早いもので、今月1日で、このブログも10年目に入りました。
読みにきてくださる皆様に支えられて、今日までくることができました。
心から、感謝申し上げます。
これからも、微力ながら、精一杯勉強して、わたくしに書けるだけのことを書いてゆきたいと望んでおります。
どうか、今後ともよろしくお願い申し上げます。
写真は、春3月に、近所のお餅やさんで作っていた、自家製の、お雛様のひし餅です。
色も美しく、大きさもみごとで、飛ぶように売れていました。
世界は、多難な情勢を見せていますが、皆様の、平安な毎日を、お祈り申し上げます。
🎶 春がまた来るたび ひとつ年を重ね
目に映る景色も 少しずつ変わるよ
陽気にはしゃいでた 幼い日は遠く
気がつけば五十路を 越える私がいる
信じられない速さで 時は過ぎ去ると知ってしまったら
どんな小さなことも 覚えていたいと心が言ったよ
“人生の扉”(竹内まりやさん)より
昨晩は十五夜のお月様に、今日は秋空の下たわわに実る稲穂に、過行くトキを感慨深く感じてしまいます。
音楽は疎い私ですが、数年前 耳にしたこの曲の歌詞に私の想いをのせてみました。(veeraさんの御年は?ですが、年齢に関係なく雰囲気が伝わればよいなあ、と。)
veeraさんに これからも素敵なぶろぐのあゆみを続けてくださいますようお願い申し上げます。
またどちらかの記事のコメント覧でお会いできるよう私も学びの日常生活を過ごしてゆきたいとおもいます。
その時をたのしみに・・・・
ありがとうございます。
コメントどうもありがとうございます。
お返事が遅くなりまして、申し訳ございません。
そして、10周年(10年目)を祝してくださって、ありがとうございます。
竹内まりやさんの歌のプレゼントも、ありがとうございます。
とても嬉しいです。
本当に、時がすぎるのは早いものですね。
あれもこれも、書きたいことに手が追いつきませんが、一生懸命続けています。
このブログの基本テーマは、先住民の生き方に学びたい、ということなんですが、範囲を広げると、世界中の先住民のことに広がっていきますし、また、逆に、自分の中の先住民の心を探すことでもあると思っています。
欲張らずに、シンプルライフで、おだやかな心の中に、すべてが在ると思っています。
今ご紹介しているラスコーの壁画は、旧石器時代のものですけれど、先住民の描く壁画も、それととてもよく似ているそうです。
私達の心の中にも、先住民と同じものがあるはずで、私達の心の中には、とても古いものがあって、それとつながれるはずだと、わたしは思っているんです。
今の核爆弾の狂気の世界から、その、本来の人間の在り方に戻らなくてはいけない、と思っています。
そのために、書き続けますので、どうぞ応援してください。
今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。
想いが込められている言葉に同じおもいを感ずるのは、今の世を危ぶむ声が身体の底から聞こえているからなのでしょうか?
ネットの世界では多くの方が危惧を発信してくださっていますが、
いまだ多くの人が既存のメディアの情報から抜け出られないでいるように思っています。
世界平和を口にする美辞麗句に浮かれ、足元をすくわれてしまいそうで、ヒヤヒヤしています。が、いずれ答えを見ることになる予感がしております。
気付きのきっかけが進行方向に変化がおきるように、思考を繰り返してゆきたいと暮らしております。
と、ムズカシイお話を脇に置いて....
庭のつわぶきが蕾から開花が始まり、この一年を思い出しておりました。
初心にもどり、veeraさんがご紹介しておられた、「日本の障害者」花田春兆著を借りてきて、再読しはじめており、
雲南省のナシ族の七星羊皮の民族衣装などを写真集で見て、生活道具や習慣に興味をもち始めたところです。
先住民族へも残っている手がかりをたどれば、見えてくる形がありそうですし、
日本の成り立ちも「高麗神社」の歴史を追うと、歴史の見方もかわるのではないかと、考えております。
たくさんの想いをもっていますが、遅々たる歩みです。
わたしも、わたしなりに・・・
veeraさんの記事を拝見できるのを楽しみに、
応援させていただきますので・・・
こちらこそよろしくお願いいたします。