190116 ボランティアと費用負担 <災害ボランティア 公費支援、兵庫県検討>などを読みながら
ボランティアということばはいつごろどのような用語として使われるようになったのでしょう。というのは私自身、弁護士になってしばらくして無給の活動をすることが仕事の中心になりました。当時、そのことをなんと言っていたか思い出せませんが、仕事というのが収入を得てやることであれば、仕事ということばは不適切になりますね。
当初は弁護士会の仕事が中心でしたが、その後はNGOとかNPO成立後はNPOを含め多くの団体活動に参加してきました。私の仕事全体の多いときで3分の2以上、平均しても半分以上でしたか。これは仕事の時間量でおおざっぱに計算したのですが、タイムカードもないので、実際はもっとだったかもしれません。なんとか生活できれば後は無給の仕事をすることが生きがいみたいに感じていたのかもしれません。最近はほとんどそういった無給の活動をしていませんが、このブログを書くことと才蔵ネットワークの活動に参加することくらいでしょうか。前者は仕事とは思っていないので、これを含めるとややこしいことになりますね。
といって、このブログでも紹介した尾畑春夫さんのように災害現場で汗水垂らして働くといったことは経験がありません。せいぜい荒れた森の間伐作業に参加するとか、里山の保全活動の一部に参加するとか、で後は調査をして報告書を公表したり、シンポジウムを開催したりなど現場に行っても当事者みたいに入り込むことはなく、第三者的な立場で活動してきたように思います。
ところで、ウィキペディアの<ボランティア>を見ると、<日本において、ボランティアとは一般的に、自発的に他人・社会に奉仕する人または活動を指す。ボランティア活動の基本理念は、公共性、自発性、無償性、先駆性である。>とされています。無償性は基本でしょうね。私も多くの団体会員になり活動しましたが、基本というか、すべてにわたって、どこも無償です。会員同士で一杯やるときも自分の財布から払います。当然ですね。交際費なんてものはボランティア団体、メンバーであるはずがないですね。
ただ、わたしが深く関わった団体では、ボランティア参加の旅費、日当を出すことにしました。ある時期から一定の活動について、出すことにしたのですね。また事務局の常勤者は生活もあるので給与を出すことにしました。なぜ実費を出すようにしたかは20年以上前で定かではないですが、機微に渡ることもあり、ここでは触れないことにします。他方で、理事は全員無給でした。
ですので、会創設当初から参加したこの団体において、私はいくら法律上の紛争について調査し回答したり、交渉しても、顧問料とか相談料とかなんらかの報酬を受け取ることはありえません。ただ、ある時期から旅費とか宿泊費はいただいていました。
長々と私の経験の一端を書きましたが、ボランティアに一定の金銭支援をすることは、尾畑さんのような崇高な考えからするとどうかと思われそうですが、私は賛成です。
この点、先のウィキペディアでは語源の中で、<聖書の副詞形ヴォルンターテ「自ら進んで」の語源は動詞「volo(ヴォロ)」(「欲する」「求める」「願う」の意)である。ラテン語ヴォルタースから英語の volunteer が誕生した[2][3]。>とされています。そして<ボランティア活動において、交通費や実費、その他経費を受け取る活動を有償ボランティアと称する例も存在する[4]。>と何か経費を受け取ることがボランティア精神に反するかのような言及をしています。
このような話題を提供したのは、今朝の毎日記事<災害ボランティア公費支援、兵庫県検討 被災地復旧後押し>を読んだからです。そこでは<兵庫県の井戸敏三知事は15日、県内の団体が災害ボランティア活動をする際の交通費や宿泊費の一部を助成する制度の来年度創設を検討していることを明らかにした。>というのです。
その制度は興味深いものです。<県によると、地方自治体が公費で災害ボランティアを支援するのは全国初。財源として「ふるさと納税」も活用する考え。「ボランティア元年」と呼ばれた1995年1月の阪神大震災を経験した県として、経済的に市民活動を支え、全国の被災地での復旧を早める意義があると判断した。【井上元宏】>
具体的な制度骨子は<県によると、5人以上の県内の団体が、地震や豪雨などの発生直後、がれきや土砂の撤去に向かう交通費などを助成する。参加者数や移動距離に応じて金額を決める。災害救助法が適用された地域で、現地のボランティアセンターに登録したことを証明する書類を求めるなど、手続きや枠組みを今後詰める。>とのこと。
私はボランティアに旅費などを支援すること自体が経済的に有効というより、地方行政が支援制度を設けることで、よりボランティア参加することが精神的にやりやすくなることを期待したいと思っています。
ボランティア活動は多様で、また自主的なものが本質でしょうけど、多くの人が参加するにはまだまだ意識的に高い壁があるように思われます。他方で、自然災害は気候変動の影響もあり、今後ますます増加し甚大な被害を与える可能性が高いと思うのです。
地域の行政主体は、災害予防、災害後の復旧・復興の最先端に位置づけられていますが、実際は日常の業務で手一杯でしょうし、災害時は被災者でもあるわけで、自治体相互の協力体制も効果的な役割を果たしますが、それも現場での作業となるととても間に合わないと思います。
これからの災害対応は、全国各地からのボランティア参加を増大するため、より参加を容易にしたり、必要な現場に必要な人材を投与できるようにシステムの効率化を図る必要があるでしょう。その場合AIの活用など先端技術の導入はもちろんですが、まずはボランティア参加をいかに容易にするかの仕組みを作り上げる必要があると思うのです。
わが国では阪神大震災がボランティア元年と言われるようですが、私の記憶ではアメリカでもエクソンバルディーズ号の油漏出事件が契機であったように思います。私はその現場バルディーズに調査に出かけましたが、事故当時、油汚染の中大勢の若者が油に覆われた水鳥などを助けようとしている画像がとても印象的でした。
その後わが国でも、ナホトカ号重油流出事件が起こり、多くボランティアが油汚染の除去活動に参加していましたが、このとき船主に損害賠償請求がいろいろな法的手段で行われています。当時としては相当な金額ですが、上記の賠償額に比べれば極めて低いもので、とくに自然損害に対するものはほぼ無視されたのではないでしょうか。同様にボランティアの費用も。
私の記憶では、ボランティア費用を請求した最初の事件ではないかと思うのですが、高橋大祐氏の<海洋汚染事故における損害賠償実務と企業の法的・社会的責任>によれば、否定されたようです。
まだ法制度としては、油汚染などの法的責任というレベルでは、ボランティアの費用を負担させる段階にはないと思われます。他方で、自然災害について行政は、予防・事後救済措置について、一定の責任(法的と言うよりは政治上でしょうか)を負っていると思うのです。わが国は災害列島ですので多発甚大化する被害を免れないと思うのです。しかし、予防策も事後救済も、予算に限度がある以上、地域行政としては、十分に対応できないとしたら、国民というボランティアに協力を仰ぎ、その支援措置を講じることも役割の一つかと思うのです。
いま奈良時代の行基といったカリスマ的存在の出現を待つのは適切とは思えません。兵庫県のように、座して待つのではなく積極的に災害に立ち向かう姿勢をとることに、エールを送りたいと思うのです。そういう動きが行政だけでなく、企業も団体も新たな支援策を生み出すことにつながるでしょう。
長くなりました。今日はおしまい。また明日。
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