「インカ文明展」が面白かったため、インカ文明とはなにかと考えています。
しかし、考えは混迷の中にあります。
なぜならば、インカという言葉に関連して、たくさんの関連物があることが分かってきたからです。
たとえばナスカ文化という謎めいた文化は、インカ文明という謎めいた文明と同じ血脈を持つのであり、同じ文明の中の、古い一つの歴史的な表れであると考えてよいのだろうと思います。
アンデス文明をどうとらえるかについて、関雄二氏の「アンデスの考古学」には、以下のように簡明にまとめてありました。
リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。
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(引用ここから)
南米には中米のマヤやアステカに匹敵するインカという古代文化が実在した。
たしかに古代アンデス文明というと、すぐにインカを思い浮かべる人がほとんどであろう。
しかしこのインカは15世紀末から16世紀前半にかけての100年にも満たない短命な文化の一つにすぎなかった。
実際にはインカに先立つこと2000年以上も前に、人々は巨大な神殿を作り、見事な土器を制作していたのである。
こうした“インカに先立つ時期”を「先インカ期」と呼ぶこともある。
われわれが通常よく耳にし、また本文中でもしきりに登場する「古代アンデス文明」とは、こうした「先インカ」とそれを集大成したとされるインカを含めた諸文化の総体を指す言葉である。
我が国における南米の古代文化の実質的な紹介はごく最近の出来事である。
16世紀に記されたインカ帝国に関する諸文献の翻訳を除けば、折をみて発表される日本人のアンデス研究者の活動や展覧会の企画を通じてその一端が紹介されてきたのにすぎない。
しかもその実態は“インカ以前の諸文化”の紹介であり、それはそれとして十分に意味があるものの、一般的に知られた「インカ」の名前とのずれが生じ、時代的にも混乱が生じていることは否定できない。
しかしこれはむしろ学問の進捗状況と関連していると思った方が正しい。
アンデス山脈沿いに古文明が開花した頃、南米大陸の他の地域が全くの不毛地帯であったわけでも、人類が住んでいなかったわけでもない。
コロンビアやエクアドルにはかなり大きな人口を抱える集団が存在していたし、南米の南端では採取狩猟生活を営む人々が点在していた。
しかしながらこれまでの欧米の研究者の関心は、記念碑的な建造物など、文明の形成過程を追う上で多大な証拠を残すペルーを中心にした地域に集中し、これが現地における考古学の発達にも影響を及ぼしてきた。
またペルーにおいても、考古学的研究は主として「先インカ期」の文化を舞台として展開され、インカについては征服後に書かれた年代記などを基にした文献研究が大半であった。
おのずと展覧会では考古学的な文脈で明らかにされた「先インカ期」に遡る遺跡の紹介とその出土品の展示がメインとならざるを得なかった。
たとえ有名であっても、インカについて壮大な石造建築を写し込んだパネルと、数を表す結束縄キープ、そして若干の土器が並べられるにすぎなかった。
この様に我が国における南米の古代文化に関するイメージはアンデスに始まりアンデスに終わり、それが「先インカ期」の出土品の紹介に重点がおかれながらも実はインカの名の下に漠然と認識されてきたのである。
(引用ここまで)
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このようなまとめの文章も必要であるかと思い、引用させていただきました。
昔のいろいろなアンデス文明展覧会のカタログなども収集して、あれこれと思いを巡らせています。
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