「へンくつ日記」

日常や社会全般の時事。
そして個人的思考のアレコレを
笑える話に…なるべく

音楽と花と金剛石と…

2011年07月15日 11時31分07秒 | Weblog
 
世界的な某音楽家の言葉に納得させられたことがある
それは「人々が、自らの事のみに汲々とする生命の
低次元から抜け出し、お互いを必要としている事に気づき
皆が真に幸福でなければ誰も真に幸福になれないことに
気づくことが必要だ」

「これは音楽と同じだ。ある日、作曲している最中に
一音一音が“人格”を備えている事に気づいた。組み合わさることで
全ての音が動き出し、別の音へと変化し成長していく
そこでは、どの音も、他の音調なしには完全な音にはなれない
理想的な人間社会とは、こういうことではないか」

音符には、倍全音符、四分音符、八分音符
三連符や九連符など多くの種類がある
更に音程も、低いドから高いド、
そしてオクターブがあり、環境は無尽蔵だ
その組み合わせの妙で、“感動”や“勇気”
という産物が生まれる

鎌倉中期の説話集『古今著聞集』に
桜梅桃李(おうばいとうり)という言葉がある
桜、梅、桃、李(すもも)は、それぞれが
独自の花を咲かせることに転じて
人はそれぞれの個性があり、それを開花させる
ことが大事なのだという意味だ
梅が桜を羨んでも桜にはならないし
桜が桃になりたいと思っても無理なことだ
自分の個性を愛し成長することが、真の幸せなのだ
と教えている。桜梅桃李の庭は百花繚乱
この世の美しさを最大に表現している。

両方とも、実に示唆に富んだ話だ
人間社会にも、桜もいれば梅もいる
全音符もいれば全休符もいる
風雨にさらされた絶壁の環境もあれば
3オクターブの譜面もある。その環境で
如何に自分の音を完璧に出し、また完璧に
花を咲かせる事に励みつつ、互いに手を
とっていけば、まず自分が音として
花として完全になり、その集合体で
美しい庭、感動の音楽を作っていける
つまり、理想的な住みよい社会となるに違いない

自分だけが目立ち、一音だけを叫んでも
音楽として感動は与えられない
一輪の花の美しさはあるが
百花繚乱の感動には遠く及ばない


金剛石(ダイヤモンド)は、炭素原子同士が
幾何的に理想的な角度で団結、結びついているため
天然で最も硬く、最も美しい物質なのだという

「美=幸福」は、音楽も自然界も原子レベルも
そして人間社会も、全く同じなのだ。そして更に
結びつきは互いに「励まし合う=補う」ことで
強固になっているということだ

と…冒頭の音楽家の話から、とりとめもなく
そんなことを思ったのだった
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする