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3日は短くなく、むしろ長い、それで充分なんだ・・星野道夫トーテムポールになる

2009-04-09 | 北米インディアン

 

2008年8月7日付け読売新聞によると昨年8月、星野道夫のトーテムポールが現地の友人たちによってアラスカに建てられたということです。          

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「先住民、トーテムポール建立 アラスカ愛した写真家・星野道夫さん 不慮の死12年 8日に式典 」

 極北の自然と動植物を撮り続けた、市川市出身の写真家・星野道夫さん(1952~96年)の足跡をしのび、8日(現地時間)、米国アラスカ州にトーテムポールが建つ。

呼びかけたのは、親交のあった先住民のボブ・サムさん。

アラスカと日本のきずなを深めた星野さんに、感謝の思いを込めたという。

 星野さんは慶大卒業後、アラスカを拠点に撮影活動を続けたが、96年、ロシア・カムチャツカ半島でヒグマに襲われ、死亡した。  

妻の直子さん(38)などによると、星野さんは生前、先住民族クリンギットの伝統的神話の語り部・ボブさんと取材を通じて知り合い、親交を深めた。  

先住民の間では、社会の貢献者の魂はトーテムポールに込め、村の守り神にする習慣があるという。

ボブさんは「道夫の残したきずな」に感謝し、トーテムポールの建立を提案。昨夏、本格的に始動した。  

トーテムポールの制作者は、同じ先住民のトミー・ジョセフさん。 高さやデザインの詳細は明らかにされていないが、アラスカヒノキに動物と仮面などを刻み込む。

墓柱と記念碑を兼ね、彫刻は星野さんの軌跡を伝えているという。  

建立場所は、南東アラスカの町シトカにあるハリバット・ポイント州立公園。

星野さんとボブさんの出会った町で、著書「旅をする木」(文芸春秋)では「アラスカでもっとも美しい町、それはシトカだろう」と、賛辞を贈っている。  

ボブさんたちの名付けた「ミチオのトーテムポール」は木立に囲まれ、目の前に太平洋を望む。

「シトカはいつの日か暮らしてみたい憧(あこが)れの町である」(同著)と記したその場所で、静かに時を刻むことになる。  

建立の式典に出席する直子さんは「亡くなって12年。多くの方々が夫のことを覚えていてくれて、うれしく思います。これからも、心の中に生き続けてくれれば。年月がたち、やがてトーテムポールは土に返るはず。夫らしいなと思っています」と話している。                    (2008年8月7日 読売新聞)          

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トーテムポールのデザインは次のようであるそうです。

ブログ「星野道夫トーテムポールプロジェクト 」   

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 トーテムポールに掘り込まれたデザインは、ボブ・サムの「星野道夫のトーテムポールに捧げる物語」に基づいています。

「一番下にはミチオがいて、守護するようにワタリガラスが上から彼を包む。

 次にミチオがその生涯をかけて追いかけたカリブー、ミチオに至福の時間と自然の叡知を与えたクジラ、そして一番天に近い場所にミチオが出会いたいと願っていたスピリチュアルな存在そのもののグレイシャーベアがいる。

このトーテムポールは、ミチオが伝えようとしたメッセージのストーリーテラーとしてあらゆる存在をひとつに繋ぐ役目を果たすはずだ」       

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HP「Switch」にあるボブ・サムからのメッセージを紹介します。         

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私がミチオと出会えたのはワタリガラスの導きによるものでした。

彼と出会ったとき、見つけたばかりのワタリガラスの巣の在りかを私はミチオに教えたのです。

なかなか目にすることができないワタリガラスの巣を撮影できたことが、私とミチオをつなぐ糸となり、生涯にわたっての友情を育むことになりました。  

その後、日本を訪れていろいろなことに触れる中で、アラスカに住む私たちと日本人たちとは、おそらくどこかで繋がっているのではないかと思うようになりました。  

ミチオはワタリガラスを追い求めて、ワタリガラスと深いつながりを持つアラスカ、そしてカナダに暮らす先住民の古老の肖像を撮影しました。

 彼らを撮りながら旅を続ける。 そうすることによってワタリガラスの道を辿ることができるのではないかと考えたのです。

 森と氷河と鯨、彼はその道をそう名付けました。

そして、多くの伝説や神話の中に息づくワタリガラスの来歴こそ、私たちの祖先が辿ってきた道なのかもしれないとの確信を抱きます。  

ミチオが持っていた夢、それは私たちをもう一度ひとつにすることでした。  

そんな彼の夢を引き継ぐために、トーテムポールを立てることを提案します。

ミチオがアラスカで生きた証、それは単にミチオを偲ぶだけでなく、アラスカに住む人たちと日本に住む人たちの心を再び繋ぐ、そんな役割を果たすことになるでしょう。

ミチオがこの世を去ったとき、多くの人がミチオの人生を讚えました。

 トーテムポールをアラスカの地に建てることは、ミチオとのあらゆる思い出を心に留めておくひとつの方法でもあるのです。

 • 池澤夏樹(作家) • 瀬戸内寂聴(僧侶・作家) • 龍村仁(映画監督) • 谷川俊太郎(詩人) • 藤原新也(写真家) • 山口智子(女優) • 湯川豊(作家) • リン・スクーラー(作家) • 星野直子

HP「Switch」 http://www.switch-pub.co.jp/totempole/ttpp/01/index.html      

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ブログ「星野道夫トーテムポールプロジェクト」にあるイベントの記事です。        

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 「星野道夫とワタリガラスの伝説、グレイシャーベア」 2007/08/18  

1998年8月に不慮の事故で亡くなって以後も、その遺した写真や名文の数々が私たちの心を打ってやまない星野道夫。

いま、星野道夫を記念してトーテムポールを建立し、アラスカの先住民族と日本人が手を携えながら、彼の大きな志を語りついでいこうという「星野道夫 トーテムプロジェクト」が進行中だ。  

8月16日17日には、東京・日本科学未来館(江東区青海2丁目)でメモリアルイベント「星野道夫トーテムポールプロジェクト@Miraikan 2007」が行なわれた。

メモリアルイベントでは、星野道夫の写真などの上映や、ARATAによる作品の朗読が行なわれた他、星野道夫とゆかりの深い、ボブ・サムとリン・スクーラーが来日、星野道夫の愛してやまなかったアラスカの大自然などを語った。

 作家でもあるフィールドガイドのリン・スクーラーは「とにかく謙虚な人で、会っていると明るく楽しかった。

日本では有名人だったなんて、彼が亡くなるまで知らなかった。  

スクーラーは、また、氷に閉ざされて腐らなかった2500年前の倒木片を客席に回覧し、アラスカの豊かな大自然とその歴史を写真と共に語った。

生前、星野道夫は、わずか3日間で、卵から孵化して変態、成虫となって交尾し、そして産卵していく“ミッジ”というハエについて「3日は短くなく、むしろ長い。それで充分なんだ」と語ったという。

 このエピソードを紹介した後、スクーラーは「シャケは2-3年、クマは2-30年、人は5-70年という“それぞれの時間”がある。

ミチオの死は哀しいけれど、家族を大切にしていた彼には妻も息子もいる。

 次世代を遺し、“飛ぶことも覚えて”(*)からミチオは亡くなった。

充分だったのかもしれない」と語った。

 (* 星野道夫が生前、アラスカの大自然を空撮もしたことの比喩・氷が山谷を削ったアラスカの大自然は、空撮でないと撮影できない場所も多い)  

生前、スクーラーと星野道夫は、きわめて希少な熊・グレイシャーベア(ブルーベア)をみたいと探すが、星野道夫の生前にはついに果たせなかった。

「ミチオの死後」スクーラーはようやくグレイシャーベアを目撃する。

会場でスクーラーは、門外不出のその動画を上映することによっても、会場の一同と共に故人を偲んだ。

そしてスクーラーは「ミチオが教えてくれたのは、愛すべき何かと出会うことの大切さなのではないか。

 大切なのは、行きにくい所へ行くことではない。むしろ私たちは、身近な何かから愛せるものを見つけるべきではないか。 アラスカに長年住んだミチオは、そう教えてくれたような気がしてならない」と語った。    

星野道夫が最後に記した『森と氷河と鯨 -ワタリガラスの伝説を求めて』にも登場する、語り部のボブ・サムは、その「ワタリガラスの伝説」を15分ほどかけて私たちに熱く語った。

 先住民族・クリキットの「ワタリガラスの伝説」は、この世にまだ魂がなかった時、ワタリガラスがタカの協力を得ながら万物の魂を得る物語だ。

森の大切さ、若者が老人の生を支えて生きることの大切さを伝えて「ワタリガラスの伝説」は結ばれる。

クリキットの伝統衣装を身にまとい、ボブ・サムの語る「ワタリガラスの伝説」は、かつて星野道夫をそうしたように、会場でも聴く人の心に、深く深く刻み込まれた。

 「トーテムポールプロジェクト」の発起人であるボブ・サムは、 「ホシノは、人と自然を不可分のものとして、いずれも深く愛した。

次の世代へ向けて私たちができることの一つが自然をのこすこと。

そのために、また、私たち一人ひとりが、より、私らしく、クジラはクジラらしく生きるために、ホシノのトーテムポールを建てよう」と訴えた。  

また、リン・スクーラーは「謙虚なホシノは、自分を記念したトーテムポールを建てることなど望んではいないだろう。 しかし、彼が教えてくれたことを私たちが受け継いでいくために、私たちはトーテムポールを建てるのだ。

 そしてアラスカと日本の人々が結ばれる」とプロジェクトの意義を語った。

 関連サイト:星野道夫トーテムポールプロジェクト      

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 天河神社 柿坂神酒之祐宮司のイベント推薦文です。

 HP「オフィスTEN」イベント案内より http://www.office-ten.net/watarigarasu/raven-under-top-1.htm       

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アラスカ、クリンギット族のボブ・サム氏は、龍村仁監督の映画「地球交響曲第三番」に出演されている先住民族の方です。

 98年、龍村監督の紹介で初めて日本にやって来られ、その後も来日毎に、監督の導きでボブ・サム氏は天河神社へ来社されました。

天河神社宮司は、ボブ・サム氏の先住民としてのけがれのない意識に幾度も触れ、深く共感して参りましたが、同時にボブ・サム氏も天河神社の御神威に触れられ、アラスカ先住民族の意識との深い関わりを確信されたようです。  

本年6月30日、世界遺産に登録される吉野、天河、熊野の大峯七十五靡(役の行者が開かれた道)に、2000年の夏、十数名の方々と共にボブ・サム氏を案内させて頂き、山中で一夜の参籠をし、護摩を焚き、ボブ・サム氏と共に平和の祈りの御神業を執り行いました。

その折、日本の心の「かむながらの道」とアラスカ先住民族先祖より連綿とつづく意識との深いつながりを確信されたのか、ボブ・サム氏が鎮かな涙を流されておられましたのが、今も心に残っております。  

 近代文明に酔いしれている我々は、先住民族の行いを学び、縄文前のおおらかで強い本当の魂の甦りを持って、新しく一人一人の心の立て直しを行わなければならないと思います。  

そうした意味で、ボブ・サム氏が遠方であるアラスカよりわざわざ日本におこしになり、先住の意識をよみがえらせる「言の葉(ことのは)」(言霊 ことだま)を持って神業されることは誠に尊く、感動の極みであります。  

 この度、東京の日比谷において、ボブ・サム氏の「ことのは」(言霊)の「さにわ役」として、天河神社宮司が参上させて頂けますことは、心よりの喜びであります。

 現代の日本にとって、一番欠けている本当の日本の心の甦りの場であって欲しいと願っております。

絶好の機会でありますので、皆様お誘い合せの上、ひとりでも多くの方々が御参加下さいますよう伏してお願い申し上げます。           

 大峯本宮天河大辨財天社宮司 柿坂神酒之祐        

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 わたしは、「3日は短くなく、むしろ長い、それで充分なのだ。」という彼の言葉が胸にしみました。

 その言葉は、あくなき欲にとりつかれ、物と思いのゴミをまき散らして恥じることのないわたしたち現代の人間の心得違いを、そっと諭してくれるように感じました。

彼のトーテムポールはやがて朽ち果て、森に戻ってゆくのでしょう。

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1 コメント

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7月ボブサムが日本を巡ります (青樹洋文)
2019-06-25 17:22:39
7月、ボブサムさんと、奈良裕之さんが日本各地を巡ります。4日東京大塚から始まります。
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