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6月21日(水)のつぶやき

2017年06月22日 05時05分35秒 | Twitter

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2 コメント

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Unknown (名無し)
2017-06-25 00:20:55
ルールというか、個人的に最近というか以前から気になるのは言葉の変質とかですかね。
まあ誰かが制御できるものではないのであれこれいう物でもないですけど。
「~だったっけ」が「~だったけ」になったりするのを普通に見たりするとか、「発音に由来する打ち方」でもなさそうなのとか気になったりします。
どこから出てきたんだろう、みたいなw
「言う」「ゆう」とか、もう見ていくとキリがないですしね。

。」というのは多分、会話のシメのカッコで句読点の後に括弧を付けてるってことでしょうけど。

この種の決まり事は小説という構造の発展の中で読みやすさやお約束を指標化する中で生まれてきたので判らないではないですが、ネット小説だとなあという感じはします。

なろうあたりだと行間空けがぱっとやって読者のリーダビリティを上げる工夫が普通にやられてますけど、あれって作品の構造ともマッチしてるからああしてるんでしょうしねというのもありますし。

というかなろうの小説って段落を頻繁に変えることで人物の行動と展開と、その帰結に中心を置く書き方をやってますけど、昔のあかほりさとるのライトノベルとか読むとこれだし脚本ノベライズのあれこれもこれだなあと。

>タコツボ

エコーチェンバーなんか最近言われてますけど、そもそもSNS以降のネットと、中心の権威の失墜で無数の中心が生まれるだけって随分と前から言われてましたしね。
信じたいものを信じるのがポスト云々と言ったところで、それもまあ今更なんじゃないのみたいなのも。
エンタメでも結構感じることですけど、新聞の場合、素人が持ち得ないコネこそが唯一特権として、或いは力や意味として残されてる物かなと。
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Unknown (奇天)
2017-06-26 23:06:13
禁則処理は、ビューアーやエディター使う時に気になるくらいで、小説読んだりする時にはそれほど気にならない感じですかね。横書きだと、「。」「、」の替わりに「.」「,」使うのも見ますが、文章の内容次第かなとも思いますし。

Webに特化した文章作法はこの20年間でそれなりに確立されているように感じます。小説の場合は当然「なろう」の中で手法が洗練されたという面もあるでしょうし。ただWebの場合は表示が各個人の環境に左右されるため、おおまかなルールはあってもあまり確固としたものには至っていないと思います。

長い文章だと横書きより縦書きの方が読みやすいですし、テキストエディタにコピペして縦書きビューアで読むことが多いですが、そういうことがやりやすいのはWebの利点かなと感じています。エディタやビューアにははっきり言って不満が募っていますがw

>タコツボ

人は自分が見たいものしか見ないですし、それは昔から変わらない事実だと思います。情報の量が今ほど大量でなかった時代はそれが可視化されなかっただけでしょう。ある程度はそれをコントロールできるかもしれませんが、限られた時間の中では情報の取捨選択は必要ですし、情報の偏りは避けられないものでしょう。不可能なことに無駄な労力を費やすよりは、偏りがあると自覚しておくことくらいしか有効な対策はないのかなとも思ってしまいます。
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