たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

学校行事とその責任 <上海列車事故 29年後の真実 第5章<5> 「下見」で校長は何をした>を目にして

2018-01-19 | 教育 学校 社会

180119 学校行事とその責任 <上海列車事故 29年後の真実第5章<5> 「下見」で校長は何をした>を目にして

 

上海列車事故、もう29年も経過しているんですね。たしか毎日記事でちらっと目にしつつ、つい見落としてきました。今日の話題をなににしようかと情報をみているうち、ふと目にとまりました。

 

実は他にいくつか取りあげようかと考えたテーマがあったのですが、新刊書であったり、林野庁の施策であったり、すぐに理解できるようなものでなかったのであきらめ、このテーマは重い内容ですが、私自身、若干ですが似たような体験をしたことがあるので、これを選ぶことにしました。

 

ただ、すでに長い連載となっていて、今回は今日の記事と、もう一つだけ取りあげてみたいと思います。

 

ところで、上海列車事故といってもご存じない方もいるかもしれません。毎日の<ことば>での解説を引用します。

 

<1988年3月24日、上海市郊外で、南京(江蘇省)発杭州(浙江省)行き列車が、単線区間を対向してきた長沙(湖南省)発上海行き列車と正面衝突した。高知学芸高校の修学旅行生ら193人のうち生徒27人と引率教諭1人が死亡し、多数の生徒が重軽傷を負った。対向列車でも中国人列車乗務員1人が犠牲になった。>

 

この事故は大きく報道され、私も悲惨な事故に衝撃を受けました。と同時に、以前にヨーロッパでの団体ツアーでの事故を担当した経験から、これは遺族感情を逆なでする事態になるのではないかと心配しました。

 

さまざまな法的構成は考えられますが、通常は不法行為責任で、管轄は事故発生地、その法的基準もその発生国になる可能性がありました。もう昔のことで忘れてしまいましたが、一時渉外不法行為法を勉強したりしましたので、記憶はおぼろげです。そのとき過失内容とか、責任原因についてはさほど大きな違いがないものの、当然、訴訟手続きとかはかなり違いがありました。いや、それ以上に損害算定の考え方・基準がまったく違うのです。

 

わが国では死亡した場合、慰謝料とか、逸失利益が高額に認められることが裁判例の積み重ねで確立していますが、ヨーロッパではまったく異なりました。中国はどうか調べたことがないのでわかりませんが、少なくとも貨幣価値が明らかに異なっている時代でしたから、中国人の基準にしたら、スズメの涙程度になるおそれがありました。顛末は私は知りませんが、それほど大きな違いはなかったのでしょう。中国(政府?)の責任が国内波に追求できなかったことから、当然、旅行会社や学校の責任問題が取りあげられたのだと思います。

 

ただ、この旅行は旅行契約のうち、主催旅行でなく、手配旅行であったことから、旅行会社に対する責任追及は困難であったことから、学校の責任が中心となり、ついには高知地裁で訴訟になったようです。

 

で、今日の記事は、下見が問題にされています。学校の行事、とりわけ各種旅行企画では、その旅行先の選定や、運行手段の選択などで、十分な検討がなされたかが問題となります。その中で、下見の内容は大きな要素の一つです。

 

ところで、一般的にこういった学校の各種旅行は、旅行会社間の競争がとても激しく、ということは旅行会社の学校側へのサービスというか、さまざまな便宜もその競争手段の一貫になっているわけです。ただ、私の経験したのは30年前後前の話ですので、最近は学校行事としての旅行が大きな競争対象となっているかはわかりません。

 

今日の記事では<「下見」で校長は何をした>というタイトルで、その内容が焦点となっています。学校における校長の職務権限、とくに旅行会社の決定などについてどのような意思決定手続きかについては、最終的には校長が決めるとしても、職員会議や保護者会、生徒の意見も踏まえて決めるなど、とりわけ最近は多様ではないかと思われます。なお、私学の場合は学校法人経営者の意向が大きいのでしょう。その意味では学校によるとは思いますが、校長がかなり強い権限を発揮するところもあるでしょう。

 

ただ、この旅行では、下見を校長が行ったというのですから、驚きです。普通は、修学旅行のような場合に当該学年の引率教師中からが選ばれて下見をするのではないかと思います。本来、きつい仕事です。遊びではないわけですから、どこかに危険が隠れていないかとか、交通手段が適時適格に運行できるかとか、完全に近いリハーサルをしないといけないわけで、疲れる仕事です。それを校長自らが、しかも他の教師を同行しないで、夫人と同伴でとなると、一体、下見の意味をまったく理解していなかったと言われても仕方がないでしょう。

 

少し前の<第4章<3> 旅行会社から突きつけられた事実>という記事では、驚くべき事実が旅行会社から報告されて、保護者・遺族が憤慨しています。

 

<「佐野校長に下見のツアーに入ってもらい、途中で団体を離れてもらいました。校長は奥さんを同行していました。学校からの参加は2人だけで、費用は校長先生の本人持ちでした。>

その日程はというと

<87年9月上旬、7泊8日、佐野が夫人を同伴で、修学旅行先の一部と、旅行とはほとんど関係のない北京や西安を、航空機や乗用車、列車で回っていた。>

 

驚くべき内容です。それで、裁判で追求されている様子が、今日の記事で紹介されています。

 

まず当時の中国における列車事故の実態です。<中国では事故直近の3カ月間に列車の炎上や正面衝突、脱線など重大鉄道事故が4件発生、計152人が死亡していた。当時の中国鉄道の技術水準は「昭和30年代」とされ、安全意識が低いなかで事故現場付近は過密運行が続いていた。>

 

私は90年代初めに上海から列車に乗りましたが、その安全性についてまで気が回りませんでした。ただ、車掌はその仕事をまじめに行う雰囲気はありませんでした。知り合いかどうかわかりませんが、椅子に座ってぺちゃくちゃと話しに花を咲かせて、乗客は無視でした。

 

上海市内では、車両はまだ少なく、自転車が大半でしたが、古いトラックやバスの乱暴な運転は放置され、安全性の意識に感じさせられました。

 

このような上海や周辺都市への列車での旅行が、わが国と同様の安全性を確保されているとの意識であった校長の感覚を疑いたくなります。

 

<92年7月20日、高知地裁の法廷で、証人・佐野への尋問が続く。

 修学旅行前、佐野は日本交通公社(現JTB)から「これまでに扱った数千件で、1回も事故・トラブルはなかった」と聞いた。自分なりに情報収集した結果、修学旅行実施への不安につながるような状況に接することはなかった。

 加えて、上海修学旅行の実績のある学校から話を聞くこともなかった。渡航先は上海近郊が中心であり、鉄道も主要幹線を使う。観光で回る名所旧跡は変化のしようがない。また、仮に上海のどこかの高校と友好関係を結んで行事をするというならば、実績のある学校に問い合わせるが、そういう企画もない――ゆえに、そもそも「聞く必要はない」と判断していた。

 当時、佐野の頭には、鉄道は「一番安全な交通機関だ」という考えが支配していた。>

 

私はある件で、長時間、ある校長からヒアリングをしたことがありますが、教師としての実績や学校管理の実績は知りませんが、一般常識という意味では、さほど優れた感覚を持っているとは思えませんでした。むろん校長もそれぞれで、別の機会に一緒にある審議会の委員として会議を長く共にした方は、すぐれた常識・知見をお持ちでした。当然、校長によることは確かです

 

この校長の列車の安全性についての調査や認識レベルは、とても安心して下見を任せられる能力をもっていないことが証言でわかります。

 

当該コースは単線だから、高知の線路も同じようだから、また、列車運行の本数も適当な見方をしていますし、下見というものを理解していないことを白日の下にさらされても、ご本人よくわかっていないようです。

 

単線だから安全なんて事はまったくないわけですね。日本の鉄道会社がいかに安全性に注意を払ってきたか、単線においても大変な配慮をしているのを知らないようです。

 

しかも校長は、下見であるのに、コースの一部、杭州をカットして、コースにない北京や西安まで足を伸ばしています。それは当然、疑問視されますね。

 

<中国への修学旅行を計画する段階で、北京に行きたい強い希望があった。88年は上海近郊だが、翌年は北京へ、という案も浮上していた。教職員から既に「上海の次はどこに行けばよいか」という話も出ていたため、渡航先として北京や西安も加えた。

 ただ、北京・西安を旅程に加えると、全体として、かなりの日数がかかる。一方、上海・蘇州は交通公社の乗用車を使うため効率よく回ることができる。一方、杭州は「西湖以外は見るべき場所がない」「汽車で片道5時間はかかる」「さらに2泊ほど必要」という理由から「杭州はオミット(除外)」したのだ。>

 

みずから下見をいい加減にしたことを認めているのを理解していない弁解です。

 

最近でも海外への修学旅行が増えているようですが、こういった責任感の欠いた校長は希だと思います。普通は下見の報告があり、その内容によって、さらに注意事項も具体化したり、場合によってはコース変更もあるでしょう。この校長の場合、下見報告は口頭でやったのではないかと思いますし、まともな内容であったとは考えにくいです。

 

長くなりました。今日はこれにておしまい。また明日。


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