中国、朝鮮、ブータンなど広範囲に見られるようです。
共通するのは、「カラス=太陽神の使い」というイメージで、太陽と結びつけて考えられており、知恵と飛行力がある強い生き物と考えられているところです。
吉野・熊野地方にいた「ヤタガラス」が何を象徴しているのかについては、龍村監督の推理の他にも様々な意見があるようです。
なにしろ“日本の建国の祖である神武天皇を大和にみちびいたのがカラスだ”と、日本書紀にあるのですから、どういう意味をもつのであろうかと、あらゆる考察があり得ることと思います。
監督とボブと天河神社の柿崎宮司は、旅の歩を進めました。
*****
天河神社に到着するとすぐ、ボブは柿崎宮司と共に吉野・熊野の山中に深く分け入った。
訪れる場所は柿崎宮司の随神の意思にお任せした。
二日目、ボブは和歌山県側の熊野神社に詣でた。
この神社こそ、ヤタガラスを御神体とする神社だ。
日本の山中にカラスを御神体とする立派な神社があることにボブは驚き、ことのほか嬉しそうだった。
神社の由来を説明する看板に、「北西アメリカのインディアン・グリンギ族の中に、カラスを神様とする神話がある。」と書かれていたのには、わたしも驚いた。
(同著より・抜粋)
*****
“クマ”の字を含む“熊野”にある“カラス”を祭った聖地を訪れて、ボブは日本とのつながりを確信したのだと思います。
それ以降、ボブは何回も日本に招かれて、“ワタリガラスの民からヤタガラスの民へ”という、はっきりとしたメッセージを発信しているようです。
そして、思いがけず亡くなってしまった星野道夫の夢は、たくさんの人の心の奥を結び合わせて、思いもかけず長く、良い縁を結ぶこととなるのでした。
、、まだ、続きます。。^^;
関連記事
画面右上の検索コーナーを、「ブログ内検索」にして、
「カラス」で3件
「ワタリガラス」で7件
「太陽」で15件、関連記事があります。(重複あり)
参考サイト
HP「柴田自然研究所」熊野のヤタガラス
http://homepage3.nifty.com/shibalabo/crow/minzoku/kumano/kumano.htm
HP「み熊野ネット」神武東征、ヤタガラスの導き
とても詳しいHPです。
http://www.mikumano.net/setsuwa/jinmu.html
wikiヤタガラス
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%82%BF%E3%82%AC%E3%83%A9%E3%82%B9
wiki金烏(きんう)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E7%83%8F
wiki熊野三山
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%86%8A%E9%87%8E%E4%BF%A1%E4%BB%B0
HP天河大弁財天社
http://www.tenkawa-jinja.or.jp/side/side.html
HP熊野速玉大社
http://www.kumanokaido.com/hayatama/top.html
写真(wikiより)
熊野本宮大社の八咫烏の旗
wiki丹生(にう)鉱山より
縄文時代から丹生鉱山とその近辺で辰砂の採掘が行なわれていた。
地名ともなっている「丹生」とは、丹土(朱砂…辰砂)が採取される土地の事を指すとする説が有力である(「ニフ」を、「稲積」を呼ぶ名称の「ニホ」や「ニフ」と同じとして、神の降臨を迎える標山とする折口信夫等による異説もあり)。
また、古代に水銀や朱砂を採掘・加工していた氏族の名前とされる。
彼らはニウヅヒメ(丹生津姫、丹生津比女とも書く)を祭神として、活動拠点に丹生神社と名付けられた神社を建立した。
「ガイアシンフォニー3番」の製作終了後、龍村仁監督とアラスカ・クリンギット族の語り部ボブ・サムは次の土地、奈良の天河神社を訪れ、神前で「ワタリガラスの神話」を奉納しました。
その地を選んだ理由を、監督はこのように述べています。
*****
それはこの地こそ、神武天皇と「ヤタガラス」神話の舞台となった土地だからだ。
神武天皇が日本国の統一を願ってこの吉野の山深くで祈願の神事をされたとき、どこからともなく飛んできて、神武天皇の弓の先にとまり、暗闇の世界に光を当てながら先導した者こそ、黄金に輝く「ヤタガラス」だった、というあの神話だ。
星野道夫は、北方アジアに住む「ワタリガラス」の神話を持つ民族は皆、最後の氷河期が終わる頃、バイカル湖の周辺からアジア各地に移住していった同じ民族の子孫ではないのか?、という抑えがたい直感によって、この神話を持つ人々を訪ねる旅に出たのだ。
(龍村仁著「ガイアシンフォニー3番・魂の旅」より抜粋)
*****
古代の吉野・熊野(奈良・和歌山)の地で神武天皇を助け導いた「ヤタガラス」というカラスは、どのような「カラス」なのでしょうか?
アラスカインディアンと古代日本を結びつける「カラス」の神話は、日本の地では、三本の脚を持ち、黒いかと思うと金色でもあるような、神の使いとしての霊獣のすがたをとります。
龍村監督は、次のように推理します。
*****
神武天皇の弓の先にとまった黄金に輝く「ヤタガラス」はたぶん、ある高度な技術文明をもった先住民族のシンボルなのだろう。
吉野・熊野の奥地には“丹生(にう)”という名のつく土地が多くある。
“丹(に)”とは水銀のことであり、金をはじめ、様々な金属を鋳造する上で欠かせない触媒である。
水銀を多く産出する吉野、熊野に住む先住民の人々は、非常に早い時期に、それらを扱う技術をもっていた。
「ヤタガラス」は神武天皇の国家統一に協力した黄金鋳造の技術を持つ先住民(縄文人)のシンボルではないだろうか?
(同著より)
*****
龍村監督は、「ヤタガラス」は熊野・吉野の地の先住民たちの優れた技術と知恵のシンボルだったのであろうと考えました。
調べてみると、「カラス」の神話は、アラスカと日本以外にも、イギリスや北欧、ギリシャ、中国、朝鮮、ブータンなど広範囲に見られるようです。
共通するのは、「カラス=太陽神の使い」というイメージで、太陽と結びつけて考えられており、知恵と飛行力がある強い生き物と考えられているところです。
吉野・熊野地方にいた「ヤタガラス」が何を象徴しているのかについては、龍村監督の推理の他にも様々な意見があるようです。
なにしろ“日本の建国の祖である神武天皇を大和にみちびいたのがカラスだ”と、日本書紀にあるのですから、どういう意味をもつのであろうかと、あらゆる考察があり得ることと思います。
監督とボブと天河神社の柿崎宮司は、旅の歩を進めました。
*****
天河神社に到着するとすぐ、ボブは柿崎宮司と共に吉野・熊野の山中に深く分け入った。
訪れる場所は柿崎宮司の随神の意思にお任せした。
二日目、ボブは和歌山県側の熊野神社に詣でた。
この神社こそ、ヤタガラスを御神体とする神社だ。
日本の山中にカラスを御神体とする立派な神社があることにボブは驚き、ことのほか嬉しそうだった。
神社の由来を説明する看板に、「北西アメリカのインディアン・グリンギ族の中に、カラスを神様とする神話がある。」と書かれていたのには、わたしも驚いた。
(同著より・抜粋)
*****
“クマ”の字を含む“熊野”にある“カラス”を祭った聖地を訪れて、ボブは日本とのつながりを確信したのだと思います。
それ以降、ボブは何回も日本に招かれて、“ワタリガラスの民からヤタガラスの民へ”という、はっきりとしたメッセージを発信しているようです。
そして、思いがけず亡くなってしまった星野道夫の夢は、たくさんの人の心の奥を結び合わせて、思いもかけず長く、良い縁を結ぶこととなるのでした。
、、まだ、続きます。。^^;
関連記事
画面右上の検索コーナーを、「ブログ内検索」にして、
「カラス」で3件
「ワタリガラス」で7件
「太陽」で15件、関連記事があります。(重複あり)
参考サイト
HP「柴田自然研究所」熊野のヤタガラス
http://homepage3.nifty.com/shibalabo/crow/minzoku/kumano/kumano.htm
HP「み熊野ネット」神武東征、ヤタガラスの導き
とても詳しいHPです。
http://www.mikumano.net/setsuwa/jinmu.html
wikiヤタガラス
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%82%BF%E3%82%AC%E3%83%A9%E3%82%B9
wiki金烏(きんう)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E7%83%8F
wiki熊野三山
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%86%8A%E9%87%8E%E4%BF%A1%E4%BB%B0
HP天河大弁財天社
http://www.tenkawa-jinja.or.jp/side/side.html
HP熊野速玉大社
http://www.kumanokaido.com/hayatama/top.html
写真(wikiより)
熊野本宮大社の八咫烏の旗
wiki丹生(にう)鉱山より
縄文時代から丹生鉱山とその近辺で辰砂の採掘が行なわれていた。
地名ともなっている「丹生」とは、丹土(朱砂…辰砂)が採取される土地の事を指すとする説が有力である(「ニフ」を、「稲積」を呼ぶ名称の「ニホ」や「ニフ」と同じとして、神の降臨を迎える標山とする折口信夫等による異説もあり)。
また、古代に水銀や朱砂を採掘・加工していた氏族の名前とされる。
彼らはニウヅヒメ(丹生津姫、丹生津比女とも書く)を祭神として、活動拠点に丹生神社と名付けられた神社を建立した。
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