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役行者と神仏習合(1)・・ヤタガラス・鴨氏

2014-05-30 | 日本の不思議(古代)


鎌田東二氏の「神と仏の出逢う国」を読んでみました。

その中の、役行者について書かれた部分をご紹介します。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


前回投稿した記事は、「日本の異端と正統」という大仰なタイトルにしましたが、なにか結論を出せるだろうとは思っていませんが、今回もやはり、日本の正統とは?、日本の異端とは?という疑問から、なにがしかの事柄が引き出せればいいのだけれど、という気持で考えています。

日中韓の古代交流史、ヤタガラス伝承、出雲と大和朝廷など、何度も扱ってきたテーマではありますが、異端にこそ正統があるのではないか?という気持を長く持っております。

昨年末にご紹介させていただいた弁才天の蛇信仰などと同じ密度で追及できればいいのですが、たいへん難しいものだと実感しています。


              *****


           (引用ここから)


鎮護国家仏教の確立期に、独自の修行に基づき呪術的宗教体系を形成しようとしたのが、修験道の開祖とされる役行者・役小角である。

「続日本記」に「文武天皇3年に伊豆島に流された」とある。

葛城山に住み呪術を行使したが、弟子の韓国連広足の讒言により伊豆に遠流となった。


役行者は鬼神を駆使して、鬼神に水を汲ませたり薪を刈らせたりし、命令に従わない時には呪術により鬼神を縛ったと伝えられている。


これが後の「日本霊異記」になると、役行者は〝仏法を敬う神秘的な行力を持つ優婆塞(在信徒)”として登場することになる。

この「日本霊異記」にはさらに役行者の験力の記述が続くが、それはたいへん神秘化されている。


役行者は吉野山中に籠って修行したと言われるが、結局彼のこの伊豆流刑の後、人々が山林に入って修行することは禁止される。

反体制分子が山中で勢力や霊力をつけることを、国家は恐れたのである。

つまり第二、第三の役行者が出てくるのを封じたのである。


この役行者の宗教とは、どのような特徴をもっているのか?


それを古代の文献資料をもとに跡付けることは容易ではないが、役行者の出自がヤマトの葛城の〝高賀茂”氏の出身であるとすると、その〝高賀茂”氏は、「ヤタガラス」の祖先伝承を持つ古代祭司一族であったと考えられる。


「新選姓氏録」には、神武天皇が山中で迷ったときに、大きなカラスに化身して飛び回り、「中州」に導き、その功績によって「ヤタガラス」の「号」を授けられたという。

「ヤタガラス」は本当の名前を「鴨建津身命(カモタケツミノミコト)」といい、出雲系の神・神魂命孫であるとされる。

このように、「鴨建津身命」は神の子孫でもあり、かつまた人間でもあり、さらに大きな鳥に化身することができる超能力的存在である。

その姿は、鬼神を従え、天空を飛んだという役行者とそのままではないか?


この「鴨建津身命」の名を文字通り解釈するなら、「強く猛々しい〝鴨”の体を持っている者」の意味である。

「鴨の身体」には「神の身体」という含意があるから、まさに“ちはやぶる神の勢いと力を持った存在”であったことがうかがい知れる。

その「カモタケツミノミコト」に「ヤタガラス」という称号を与えたのだ。

“ヤタ”は大きさと尊貴を表わす言葉である。

その名は「偉大なる神の力を持つカラス」の意味である。

          
            (引用ここまで)

              *****


Wikipedia「賀茂氏」より

加茂氏・鴨氏・加毛氏は、「賀茂(加茂・鴨・加毛)」を氏とする氏族。


天神系(賀茂県主)

八咫烏(ヤタガラス)に化身して神武天皇を導いたとされる「賀茂建角身命」を始祖とする天神系氏族。

代々、賀茂神社に奉斎し、山城国葛野郡・愛宕郡を支配した。

子孫は上賀茂・下鴨の両神社の祠官家となった。


また「賀茂県主」は、同じ山城国を本拠とする「秦氏」との関係が深い。

氏人には鴨長明(下鴨社家)、賀茂真淵(上賀茂社家)がいる。


出自に関する諸説


山城国葛野の賀茂県主は、大和国葛城の地祇系賀茂氏が山城に進出したもの、とする説がある。

『山城国風土記』逸文では、賀茂県主の祖の賀茂建角身命は神武天皇の先導をした後、大和の葛城を通って山城国へ至ったとしている。


しかし、『鴨氏始祖伝』では、「鴨氏」には複数あり、葛城と葛野の賀茂氏は別の氏族であるとしている。

また、『出雲風土記』では「意宇郡舎人郷 賀茂神戸」とあり、また現在の島根県安来市には「賀茂神社」があり、祖神である一言主の同一神、言代主の活躍地である東部出雲に属することから、ここを本貫とする説もある。


地祇系(三輪氏族)

大物主(三輪明神)の子である大田田根子の孫・「大鴨積」を始祖とする、三輪氏族に属する地祇系氏族。

大和国葛上郡・鴨(現在の奈良県御所市)を本拠地とする。姓は君のち朝臣。


「大鴨積」は、「鴨」の地に事代主を祀った神社を建てたことから、「賀茂」君の姓を賜与された。

なお、現在「鴨」の地にある高鴨神社の祭神である事代主や味鋤高彦根神(賀茂大御神)は、賀茂氏が祀っていた神であると考えられている。


姓は君であったが、壬申の乱の功臣である鴨蝦夷を出し、天武天皇(684年)13年に朝臣姓を賜与された。

平安時代中期には陰陽博士の賀茂忠行を輩出し、その弟子である安倍晴明が興した安倍氏と並んで陰陽道の宗家となり、子孫は暦道を伝えた。


賀茂忠行の子には、家業を継いだ賀茂保憲や儒学者に転じた慶滋保胤がいる。

室町時代には、嫡流が勘解由小路家を称して堂上家となり、代々陰陽頭を務めたが、戦国時代に断絶した。

なお、庶流の幸徳井家は江戸時代も地下家として続き、江戸時代初期は陰陽頭を務めるが、幸徳井友傳の死後、安倍氏系の土御門泰福に陰陽道の宗家の地位を奪われ、中期以降は陰陽助を務めた。



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