「元キャンディーズ・田中好子さん、死去」(デイリースポーツオンライン 2011.04.22)
http://www.daily.co.jp/gossip/article/2011/04/22/0003986716.shtml
元「キャンディーズ」のスーちゃんが亡くなったという報道を聞いて、思わずテレビを見入ってしまった。
「キャンディーズ」の女の子三人組は、ほんとにかわいらしかった。
同時代の「ピンクレディー」ととても対照的で、「ピンクレディー」は“ふつうの女の子”であることを拒否しているスタンスが特徴的だった。
けれど、「キャンディーズ」の3人は、テレビ局に仕事に来る前は、家で家族と朝ごはんを食べてきたに違いない、というような気がする、「普通のおんなのこ」らしさがとてもあった。
わたしの時代だと、「キャンディーズのランちゃんとミキちゃんとスーちゃんの誰が一番すき?」というのが、女の子同士でも、軽い挨拶とか自己紹介のときに使えることばで、わたしはスーちゃんが好きだったのだった。
ラストコンサートを「わたしたちは幸せでした!」という言葉で閉じた「キャンディーズ」は、今でもわたしの心に幸せななにかをもたらす。
彼女の言葉として、
「わたしは日本のたくさんの方に愛していただいた。だから最後も(内密にではなく)、みなさんに送っていただきたい」と言っていた、と書いてあったのを見て、
「いいわよ、もちろん。わたしも送らせてほしい。」と心でつぶやいた。
「たくさんの方に愛された」、と自分で言うというのは、甘えやおごりか、というと、わたしはそうではないと考える。
実際、生きていくということは、たくさんの人の情けを受け、見守られ、迷惑をかけても許してもらい、いろんなことを教えてもらい、育てていただく、ということだと思う。
たとえ何才になろうとも。
そういうことに、彼女は敏感だったのではないかと思った。
太陽の光なしに生きていくことができないように、人は愛なしに生きていくことはできない。
たくさん愛される人もいるし、わずかな愛の場合もあると思う。
たくさん愛されても、まだ不満な人もたくさんいる。
どれほどの愛であろうとも、「わたしは充分に愛された」と思えるかどうかに、人の幸不幸はかかっているのではないかと思う。
そして、「幸せな女の子」について考えることは、自分もまた「充分幸せな女の子だった(にちがいない)」のだ、ということを確認することでもあるのだろう。
追記
その後、25日に葬儀が行われ、スーちゃんの遺言テープが公開され、死後は地震被災で亡くなった方たちのお役にたちたいという遺志が残された。
ランちゃんは、もう少ししたら私も行くから、それまで少しだけ待っていてね。
と言っていた。
ミキちゃんは、天国にいけるのは、かみさまにお許しをいただいたから。
だから、新しい命を、大切に、生きていってね。
わたしはまだお許しをいただいていないから、これからの一日一日を一生懸命に誠実に生きます。
そして、いつか天国でまたいっしょに歌いましょうね。
と言っていた。
さいごにスーちゃんの遺言テープに、息苦しそうな声のスーちゃんの声があった。
震災で無くなった方たちを思うと胸がはりさけそうです。
死んだら、被災してなくなった方たちを慰めるのがわたしの仕事だとおもいます。
と言っていた。
〈スーちゃんの遺言テープ〉全文
・・・
こんにちは、田中好子です。
今日は、三月二十九日、東日本大震災から二週間経ちました。
被災された皆様の事を思うと、心が破裂する様な、破裂する様に痛み、只々、亡くなられた方々のご冥福をお祈りするばかりです。
私も一生懸命、病気と闘って来ましたが、もしかすると負けてしまうかも知れません。
でも、その時は必ず、天国で被災された方のお役に立ちたいと思います。
それが私の努めと思っています。
今日、お集まり頂いている皆様にお礼を伝えたくて、このテープを託します。
キャンディーズでデビューして以来、本当に長い間お世話になりました。
幸せな、幸せな人生でした。心の底から感謝してます。
特に、ラン(伊藤蘭)さん、ミキ(藤村美樹)さんありがとう。二人が大好きでした。
映画にもっと出たかった。テレビでもっと演じたかった。もっともっと女優を続けたかった。
お礼の言葉をいつ迄も、いつ迄も皆様に伝えたいのですが、息苦しくなって来ました。
いつの日か、義妹、夏目雅子の様に支えて下さった皆様に社会に少しでも恩返しが出来る様に復活したいと思ってます。
カズ(夫・一雄)さん、宜しくね。
その日迄、さようなら。
・・・
スーちゃんの物語は、これからも続くようだ。
天国でも、たくさんいいお仕事してくださいね。。
http://www.daily.co.jp/gossip/article/2011/04/22/0003986716.shtml
元「キャンディーズ」のスーちゃんが亡くなったという報道を聞いて、思わずテレビを見入ってしまった。
「キャンディーズ」の女の子三人組は、ほんとにかわいらしかった。
同時代の「ピンクレディー」ととても対照的で、「ピンクレディー」は“ふつうの女の子”であることを拒否しているスタンスが特徴的だった。
けれど、「キャンディーズ」の3人は、テレビ局に仕事に来る前は、家で家族と朝ごはんを食べてきたに違いない、というような気がする、「普通のおんなのこ」らしさがとてもあった。
わたしの時代だと、「キャンディーズのランちゃんとミキちゃんとスーちゃんの誰が一番すき?」というのが、女の子同士でも、軽い挨拶とか自己紹介のときに使えることばで、わたしはスーちゃんが好きだったのだった。
ラストコンサートを「わたしたちは幸せでした!」という言葉で閉じた「キャンディーズ」は、今でもわたしの心に幸せななにかをもたらす。
彼女の言葉として、
「わたしは日本のたくさんの方に愛していただいた。だから最後も(内密にではなく)、みなさんに送っていただきたい」と言っていた、と書いてあったのを見て、
「いいわよ、もちろん。わたしも送らせてほしい。」と心でつぶやいた。
「たくさんの方に愛された」、と自分で言うというのは、甘えやおごりか、というと、わたしはそうではないと考える。
実際、生きていくということは、たくさんの人の情けを受け、見守られ、迷惑をかけても許してもらい、いろんなことを教えてもらい、育てていただく、ということだと思う。
たとえ何才になろうとも。
そういうことに、彼女は敏感だったのではないかと思った。
太陽の光なしに生きていくことができないように、人は愛なしに生きていくことはできない。
たくさん愛される人もいるし、わずかな愛の場合もあると思う。
たくさん愛されても、まだ不満な人もたくさんいる。
どれほどの愛であろうとも、「わたしは充分に愛された」と思えるかどうかに、人の幸不幸はかかっているのではないかと思う。
そして、「幸せな女の子」について考えることは、自分もまた「充分幸せな女の子だった(にちがいない)」のだ、ということを確認することでもあるのだろう。
追記

その後、25日に葬儀が行われ、スーちゃんの遺言テープが公開され、死後は地震被災で亡くなった方たちのお役にたちたいという遺志が残された。
ランちゃんは、もう少ししたら私も行くから、それまで少しだけ待っていてね。
と言っていた。
ミキちゃんは、天国にいけるのは、かみさまにお許しをいただいたから。
だから、新しい命を、大切に、生きていってね。
わたしはまだお許しをいただいていないから、これからの一日一日を一生懸命に誠実に生きます。
そして、いつか天国でまたいっしょに歌いましょうね。
と言っていた。
さいごにスーちゃんの遺言テープに、息苦しそうな声のスーちゃんの声があった。
震災で無くなった方たちを思うと胸がはりさけそうです。
死んだら、被災してなくなった方たちを慰めるのがわたしの仕事だとおもいます。
と言っていた。


・・・
こんにちは、田中好子です。
今日は、三月二十九日、東日本大震災から二週間経ちました。
被災された皆様の事を思うと、心が破裂する様な、破裂する様に痛み、只々、亡くなられた方々のご冥福をお祈りするばかりです。
私も一生懸命、病気と闘って来ましたが、もしかすると負けてしまうかも知れません。
でも、その時は必ず、天国で被災された方のお役に立ちたいと思います。
それが私の努めと思っています。
今日、お集まり頂いている皆様にお礼を伝えたくて、このテープを託します。
キャンディーズでデビューして以来、本当に長い間お世話になりました。
幸せな、幸せな人生でした。心の底から感謝してます。
特に、ラン(伊藤蘭)さん、ミキ(藤村美樹)さんありがとう。二人が大好きでした。
映画にもっと出たかった。テレビでもっと演じたかった。もっともっと女優を続けたかった。
お礼の言葉をいつ迄も、いつ迄も皆様に伝えたいのですが、息苦しくなって来ました。
いつの日か、義妹、夏目雅子の様に支えて下さった皆様に社会に少しでも恩返しが出来る様に復活したいと思ってます。
カズ(夫・一雄)さん、宜しくね。
その日迄、さようなら。
・・・
スーちゃんの物語は、これからも続くようだ。
天国でも、たくさんいいお仕事してくださいね。。