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始まりに向かって

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離島に、日本の未来を見る(1)・・〝離島という最前線″からの情報発信・鯨本あつ子さん

2016-02-21 | 野生の思考・社会・脱原発



「離島という最前線に学ぶ・・「離島経済新聞」統括編集長 鯨本あつこさん」
                 朝日新聞2015・12・09

                   ・・・・・

全国の離島についての情報を、機関紙とウェブで発信しています。

5年前に始めてから、足を運んだ島は100近く。

人が住んでいる島が420ほどなので、4分の1ですね。

世界にさきがけて少子高齢化が進む日本の中でも、離島は早くからこの問題に直面しています。

いわば世界の最前線。

そこでの様々な取り組みは今後、高齢化を迎える世界の国々にとってヒントとなるかもしれません。


とは言え、始めた時からそう意識していたわけではないんです。

もともとデザイナーや編集者などの仲間と「日本のいいものを紹介するメディアを作ろう」と話していました。

そのころ瀬戸内海の大崎上島を訪ねると、自然が豊かで人が優しく、時間も穏やかに流れていた。

そう、離島もまた「日本のいいもの」なんじゃないかって。


島を見てきて、つくづく思うのは、やはり「人」の重要性です。

たとえば、クリエーターやアーティストが多い石垣島では、50組以上が「石垣島クリエイティブ・フラッグ」というグループに所属して、石垣島のポスター制作やイベント開催を請け負っています。

居住者がスキルを活かして仕事を産み出し、それまで県外に流れていた金が、島内に回るようになったんです。




3・11以降、都会からの「Iターン」が増えました。

どの島でも、スキルや意欲のある人たちが、探せばいるはず。

瀬戸内海国際芸術祭も開かれる小豆島には、若い独身女性たちも大勢います。

最新号で「移住定住」をテーマにアンケートをしたところ、7割が「不便」と答えました。

そうですよね。

でも、便利じゃないから、足りないものを補うために、手を動かしたり人と助けあったりする。 

都会ならお金があれば、人としゃべらなくても生きていけますが、島ではそうはいかない。

周りの人といい関係を築けなければ、食べ物さえ手に入らないこともある。


煩わしさも含めて、「人と関わる」のが生きていくということ。

急いで進む中で見失った当たり前のことを教えられています。

「人口減少」と騒がれていますが、ふりかえれば江戸時代は3000万人ほどでした。

その後、急激に増えたのが異常だったのです。

これから徐々に減り、そのうち適正な規模になるだけ。

悲観することはないと思います。

つばき油の生産量日本1で知られる東京都の利島(としま)は、人口300人前後を維持しています。

資源を取りつくさず、そこそこの暮らしを保つ。

「縮む」時代を楽しく過ごすには、様々なものが「無い」中で生き残ってきた離島から学べることがありそうです。


              ・・・・・


確かな視点、頼もしいですね。

良い情報発信を、続けてください。

続いて、別記事のご紹介もします。

長いので、半分ずつにします。

         
              ・・・・・



          
「島国の島々ーニッポンの「これから」を訪ねて」

朝日新聞・別刷り「globe」2016・01・03


            ・・・・・

日本には6800あまりの島があり、うち420ほどに人が住む。

人口減少は、高齢化は、足早に進む。


一方で、歴史的に外国との接点にもなってきた。

海を渡り、人々や自然の息吹を写真でとらえてみたら、その風景に島国・日本の「これから」を見た思いがした。




〈長崎県・対馬〉

「韓国と対馬の「間合い」」

長崎県の対馬の北端、比田勝を訪ねた。

この日は少し曇っていたけれど、海の向こうの韓国・釜山に林立するマンション群がはっきり見えた。

2つの国を隔てる距離は、50キロほどしかない。


対馬は今、韓国からの観光ブームに沸く。

島内を案内する標識にも、店のメニューにも、ハングルがあり、スーパーは日本の日用品を求める観光客でにぎわう。


激増のきっかけは、円安・ウォン高と、対馬と釜山を結ぶ船の運航会社が、2011年に3社に増えたこと。

2015年は、年20万人を超えそうだ。


たった1時間ほどで、神社や和食など外国の「異文化」を味わえることが魅力だ、と観光客やガイドから聞いた。

ただ、人口32000人あまりの島に、文化や習慣の違う外国人がたくさん訪れるのだから、きれいごとばかりではない。

日本の報道やネットの書き込みでは「対馬が韓国に占領される」といったものもある。


それでも韓国の人たちは、対馬を訪れる。

対馬は、韓国の人たちを迎える。


どうしてだろう?

韓国の人たちは満足を得て、対馬は観光で潤う。

現実的な関係が、ここにはあるように思った。


釜山に住んでいたキム・ソンチョルは、2年半前、対馬の民宿の調理員に採用された。

客の多くは、釣りや登山などを楽しむ韓国の人たち。

観光ブームがなければ、ソンチョルが海を渡ることはなかっただろう。


1年半あまりがすぎた頃、対馬育ちのKさんが民宿で働き始めた。

二人は付き合い始め、今では二人で居酒屋を切り盛りする。


メニューは周りの店と重ならないよう、韓国料理に絞り、地元に溶け込もうと努める。

ソンチョルは、名前の漢字文字の一つが、吉を二つ並べているので、周りから「二吉(にきち)」と呼ばれ始めた。

彼は言う。「日本人が好きな韓国料理をたくさんの人に食べてもらいたい」


日本全体で見ると、昨年は2000万人近い外国人観光客が、訪れた。

中国の人たちの「爆買い」は、経済にプラスだが、マナーに閉口する向きも少なくない。

それでも外国人は日本に来る。

日本はこれからも、彼らをうまく受け入れていくことができるだろうか?

対馬という島で折り重なる「満足」と「摩擦」が絡み合った外国との付き合いは、なんだか日本の「写し絵」のような気がしてきたのだ。


(写真は、同朝日新聞より。対馬市で行われる恒例行事「朝鮮通信使行列」。仏像の盗難問題が絡んで一時中断したが復活したという。)


                   ・・・・・

「国境の島へー対馬観光物産協会」HP



                   ・・・・・

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いつまでも支え合ってゆける社会作り・・しんがりの思想(3)

2016-01-08 | 野生の思考・社会・脱原発


鷲田清一氏の「しんがりの思想」のご紹介を続けます。


             *****


           (引用ここから)


「最近の学生は、〝なんか合わないな”と思うと、文句も言わないで知らぬ間にすーっと消えてなくなるね」と、職場で若い先生と感想をもらしあったことがある。

ゼミや懇談会などでも、なにかおかしいと思うことがあるなら、苦情を言う、注文をつけるといったことをしてほしいのだけれど、あるいはせめて、憮然とした顔を見せつけてほしいのだけれど、次に集まった時には、もういなくなっている。

ある場の空気に、違和を感じた時、特に若い世代は、ふてくされたり、わざと空気を乱したり、仲間と組んで抵抗するものだと、ずっと思ってきた。

「違和感」から「抵抗」まで、さして隔たりはないと思い込んできた。

「違和感」といえば、すぐに「反体制」とか、「カウンターカルチャー」とか、「ドロップアウト」といった、対抗もしくは不従順を思い浮かべる世代に属するからかもしれない。


「インモラル」に対して、「アモラル」という言葉がある。

「インモラル」が背徳的(みだら、ふしだら、反道徳的)であるのに対して、「アモラル」は、言ってみれば、「非道徳的」「道徳と関係なく」という意味である。

これにならって言うと、かつて多くの若者が、現状に「違和感」を覚えた時、それに「〈反〉体制」のふるまいで対抗しようとしたのに対し、現在の「消える若者」は、どうもそれに「〈非〉体制」として処するようなのだ。

大学から、立て看板という、抵抗の意思の集団的な表現が消えて久しいが、今時の若者は、まずは、「身を消す」ということだろうか?

しかし、わたしが関心をそそられるのは、これとは別の実の消し方だ。


東京のある私立高校を訪れた時、十数人の生徒が米国の大学への進学を志望して、その準備をしていた。

東京大学を頂点に、偏差値で順位付けられた大学には入れば完了、みたいな日本の大学に夢を持てないというのだ。

こうして、彼等は日本から静かに身を消そうとしている。


一方いったん企業に就職しながら、離職した20代~30代には、地域の一隅で、あるいは農村部で、友人たちとささやかながらも企業する人たちがじわりじわりと増えている。

グローバル経済という制御不能な〝怪物″に、物価・株価の変動も就労環境も翻弄され、また成長を止めれば世界は滅びるという社会の強迫観念に身動きがきかなくなっている現状に見切りをつけて、

もう一度経済の流れを、場合によっては、みずから修正したり、抑制したり、訂正したりできる、そういう制御可能なものに戻そうということなのだろう。


言い換えると、仕事と家族生活、仕事と地域生活を切り離さない、という本来なら当たり前のサイズに、暮しを戻そうということかもしれない。

Uターン、Iターンと呼ばれる行動、消費欲の減衰。

シェアハウス、あるいはシェア田んぼ。

そういう小さなサイズ感で、「一致団結」は志向せずに、むしろ互いにゆるくつながり合って暮らしてゆこうと動き出した世代。

彼らは改めて、かつての「結」(農業における労力の対等な交換)や「もやい」(地引網、漁獲物の平等分配)に連なるような感覚を日々の暮らしのなかで探り出している。

一方は活動の場をこの国の外に求めるという形で、他方は国家というサイズより小さな地域へと引っ込むという形で、この国から消えようとしているかに見える。


わたしはしかし、ここに、危機よりは一つの希望を、反抗より強い意思を見る。

両者は国家より広い場所と狭い場所という、反対のベクトルを志向しているかに見えるが、そこにはある共通の意思が読み取れる。

誰もが当たり前のように受け入れている既存の体制に拠ることなく、それに「対抗」しようというのでもなく、体制とは別に、自分たちの活動のコンテクストは自分たちで編んでゆこうという、表立つこともない、静かな意思である。


「Uターン」や「Iターン」の動きを、〝地方に引きこもる”といったネガティブなイメージで捉えてはならない。

これは自分たちの生命の世話をそれぞれに引き受けられるところで引き受ける、つまりは「相互扶助」のネットワークは自分で準備していくという、言ってみれば「押し返しの活動」だからである。

公共の事柄に致命的な不具合が露呈したとき、あるいはサービスが決定的に劣化した時には、いつでも対案を示す、あるいはその業務を自分たちで引き取る、というかたちで、「人民が主に戻れる」可能性を担保しておく。

そういう意味での「押し返し」が、これらの動きには見られると思う。


支え合いなしに、人は生きてゆけない。

その支え合いが、サービス業務としてシステム化されてゆくプロセスは、各人が自活能力を一つ一つ失ってゆく過程でもある。

そのことに気付いた人は、社会のシステムに生活をそっくり預けるのではなく、目に見える回りの他者との間で、心配りや世話をいつでも交換できるようにしておく。

それが、起こりうる危機を回避するために一番大切なことである。


今一度宮本常一が引用していた、あの瀬戸内の石工の話に戻りたい。

「自分のここでの仕事を、未来の石工のことを思いつつなす、ということ。

回りの人に褒められなくても気のすむ仕事とは、そういうものだ」、と石工は言っていた。

そこに宮本は、誰に命令せられるのでもなく、自らが自らに命令することのできる尊さを見たのだった。

人として生きるということの印として、世代から世代へと受け継がれていく仕事の「芯」となるべきものを、私たちが久しく忘れてきたのも、「未来からのまなざしを受けつつ仕事をする」という、そんな矜持を忘れてしまったからではないだろうか?


             (引用ここまで)


              *****


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速度を落とすべし・・鷲田清一氏「しんがりの思想」(2)

2016-01-04 | 野生の思考・社会・脱原発



明けまして おめでとう ございます。

今年も よろしく お願いいたします。


年末に途中までご紹介した、鷲田清一氏の「しんがりの思想」の続きです。

     
            *****



          (引用ここから)



「限界」を意識するのは、この意味で大事なことである。

「ここを超えると危険水域に入る」という「臨界点を知る」こと。

これが命をつなぐために最も重要なことだ。

限界を見させまいとすることは、子供の心を傷つけまいという思いからのことだろうが、いずれ子供をより大きな危機にさらすことになる。


しかし、限界はよほど眼をこらさないと見えない。

眼をこらすというのは、自分がどういう状況にあるかを距離を置いて見ること、つまりは惰性を脱するということだからだ。


日本人は、〝寡栄養”に強いと言われ、〝過栄養”には弱いと、肝臓疾患の専門医から聞いたことがある。

日本人の体は、体内に採りいれた少ない脂肪を数日間うまく使って、飢えをしのぐには向いているが、栄養過多に対して、脂肪を減らす機能が弱いということらしい。

だからこのところ脂肪肝が原因で、肝臓がんになる人がじわりじわり増えているという。


そういう意味でも、「減らす」というのは本当に難しい。

ごちそうがあるのに、途中で止めるというのは難しい。

便利なものをあえて使わないというのも難しい。

何かある事業を立ち上げるために、別の事業をやめるというのも、難しい。


「足るを知る」という言葉はやさしいが、それを実行するのは難しい。

このことが私たちの社会構造についても言える。


とするなら、「足るを知る」という古人の知恵に、今、誰よりも近いところにいるのが、若者たちではなかろうか?

と言うか、そうならざるを得ない場所へ、一番先にはじき出されたのが、今の若い世代なのかもしれない。

骨の髄まで成長幻想に染められているそれ以前の世代には、「過栄養」という「不自然」が「不自然」には映らないからである。

「ダウンサイジング」というメンタリティーに最も遠い世代のリーダー像では、「縮小してゆく社会」には対応できないのだ。


この国は、本気で「退却戦」を考えなければならない時代に入りつつある。

その時、リーダーの任に堪えるのは、もはや引っ張っていくタイプのリーダーではない。

それは「右肩上がり」の時代にしか通用しないリーダー像だ。

これに対して、「ダウンサイジング」の時代に求められるのは、言ってみれば「しんがり」のマインドである。

「しんがり」とは、言うまでもなく、合戦で劣勢に立たされ、退却を余技なくされた時に、隊列の最後部を務める部隊のことである。

彼等が担うのは、敵の追撃に遭って、本体を先に安全な場所まで退却させるために、限られた軍勢で敵の追撃を阻止し、味方の犠牲を最小限に食い止める、極めて危険な任務である。


「しんがり」・・「後駆(しりがり)」が音便化した語で、「後備え」、「尻払い」「殿軍」とも言われる。 

現代では「ケツモチ」という言い回しもあるようで、いわゆるイベントサークルでトラブルに陥った時、それに〝片を付けて”くれる人のことらしい。

ヤンキー言葉では、暴走族が暴走行為をする時に、最後尾を受け持つメンバーのことを指す。

パトカーに追跡されると、速度を落として蛇行運転し、前の集団を逃がすのが彼等の役目である。

あるいは登山のパーティーで、最後尾を務める人も指す。


経験と判断と体力に最も秀でた人が、その任に着くという。

一番手が、「しんがり」を務める。

二番手は、先頭に立つ。

そして最も経験と体力に劣る者が、先頭の真後ろに付き、先頭はその人に息遣いや気配を背中でうかがいながら、歩行のペースを決めるという。

「しんがり」だけが隊列の全体を見ることができる。

パーティー全体の〝後ろ姿”を見ることができる。

そして隊員がよろけたり、足を踏み外したりした時、間髪を入れず救助にあたる。


「右肩下がり」の時代、「廃炉」とか「ダウンサイジング」が課題として立ってくるところでは、このように仲間の安全を確認してから最後に引き上げる、「しんがり」の判断が最も重要になってくる。


誰かに、あるいは特定の業界に犠牲が集中していないか?

リーダーは張り切りすぎで、皆が付いて行くのに四苦八苦しているのではないか?

そろそろ、どこかから悲鳴があがらないか?

このままで、果たして「もつ」のか?

といった全体のケア、各所への気遣いと、そこでの周到な判断こそ、「縮小していく社会」において、リーダーが備えていなければならないマインドなのである。


「地域社会」とか「市民社会」と呼ばれる場は、職業政治の場ではない。

誰もがよそに本務をもったままで、そうしたゆるい集団の一員として参画する。

それは日々、それぞれの持ち場で、おのれの務めを果たしながら、公共的な課題が持ち上がれば、誰もが時にリーダーに推され、時に メンバーの一員、そうワン・オブ・ぜムになって行動する。

つまり普段はリーダーに推された人の足を引っ張ることもなく、よほどのことがない限り従順に行動する。

しかし場合によっては、すぐに主役の交代もできる。

そういう可塑性のある、しなりのある集団だろう。

リーダーに、そしてシステムに全部を預けず、しかし全部を自分が丸ごと引き受けるのでもなく、いつも全体の気遣いをできるところで責任担う。


そんな伸縮可能な関わり方で・・「上位下達」「指示待ち」の対極である・・で維持されてゆく集団であろう。

実際、誰もがリーダーになりたがる社会ほど、もろいものはない。

日ごろは自己の本務を果たしつつ、公共的なことがらについて、ある時は「今は仕事が手を抜けないのでちょっと頼む」。

ある時は「あなたも本業が忙しいでしょうからしばらくわたしが交代しましょう」。

というように、前面に出たり、背後になったりしながら、しかし、いつも全体に気配りができる、そんな賢いフォロワーの存在こそが、ここでは大きな意味を持つ。


公共的なことがらに関して、観客になるのではなく、みずから問題の解決のためのネットワークを編んでゆく能力。

それこそが、「市民性の成熟」の前提であるということである。

この社会ではいまだに、「リーダー待望論」が声高く謳われる。

異様と言わざるを得ない。


             (引用ここまで)


              *****


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右肩が下がってゆく時の生きる道・・鷲田清一氏「しんがりの思想」(1)

2015-12-20 | 野生の思考・社会・脱原発




読売新聞の2015・07・16日付で、鷲田清一氏という哲学者の新刊本のインタビュー記事が載っていました。

「「しんがりの思想」」刊行・縮小社会の若者に希望」とありました。

図書館で探して読んでみました。


リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


はじめに」という章に、次のような文章が紹介されていました。

民俗学者・宮本常一氏の、瀬戸内の石工の方の聞き書き文です。

           
              *****



              (引用ここから)


              ・・・

石工は、金を欲しい、いうてやる仕事だが、けっして良い仕事ではない。

ことに冬など、川の中でやる仕事は、泣くにも泣けないつらいことがある。

子供は石工にしたくはない。

しかし自分は生涯それで暮らしたい。

田舎を歩いていて、なんでもない田の石垣などに、見事な石の積み方をしてあるのを見ると、心を打たれることがある。

こんなところに、この石垣を積んだ石工は、どんなつもりでこんなに心を込めた仕事をしたのだろう、と思ってみる。

村の人々以外には見てくれる人もいないのに。

しかし石垣積みの仕事をやっていると、やはりいい仕事がしたくなる。

崩れないような。

そしてそのことだけを考える。

積みあげてしまえば、それきりその土地とも縁は切れるが、いい仕事をしておくと、楽しい。

後から来た者が、他の家の石垣を積む時、やっぱり粗末なことはできないものである。

前に仕事に来た者が、がざつな仕事をしておくと、こちらもつい雑な仕事をする。

また親方請負の仕事なら、経費の関係で手を抜くこともあるが、そんな仕事をすると大雨の降った時は、崩れはせぬかと夜も眠れぬことがある。

やっぱり良い仕事をしておくのがいい。

おれのやった仕事が、少々の水で崩れるものか、という自信が、雨の降る時には沸いてくるものだ。

きっといい仕事をしておけば、それは自分ばかりでなく、後から来る者も、その気持ちを受け継いでくれるものだ。

             
                   ・・・



石工は石垣の跡を歩いて、見事な石の積み方に心打たれ、同じ職工の目に触れたときに恥ずかしくないような仕事をしておきたい、と思った。

この時、石工の言葉は、実に未来の職人に宛てられていた。

これに対して、目先きの法案や利害でなくはなく、何十年か先の世代に見られてもけっして恥ずかしくない仕事を、という、そのような矜持をもって仕事に向かう人がうんと減ったのが、現代である。

未来世代のことを、まずは案じる。

そういう心もほとんど失っているのが、現代である。

私たちは今まだ見ぬ未来の世代に対して、この石工のように「恥ずかしい仕事、みっともない仕事はできない」と、胸をはって言えるだろうか?

かえり見て、懐疑のかけらもなく謳われる空疎なリーダーシップ論ではなく、この石工の、他人にわざわざ訴えることもなく、自らにしみじみ言い聞かせる、このような矜持こそが、激変期に最も必要な眼であろうと思う。

とりわけ私たちは、未来をいくつもの限界の方から考える他なくなった時代にいる。

私たちは今、放射能で自然を修復不能なまでに壊したまま、それを次世代に手渡そうとしている。

また、法外な国の債務を未来世代につけ回して、平気でいる。

さらに次の世代が経済を回すための需要を、「経済成長」の名で先食いしようとしている。

毎年1兆数千億円の社会保障費の「自然増」・・本当はこれは断じて自然のことではなく人為の無策である・・に伴う増税や年金の削減という、過重な負担も、次の世代に強いようとしている。

これが、今のこの国の姿である。


わたしたちは、いつからなぜ、あの石工の矜持を失ってしまったのか?

この国には、今「人口の減少」つまりは「社会の縮小」に伴うさまざまな課題が、今すぐに対応を考えておかなければ取り返しがつかなくなる課題として、立っている。

この事実を前にすれば「経済成長」の掛け声など、どう考えても空言のようにしか響かない。


日本はこれから、先進国の中でいち早く、巨大規模での人口減少という事態に向き合ってゆくことになる。


「右肩下がり」の時代は、社会がまともになってゆくためには悪いことではない。

「右肩上がり」の時代には、次は何を手に入れようかと考えていたわけだが、「右に下がってゆく時代」には、何を最初にあきらめるべきかを考えざるをえない。

絶対に手放してはならないものと、あればよいけれど無くても良いものと、端的に無くてもよいものと、絶対にあってはならないもの。

これら4段階の価値の遠近法にもとづいて、優先順位というものをいやでも常に頭に入れつつ、社会運営にあたらねばらないのである。

そういう社会的な判断を下し、またそれに基づいて行動する力量を、私たち市民は今どれほど持っているか?


市民としての力量は、福沢諭吉が明治のかなり早い時期にその受け身のふるまいを難じて以降、ますます落ちてきているのではないか?

いやそもそも日本社会の近代化の過程で、それを支えるべき市民の力量はなぜ落ちていったのか?


社会が嫌でも縮小してゆく時代、「廃炉」とか「ダウンサイジング」などが課題として立ってくるところでは、先頭で道を切り開いてゆく人よりも、むしろ最後尾で皆の安否を確認しつつ、登山グループの「しんがり」のような存在が重要である。

「退却戦」で、敵の一番近くにいて味方の安全を確認してから最後に引き上げるような「しんがり」の判断がもっとも重要になってくる。



実際、震災復興にあたっても、ひたすら防災のためにハード面での公共事業に取りくむばかりでなく、地域が震災前から抱え込んでいた問題を見据えながら、そこでの日々の暮らしを創造的に再構築する取り組みと結びついた経済活性化策を講じなければならないだろう。

また、もしそうした社会全体への気遣いや目配りができていれば、建築資材と労賃の高騰を招くことで、東北での復興事業を大きく遅延させることが必至な「五輪の誘致」など、誰も発想しなかっただろう。

こういう「全体の気遣い」こそ、本当のプロフェッショナルが備えていなければならないものなのである。

また、良き「フォロワーシップ」の心得というべきものである。

私はこうした心を「しんがりの思想」と呼んでみたい。


               (引用ここまで)

 
                *****


国語の教科書のような文章ですが、ほんとうに、喫緊の課題なので、投稿しようと思いました。


ブログ内関連記事

「爆笑問題VS中沢「憲法9条を世界遺産に」(1)・・言葉は世界を変えるためにある」(3)まであり

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再掲・爆笑問題vs中沢「憲法9条を世界遺産に」(1)・・言葉は世界を変えるためにある

2015-08-12 | 野生の思考・社会・脱原発



http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2012021402000030.html
脱原発「グリーンアクティブ」 「格差社会に抵抗 国民戦線」

2012年2月14日 東京新聞朝刊

          ・・・・・

 文化人類学者の中沢新一氏らは十三日、東京都内で記者会見し、脱原発などに取り組む市民団体「グリーンアクティブ」の設立を正式に発表した。

中沢氏は「原発に依存せず、むやみな自由主義や経済格差に抵抗する人々の力を集め、現状の政治を変えていく」と設立趣旨を説明した。

 団体は「緑の日本」と称した将来の環境政党を目指す部門など、四部門で運営される。環境保護と経済成長の両立を目指した「緑の経済人会議」も置く。

具体的な政策では脱原発を柱に据え、消費税増税と環太平洋連携協定(TPP)の推進反対、熟議の民主主義の構築などを訴える。

 中沢氏は「格差社会を助長するTPPなどの政策に抵抗していく。政治や経済を上からの改革ではなく、右も左もない草の根の民意をくみ上げ、変えていく国民戦線をつくる」と強調した。

             ・・・・・


グリーンアクティブという政治組織を作って「日本の大転換」をめざすこととなった中沢新一氏ですが、大変意義深いことと思いますので、いろいろとご著書を読んでみました。

以下にご紹介するのは、お笑いタレント「爆笑問題」の太田光さんとの対談ですが、なかなか面白かったです。

「憲法9条を世界遺産に」というアイデアを発案した太田光氏と、中沢新一氏が敬意を込めて話し合っています。

二人の力量には何の差もなく、いい友人の楽しい会話という風で、読んでいても心地良さをかんじました。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。



      *****


        (引用ここから)


中沢  言葉の戦場を戦い抜くのは、ほんとうに難しい。

でも僕は今、多くの仲間たちに呼びかけたい。

言葉は世界を表現するためにあるのではなく、世界を変えるためにあるのだから、いま僕たちが
使っているこの言葉に、世界を変えるための力を取り戻してやろうではないか。


太田  平和の問題というのは、最終的には、人間の持っている愛とはなにかという問題に突き当たると思うんです。

愛が人類を破滅させる危険も十分にある。

愛がなければ戦争も起きませんからね。


 
中沢  あのナチズムの場合でさえ、血が結びあう共同体へのゆがんだ愛情が、ドイツ人をあそこまで連れていってしまった。

ほんとうに微妙なものなんですよ。

真理はいつも危険なもののそばにあって、それを求めると間違った道に踏み込む可能性の方が大きいんです。



太田  今の日本の風潮では、癒しという言葉が流行になって、愛情というものを履き違えていますよね。

人間の愛はもっともっと未熟で危ういものなのに、そうじゃないところに行こうとしているように見える。

誰かを憎んだり、傷ついたりすることはすごく人間的なことなんだけれど、そこを否定して逃げようとしているんじゃないか。

過去の戦争も忘れたふりをしている。

それじゃだめだろうと思う。

戦争や愛情から発生するネガティブな感情を否定することは人間そのものを否定することですよね。



中沢 未熟であること、成形になってしまわないこと、生物学でいう「幼形成熟」ということは、ものを考える人の根本条件なんじゃないですか。

矛盾を受け入れている思想はどこか未熟に見えるんですよ。

たとえば神話がそうでしょう。

神話にはちゃんとした論理が働いている。

しかしその論理は矛盾を受け入れて、その矛盾によって動いています。

そうすると未熟に見えてしまうんですね。

普通の大人はそうは考えません。

現実の中ではっきりと自分の価値付けを決めておかなければいけないという、立派な役目があるからです。

効率性や社会の安定を考えれば、そういう大人はぜひとも必要です。

僕も長いこと、お前はいつまでも未熟だと言われてきました。

しかし自分の内面にそう簡単に否定できないカオスがありますから、そのカオスを否定しないで生きて行こうとしてきました。


中沢 「ギフト」と言うドイツ語は、「贈り物」という意味と同時に「毒」という意味ももっています。

贈り物を贈って愛を交流させることは、同時に毒を贈ることだ、とでもいう意味が込められているんでしょう。

昔の人達は、この世界が矛盾でできていることを前提に生きていました。

だから矛盾を平気で自分の中に受け得入れていた。

絶対に正しいとか、純粋な愛情とか、そんなものは信じていなかったし、あり得ないと思っていたわけですね。

神話を通じて理想的な状況を考えようとしていた人々は、一方でとても現実的なものの考え方をしていた。

そういう思考法が、日本人には一番ぴったりくるんじゃないですか。

マッカーサーはよく言ったものです。
「日本人は精神年齢12才の子供だ」って。

12才といえばハリー・ポッターの年ですね。
その年頃の子どもはよく世界を凍らせるような真実を口にするでしょう?

日本人はそういう存在として人類に貢献すべきなんじゃないかな。



中沢  太田さんは「憲法9条を世界遺産に」というすばらしい発想をどんなシチュエーションで思いついたんですか?



太田  戦争していた日本とアメリカが、戦争が終わったとたん、日米合作であの無垢な理想憲法を作った。

時代の流れからして、日本もアメリカもあの無垢な理想に向き合えたのはあの瞬間しかなかったんじゃないか。

日本人の、15年も続いた戦争に嫌気がさしているピークの感情と、この国を二度と戦争を起こさせない国にしよう、というアメリカ側の思惑が重なった瞬間に、ぽっと出来た。

これはもう誰が作ったとかいう次元を超えたものだし、国の境界すら超越した合作だし、奇跡的な成立の仕方だと思ったんです。

アメリカは5年後の朝鮮戦争でまた降りだしに戻っていきますしね。



中沢 グールドという生物学者は、生物の進化は生物が競争して切磋琢磨している状態の中で行われてきたけれど、そういう抗争に入らないで、ゆっくりと成長を続けた生物、いつまでも“幼児型”を保ち続けた生物が哺乳類として後のち発展することになったと言っています。

日本国憲法に関しても、それと同じことが起こりうると考えるべきだと思っています。

太田さんの言うように、日本国憲法はたしかに奇跡的な成り立ち方をしています。

当時のアメリカ人の中にまだ生きていた、人間の思想のとてもよいところと、敗戦後に日本人の後悔や反省の中から生まれて来たよいところがうまく合体しているんですね。

ところが政治の世界でこんなことが起こるのはめったにないことなんですね。

政治の世界の常識が出現をずっと阻止し続けていた“子ども”がとうとう現れてしまい、それで世界は変わらざるをえなくなった。

そういうものを葬り去りたいという勢力は常に存在してきましたが、かろうじて今まで命脈を保ってきました。

もしこれを簡単に否定してしまうと、日本人は確実になにか重大なものを失うことになるはずです。


      (引用ここまで・続く)

   
        *****


wikipedia「幼形成熟」より

ネオテニー(neoteny)は、動物において、性的に完全に成熟した個体でありながら非生殖器官に未成熟な、つまり幼生や幼体の性質が残る現象のこと。幼形成熟、幼態成熟ともいう。

ネオテニーと進化論

進化論においてネオテニーは進化の過程に重要な役割を果たすという説がある。

なぜならネオテニーだと脳や体の発達が遅くなる代わり、各種器官の特殊化の程度が低く、特殊化の進んだ他の生物の成体器官よりも適応に対する可塑性が高い。

そのことで成体になるまでに環境の変化があっても柔軟に適応することができるとされる。

たとえば脊椎動物の場合、それに近縁な無脊椎動物として重要なものにホヤ類などがあり、それらでは幼生で脊椎動物の基本に近い構造が見いだせる。

このことから、そのような動物のネオテニーが脊椎動物の進化の始まりであったとの説が唱えられた。

しかし異論もあり、たとえばより似通ったナメクジウオに近いものを想定する説もある。

また、そのような現生の動物にこだわらなければ、ホヤの幼生の様な姿の祖先的動物がいたと考えた方が簡単ではある。



関連記事


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9条世界会議     6件   
中沢新一      12件
日本の大転換     7件
脱原発       15件

などあります。(重複しています)


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「身の丈に合った世界と、身の程を知った生活を作れるか?・・「熱い社会」と「冷たい社会」(3)」(1)・(2)あり

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「小さな声を聞いていたい・・むつまじく在るためには。。」

「野生の思考・社会・脱原発」カテゴリー全般
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フランス「国民戦線」党首に聞く・・国家かグローバル主義か?

2015-02-13 | 野生の思考・社会・脱原発



イスラム国によるフランスの新聞社の銃撃事件以来、フランスもテロリズムの恐怖に揺れています。

最近躍進しているという右派政党「国民戦線」の党首のインタビュー記事を読みました。

日本のゆくえを考えるためにも、このような考え方もあるということを学びたいと思いました。


               ・・・・・


「フランス社会の混迷・・国民戦線党首ルペンさんに聞く」
                       朝日新聞2015・01・27


○かつては、左右、東西の対立軸が敵味方を分けていましたが、現代は?

●現代の世界を二分するのは、国家かグローバル主義かです。

繁栄と治安とアイデンティティーを守るために「国家」を重視する考えと、「国家」など消え去ってしまえという考えとの対立です。

ただ、グローバル主義とグローバル化は別の概念。

(国家が世界と交流して繁栄を追求していくような)幸福をもたらすグローバル化は、もっと進めなければなりません。


○その対立軸で、社会を二つに分断する野心を抱いているように見えます。

●その通りです。

フランスの有権者は30年にわたり、右が嫌になったら左を、左がだめなら右を、という支持を強いられてきた結果、似たような政治が続いたのです。

もっと本当の選択肢を示す必要がある。

一方に右派政党や「社会党」や「緑の党」があり、もう片方に私たちのような国家重視の政党があるのが、民主主義に必要な選択の幅というものです。


○それは、大衆迎合的なポピュリストの発想ではありませんか?

●民衆の、民衆による、民衆のための政治をポピュリズムと呼ぶなら、私はポピュリストです。

その言葉が侮蔑的な意味を持とうが、気にしません。

今の政治は逆に、民衆を侮りすぎています。


○近年の「国民戦線」は、ウクライナ危機を巡って欧米が制裁対象としているロシアのプーチン政権に接近していますね?


●ソ連崩壊後の苦しい時期を経たロシアが、経済復興を成し遂げた姿には、頭が下がります。

米国とは異なる国家モデルをつくり上げたロシアは、戦略的関係を結ぶのに値する偉大な国家です。

にもかかわらず、(制裁を求める)米国の指示に従うから、欧州連合(EU)はロシアと冷戦状態のような関係しか持てないのです。


○「国民戦線」はEUを批判し、欧州単一通貨ユーロからの脱退も主張していますね?

でもフランスは、EUから多大な利益を受けてきたのではないですか?

●全然受けていません。

EUから得たのは、借金と、失業と、アイデンティティー崩壊だけ。

EUのせいで、私たちは金融面、予算面、立法面での主権を失い、自分の運命を自分で決することができなくなりました。

ごく少数のEU官僚が、市民の考えに反してすべてを決めてしまう。

その結果、貧困と絶望がもたらされる。

まるでソ連状態。

私たちはこれを『欧州ソビエト連邦』と呼んでいます。

私たちは、国民が自国の経済をしっかりコントロールする『愛国主義の経済』をめざしています。

自由競争に基づき、金融の影響を大きく受ける『米国型のグローバル主義経済』は、我が国にも、地球全体にも、悲劇をもたらすと考えるからです。

その点、日本はすばらしい。

フランスが失った通貨政策も維持している。

日本は愛国経済に基づいたモデルを示しています




○あなたは党首に就任した2011年以降、右翼としての否定的イメージを拭う「正常化」に取り組んでいる、といわれます。

ただ、「国民戦線」を依然として「差別主義」「排外的」と見なす人も少なくありませんね?

●活動家や党員の中には確かに、愚にもつかないこと、批判されて当然のことをする人が、いないわけではありません。

ただ、それはどの政党も同じ。

他党だと目立たないだけです。

私たちは長年、政界全体を敵に回したために、不当な扱いを受けてきました。

「国民戦線」が変化したとは思いません。

「国民戦線」は、対抗する政治勢力から長年馬鹿にされてきました。

このために伝わらなかった私たちの真の姿を知ってもらう努力は、国民に次第に受け入れられています。

最近の画期的な選挙結果からも、それは明らかだと思います。
     ◇


 
◎取材を終えて◎


極右、ファシスト、差別主義者。。

「国民戦線」は厳しい批判を浴びてきた。

党首や幹部の物議を醸す言動、移民や政敵を容赦なく糾弾する攻撃性が、その評価を裏付けていた。

そんな政党の党首を、なぜ紙面に登場させるのかと、疑問に思う人もいるだろう。

だが、「国民戦線」は近年、躍進を続けている。

その主張を聴くことで、欧州の行方を読み解けないかと考えた。

 連続テロの余波で慌ただしい14日、欧州議会で会ったルペン党首は、従来の「右翼」のイメージとは大きく異なっていた。

不快であろう質問にも動揺せず、熱意を込めて語る。

勢いのある新興企業の社長、といった感じだ。


実際、「国民戦線」の評判は、急速に変わりつつある。

反ユダヤ主義や、露骨な差別主義を排除。

若手や左派出身者をスタッフに迎え、経済、外交を含む包括的政策を整えた。

工業地帯や炭鉱地区で、グローバル化に不安を抱く労働者層、低所得者層に食い込んだ。

党の新世代を代表する仏北部エナンボモン副市長クリストファ・ジュレック氏はこう説明する。

「以前は日本の右翼団体になぞらえられた。今は安倍晋三氏の自民党に近い政策の党だ」

ルペン党首も「めざすは日本の制度」との態度を隠さない。

私自身も時に批判した「右翼」が、今「日本」を称賛する。

喜ぶべきか、悲しむべきか?

右翼やポピュリスト政党の伸長傾向は、欧州各国でうかがえる。

多くは「国民戦線」と同様、グローバル化に抗する砦(とりで)としての国家の復権を訴え、左右の大政党に対抗する勢力に成長した。

ノルウェーなどでは政権に参加した。

フランスでも、多くの研究者が以下の想定で一致する。


2017年大統領選でルペン党首は決選に残り、22年には大統領選を制するかもしれない。。

では、「国民戦線」は本当に普通の政党になったのか?

仏ルモンド紙のアベル・メストル記者は、懐疑的だ。

「移民政策など党の本質的な方針は以前と同じ。言い方を変えただけでないか?」


敵味方をはっきりさせる党の、ポピュリスト的性格にも不安が残る。

パリ政治学院のパスカル・ペリノー教授は「社会内部の紛争をあおる「国民戦線」は、依然として危険な存在だ。フランスに必要な党とは思えない」と語る。
 
「国民戦線」が政権を握ると、混乱の懸念が拭えない。

逆に、フランスが大混乱に陥る事態こそ、「国民戦線」が権力に近づく時だろう。
     
 
〈国民戦線〉

1972年、反共産主義者や元対独協力者らを中心に結成されたフランスの右翼政党。

当初は暴力的な活動家も多かったが、初代党首のジャンマリ・ルペン氏が議会主義を定着させた。

大衆の不満を刺激して支持を得るポピュリズム色が強く、70年代は共産主義、80~90年代は移民、2000年代以降はイスラム原理主義を激しく攻撃してきた。

近年は、欧州統合を批判することが多い。

2002年のフランス大統領選では同氏が決選に進出。

2011年には同氏の三女であるマリーヌ氏が2代目党首に就き、昨年の欧州議会選で約25%の支持を得て国内第1党となった。


                ・・・・・


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「環太平洋文明があった・・中沢新一「熊から王へ(5)」

「先住民の知恵は白人にうばわれる・・河合準夫のナバホへの旅(5)」

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古代ギリシャに希望の光 柄谷行人インタビュー・・民主主義を超える理念を

2013-09-13 | 野生の思考・社会・脱原発


記事をいろいろと書き溜めているのですが、アップするのが遅いので、塩漬け記事がたくさんあります。
これは半年前の記事です。

難解なことで有名な、思想家の柄谷行人氏が、反原発の官邸前のデモに参加して、考えたことをまとめた本が上梓されたということです。

彼はデモの情景を見て、

「原発事故以来始まった市民の活動を抑えることはできないでしょう。」

と感じました。


「無支配」というギリシア哲学の一つの考え方を、これからの社会の在り方として、提唱しています。

民主主義、平和、自由、、現代社会の限界を、古代ギリシアの哲学で乗り越えたいと語っています。



               *****


朝日新聞2013年1月15日

「古代ギリシャに希望の光 柄谷行人インタビュー」


「ソクラテスが広場に出たように柄谷行人はデモに行く。」

社会学者の大澤真幸がそう評した、思想家柄谷行人のギリシア哲学論「哲学の起源」がまとまった。

希望が、ソクラテスの生きた古代ギリシャから現代に回帰してくる。




人類の社会史を生産様式でなく、交換様式から見直した「世界史の構造」(2010年)の続編ですが、なぜ古代ギリシァを?

柄谷

「世界史の構造」では普遍宗教の問題を取り上げたのですが、その時、それに匹敵する事件としてギリシャ哲学のことを考えていた。

しかしスペースの都合で書けなかったから、別の本として書いたのです。

その際ヒントとなったのは、哲学者ハンナ・アーレントの指摘ですね。

ギリシャに「イソノミア」という言葉があります。

「同等者支配」と訳されることが多いけれど、アーレントは「無支配(ノールール)」と訳した。

「デモクラシー(民主主義)」の「クラシー」は「支配」ですから、「無支配」はまるで異質です。

デモクラシーでは、自由と平等は背反しますが、「イソノミア」では違う。

自由であるがゆえに平等です。

これはイオニア(現トルコのエーゲ海沿岸部)の植民都市に存在した。

アテネ民主政治を始めたとされる執政官ソロンの改革(債務奴隷の解放など)は、イオニアから学んで「イソノミア」を実行しようとしたのだと思う。

しかし財産上の階級分化が起こっていたアテネではうまくいかず、僭主(独裁者)政に帰結した。

その後の民主政でも「イソノミア」とは程遠い。




アテネの民主主義は理想化されています。


柄谷

現代の代議制民主主義に対してアテネの直接民主主義が称讃されているのですが、実際はそうではない。

アテネには現在の民衆主義の欠陥がすべて見出されます。

われわれが参照すべきなのは、イオニアの「イソノミア」です。

しかしそれに関する資料は少ない。

イオニアの自然哲学が、それを示すものだと言ってよい。

自然哲学は「イソノミア」が崩壊しつつあった時期に生まれた「社会哲学」でもあるのです。

イオニアの哲学者の中には、通常は哲学者とみなされない歴史家ヘロドトスや医学者ヒポクラテスをも入れて良いと思う。

ヘロドトスは自民族中心主義がなく、ヒポクラテスは貧富・人種の差なく治療する医の倫理を確立した。

このような態度は、氏族社会の伝統が強く残り、奴隷制や外国人排除に基づいたアテネからは出てこない。

僕の本で鍵になるのは、イオニア出身で、万物の始源に「数」を見出したピタゴラスです。

彼はインドから輪廻の観念を持ち込んだと言われますが、それは彼以前からギリシァにありました。

ピタゴラスはイオニアで「イソノミア」を回復しようとした結果、僭主政になってしまったので、亡命し、長く世界各地を放浪したあげく、南イタリアで教団を始めた。

彼の教団は経済的に平等で、男女の差別もないコミュニズムでしたが、「自由」はなかった。

それを反復したのがプラトンです。

彼もソクラテスを処刑したアテネの民主政に失望し、放浪したあげく、ピタゴラスを真似て「アカデミア」をつくり、「哲人政治」を唱えたのです。




刑死したソクラテスに、精神分析医フロイトのいう「抑圧されたものの回帰」として「イソノミア」を見ています。


柄谷

ソクラテスはダイモン(精霊)に「民会(議会)に行くな」と言われた。

そのかわりに彼は広場に行って、誰彼となく問答をした。

「民会(議会)」には外国人、女性、奴隷は入れない。

それに比べると「広場」には真の「民会」があると言えます。

むろんソクラテス自身は「イソノミア」について考えていなかった。

無意識にそうしたのです。

その意味で、ソクラテスの活動は「抑圧されたイソノミアの回帰だ」と言うことができます。




「哲学の起源」は、元は月刊誌の連載で、脱原発のデモに行きつつ執筆したわけですね?


柄谷

しかしその時は大澤真幸が書いた「ソクラテスと広場」のことを考えていなかった。

そのことに思い当たったのは、去年の6月末、首相官邸前の集会が拡大した時です。

「国会(=アセンブリー)」の真横に「広場のアセンブリー」があったわけですから。

国会議員がこちら側に挨拶に来た(笑)

その意味で、「ソクラテス」がそこに回帰してきたような気がします。あるいは「イソノミア」が。




総選挙の結果をどうみていますか?


柄谷

大体こうなるだろうとは思っていました。

反原発のデモと沖縄の基地反対運動が最も高揚した去年の7月に、日本国家は尖閣諸島国有化をとなえて、中国の脅威をあおった。

その作戦が功を奏したと思う。

しかしそれは一時的なものにすぎない。

原発事故以来始まった市民の活動を抑えることはできないでしょう。

政治家、官僚は言うまでもなく、メディアへの素朴な信頼感はもう消えてしまった。




代議制民主主義に対する失望がありますね。投票率も非常に低い。


柄谷

今後、代議制民主主義が大きな問題になることは間違いないですね。

たとえばギリシャの民主政からは僭主が現れる。

あるいはデマゴーグが出てくる。

こちらは日本には既にいますが(笑)

民主主義はひどいものだけど、それよりいいものが無いからやむを得ない、というシニカルな見方が強い。

しかし、やはり民主主義を超える理念が必要です。

僕の考えでは、それが「イソノミア」ですね。

だからイオニアの哲学について考えてほしいと思います。

 
                *****


wikipedia「イソノミア」より

イソノミアは、古代にイオニアで発達した政体。

2011年の『文学界』の春季の号の山口二郎との対談で、柄谷行人は、ハンナ・アーレントなどを参照しつつ、イソノミアを次のように説明した。

日本では、同等者支配などと訳されたこともあるが、アーレントはノー・ルール(無支配)と訳しており、このほうが正しい。

こんにち俗に「民主主義」と言われているものは、「自由・民主主義」であり、自由主義(自由)と民主主義(平等)の振り子のような相互修正により成立する。

フランシス・フクヤマの『歴史の終わり』は、このような政体によって完結される歴史についての本である。

しかし、これを超克する余地もあろう。

その可能性はイソノミアにある。

イソノミアとは、自由と平等が対立せず、自由であることがそのまま平等であり、逆もまた真である、ような政体である。

イソノミアは、アメリカの草の根民主主義に近い。

アメリカでは土地を持たない独立自営農民が、その担い手になった。

これは、商工業者を軽蔑する、アテネの「農民=戦士」的デモクラシーとは異なるものであった。

アーレントが注目する「評議会」も、現代のイソノミアと言えよう。

柄谷が「世界共和国へ」で挙げたアソシエーションも、イソノミアとほぼ同じものだ。

アソシエーショニズムは、普遍宗教によって開示されたものだと、これまで柄谷は述べてきたが、宗教という形以外でそれが実現されたことはなかったか、と再考した挙句、イソノミアを思い当たった。(『哲学の起源』連載第一回目)


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ピタゴラス     5件
プラトン     14件

などあります。(重複しています)

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才能の交易こそ新しい経済・総理大臣としてゼロ円革命・・2011年に新政府をつくった坂口恭平さん

2013-05-05 | 野生の思考・社会・脱原発



2013年1月10日 朝日新聞に、すごく素敵なインタヴュー記事が載っていました。

当ブログで結構長々とご発言をご紹介させていただいている宗教学者中沢新一氏を、ご自分の“国家”の“文部科学省大臣”に任命なさった“ツワモノ総理大臣”でいらっしゃいます。


 
               *****


             (引用ここから)


「才能の交易こそ新しい経済・総理大臣としてゼロ円革命・・2011年に新政府をつくった坂口恭平さん」



2011年5月10日に新政府をつくり、総理大臣になりました。

現政府は機能不全におちいっている。

でも無政府状態はよくないので自前でつくろうと。

国民は現在、僕のツイッターをフォローしている35000人。

熊本市内の敷地面積200平方メートル、築80年、家賃3万円の一戸建てが首相官邸です。

生存権の死守、これが新政府の政策です。

死にたくなったら、命の電話。

僕の携帯電話の番号を著作やインターネットなどあらゆるところに公開し、この1年で2600人くらいと話しました。


「大変でしょ?」とよく言われますけれど、これ、お金稼ぎですから。

経済活動としてやってるんです。


だって僕は「人間」を「お金」って言ってますから。


「人間自体を貨幣化する」というのが、ネクストジェネレーションの社会です。


「円」が「人」に代わり、「人」を集める行為がこれからの主流になるんですよ。

その「お金」が、俺んとこにチャリンチャリン来てるんですから。
ゴールドラッシュみたいなもんですよ。

ありがとうって。
いつかは一緒に動くぞ、っていう「貯金」です。

“貨幣化”されたくてうずうずしている人は、いっぱいいますよ。

「これなんとかしてください!」って朝から頼られたら、超うれしいっしょ?

そういうのが、今無いんですよ。

必要とされること。人に喜んでもらえること。

それこそが生き延びるための技術です。



俺の「命の電話」に「死にたい」って電話してくるやつはだいたい友達がいないから、「俺がお前の友達になる。困ったときはいつでも俺に電話しろ」って。

「今まで誰からも認められたことがないんだろ?」
「はい」
「何かつくっているなら作品を送れ。とにかく見るから」

そんなんでだいたい落ち着いてきます。


「人間バンク」を作ろうって言っているんです。


日本銀行券なんかいらない。

人間自体を貨幣化し、それぞれの才能を交易させる。

とにかくみんなで協力しあおうと。

なぜならば、みんな豊かになるぞって。

お前の300万円で俺がやってあげるよって、日本銀行券でも交易可能です。

お金儲けがうまいやつは「お金農家」みたいなもんだから、その才能は生かした方がいい。

だけど日本銀行券はワン・オブ・ゼム。

ヒエラルキーを作らないことが重要です。


なにより人に会うこと。

互いの「才能」という貨幣を、身振りを使って交換するのだから、インターネットだけじゃだめです。

うまくいった人は出て、自分の「国」を作れと。


ウチは卒業制度ありますから。

相互扶助とかじゃない。

俺の場合は、ただのギブです。

「贈与」できるって豊かさの象徴でしょ。

自然がそうですよ。

雨がわーと降って花に水をくれる。

でも誰も返してくれなんて言いません。


curency(通貨)って、もともと「海流」って意味ですから。

地球の自然活動としての「流れ」を、もう一回つくるイメージです。


これは俺の創造的欲望ですから。

「俺がやりたいから勝手にやる」、というのがポイントです。

善意とか社会貢献とかだったら疲れますけど、創造は楽しくってしょうがない。

いつしか最後は、「俺の夢だ」って言いますから。

俺の妄想にお前らが勝手に加担しているだけ。


だから責任は問わないし負わない。

あくまでも非暴力不服従。

ゼロ円精神によるゼロ円革命。


社会を変え得るためには、一回外れなきゃいけないんですよ。

でもみんな、「円」がないと怖い、という妄想に囚われすぎている。

社会に不満があっても、自分が悪いという思考回路になっていて、それが3万人を自殺に向かわせています。


だから僕らが行動してみせる。

一番初めに海に飛び込んで、実は泳げるってわかったペンギンみたいなもんですよ。


みずからをいけにえにして、ゼロ円で豊かに生きていけるという態度を「贈与」する。


そして僕があなたに与えたものは、僕に返さず、他者に返す。


それが新しいエコノミクスを呼び起こすわけ。


才能の交易による新しい経済共同体をつくる。


やろうとしているのは現行の意味での政治じゃない。

芸術(アート)です。


アートの語源は「生き延びるための技術」。

これを見せてあげなきゃいけない。


政治は語るな、つくれ。

芸術は語るな、つくれ。

やりゃあいいじゃん、って。


「ゼロセンター」と名付けた「首相官邸」は、福島第一原発事故の放射能から逃げてくる人の避難所として開放しました。

宿泊費も光熱費もゼロ円。

困っている人を無償で助けるのは当然です。

「公人」ですから。

1か月で100人以上が宿泊し、そのうち60人くらいが熊本に移住しました。


1月10日からは、東京渋谷にある7LDKの二階建ての一軒家を家主さんがゼロ円で貸してくれたんで、「青山ゼロセンター」として仮設ユートピアにします。

2週間限定。「政府」の「国民」で、今やっている新政府展のパスポートチケットをもっていれば、飯も宿泊もゼロ円。

国民皆大臣制度なので、料理が得意な人は食事大臣、掃除がうまい人はお掃除大臣。

自分がなに大臣なのか自分で決めて、できることをやれと。


「俺、なにやったらいいですか?」なんていう質問は一切受け付けていませんから。

いいでしょ、この無敵な感じが。


無敵もなにも、なんにも攻撃しようとか思ってなくて。

あ、そうすか、すみませんって。。

 
          ・・・

        (電話が入る)

「はい坂口です。死にそうなの?大丈夫?、、自分に深刻になるな。
他者のためにだけ行動しろよ。
もう一回やばかったら電話して。
声はまだ大丈夫そうだから。
はいよ、じゃあね。」

          ・・・


人が悩む、社会が荒れている時っていうのは、とにかく言葉がない。

だけどまさに今、新しい言葉や言葉のつながりが生まれようとしている。

芸術の時です。

音楽も演劇も絵も言葉ですから。


俺はそのテキストを織り込んで、テキスタイルにしていく。


絨毯を作って、「みんな座れ」、って言うわけです。

「居心地いいっしょ?」って。


現政府に文句言うより、自分で政府つくった方が早い。

「憲法9条守れ」とか言うより、「戦争に行けと言われても行かない技術」を身につけろって。


他者を変えずに己を変えろ。

選挙も一緒ですよ。
行くからおかしくなる。

熊本市は総選挙の投票率56%。

どんだけ新政府寄りですか、っていう。

しかも無効票率が過去最大って、、絶対みんな俺の名前書いてるっしょ?


「命の電話」を始めたら、去年の自殺者が3万人を切りそうですしね。

いいですね。

いい感じに世の中が狂ってきている。


昔はこういう話をすると頭がおかしいみたいに言われてたんですけど、3・11みたいなのが起きると一気に反転する。

オセロといっしょです。

自然がやっぱり人間を変えていく。

今年もどんどん行きますよ。うん。

で、あなたは何大臣ですか?

     
            (引用ここまで)



           *****



>死にそうなの?大丈夫?、、自分に深刻になるな。
>他者のためにだけ行動しろよ。


うーん、鳥肌たつっていう感じですね!

超サイコー!

表現方法が最高!

お釈迦様も、インディアンも知っている知恵を、この人は今、「現在の言葉」で伝えようとしている。

これが説法でなくて、なんでしょう?

しかも、断固として説法なんて言葉を拒否する。

この人は、時代の寵児だと思いますね~。

さて、これからどんだけになるか、超たのしみですー!



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「脱原発しない社会」の社会学的考察・・小熊英二氏インタビュー(2)

2013-04-27 | 野生の思考・社会・脱原発



続きです。

  
                *****

   
               (引用ここから)



ではどうすればいいのでしょう?

小熊さんの「ビジョン」とは?


小熊

「直接性」の要素を制度的に組み込むしかありません。

だからラウンドテーブルや公聴会など、選挙以外の回路が重要になってきます。

誰もが身近で決定に直接参加できるためには、決定権と財源のある単位を数千人とか数万人レベルに小さくする方がいい。

それが基本のビジョンになります。

その手段として地域主権、NPO,社会運動などがありうる。

参加して決めれば合意も成立するし、流れてくる金が多少減っても納得できます。




代表制、代議制はもう成り立たないのでしょうか?


小熊

わかりません。

大きな国をまとめるには、当面は代議制に頼るしかない。

しかし別の参加回路も作らないと、無限に金をばらまくか、不満が溜まって治安が悪化するかです。

他の先進国はすでにそうなりつつあるから、回路作りに必死です。


この一年半、いろいろなデモに参加しました。

創意工夫にあふれたプラカードや主催者の運営など、人々の成長は著しい。

政治や経済の勉強もして、討論もするからどんどん賢くなります。

参加を経験し、自分が動くと何かが変わるという感覚を持つ人がたくさん出てきたことに希望を感じます。


運動の意義は目先の政策実現だけではありません。

幸い今のところ不満は諸外国のように犯罪や麻薬、暴動といった形ではなく、運動という形で出てきています。

官庁街でデモをやっても警察との衝突などない。

整然と「再稼働反対」を叫んで、午後8時にはピタッと引き揚げ、後にはゴミ一つ落ちていない。

自己規律ある形で政治を自分に近づけようとしている。

それに政党や政府が応えなければ次が恐ろしいかもしれません。


               (引用ここまで・終)

                 *****



wikipedia「イロコイ族」より

アメリカ連邦政府との関わり

最初期の部族パスポート構想は1923年から始まるものである 。

アメリカの独立戦争に際しては英国側に与して戦ったが1779年に破れて、1794年にアメリカ合衆国連邦政府と平和友好条約を結んだ。

アメリカ合衆国国務省のパスポートを認めず、鷲の羽根を使った独自のパスポートを発行、同パスポートの使用はいくつかの国家により認められている。

日本国政府は2005年に宗教史協会の集まりでイロコイ連邦代表団が来日した際に、このパスポートを承認している。

国連も認める独立自治領であり、1949年にはイロコイ連邦代表団はニューヨークの国連ビルの定礎式に招かれている。

アメリカ合衆国が1917年にドイツに宣戦布告をした際には、イロコイ連邦は、独自の独立宣言を発行し、第一次世界大戦同盟国としての地位を主張している。

独立した国家として、FBIなど連邦政府の捜査権も及ばない。

全米の500以上に上る、アメリカ合衆国の連邦政府が公認したインディアン部族は、アメリカ合衆国の連邦政府内務省の出先機関である「BIA(インディアン管理局(英語版))」の監視・管理下にある「部族会議」を設置してen:Federally recognized tribesが集まる首長制になっているが、BIAは実質的にアメリカ合衆国の連邦政府傘下の組織である。

イロコイ連邦は、首長制を強制するBIAの監視・管理下にある「部族会議」に相当する組織を最初から持たず、アメリカ合衆国=BIAの干渉を一切拒否し、「調停者」の合議制による自治独立を実現している稀有なインディアン部族である。

これはアメリカ合衆国政府が条約で保証している、保留地(Reservation)の本来の姿である。

イロコイ連邦の連邦制度自体、アメリカ合衆国の連邦制度の元になっており、13植民地がアメリカ合衆国として独立する際に、イロコイ連邦が協力して大統領制を始めとする合衆国憲法の制定にも関係した、とする研究者は多い。

1780年代の合衆国憲法制定会議には、イロコイ連邦や他のインディアン民族諸国の代表団が含まれていた。

イロコイはフランクリン(→アルバニー計画)や、ジェファーソンに影響を与えたのみならず、独立から憲法の制定にいたる過程で具体的な示唆を与えていた。

イロコイ連邦はそのヴィジョンをアメリカ合衆国に託するために協力を惜しまなかった。

かつてアメリカ合衆国大統領は就任に当たってイロコイ連邦を表敬訪問するのが慣習となっており、近年のジョンソン大統領まで続いた。

共和主義と民主主義の高潔な原理に基づいた、彼らイロコイ連邦の国家組織は、結局ベンジャミン・フランクリンを含む多くの植民地指導者の関心を集めた。

18世紀中を通して、彼らの五カ国の自治システムの中心にあった共和・民主の両原則は、白人の男性支配の哲学のなか、より正当で人道的な政治手法を捜していたヨーロッパとアメリカの政治体に組み込まれたのである。

このイロコイ連邦(六部族連邦)のシステムは、植民地の政治家や思想家の心をとらえ、そのなかの何人か(フランクリンやトマス・ペイン)は、ロングハウスでの同盟部族会議に参加し、外交についての授業を受けている。

イロコイ連邦の長老は、何度も彼らの連邦のスタイルを白人たちの13植民地のモデルとして彼らに提示している。

合衆国のハクトウワシの国章はイロコイ連邦のシンボルを元にしたものであり、合衆国憲法そのものも、言論の自由や信教の自由、選挙や弾劾、「安全保障条約」、独立州の連邦としての「連邦制」などがイロコイ連邦からアメリカ合衆国へと引き継がれたものである。

また、イロコイは事実上、最も初期に女性の選挙権を認めた集団である。

イロコイ連邦の六部族国家のひとつ、オノンダーガ国(英語版)は自治権の強さで知られ、海外への旅行の際にもアメリカ政府のパスポートを必要としない。

1973年に「ウーンデッド・ニー占拠」の代表団の一人で、連邦から訴追されたデニス・バンクスが、1983年、FBIから逃れるためにオノンダーガ国に亡命して話題となった。

FBIはオノンダーガ国内に侵入できず、バンクスに手が出せなかった。

イロコイ国家はこの「ウーンデッド・ニー占拠」では代表団を送り、オグララ・スー族の独立国家宣言に対し、真っ先にこの独立を承認した。

2009年9月21日、ニューヨーク州のセネカ族国家は、セネカ部族民が西半球を主権的に旅行できる旅行身分証明書を発行するため、米国国家安全保障省と開発協定の約定書に調印した。

このカードが発行されれば、セネカ族国民はアメリカの国境を自由に越え海外と行き来出来ることとなる。



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「脱原発しない社会」の、社会学的考察・・・小熊英二氏インタビュー(1)

2013-04-23 | 野生の思考・社会・脱原発



2012年12月22日の朝日新聞の記事を紹介します。


            *****


            (引用ここから)


「脱原発」は民意 反映されない選挙、正統性また下がる
・・デモに参加する社会学者・小熊英二氏



金曜夜、首相官邸前はこの夏、「脱原発」を求める人の波で埋まった。

怒りのドラムが鳴り渡り、民意は高揚したはずだった。

だが総選挙では「脱原発」とは程遠い自民党が圧勝。

この落差は何なのか?

社会は変わらなかったのか?




結局デモで社会は変えられなかったということでしょうか?

小熊

いや、社会は変わっています。
でもその変化が選挙に反映されていない。
変化する社会と、選挙で選ばれた代表との距離がさらに開き、政治が遠いと感じる人はますます増えるでしょう。

政治学用語でいえば、「代議制の正統性」が一層低下したのが今回の最大の結果です。

比例区では自民党の得票率は27%台。
自民の基盤だった町内会、商工会、土建業界も弱っています。

しかし今回は他の勢力がそれ以上に小さくばらばらだった。

浮島のように残っている古い部分が、自民を勝たせただけです。




世論調査では「脱原発」を望む人が8割だったのに、脱原発政党に大きな支持は集まらず、「未来」も9議席。
大きな落差がありました。

小熊

脱原発政党は準備不足で、小選挙区で票を食い合いました。
次の選挙ではイタリア型の政党連合か、選挙協力が必要でしょう。

また選挙は国民投票と違い、「脱原発」だけが争点ではない。
たとえば農家なら原発ゼロ執行でもTPP反対を期待して自民に入れた人もいたでしょう。




原発政策が不透明になり、失望した人も多かったのでは?

小熊

原発政策では巻き返しがあるでしょう。

でも3・11以前に戻すのは困難です。

原発の危険性や非経済性が知れ渡り、ほとんどの政党が長期的には「脱原発」と言わざるをえない状況です。

抗議やデモをしてもいいと社会全体に思わせ、そういうことが起こり得ると、政界や官界にも知らしめた。

この変化は様々な運動の成果です。

それを押し切って巻き戻したら、自民や公明は今回投票した人の支持さえ失うでしょう。

選挙の結果だけが民意だと考えるなら失望する人もいるでしょう。

しかし選挙は民主主義の手段であって目的ではない。

今は世界中で選挙だけでは正統性がもたなくなっています。

その上日本では、選挙以外に民意を反映する仕組みをほとんど作ってこなかった。




選挙以外の“仕組み”とは?


小熊

たとえば米国は人口3億人に対して基礎自治体が8万以上あります。

行政サービスが不足なら住民が特別区も作れる。

小さな単位に決定権と責任があり、中身のあるタウンミーティングや公聴会もあるから政治が近いのです。

そういう参加の“仕組み”は多くの先進国が作っています。

そうでないと不満がたまり、正統性が下がるからです。

ところが日本は人口が1億3千万人に対し自治体は1742。

決定権も財源も少なく、全部上から降ってくる。

政治が遠いのは当然です。




欧米と日本では、政治や民主主義の感覚が違いますね?


小熊

ドイツなども、1960年代までは日本と同じ「お任せ民主主義」でした。

人々は政治に参加する気はないのに見返りは求め、陰で不満を言う。

ところが社会がある程度豊かになると、発言したい、参加したい、決定権がほしいといった、物以外への欲求が高まります。

さらに70年代の石油ショック以降は、雇用も家族も不安定になり、自分で考えて動かなくてはどうにもならなくなった。

だから意識は変わったのです。


ところが日本は、80年代に欧米で衰退した製造業を引き受けて経済成長できたため、例外的に変わらなかった。

しかし、もう限界です。

元々日本の民主制度は、開発独裁型の政府が形だけ導入したという性格のものでした。

それが行き着いたのが今の地方議会です。

元高級官僚の知事が出す案件がオール与党でなんでも通る。

住民は無関心で、投票率も低いところでは2割。

不満を言いつつも従っているのは、知事が中央から金を引っ張ってくるからです。

正統性が低いから、金しか納得させる手段がない。

今は国会の地方議会化が進みつつありますが、同じことはできません。

世界銀行の元総裁にでも首相になってもらい、金を引っ張ってきてもらわないかぎり、債務で破たんします。




旧来の“仕組み”はもう限界のはずなのに、立て直しを求める勢力は小党に分裂し、敗北しました。


小熊

政党の分裂は、民意の分裂の表れです。

「旧来の日本を取り戻す」という民意が3割ほどあり、残りがバラバラなのです。

どんな社会をめざすのかの「ビジョン」と「合意」が必要です。




どんなビジョンでしょう?


小熊

ビジョンというと、社会民主主義か新自由主義か、といった話になりがちです。

しかしそれは、大きい政府か小さい政府かという対立です。

どちらも代議制民主主義。

どちらも代議士は地域や労組の有力者。

それでみんな従う、という前提の上で政府の大小を論じていたのです。


しかし今は世界中で「代表制」か「直接制」かという、別次元の対立が台頭しています。

「直接制」とは「自分も参加させろ」、「存在を認めろ」ということです。

そこには、自分を排除して密室で決めるな、という公開要求も含まれる。

各地で独裁政が倒れ、代議制が機能不全になり、ネットその他での公開が広がっています。




なにが変わったからでしょう?


小熊

情報化とかポスト工業化とか、技術や経済の言葉での説明はありますが、とにかく社会関係の原理が総体として変わりつつあります。

内閣府の調査では20~30代の男性で恋人・配偶者がいない、交際経験がない人の合計が、非正規で80%、正規で45パーセント。

女性でも52%と44%です。

日本だけでなく、うつ病が増え、誰も認めてくれない、どこにも包摂されていない、という感覚が広がっています。

その反動が直接性の要求、つまり自分にも言わせろ、存在を認めろという声となっている。

それなのに形式的な選挙しか参加回路がないと、不満がたまってクレームが殺到し、代議制は機能しなくなってしまう。




「お任せ民主主義」は限界だと?


小熊

インドの経済学者の考えでは、民主主義とは投票制度や形式的平等ではない。

誰もが決定に参加できることが民主主義なのです。

その過程で人々が考え、発言し、潜在能力が上がる。

所得が高くなくとも、人生のどのステージでも、誰もが承認され、尊重され、能力を高められる。

そんな社会を作ることこそが目的です。

政府の大小や代議制、GDPや株価はその手段であって、目的ではない。

甲地だけ選挙をやっても、後は全部お任せしかないのでは能力は上がらない。

決定に参加できた実感もない。

だから正統性が上がらず、政治も社会も力強くならないのです。



              (引用ここまで)


               *****



反原発の官邸前の抗議活動を、歴史的意義のあるできごととして捉えている人がたくさんいることを感じます。

この方が感じておられるのも、社会が変わる瞬間に立ち会っているという実感なのだと思います。


>誰もが決定に参加できることが民主主義なのです。

>その過程で人々が考え、発言し、潜在能力が上がる。

>所得が高くなくとも、人生のどのステージでも、誰もが承認され、尊重され、能力を高められる。

>そんな社会を作ることこそが目的です。


この部分が私は最も心に響きました。

ヨーロッパからアメリカ大陸にやってきた白人たちに、民主的な話し合いに基づく社会の在り方を教えてくれたアメリカインディアンの人たち、イロコイ族の人たちの伝統の知恵のことを思いました。


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みどり色の呪力について(2)・・「脱原発」政権は可能か?

2012-12-06 | 野生の思考・社会・脱原発
 


続きです。その「脱原発つうしんぼ」を実施しているという記事もありました。

         

毎日新聞 2012・12・01
http://mainichi.jp/area/kanagawa/news/20121201ddlk14010270000c.html

         *****

衆院選:市民グループ、脱原発で「通信簿」 立候補予定者67人にアンケ、3日に報告集会も /神奈川
 
 脱原発を望む市民グループ「脱原発総選挙かながわ」は30日、衆院選に県内18選挙区から立候補する予定の候補者を対象としたアンケート結果を公表した。

脱原発を実現する具体的な時期目標など20の設問に対し、四つの選択肢からの回答を求め、100点満点で点数化したもので、脱原発に前向きな回答が多い候補ほど得点が高い。各候補の回答結果はホームページ(http://611kanagawa.org/)で公開している。

 同グループは、福島第1原発の事故以降、横浜などで脱原発を訴える活動を展開している。

メンバーが各候補者の事務所を訪問しアンケートへの協力を要請。

30日時点で67人が回答を寄せたという。

 党派別で見ると、「30年代に原発稼働ゼロ」をマニフェストに明記した民主は、98点の高得点から無回答0点までと幅があり、党内で一致していないことをうかがわせた。

「10年以内にベストミックスを確立」とする自民は多くの候補者が無回答の0点だったが、河野太郎氏(15区)は「遅くとも2030年までに原発をゼロにする」と回答するなどして81点だった。

 「電力自由化による脱原発」を掲げるみんなの党は70~90点台が集中、「即時原発ゼロ」の共産は全候補者が98~100点だった。

 同グループは12月3日午後6時半から、アンケート結果の報告を兼ねた集会「脱原発総選挙かながわ前夜祭!」を横浜駅西口の県民サポートセンターで開く。


          *****


 この前夜祭の集まりには、中沢新一氏も参加されたということです。
「脱原発総選挙かながわ」HPに動画もありました。   
 http://611kanagawa.org/index.php?page_id=41 
 
     
          *****


【脱原発総選挙かながわ前夜祭!!】
:中沢新一さん(グリーンアクティブ)参加決定!!!


日  時:12月3日(月)18時30分から20時半まで

第一部 脱原発への大合流「私たちにできること」
おはなし 小島敏郎さん(青山学院大学教授)・中沢新一さん(グリーンアクティブ)

第二部 「脱原発つうしんぼ」発表会「あなたの街の候補者は何点?」
候補者から受け取った「脱原発つうしんぼ」の結果を、各選挙区を回った担当者から発表いたします。



             *****


時間が逆行しますが、中沢新一氏の「グリーンアクティブ」が政党「みどりの風」を応援するという、半年前の同HPトップ記事です。
 
「グリーンアクティブ」HPより
http://green-active.jp/interview-abe.html


           *****


グリーンアクティブは「みどりの風」を応援します

新自由主義に対抗するみどりの新党がついに立ちあがりました。

脱原発・反TPP・消費税増税反対などの政策を軸に、
豊かな日本型共生社会をめざします。

皆さんも応援してくださいね。

Green Wind | みどりの風公式サイト
みどりの風 twitter@mikazejp
「みどりの風」党綱領(PDF)


            *****


「みどりの風」とはなにかという記事が、下のものです。


            *****

2012・07・25

新会派「みどりの風」結成

 参院議員で民主党を離れた谷岡郁子、行田邦子、舟山康江の各氏と、国民新党を離れた亀井亜紀子氏の計4人が24日、新会派「みどりの風」を結成した。

参院の新勢力は次の通り。
 民主党・新緑風会88▽自民党・たちあがれ日本・無所属の会86▽公明党19▽国民の生活が第一12▽みんなの党11▽共産党6▽社民党・護憲連合4▽みどりの風4▽国民新党3▽新党改革2▽新党大地・真民主2▽無所属5


            *****



さらに時をさかのぼり、「グリーンアクティブ」結成時の紹介が下の記事です。


              *****

2012・02・13

「中沢新一さんら、「緑」の政治ネット設立 脱原発で連携」


 人類学者の中沢新一さんが、「脱原発」などを掲げた“緑”の政治運動体「グリーンアクティブ」を旗揚げし、13日、東京都内
で記者会見した。

欧州の「緑の党」を参考にしつつ、政党ではなくネットワークという形をとる。

 自然や環境、地域に根ざした暮らしを大事にする姿勢を「緑」で表現した。

「3・11の後、日本人の間にわき上がった緑の意識を、社会を変えていく力にしていきたい」という。

 発起人には代表の中沢さんのほか、社会学者の宮台真司さん、コピーライターのマエキタミヤコさんら、賛同人には思想家の内田樹さんらが名を連ねた。

 脱原発や環太平洋経済連携協定(TPP)反対などの政策に共鳴する人々と、緩やかな連携を目指す。

原発に頼らない地域作りや、自然エネルギーへの転換を目指す団体などと「一種の国民戦線」を作っていく。

http://green-active.jp/interview-abe.html


              *****



私は、「脱原発」を選択する方がいいと思っていますが、もし日本がそれを選択しなかったら、、日本の、世界の未来はどうなってしまうのでしょう。

緑色は、人間の意志と関わらず、在り続ける地球の意識そのものでもあることでしょう。

地球は、人間の文明を見限ることもありうることと思います。

それだけの覚悟をもっている方がいい、と思うこの頃です。



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「脱原発」政権は可能か?・・みどり色の呪力について(1)

2012-12-05 | 野生の思考・社会・脱原発



長いこと調べてきた中沢新一氏の「“緑の党”のようなものを作って“日本の大転換”を図る」という計画は、その後どうなったのだろうかと思い、調べてみました。

当ブログでは今年2月に「グリーンアクティブ」という組織を作ったというところまで記事にしていました。

その後、「グリーンアクティブ」は「みどりの風」という新政党を支持することを明らかにしていたことがわかりました。

そしてその「みどりの風」の党員は、この度の嘉田由紀子滋賀県知事の新党「日本未来の党」(オリーブの木構想)に合流したということがわかりました。

一連の政治の動きは、中沢新一氏が構想しておられる「緑色をシンボルにする」というスタイルで、一貫して続いていたことがわかりました。

中沢先生、なかなかやるじゃないですか!!

日本は大転換することができるのでしょうか?


              *****

朝日新聞 2012・11・27


「“脱原発”票、受け皿狙う~追跡・乱流総選挙」


滋賀県の嘉田由紀子知事が新党を立ち上げる。

乱立する新党を結集し、「脱原発」の受け皿づくりにつなげるのが狙いだ。

「日本維新の会」を中心に動いてきた第三極の構図に一石を投じるのか。


総選挙で原発政策を争点にする市民団体からは嘉田新党を歓迎する声も上がる。

嘉田氏をトップに据える新党構想がもちあがったのは今年9月ごろのことだ。

「国民の生活が第一」の小沢一郎代表側が嘉田氏に接触。

小沢氏は小沢党が選挙協力して政権の受け皿をつくる「オリーブの木」構想として、嘉田氏に白羽の矢を立てたという。


嘉田氏は旧知の歌手の加藤登紀子氏らと連携を模索した。

社民党に離党届を出した阿部知子前政審会長も、統一比例名簿方式による「緑連合」案を提案。

嘉田氏に近い民間人は「リベラルな極を作るラストチャンスだ」と激励した。

方向性が決まったのは24日深夜だ。

嘉田氏と小沢氏がひそかに会談。

嘉田氏は「第三極中道「脱原発・みどり連合」結成のよびかけ(案)」と題した文書を小沢氏に提示した。

文書には「3・11後の初の衆院選にもかかわらず、「原発ゼロ」を求める有権者の思いの受け皿となる柱がない」との危機感がつづられた。

さらに嘉田氏が呼びかけ人になり、「生活」や「みどり」など脱原発派の政党を糾合。

共通公約を掲げて、総選挙を統一名簿方式で戦う内容だ。

25日午後、嘉田氏は関係者に「新党をつくる。これから東京に行く」と伝えた。

                ・・・

               (同記事)


「私たちが訴えてきた合流が実現すれば大変なことがスタートする」。

26日、東京・永田町であった「脱原発」を目指す市民グループの会合。

「脱原発」を掲げる政党の「大同団結」を呼びかけてきたメンバーらは「嘉田新党」を歓迎する。


グループは10月、人類学者の中沢新一氏らが呼びかけ、衆院選で「脱原発」議員を多く当選させようと集まった。

「脱原発」の考えを持つ前職を約170人と推計し、衆院の過半数241人を上回るにはさらに70人以上の当選が必要と見込む。

反面、「首相官邸前の抗議などで高まったうねりが生かされていない」と危機感を強めていた。


第三極には「脱原発」を掲げる政党が乱立。

消費税増税や環太平洋経済連携協定(TTP)など多様な訴えに埋没し、「脱原発」票が分散しかねない状況になり、11月上旬から新な運動に取り組み始めた。

それが「脱原発つうしんぼ」。

「原発ゼロ」の目標時期や再稼働への考え方など、20項目の質問書を立候補予定者に渡し、回答を求める。

全国300小選挙区で「つうしんぼマスター」と呼ぶ有権者が事務所を訪ねて記入を依頼する。

「有権者が党議拘束やマニフェストだけにだまされないようにする」。

呼びかけ人らが意気込む中での嘉田氏の新党結成となった。

                 
               *****


普通の新聞記事の言葉の中に、みどり、緑、オリーブの木と何回も緑色が出てくるところが興味深い現象だと思います。


次の文章が、中沢新一氏たちが呼びかけている「脱原発の大合流」のよびかけ文です。



HP「脱原発の大合流」
http://daigouryu.tumblr.com/

                        *****

             
                      (引用ここから)


よびかけ文


「脱原発政権は可能だ」


「総選挙で脱原発の候補者を選ぶ人」をふやすための「大合流」をよびかけます。

2011年3月11日の福島原発事故で、原子力発電は「絶対安全の大前提」を失い、経済的、法的、倫理的な根拠と正当性も失いました。

にも関わらず民主党野田政権は、国民の思いを踏みつけ原発再稼動。その後も原子力規制委員会の不正人事、消費税増税、TPP、オスプレイと、民主党野田政権の暴走は続き、領土問題への対処のまずさから不協和音も顕在化。

その反動で総選挙後は原発推進の自民党安倍政権が濃厚です。

加えて野田総理は11月16日の解散、12月16日の衆議院総選挙を明言。

そんな今だから、脱原発の意識を可視化して、集中して、選択ツールを開発して、「こころして選ぶ」投票を一般化して、脱原発政権を作らなくては。


今しかない。今が最大のチャンスです。

明治公園6万人超集会、代々木公園17万人集会、20万人超官邸前抗議行動、政府エネルギー基本計画「原発ゼロ」9万超。

パブコメ、脱原発つうしんぼで、脱原発の意識を集め、「脱原発政権は選べる。あきらめないで」と広く呼びかけます。


衆議院の脱原発議員は推定約170人。衆院480人の過半241人を占めるには、170人当選に加え、今は議員ではない脱原発の71人が新たに当選する必要があり、それは不可能ではありません。

日本が脱原発=「すぐ廃炉の手続き」に入れるように、ここ一番の大合流を、一般の人たちと現職の議員さんたちに呼びかけます。      

                                                  2012年11月7日

菅原文太(俳優)/宮台真司(社会学者)/マエキタミヤコ(サステナ)/小島敏郎(青山学院大学教授) /竹村英明(エナジーグリーン)/ 飯田哲也(環境エネルギー政策研究所)/田中優(未来バンク)/坂田昌子(虔十の会)/桃井貴子(気候ネットワーク)/竹内昌義(建築家)/池辺幸恵(ピアニスト)/鈴木菜央(greenz)/江原春義(R水素)/ 河崎健一郎(弁護士)/湯川れい子(音楽評論家)/水野誠一(元参議院議員)/辻信一(明治学院大学教員)/桃井和馬(写真家)/井手敏和(ロハス・ビジネス・アライアンス)/中沢新一(グリーンアクティブ)/横尾和博(文芸評論家)/金子勝(慶応大学教授) /荒井潤(’89参院選原発いらない人びと)/清水俊弘(日本国際ボランティアセンター)/只野靖(弁護士)/高木善之(ネットワーク地球村)

次回の集まりはこちらです。ぜひみなさんでお誘い合わせのうえ、ご出席ください。

第2回「脱原発の大合流」11月26日(月)15時~16時  場所:参議院議員会館講堂
パスを参議院議員会館入口で14時30分から配ります

              
                (引用ここまで)


                  *****



「オリーブの木」構想とは、イタリアの中道左派連合の名称から採られているようです。

「時事ドットコム」2012・07・20
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201207/2012070201037&g=pol

                  *****

「オリーブの木」構想に言及=小沢氏

 民主党の小沢一郎元代表は2日夜、都内の日本料理店で、自らとともに離党届を提出した佐藤公治、森裕子両参院議員らと懇談した。

出席者によると、小沢氏は「今後、国民の声が必ず後押ししてくれる」と述べ、近く結成を目指す新党への世論の支持拡大に自信を示した。

また、次期衆院選で政権を獲得するための手法として「オリーブの木」構想に言及し、「いろんな連携が必要だ」と強調した。 

 「オリーブの木」は、1996年のイタリア総選挙で、統一首相候補を掲げて勝利した中道左派連合の名称。

小沢氏の念頭には、橋下徹大阪市長が率いる地域政党「大阪維新の会」などとの選挙協力があるとみられる。(2012/07/02-22:46)


                  *****



wikipedia「パブコメ=パブリックコメント」より

パブリックコメント(Public Comment、意見公募手続、意見提出制度)とは、公的な機関が規則あるいは命令などの類のものを制定しようとするときに、広く公に(=パブリック)に、意見・情報・改善案など(=コメント)を求める手続をいう。

公的な機関が規則などを定める前に、その影響が及ぶ対象者などの意見を事前に聴取し、その結果を反映させることによって、よりよい行政を目指すものである。通称パブコメ。

日本では、意見公募の手続きそのものを指すことばとしても用いられるため、本来の行政が政策、制度等を決定する際に公衆の志見を聞いて、それを考慮しながら最終決定を行う仕観み、における公募に寄せられた意見と区分して、国民、市民など、公衆の意見はおもに「パブリックコメント手続」と呼ばれる。



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知恵の在りか・・中沢新一「熊から王へ」(7・終)

2012-07-04 | 野生の思考・社会・脱原発


中沢新一氏の「熊から王へ」を読んでみました。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


            *****


         (引用ここから)




夏の季節には「人間の社会」と「動物の世界」は、「文化」と「自然」として対立しあい、人間の「社会」は「首長」が指導します。

理性的な「首長」には「権力」というものはなく、「権力=力」の源泉はもっぱら「動物の世界」に潜んでいます。

ところが、冬の季節になると、この区別が無化されてしまうのです。

結社の成員や戦士やシャーマンたちは、進んで「自然」が秘め持つ「力=権力」の源泉に近づいていこうとします。

「文化」に「自然」が流れ込んで来るのです。


これを象徴しているのが、冬の祭りにおびただしい数で出現してくる仮面でしょう。

どの仮面も、動物や森の精霊を表わしています。

そうした仮面を人間が身につけることで、そこには「自然」とのハイブリッドが形成されます。

それまでは「自然」の内に隠されていた「権力」を、仮面をつけた秘密結社員は、人間の「社会」の内部に持ち込んでしまおうとしているのです。


これこそ「王」ではありませんか。

人間の「社会」の内部に持ち込まれた「権力」を体現するもの、、それが「王」と呼ばれる存在に他なりません。

「王」は本来「自然」のものであった「力」の源泉を、人間である自分の下に取り込んで、そこに「社会」があるかぎり君臨し続けるものであることをめざす者です。

「対称性」を守る「社会」には、「国家」はありません。

つまりそこに「首長」はいても、「王」はいません。


ところが、同じその「対称性社会」が冬の季節になると、あと一歩で「王」の存在に手をかけているさまざまな「人食い」の存在たちに、はなやかな活動の場所を明け渡しているのです。

この「人食い」が世俗的な社会のリーダーである「首長」と合体した時に、「首長」はまぎれもない「王」になります。


ところが、北西海岸のインディアンの場合にも、日本列島の縄文社会の場合にも、また多くの少数民族の社会でも、「首長」と「人食い」の合体は起こりませんでした。


「王」が生まれれば、「国=国家」が発生します。

これらの「社会」は、豊富な備蓄経済を実現し、階層性を発達させ、「国家」がいつ生まれてもおかしくないような条件を十分に備えていながら、自分の内部からは決してそれを作りださなかったわけです。

「国家を持たない社会の臨界形態」が、まさにここにあると言えます。


深淵と安全の間に、絶妙なバランスを作りだすこと。

「首長」と「人食い」達を分離しておくこと。

これこそが、「対照性社会」の最大の智恵であり、人間が「国家」を持った瞬間から、取り返しのつかない形で失ってしまった智恵に他なりません。



「流動的知性」は、優しい「野生の思考」を突き破ってしまう力を秘めています。

そのことに気付いた人々は、「人間」と「自然」の間に保たれるべき「対称性」のバランスを守るために、速度と力を秘め持つ「流動的知性」の活動領域にきびしい制限を加えておかなければならないと考えたはずです。

そのために、「権力」は「自然」のものであるとして、「人食い」は森にすむ精霊達の特許にしておいたのです。

しかし新石器をつくる能力を持つ人間ならば、いつかは金属の剣を作るでしょうし、一旦それが世に登場してしまえば、「対象性社会」を支えてきた倫理の構造には、深刻な変化がもたらされるでしょう。

「人食い」の原理が恐るべきその剣を手にした時、「王」と「国」が生まれます。


どうやら現生人類の脳に発生した「流動的知性」が、すべての鍵を握っているようです。

「流動的知性」の働きがあって初めて、人類は今の人類になったのですが、その働きによって私たちは地球上でもっとも危険な存在になってしまいました。

神話的思考による「対称性社会」の人々は、その危険を予知していたかのごとく、この流動的知性の働きを、純化して外に取り出すことには断固として反対でした。

「智恵」がそれを許さなかったのです。

しかし「智恵」は野の花のようなものです。

危険な道に踏み出してしまった者たちは、容赦なくやさしいその花を踏みにじってしまうでしょう。
そしてそこに「野蛮」が生まれるのです。

動物たちには少しも「野蛮」なところはありません。

「首長」の権威を支えているのは、ある種の理性です。

ところが「王」の権力は、盛大な宗教的儀式によって演出されなければなりません。

それは「王権」というものが、理性とは別種の力に触れているからです。

「クニ」が下す命令や決定には、どこか非人間的なところがつきまとっています。

自分の理性ではどうしても納得のできない命令や決定でも、「クニ」が下すものならば従わなければならないという重苦しい感情を消すことができません。

「対象性社会」では、こうした理不尽はできるだけ発生しないような方策がとられていたものです。

彼らは、人間の生きる社会は「文化」によって運営されなければならないと考えるアナーキストであったために、「自然」のものは「自然」に返そうとしてきました。

ここから現代の世界にもつながってくる深刻な混乱が発生することになります。


それまで「対象性社会」では、「文化」と「自然」は異質な原理としてできるかぎり分離されていました。

ところが 「自然」のものである「権力=力能」を「社会」の内部に持ち込んだ、「王」のいる世界では、このような分離は不可能となります、

「王」自身が「文化」と「自然」のハイブリッドなのですし、「クニ」の権力も同じハイブリッドを原理として構成されるからです。


このハイブリッドな構成に与えられた名前こそ、「文明」に他なりません。

「野蛮」はここから発生します。

「王」のような存在を許した瞬間から、人間は力の秘密を「自然」から奪い取った気になって、それまで大切に保ってきた敬虔の心持ちを失い、動物も植物も人間にとって役立つだけの対象であるように見えてくるでしょう。

すると「自然」は、開発をしたり、研究をしたり保護したりする対象になってきます。

動物や植物の家畜化がここから可能になります。

人間は動物達に対して、「対象性社会」の人々が聞いたら震え上がってしまうような「野蛮」なふるまいをするようになりましたが、

それと一緒に、「国家」の行うあらゆるタイプの「野蛮」が大手を振ってまかり通るようになったと言えるでしょう。

今日グローバル化する世界を主導している「巨大国家」は、「文明」に敵対する「野蛮」との戦いを、世界中に呼び掛けています。

しかし「野蛮」を産んだのは「文明」なのです。

「国家」が「野蛮」を撲滅することは、不可能です。

それは、「野蛮」の発生を土台にして、「国家」が作られているからです。


         (引用ここまで・終わり)


             *****


>「智恵」は野の花のようなものです。

>危険な道に踏み出してしまった者たちは、容赦なくやさしいその花を踏みにじってしまうでしょう。
>そしてそこに「野蛮」が生まれるのです。


もう一つの文明の形を求めてやまない魂の、鬼気迫る表現ではないかと思います。

わたしはこのような考え方が好きです。





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アザラシを食う人と、人を食うアザラシの精霊による祭・・「熊から王へ」(6)

2012-06-30 | 野生の思考・社会・脱原発


中沢新一氏の「熊から王へ」を読んでみました。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。

         *****

         (引用ここから)


北米アメリカ・北西海岸インディアン諸部族に関する記録によると、このあたりの人々は夏と冬の生活形態にドラスティックな変化を行います。

夏の間は共同のテリトリーで漁労や狩猟を行います。

この季節には「首長」がみんなのリーダーとなります。

冬になると、みんないっせいに夏の小屋を放棄して、一つの場所に集まってきます。

そこには大きな共同の祭りのための建物が建てられていて、その建物を中心にして、冬の村が作られます。

それまでは家族中心の生活でしたが、冬になるといくつもの「秘密結社」が作られ、人々はそれぞれのポジションに従って、どれかの「秘密結社」に属することになります。

日本の冬の祭りで言ったら、「講」とか「座」にあたる組織がこの「秘密結社」なのです。

アザラシ組、ワタリガラス組といった集団ごとに、お祭りが行われるわけです。

このお祭りでは、とても複雑な構成をもった入社式が行われます。

北西海岸部インディアンの世界で一番重要な儀式は、「アザラシ結社」のものだと言われています。

この結社は数ある中でも一番格が高いと言われています。

ここでは「ハマツァ」の儀式が行われます。

「ハマツァ」とは「人食い」を意味しています。

この結社では一人前の結社員になるとは、立派な「人食い」になることを意味しているのです。

壁をくりぬいて出来た穴のむこうから、若者が踊りながら出て来ます。

彼が「人食い霊」の親玉に食べられ、その親玉の口から外に向かって「食いたい」「食いたい」と叫びながら出てきた時には、この霊と同じ「人食い」になったと考えられているのです。

「人食い」の精霊に食べられることによって、「人食い」の秘密を授けられ、そして自分自身が「人食い」に生まれ変わる。

これがお祭りの最高段階です。


これはどういうことなのでしょうか。

それは、その地では夏と冬の生活パターンがまるで正反対を向いた、逆転関係にあるからです。

夏は狩猟の季節ですから、人間が動物を殺します。

ところが、冬にはこの関係が逆転して、人間が「人食い」に食べられます。

この「人食い」の「首長」である精霊は、森を住みかとしている大いなる「自然」の主です。

この怪物に「食べられる」ということは、動物霊もそこを住みかとしている「自然」によって食べられてしまうわけですから、冬の期間の権力の所在場所は自然のふところ深くにあるということになるでしょう。

この「対象性社会」の倫理が、このような奇妙な祭りを作りだしたのです。



新石器時代の宗教思想とは何か、というのはとても難しい問題ですが、わたしには北西海岸部インディアンの祭りに表現されているこの考え方こそ、

国家の祭儀だとか、いわゆる大宗教だとかの思想が登場する以前に、地球上に広く実践されていた宗教思想のエッセンスを表現するもののように見えるのです。


この祭りは、一つの実存思想の証言なのです。

祭りと戦争はどちらも日常的な暮しの外に出て行って、普通の状態ではありえないような力を発揮してみせるものですし、破壊や消費が盛大に繰り広げられるところまでそっくりです。

すぐれた戦士は、より強力な「人食い」であるということです。

この人々の戦争の目的は、本来失われたバランスを取り戻すのが目的ですから、報復が完了したらそれで十分で、けっして大量虐殺などということは行われません。

これは新石器的な社会に一般的な特徴で、たしかに戦争は行われますが、全面的な征服戦とか虐殺戦はめったにおこりません。



こうして新石器的な社会には4種類の性格の違うリーダーが存在することが分かります。

1番目は、夏の狩猟の季節を指導する「首長」です。

2番目は、冬の季節に中心的な存在となる「秘密結社」のリーダーです。

3番目は「戦士」のリーダーです。

4番目のリーダーとしては、シャーマンをあげなければならないでしょう。

この4つの種類のリーダーを、アメリカリンディアンをはじめとする新石器的な社会では、2つにわけて機能させようとしています。

つまり「首長」と、秘密結社+戦士+シャーマンのリーダーとを峻別しているのです。

あとの3つのタイプには共通性があります。

それは、彼らの活動が「冬」を中心としたもので、もっぱら人間の理性の限界を踏み越えた領域で行われる活動に関わっています。

ところが夏の季節と世俗的な生活全般の指導を任された「首長」だけは、理性の限界内で「社会」に平和をもたらそうとしているのです。


         (引用ここまで)


           *****

ワタリガラスに関しては、以前アラスカインディアンのクリンギット族のことなど、取り上げてみたことがあります。


wikipedia「クリンギット」より

トリンキット(Tlingit ['tlɪŋkɪt])はインディアン部族の一つで、アラスカ、カナダの先住民族。

正しい発音はクリンキット['klɪŋkɪt], もしくはクリンギット['klɪŋgɪt]。
もともとはフリンキット(Lingít)[ɬɪŋkɪt]と呼ばれていた。

彼らの自称は「リンギット」で、「人間」という意味。


アラスカからカナダのブリティッシュ・コロンビア、ユーコン川流域の太平洋沿岸の海と山に挟まれた環境に住み、発達した母系の狩猟採集社会を構築していた。

鮭やクジラを獲って暮らし、ポトラッチやトーテムポールの風習で知られる。

彼らの話すトリンギット語には数多くの方言がある。

豊富な木材資源を基に建築技術が発達し、巨大な木造家屋を作る。

19世紀末から20世紀初頭にかけ、流入した白人が持ち込んだ伝染病によって、トリンギットをはじめとする一帯のインディアンは壊滅状態となり、村単位で消滅した。

病死したトリンギットの遺体は、白人によって地面にあけた大穴に無造作に放り込まれ、墓標も立てられないまま1世紀放置された。

1990年代になって、トリンギットの有志により、葬られた遺体の検分が進められ、1世紀ぶりに遺骨が遺族のもとへと返還されることとなった。

日本のアイヌとは文化共通面が多く、表敬訪日しており、ここ数年来交流が続いている。



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環太平洋文明があった・・・中沢新一「熊から王へ」(5)

2012-06-23 | 野生の思考・社会・脱原発


中沢新一氏の「熊から王へ」を読んでみました。

人が熊になる変身術=シャーマニズムの源泉を、環太平洋全体の文化の在り方の特徴であると措定して、筆者は埋もれてしまった、声なき大文明圏があったのではないか、と考えています。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


            *****

         (引用ここから)


今から10年近く前の事になりますが、わたしは中国西南地方を旅行していました。

そのあたりはイ族やナシ族やリース族など、たくさんのいわゆる少数民族と呼ばれる人々が暮らしている地帯でした。

この人々は、今では中国の南の端の方の山岳地帯に住んでいますが、もともとはもっと揚子江に近い平原部で生活をしていたらしく、

縄文時代の日本列島に住んでいた人々とは、物質文化においても、神話のような精神的な文化においても、密接な繋がりを持っていました。

実は中国に住んでいるこの少数民族は、ミャンマーの山岳地帯にいる人々とも、チベット族ともかつてはとても近い場所でいっしょに暮らしていたこともあった人々でした。

こうして見ますと、ヒマラヤ山脈のふもとから出発して雲南地方を通りぬけ、揚子江流域をへて日本列島にまでつながっていく、大きな眉月の格好をした少数民族の帯の広がっている様子が想像できます。

これらの少数民族には共通点があります。

それは、自分からは「国家」というものを作りださなかった人々だと言うことです。

このあたりで最初に「国家」を作りだしたのは、後に漢民族と呼ばれるようになった人々で、彼らは揚子江と黄河の流域に暮らしていました。

さて、雲南の少数民族の境を歩行しているうちに、わたしは一つのイメージのとりこになってしまいました。

それは大きなドーナツ状の環が太平洋を取り巻いて広がっているイメージです。

その環は南米大陸の南の突端から出発して、北米大陸を北上し、ベーリング海峡を超えて、東北アジアに連なっていきます。

大陸のほうではアムール川流域のあたりで、その環は一旦途切れて見えなくなってしまいますが、そのかわりサハリン島と北海道を抜けて、日本列島に入り込んで、再び中国の南西部に顔を出すのです。

“自分から「国家」というものを作りだそうとしなかった人々”の環が太平洋を取り巻いているイメージです。

数千年前までは、この環はもっとはっきりとつながっていたのですが、黄河流域に「漢民族」が国家を作りだしてからは、あたりの光景はどんどん変化していきました。

それでも北アメリカのインディアンや南アメリカのアマゾン流域のインディアンたちは別で、ここには「国家」を作りだす運動はほとんど起こることなく、1492年のヨーロッパの到来という事件を迎えることになったのです。

日本列島に生きてきた人々は、目には見えないこの環太平洋をつなぐ大きな環の中にあって、自分達の文化を作り上げてきました。

私たちの精神の土台は、じつは今もこの見えない環に、深くつながれています。

この環の中にあって、日本列島には「縄文」と呼ばれる新石器文化が形作られることになりました。

じつは、その時形成されたものの考え方や感じ方は、形を変えて現代にまで生き続けています。

すでに縄文文化の痕跡を色濃く残したまま、歴史を刻んできた東の日本では、私たちが少しでも心をそのことに向けさえすれば、この「環」の実在を今でもありありと感じとることができます。

自分達の精神性の土台をつくりあげているものが、遠くアメリカインディアン達の感受性や思考方法などと、深いところでの共鳴を示しているのに気づくことが多いのも、そのためです。

技術・経済大国に発展した日本人の心の深い部分には、姿をやつした「野生の思考」がまだ活動を続けています。


わたしは日本人の精神性の中にあって、いまだにこの環太平洋の環との繋がりが、現実に実感できる部分ないし場所を「東北」と呼んでみようと思います。

ここで今わたしの考えている「東北」は、日本の東北地方から北海道、サハリン島、アムール河流域から東シベリアにかけての地帯、さらにはアリューシャン列島から北米大陸の北西海岸部にまで広がる広い地域を含んでいます。

この地帯には、歴史的な繋がりが実際に存在していたわけです。

もうひとつの理由は、この「東北地帯」に住んでいた人々が、自分の内部から「国家」というものをつくりだしてもいい条件を、すでに十分に備えていたにも関わらず、

「国家」と「非国家」の微妙な臨界点のような場所にとどまり続けることによって、“「国家」を形成しようとする道”に踏み込むことを、なかば意識的に拒否してきたことにかかわっています。

そのために、この「東北」で行われていた思考の傾向を詳しく観察してみることによって、「国家」というものがどこから発生してくるのかが、よく見えてくるようになるのでは、と期待が持てるのです。

「国家」の発生については、これまでにもいろいろな考えが提案されてきましたが、神話的思考の分析からそこへ踏み込んでみようとする、このような試みは多分今までになかったものだと思います。


私たちの「東北」は、太平洋によって隔てられ、日本列島とアメリカ北西海岸を一つに結んでいます。

このような考えは、まったく突拍子もないように感じるかもしれませんが、じつは最近の考古学の研究はむしろこの考えを支持しているのです。

1万年以上も続いた日本列島の縄文文化と、アメリカ大陸のカリフォルニア・インディアンの文化との間には、なにか深い関係があったようです。

それはきわめてよく似た「縄文土器」が、両方の場所で見出されていることなどによっても示唆されていますし、なによりも北西海岸一体の生業の形が、縄文文化ととてもよく似ているのです。

どちらの地帯も、狩猟と漁労に頼っていました。

そしてその狩猟と漁労の文化の中で、熊と鮭がきわめて重要な動物となっていました。

この地帯では熊や鮭の捕り方に始まって、動物霊の送りの儀礼についても、根底にある考え方に深い共通性をみつけることができます。

そして一番重要なのは、この「東北」の人々が「国家」を作りだすことも可能な条件をすべて揃えながら、自らは決して、そうしなかったという点だと思います。

「首長」はついに「王」にならなかったし、「長老会議」は「政府」にはなりませんでした。

これらの社会はすでに階層化されていましたが、社会が階層化されているということは、「国家」が発生するための必要条件ではあっても、決して十分条件とはならないのです。

階層化のすすんだ「社会」が、自らの意志によって、あるいは思想や倫理によって、自分の中から「国家」を作りだすまいとして、「国家」発生の現場で厳重なコントロールや管理をおこなってきたケースはたしかに存在するのです。

青森県の三内丸山の縄文遺跡で「平等な社会」が繰り広げられていたと想像することは、かえって難しいことです。

そこは豊かな自然の資源にめぐまれた環境で、「階層化された社会」が発達していたはずだ、と考えた方が、人間の性質によくかなっているように思います。

日本の東北地方に展開した「縄文社会」は、階層化されていたが、そこの「首長」はけっして「王」となることがなく、人々が必要に応じて「連合」を作ることはあっても、それが「クニ」に変化することはなかった、とわたしは見ています。


これは一つの「東北」の思想なのだと思います。

「クニ」=「国家」というものの誕生の寸前にまで達していながら、「対象性社会」の「社会思想」を何よりも重要と考えた人々は、さまざまな方策を用いて、「クニ」=「国家」が生まれようとするその臨界点で、絶妙なターンを切って、「対象性社会」への着地を行ってみせるのです。


           (引用ここまで)


              *****

これは中沢新一氏がもっとも強く愛している、国家を作らないことを選択した人々への、熱い礼賛の言葉であると思います。
中沢氏は、この人々がもつ感性が、人類の未来を救うことを夢見ているのだと思います。

そして、わたしたち日本人はその一メンバーであると考えられているのだと思います。



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