たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

永遠の愛の意思? <映画『ある天文学者の恋文』を見ながら>

2019-02-11 | 人の生と死、生き方

190211 永遠の愛の意思? <映画『ある天文学者の恋文』を見ながら>

 

映画『ある天文学者の恋文』を見ました。というか、見始めてまもなく本を読みながらときおり画像を見る感じになりました。ストーリーに興味が薄れたというか、手紙やメール、あるいはスカイプでのやりとり、その内容に興をそがれたのかもしれません。それなのにあえてこのブログで取り上げることにしたのは、いま関心のある死の作法や死後の事務委任と関係するからです。極めて個人的な趣味の世界ですね。

 

名優ジェレミー・アイアンズが天才天文学者役で、オルガ・キュリレンコがその教え子役で、秘密の恋人関係として話が展開するのです。アイアンズの台詞回しとか演技はさすがと思う一方、キュリレンコの方はまったく知らない女優だったこともあり、その演技に魅力を感じず、なぜこの天才がここまで惚れ込むのかよく分からない表情や仕草に見えたのです。

 

でも、この女優も相当評価されているようで、教授の死亡後判明した後は惹きつけるような演技だったかなと思います(まあ勝手な一面的な見方ですが)。

 

天才学者が死の宣告を前に、若い教え子を愛する余り、その女性が生涯持ち続けるおそれのある苦悩から解放させようと、また、自分の愛情を死後も示そうと、死後もいろいろな意思伝達手段を講じて、女性にその意思を伝えるのですね。これは映画『鑑定士と顔のない依頼人』で見せたような監督ジュゼッペ・トルナトーレの技らしいというか、筋書きですね。

 

天才学者に愛情を注ぎながらも、死をいとわないスタントパースンの役を買って出る教え子には過去に自分が犯した深い心の傷があり、当然ながら天才学者は気づいていたのでしょう。その当たりの苦悩の姿と学者の助言への愛と苦しみの相克と言った当たりになると、キュリレンコが共演者として選ばれた理由が分かってきたような気がしました。

 

さて映画の筋書きは、いろいろ語るのはどうかと思いますし、私にとっては重要ではないので、この辺でおしまいにします。

 

本日のテーマ、「永遠の愛の意思?」って、自分で書きながら、やはり?マークをつけてしまったのは永遠というのはおこがましいと思ってしまったのかもしれません。気持ちは分かりますので、永遠の愛なんてことはそれぞれの気持ちとしてもっておきたいというのはわかります。それが一方的に表現するのであれば、それも結構かと思うのです。

 

とはいえ、その表現の仕方によっては、不都合な真実となりはしないかと思うのです。いや死の作法としてもいかがかなと思いながらエンドマークを見終えたのです。

 

天才学者は死の床につきながら、自分の愛する教え子のために、終末期のたしか3ヶ月を、生前に連絡するだけでなく死後の意思表示の伝達を多くの人に託しています。

 

いくら自分の意思や姿を死後に伝えようとしても、黄泉の世界に入っているわけですから、死後は何もできませんね。生きている人が代わってその意思伝達をすることになります。

 

映画では郵便配達員や宅配便、ホテルのメードやレストランのマスター、さらにはタクシー運転手などなど大勢が担っています。それも時間と場所が特定された4次元?の世界で。しかも受け取る教え子の反応に対応してですね。これはまさに監督の腕の見せ所でしょうか。

 

しかも監督はちゃんと現実的な法的位置づけを用意しています。天才学者の幼友達?である弁護士に死後の事務委任をしていたのです。弁護士が天才学者から受けた委任に基づき、教え子の反応に適時適切に対応するように、多様な意思伝達機関を配置して動かすのです。

 

それはある種、見事な死後の意思実現であり、永遠の愛の意思表示とも言えるかもしれません。

 

たしかに意思伝達機関?となった多くは二人の理解者であり、両者の愛に寄り添う心優しい人たちだったのかもしれません。とりわけ天才学者の娘と幼い息子は、とりわけ娘は同い年の教え子を嫌っていたのに、最後は暖かく迎えるように父の愛を受け入れるのですから、天才学者の愛は見事なハッピーエンドとなったわけです。

 

むろんこういった死後の愛の意思伝達といったことは、お金の話を持ち込めば、現実味が薄れますね。いやそれだけではなく、こういった死後事務委任を引き受ける弁護士がはたしているかなどと考えるとそこでも立ち止まざるを得ません。

 

たしかに昔ながらの手紙に加えて、現代流のメールとかSNSとか、スカイプとか、死後の意思伝達手段は多様となりました。しかし、そのようなことをしてまで死後の意思を伝えることがほんとの愛なのでしょうかね。

 

天才教授が最後の画像で、自分の姿を隠して後ろ姿で語りかける場面がありますが、それこそ苦しいとき、死を目の前にしたとき、愛する相手に気持ちを考えれば、どのような姿であっても一緒に過ごすことが一番ではないでしょうか。ここはおそらく考えが別れるでしょうね。

 

また秘密の恋人関係ですから、死を前に苦しむ家族の前に、突然恋人を呼ぶなんてことはできなかったかもしれません。しかし、そうはいいながらも、この天才教授、死後の意思伝達のためにもがきつつも作品作りをしていたわけですから、身近な家族との触れ合いをも避けていた可能性の方が高いように思うのです。そこまでするのなら、死後の事務委任をするより、生前にしっかりと意思を伝え、恋人と死を迎える方が美しくないでしょうかね。

 

同じように終末期を扱った、映画『最高の人生の見つけ方』(The Bucket List)では、見知らずの終末期患者二人が最後の数ヶ月を一緒に過ごし、死ぬ前にやっておきたいリストを二人でやりとげるのですが、とりわけ一方の最後の希望でもう一方がけんか別れした娘と和解する筋書きです。最後に遺灰入り缶を雪深い山頂(エベレストなら違法でしょうね)に置くことまで付け加えてあってお見事と思いました。監督はロブ・ライナーで、結構好きな作品がありますね。

 

今日はこれにておしまい。また明日。


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