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『浮世女房洒落日記』と近世女性日記

2011年03月09日 20時21分29秒 | 学問
木内昇『浮世女房洒落日記』は近世後期の江戸を舞台に、小商いの雑貨屋の女房の日記の体裁を取った物語である。
近世江戸の風俗・慣習を織り交ぜながら、いくつかのエピソードの進展を含みつつ日常を描いている。日々の瑣末な出来事の積み重ねを切り取ることでエンターテイメントが成立する典型ともいえる作品である。

シリーズ「〈江戸〉の人と身分」は昨年刊行された全6巻の歴史研究書である。現在、4巻の『身分のなかの女性』を読んでいるところである。
その中に、藪田貫「商家と女性―河内在方商家西谷家を例に―」という論考が掲載されている。

幕末、大坂近郊の古市の在郷商家の西谷家で、さくという人物の日記が残されている。わずか170日ほどの日記であるが、その内容は興味深い。
さくは当時19歳。父が病に倒れ、婿養子である夫は使い込みや借金が発覚し離縁へ向けた協議が行われている最中である。家を母とさく当人と妹のたづという女三人で守らねばならない状況に置かれていた。

日記といっても本人の心情を述べるものではない。あくまでも家政を綴ったものであり、家長によって書かれた体裁を取っていた。
商いだけでなく、村での農作業や近隣との交流、そして離縁に関する処理と忙しい日々を送っている。こうした家政の中心が手紙のやり取りである。この期間、彼女が多くの手紙を読み、多くの手紙を書いていることが日記に記録されている。

文章による記録の重要性は古くから見られるが、近世後期には庶民レベルにも及んでいる。手紙を通して様々なやり取りを行う点はこのシリーズの他の論考でも見られた。
特に商家では女性でもそれを読み書きするリテラシーがあったことが彼女の例からもよく分かる。さくは12歳のときに四ヶ月堺で学んでいる。妹のたづは17歳のときに大坂で1年弱学んでいる。
こうした教育が家の危機を助けたことが見て取れる。

離縁が成立した直後、父が死去。新たな婿養子探しが行われ、2年後ようやく再婚する。しかし、再婚の3ヵ月後にさくは急逝する。麻疹だった。

『浮世女房洒落日記』でも語られているが、医者は免許制ではなく名乗れば誰でも就ける職であった。もちろん、腕の良し悪しは評判として表れ、そうした情報はかなり流布していたと考えられる。
『浮世女房洒落日記』では描かれなかったが、人の死に易さ、特に子供や老人などの弱者が死に易いこと、そしてそれが当たり前であるという感覚は現代日本では忘れ去られているものだろう。

再婚相手は妹のたづと結婚した。このような逆縁婚は当時は珍しくはなかったらしい。たづは二人の子を産み、一人は男の子だった。家の後継者が誕生したことで、姉妹の母と再婚相手との関係が悪化し、明治に入って離婚訴訟を起こすまでになる。
結局、たづの長男が家督を継ぎ、西谷家はようやく平穏を取り戻した。その間、家を守ったのは女たちだった。

姉妹の母あいは79歳まで生き、西谷家の苦難を支え続けた。彼女の肖像画は、たづ、その長男篤三郎、たづの夫平右衛門の肖像と共に正月に飾られ、西谷家にとっての報恩の念を新たにするという。
そこから零れ落ちたさくの存在は、しかし、大量に残された史料によってこうして伝えられた。藪田はそれをあいの仕業と見る。西谷家の存続と共に、そこに生きた者たちの証を残すことが彼女の想いだったのだろう。