たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

公共交通と自動運転 <自動運転 地方の挑戦 高齢者の足確保>を読みながら

2019-01-22 | 事故と安全対策 車・交通計画

190122 公共交通と自動運転 <自動運転 地方の挑戦 高齢者の足確保>を読みながら

 

最近バスに乗る機会がほとんどなくなりました。首都圏で仕事をしているときは結構利用していましたが、当地にやってきて毎日のようにマイカー運転をしているとバスは億劫になります。

 

以前はバスを待つ時間、バスに乗っている時間も当たり前と思い、適当に時間つぶしをしていました。でも当地にやってきてからバスを利用する選択肢がほとんどなくなりました。バスの本数もコースも都会に比べ極めて少ないことも原因かもしれません。

 

ダウンタウンと郊外とが峻別されている欧米のまちづくりと異なり、わが国のようになんとなく都市が傍聴した、散在しているという状況と、田舎ではあまりに狭小の集落が点在していることが要因かもしれません。バスやLRTなどの公共機関の配置が容易でないのはわかります。都市計画制度の問題か、交通政策の問題かなどと議論するより、現在の問題をクローズアップさせて個別のリアルな問題の解消に取り込む方が現実的なのでしょう。

 

とはいえコミュニティバスの配置や高齢者対応の料金無料などいろいろ対策を講じているようですが、通りで見かけるバスはたいていがらがらですね。なぜでしょう。原因は分かっているのでしょうか。コミュニティバスのあり方そのものを見直すのも必要かもしれません。多機能化というか、高齢者とか交通弱者が使いやすい、場の提供が必要かもしれません。

 

たとえばトヨタが新たに打ち出した、車を移動手段から多機能ツールにするといったコンセプトは、コミュニティバスこそ考えてもよいのではないでしょうか。

 

具体的なコンテンツというかサービス内容はいろいろあるでしょう。健康著寿に役立つ、あるいはガンに効果がある、笑いの提供も一つでしょうか。昔都電では即興的に落語漫才を話す人がいたような記憶?です。わざわざ芸人を呼ぶとお金がかかりますが、ボランティア?で音声だけ無料で流していいよといった芸人がでてもいい時代かもしれません。これは一つで、それこそそういったアイデアを競う大会を催すのも一興でしょうか。

 

そんなたわいない夢想をしたのは、今朝の毎日記事<自動運転地方の挑戦 高齢者の足確保/産業育成も狙う>を読んだからです。それと30分強で書き上げる必要があるから、簡単に書けそうな話題を考えたわけです。

 

最近は自動車運転というと、すごい勢いで技術開発が進み、世界の巨大自動車企業ですら単独ではできず、提携して研究開発を行うほど、競争も激しいし、費用も天文学的な?金額になりそうな気配です。それはIT大手なども参入しているからでしょうか。他方でテスラみたいなベンチャー企業は一足飛びで先行している雰囲気もありますね。ただ、未来の車は自動運転だけにとどまらない機能がないと評価されないでしょうからそれこそ想像力が試されるのかもしれません。

 

自動運転というのは、私のようにハンドルをもちたくない、景色を見たり本を読んでいたいなどと考える人間にとっては、ハンドルフリー後の世界が重要になると思うのです。それはまるでコミュニティバスの乗客と似通った部分があるようにも思えます。

 

この点を対比した形で、むろん私のような視点は意識しないで、記事は紹介しています。

< 全国の自治体で自動運転の実証実験が広がっている。国内外の自動車メーカーや米IT大手企業が、高速道路などで人が介在しない「完全自動運転」の実現を目指すのに対し、低速運転で人による「遠隔監視型」が多いのが特徴だ。主に過疎地での高齢者の買い物支援や公共交通機関の人手不足解消を目的とするが、新たな産業育成を狙う自治体もある。【小倉祥徳】>

 

そうあくまで自動運転バスの運営側として、遠隔監視型のあり方をとりあげているのです。

 

でも<1人が遠隔監視した2台の自動運転車が公道を走るという世界初の実証実験が2018年11月に行われた福井県永平寺町の河合永充(ひさみつ)町長は、自動運転実現に期待を示した。>という河合町長は先見の目がありますね。

 

<山間部で少子高齢化が進む同町では、永平寺近くを走る鉄道路線が02年に廃止された。実験はその路線跡地を活用。路面に埋設された電磁誘導線の上を走る方式のため、導入地域が限定され、最高時速も12キロとゆっくりだ。>

そうでしたか、昔永平寺を訪ねたことがありますが、あの電車も廃線となったのですね。だいたい最高時速12キロは立派です。移動できればいいのです。スピードがゆっくりだと安全ですし、車内でいろいろなことができますね。高速をめざすことだけが車の発展とは限りません。

 

ただ、残念なのは、あくまで移動手段としてのみ研究開発、実験を積み重ねていることです。トヨタが目指すように、車の機能は自動運転になった途端、次なる新たな機能が求められます。そしてコミュニティバスはいまその利用客の少ない厳しい現実に直面していて、トヨタ以上に切実な問題です。単に移動手段が安価で、誰でも利用できる時代から次の新しい機能が求められているのだと思うのです。

 

低速運転の社会はある意味、人間らしい移動機会の提供かもしれません。江戸時代、本来なら欧米のように馬車など速い交通手段を導入できたと思われます。基本、歩く世界を構築したことにより、豊かな文化を醸成することができたのではないかとふと思うのです。

 

今日はこの辺でおしまい。また明日。


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