「へンくつ日記」

日常や社会全般の時事。
そして個人的思考のアレコレを
笑える話に…なるべく

y=ax

2011年08月04日 15時21分39秒 | Weblog
 
養老孟司先生の「バカの壁」を再読する
その中で“脳への入力と出力”の項で
「y=ax」という方程式が出てくる

「y」とは行動で、「x」は五感などから入る情報
そして「a」は、“個性”とでも言えようか

つまり、外からの刺激(x)で、個性の脳
(a)が反応し、行動(y)として現れるのだ

「a」は、性別・生い立ち・嗜好・教育
知能指数・教養・志向性等などで独自性が
作られ、実に千差万別だ
だから、同じ刺激でも、人それぞれ行動は
異なってくる、ということが記されている

さて、この方程式の「a」に“生きる目的・意味”
を加算してみると、人の行動「y」は興味深いものになる
実際に、人の行動をこの方程式に当て嵌め観察すると
その行動から「a」、その人の教育・教養の度合い
思想や、生きる目的まで探ることができる

人間はお互いに、この「y」を見ている
そして、「a」を知ろうとする。長く付き
合っているうちに、やがて相手の「a」
が透けて見えてくるものだ

「あいつは自分本位で無教養な奴だ
 イザと言うとき、裏切るに違いない」とか
「この人は無口だけど、気配りを忘れない人だ」など

熟年離婚の本当の原因は、経済的な枷がとれた時
相手の「a」がすっかり見えてしまい、愛想を
尽かした故に、そうなるのではないだろうか

さてさて、「a」次第で、素晴らしい「y」が出るし
その「y」故に、「a」が賞賛され、更に磨かれる
肝心なのは、「x」ではない、つまり外からの刺激
や情報、そして環境だけではないのだ

「a」が確立されてこそ、初めて「x」を正しく
入力することが出来、それにより正しい「y」が出力される

だから、「a」を磨くのだ
崇高な生きる意味を持つのだ
幸せの近道は、「a」磨きしかない
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なんだ、この腑抜け顔は!?

2011年08月04日 13時45分12秒 | Weblog
 
なんだ、この覇気の無い腑抜け顔は
これが一国のリーダーの顔つきか?
緊張感も責任感も何も感じられない

国会答弁で、まるで自動翻訳の如き
意味不明の答弁を繰り返しているから
遂に悩乱し、それが顔に出たか

全く情けない限り
「本当に、本当に、本当に
 見たくない顔」だ!

千円やるから、それを持って
とっとと辞めてくれ!


全く!
彼の方がなんぼか覇気があるし
リーダーの風格がある

↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 



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沈殿物

2011年08月04日 13時34分19秒 | Weblog
 
米国でテレビをつけると、「ヒストリー
・チャンネル」などで、“日本軍による
卑怯な攻撃・忘れるな真珠湾”という
放送が繰り返されている

そこでは、広島・長崎への原爆投下に関しては
“卑怯な日本との戦争を終わらせるため”
“多くの米兵が死傷し、これ以上犠牲を
出さないため”「必要だった」という
決まり文句で正当化されている

戦争が終わって半世紀以上が過ぎても
こういったプロパガンダは続いているのだ

不意打ちの真珠湾で仕掛けられた戦争で
多くの米兵が殺されたから、仕返しと
早期に戦争を終わらせるため、新兵器の
核爆弾で、日本の一般市民(兵士では
ない)を大量に殺し相手を降伏させ
遂には、戦争を終わらせることができた…
これが彼らの言い分だ

なんとも、独りよがりで身勝手な言い分だが
多くの米国民は、この言い分に違和感を持たない
その理由は、彼らが信じる宗教にある

旧約聖書には、「異教徒を殲滅せよ」との
神の言葉が載っている。その言葉により
あのおぞましい十字軍が結成され
異教徒を殺し、略奪し、強姦した

つまり、自分たちと違う宗教は邪教であり
邪教を信じる者は、人間以下の存在で
従って、家畜のように殺しても構わない
という極端な身勝手思想が生まれ
それが人々の心底に定着してしまったのだ

だから、イスラムなどの異教徒を
掃討作戦で焼き払っても、罪悪感は無い
むしろ当然のように思っている
(米軍は、つい先月まで、旧約聖書の
 先の記述を兵士に教え込み、敵への
 攻撃の正当性を信じ込ませていた)

この身勝手思想は、イスラムや
ユダヤにも沈殿している
そして、神道を国教にし国民を
戦争に引き込んだ旧日本軍部も
この沈殿物を隠し持っていた
(この軍部に賛同した日本の宗教団体
 新聞などのマスコミ、学者、作家らも
 同じく、この沈殿物を抱えていた
 今更しらばっくれて偉そうにしても
 作った罪業は永遠に消えない)

この沈殿物ゆえに、戦争は引き起こる

異教徒でも異邦人でも、仮に宇宙人でも
それぞれに“命”という尊い宝を持った
掛け替えの無い存在という思想があれば
色々な意見の相違はあっても、底辺には
相手への尊敬があるのだから、決して
戦争という結論には至らないはずだ

相手(人間・生命)への畏敬の念があれば
その生命を抹殺する核爆弾などの兵器は
作る必要もないはずなのだ

生命を尊ばない思想・宗教は、これからの
世紀には必要はない、と思うのは僕だけか
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