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『マリア様がみてる いばらの森』

2007年10月27日 23時40分13秒 | マリみて
マリア様がみてる―いばらの森 (コバルト文庫)マリア様がみてる―いばらの森 (コバルト文庫)
価格:¥ 540(税込)
発売日:1999-04


「いばらの森」

本書の2/3以上を占める作品だが、もう一つの短編のために書かれたと言っていいだろう。謎解きめいた部分が核となっているが、全体としての動きが乏しく、また後半のご都合主義的な展開が非常に目立っている。むしろ由乃を軸として描いた方が良かったのではないかと思われるが、祐巳の視点のみで書かれている。シリーズを通して由乃と聖の絡みが少ないことが原因かもしれない。
白薔薇さまである聖の過去を巡る物語だが、その内容は「白き花びら」で語られるためここでは大筋しか書かれていない。一篇の物語としてはこの二つを融合させた方が良かっただろうが、シリーズものという自由度が分離させたと言えるだろう。どちらが良かったかは分からないが、小説としては分離させたことは悪くはなかったと思う。

「白き花びら」

アニメで見たときはあまり興味を惹かれなかった。しかし、小説では100ページにも満たない短編ながら心に沁みる描かれ方だった。メディアの差異がはっきりと出た作品と言えるだろう。
聖の二年生時の姿が彼女の視点で書かれている。栞との出会いと別れ。その様は同性であることを除けば普通の恋愛小説とあまり変わらない。この作品で強く惹かれるのは蓉子の存在だ。『黄薔薇革命』において、「友達なんて、そういう損な役回りを引き受けるためにいるようなものよ」と語った彼女が、聖のために行動する姿に心が動かされた。祐巳の視点の時には常に余裕を持って振舞う彼女も、決して完璧な存在ではない。おせっかいと分かっていようと、たとえそれで嫌われようと言うべきことを言う彼女。それでもその想いは伝わらない。ラストで寒さの中、外で聖を待つ蓉子にこみ上げるものがあった。些細な描写に込めた書き手の思い。短いけれどとても印象的な作品となった。


『マリア様がみてる 黄薔薇革命』

2007年10月26日 18時06分16秒 | マリみて
マリア様がみてる―黄薔薇革命 (コバルト文庫)マリア様がみてる―黄薔薇革命 (コバルト文庫)
価格:¥ 440(税込)
発売日:1999-02


前作『マリア様がみてる』ではほとんど出番の無かった黄薔薇さまのつぼみとその妹の関係を描いた作品。主人公は前作同様に祐巳だが、物語を一歩離れて見ている感じになっている。
そのため、本作では視点が変わる。基本的にこのシリーズは三人称で描かれている。少女小説などでは一人称作品も少なくない。主人公に感情移入するには非常に適しているからだ。ただ一人称は主人公がいない場面を描きにくい。三人称にもいろんな描き方が存在するが、大きく分けると神視点による三人称と一人の視点による三人称がある。本シリーズの三人称は内面描写がしにくい神視点はほとんどなく、キャラクター視点の三人称となっている。特徴的なのは、視点となるキャラクターにより他者への呼称が変わる点だ。例えば、祐巳の視点の時、地の文でも由乃は「由乃さん」と書かれる。令の視点の時は「由乃」となる。
この『黄薔薇革命』では、祐巳の他に令、三奈子、江利子の視点がある。視点ごとのキャラクターの書き分けが上手いとは感じないが、先に挙げたような呼称の変更などでそれをカバーしている印象だ。
本作は令と由乃の二人の関係を描いている。その部分に関しては正直あまり興趣を感じない。面白いと感じたのは、この二人の行動に触発されて他の生徒たちが真似をするくだりだ。このような見方を提示するあたりにこの作品の深みがある。
本作では由乃の視点では描かれていないが、後に彼女の視点による描写が増える。祐巳のように普通さが売りな主人公はどちらかと言えば少女小説に多いタイプだろう。一方、少し型破りなところのある由乃は少女マンガの主人公といった風情がある。少女小説と少女マンガの主人公の差異を感じることが、このシリーズを読んでいると多いのだけどそれは由乃の存在に拠る所が大きいかもしれない。


『マリア様がみてる』

2007年10月26日 18時02分56秒 | マリみて
マリア様がみてる (コバルト文庫)マリア様がみてる (コバルト文庫)
価格:¥ 480(税込)
発売日:1998-04


「マリア様がみてる」の成功の半分は姉妹制にあると言ってもいいだろう。これにより擬似恋愛関係が構築され、独自の面白さを引き出すことに成功している。同性同士の思慕感情をロザリオの授受という分かりやすいイベントを用意することで明確化し、姉妹という擬似恋人関係を生み出して非常に面白い世界を築き上げた。
成功の残り半分はキャラクターの多様さだろう。リリアン女学園というお嬢様学校の生徒会(山百合会)を舞台にしている以上、その登場人物の多くは優等生のお嬢様だ。年齢・性別がバラバラなら個性的なキャラクターを配置するのは難しくはないが、通常優等生という枠でくくられるようなキャラクターの中で差別化して多数の個性的な面々を用意するのは容易ではない。これが可能だったのは小説の強みと言えるだろう。

この作品はシリーズ第1巻ではあるが、発表された最初の作品ではない。最初に発表された短編は、この独特なお嬢様学校に高等部から入学したいわば異端者が主人公であり、異端者=一般人の視線でこの異世界を観察するという側面を持つ。一方、本作の主人公はシリーズを通しての主人公であるが、幼稚舎からずっとこの異世界の住人であり、この世界の独自性に戸惑ったりする様子はない。舞台設定のユニークさを前面に出すのではなく、その舞台で過ごす生徒たちの成長を描くのがこのシリーズの主題となっている。
今作は伝統的なボーイ・ミーツ・ガールの物語であり、少女マンガ等で頻繁に描かれる、校内で有名な憧れの上級生に見初められた普通の少女のシンデレラストーリーだ。他と違うのはその憧れの相手が異性でなく同性だった点。しかし、先にも挙げたロザリオの授受という設定によって、擬似的ながらも恋人関係のようなゴールラインが提示され、そこに向かって物語は進む。
上手いと思ったのは、前半は主人公・祐巳が普段の日常から切り離されて混乱の渦中に投げ込まれて戸惑う様子が中心で描かれているのに、後半は彼女の憧れの対象・祥子の悩みが主軸となっている部分だ。祥子の悩みは祐巳との関係で生じたものではない。祐巳と祥子が姉妹となるかどうかが本作のコアだが、別の問題を差し込むことで物語の展開がいい感じに仕上がっている。

シリーズを通して読んだあと改めて読むと、薔薇さま達の個性がまだ十分に描き分けられていない印象や、柏木優のキャラクターに若干の違和感を覚えたりもするが、そうした瑣事があっても非常に楽しめる内容と言っていいだろう。一作品としての完成度はやはりシリーズ中でも突出している(もちろんシリーズということで「引き」を考慮した作品が多いせいであるが)。既に高い評価のある作品を今更ながら褒め称えても仕方ないかもしれないが、とても面白かったのは事実だ。