たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

死後を整える <死後事務委任契約の裁判例を読みながら>

2019-01-15 | 人の生と死、生き方

190115 死後を整える <死後事務委任契約の裁判例を読みながら>

 

生きている今、生きていることだけで精一杯と思う人は少なくないと思います。まだそういう考えがあるうちはいいのですが、自分が何者か、何をどうしたいのかすら、分からなくなってしまう状態に陥ることはいつ何時起こるかもしれません。

 

法的には、そのようになったときの財産管理や身上監護について、事前に対応するものとして任意後見制度があります。私も昔やっていましたが、当地に移るに際し、バトンタッチしてきて現在はやっておりません。

 

判断能力が少し劣ってきたとか、かなり危ういとか、その能力が疑われる状態になれば、補助、保佐、後見という法定後見制度で、対応することになっています。生前はこのような制度である程度カバーしています。

 

では死後はどうかというと、遺言は基本、相続財産に関する処分を対象としていますので、死後の事務を書いても法的拘束力があるわけではありません。むろん被相続人の最終意思ということで尊重されるとは思いますが。

 

それで従来は、死後の事務、葬儀とか遺骨の取扱い、お墓、法要などについて、生前の意思は具現化することが法的に担保されない、あるいは実現しにくいと理解されていたように思います。ここで従来はというのは四半世紀前くらいの話です。

 

平成4年にこの点を明確にした最高裁判決がでたのです(平成四年(オ)第六七号同年九月二二日第三小法廷判決・金融法務事情一三五八号五五頁)。

 

民法上、委任は当事者の信頼関係を基礎にしていることから、いずれかが死亡した場合終了することとされています(653条)。生前に死後の事務を託しても、この条文を根拠に、法的に担保されないといった理解があったかもしれません。

 

しかし、民法の規定は、多くが任意規定で、当事者の意思で異なる合意ができることが少なくないのです。ただ、当事者が死亡した場合、一般の規定とは異なると理解された部分もあったと思われます。実際、この上告事件の原審では、見事に同条を理由に終了したと判断されたのです。

 

この原審の判断を破棄した上記の最高裁判決は、「委任者が、受任者に対し、入院中の諸費用の病院への支払、自己の死後の葬式を含む法要の施行とその費用の支払、入院中に世話になった家政婦や友人に対する応分の謝礼金の支払を依頼する委任契約は、当然委任者の死亡によっても右契約を終了させない旨の合意を包合する趣旨のものであり、民法653条の法意は右合意の効力を否定するものではない。」としたのです。(判示要旨)

 

当然と言えば当然の判決ではないかと思うのです。ギリシア・ローマ法ではどうなるのか、少し気になりますが、この論理はいつか考えることにします。

 

ところで、この事案では、委任契約はどうやら口頭での合意であったようです。しかし、その後は最高裁判決の英断を受け、死後事務委任契約(書)という形で少しずつ普及しているようです。

 

実際、たとえば東京高裁平成211221日判決(判例時報2073号32頁、判例タイムズ1328号134頁)では、住職に委任する形で、葬儀及び永代供養を依頼したものの、家族の反対を受け、一旦、弁護士を介して当該委任を解除した後、当該住職に諭され?、写真をお墓に納め永代供養をお願いしますとの文書を差し出し委任したことについて、遺言では祭祀承継者が子であるとなっていることとから履行不能といった主張を採用せず、死亡により終了するという民法解釈は上記最高裁判決を引用して、有効な死後事務委任契約として成立しているとして、委任者が交付した金銭の返還を求める請求を棄却しています。

 

また東京地裁平成28729日判決(D1-Law.com判例体系)でも、受任者が用頃運人ホームの事案で、相続人による虐待があったことから、行政が相続人に伝えないでホームに入居させ、生前には委任状で財産管理を依頼し、また死後の葬儀や墓の手配を希望する手紙やその内容を公正証書にすることを依頼した委任状をつくっていたことから、受任者のホームが銀行から預金引き出し所定の費用に充てたり、葬祭を実施したことは、死後事務委任契約が成立して行ったこととして、相続人らにこの事実を知らせないで行ったとしても、不法行為を構成しないとして、その損害賠償請求を認めませんでした。

 

少し長々と、裁判例を引用してしまいました。これが目的ではなかったのですが、書いていると裁判例を理解するために引用しつつ、時間をとりました。

 

今日のお題は「死後を整える」ことは生前に結構できますよという話です。死後事務委任は、多様なサービスを考えることができます。自分の遺体の処理・取扱、そこには死亡診断書を入手したり、死亡届を出したり、火葬許可証を受け取ったり、といった相続人が行うことも生前に誰かに託すことができます。これはとくに悩む話ではないですし、あえて委任契約なんて必要としないかもしれません。

 

私の場合死の作法がまだ定まっていないことに、この時点で気づき、これから熟慮して考えていこうかと思っています。

 

葬儀・告別式をどう行うか、いや行わないかといったある種形式的なことも、上記の高裁判決事案ではなかなか微妙なことかと思っています。この微妙さを判決文で丁寧に引用しようかと思いましたが、それはある種私の関心事なので、カットしました。

 

次に火葬以外の葬法は、地域的にはまだ残っている埋葬がありますが、これはその地域に長く住んでいないと無理でしょうね。それ以外の方法は私の死の作法として今後検討したいと思っています。

 

火葬が常識的ですが、その後は最近、さまざまな方法が宣伝されていますね。私が関わった自然葬という散骨方式と、従来型の納骨としては樹木葬、納骨堂、お墓への納骨が多種多様な形態となっているようです。

 

こういった選択は死後事務委任では一つの重要な事項かもしれません。私自身はそれほど大きな問題と思っていませんが、とはいえ常識的な考え方だとその選択によっては祭祀権に抵触するといった法的問題はともかく、宗教感情や世の常識と対立するかもしれません。

 

死後事務委任(あるいは準委任)は、これからさまざまな内容が盛り込まれる可能性を秘めています。とはいえ、死後の世界をどこまでコントロールできるか、やはり限界があるでしょうね。自分の遺体とその処理、その財産管理程度でしょうか。

 

それと遺言とどう異なるかですね。遺言は一昨日施行された改正民法で、いち早く自筆証書の場合目録はタイプ印刷でよくなりました。よりいっそう遺言書作成が普及する一つの策ですね。でも死後事務委任もやりようによっては結構使い勝手がいいかもしれません。そんなことをふと考えてしまいました。

 

今日はこの辺でおしまい。また明日。


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