たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

死と生の狭間と作法 <『恍惚の人』>を読み終えて

2018-09-22 | 人の生と死、生き方

180922 死と生の狭間と作法 <『恍惚の人』>を読み終えて

 

私はだいたい45冊の本を並行して読んでいます。あまりジャンルにこだわらないといっても、自然、指向性はある範囲にとどまっています。月20冊近く読むというか流し読みしますが、小説は読んでも1冊くらいでしょうか。その小説も好きな作家はなんども読んでしまいます。

 

そのうちの一人が有吉佐和子ですね。それ以外にも何人か女流作家がいますが、有吉作品は好みの一つです。今日取り上げる『恍惚の人』は先週くらいから読み出し、金融関係や古代ものとか、その他いろいろ読んでいる合間に息抜きに読みながら、今朝読み終えました。

 

この本はいま話題の新潮社から昭和47年に刊行されたのですね。この頃は私も若かった、登場人物に大学紛争に参加していた学生がいますが、安保協定の勉強会はしても紛争からは離れた位置にいた学生でした。でも当時の状況は懐かしく思い出されますが、当時はわが家に似たような状況もなく、この本が話題になって、「恍惚」が流行語的な感じであったのはぼんやり覚えていますが、ほとんど関心がありませんでした。

 

でもいつころでしたか、たぶん弁護士になってからだと思いますが、だいぶ以前に読んだ記憶があり、なぜ手に取ったのかは忘れましたし、内容も覚えていませんでした。しかし、読みながら、有吉佐和子の実態を捉える表現力はぐいぐいと引きつけますし、凄惨な状況や登場人物の性格描写や態度の中に、人間というものの有り様の一面を見せてくれる一方、その展開になんともいえないヒューマニズム、その中にユーモアさえ感じさせてくれます。

 

この『恍惚の人』が取り上げた内容は、それから半世紀近く経過していますが、いまなお訴えるものがあるように思えます。むろん介護サービスや介護施設の整備充実は格段の進歩がありますし、認知症への対応など、より早い段階から進行を遅らせたり、将来的には治療可能な病気になる可能性すら見えてきましたし、なにより認知症者に対する意識が大きく変わったと思います。私自身もその一人ですが。

 

介護施設に入所されている高齢者の多くは、残念ながら快活に暮らしているとはいえないように感じます。施設は立派になり、介護スタッフも明るく元気にきびきびと対応していますが、入所されている高齢者の方は表情があまりでていません。服用のせいなのでしょうか、認知症の進行のせいでしょうか。病気の影響もあるのでしょう。

 

ユマニチュードなどの対応はまだ日本では普及していませんが、施設に入れたくないという家族の気持ちもわかるような気がします。他方で、家族で自宅介護を続けることができなくなったという気持ちもわかります。この小説の中ででてくるそれぞれの家族の話は、現在も生きている悩みでしょう。

 

義父茂造は、意識が正常であった頃、不平不満苦情だけ言い続ける嫌みな性格でしたが、認知症の症状が出てからは次第に穏やかな性格になり、食欲以外の感情がほぼ喪失ないし軽減してしまいます。人からどう言われようと、どうされようと、あまり感受性もなくなるのかもしれません。

 

この小説を書いた有吉佐和子さん、84年に自宅で急性心不全で亡くなったそうですね。まだ53歳の若さで、残念です。10年以上前にこの小説を書いたわけで、主人公も自分より10歳くらい上の女性を描いています。彼女の描くのは女性が主人公、あるいはそうでなくてもとても魅力的な人が多いですが、この小説でも普通の女学校出で共働きをして大企業に勤める夫を兼業主婦として家事全般を担う、当時の典型的な女性を取り上げつつ、やはり心の中の変革みたいなものを取り上げて、魅力的にしているように感じるのです。

 

夫信利は、当時のサラリーマンとしては(場合によっては現在にもいるかもしれませんが)典型的なふがいない男性として描かれています。私も当時ならそうだったかもしれませんが、その後少し成長したように思っています?

 

とりとめのない話になりましたが、高齢者のかかえる問題を事前に少しでも検討しつつ、死の作法を意識的に行えること、さまざまな選択可能性のうちどのような方法をその場合に選ぶかを日々考えておく必要をこの小説を読みながら反芻したのでした。

 

高齢者の道は、おそらく以前より大きく開けていて、事前に予測が相当できるようになっていると思います。その選択は、このブログの証になるかもしれませんが、自分というものがあるのかないのか、おそらくは後者であることだろうと思いながら、孫悟空のように自由な選択を心がけ、自分に責任をもつという道となると考えています。

 

まだ具体的なあれこれを提示できませんが、この千日ブログが終わるまでにはなんとか表現できればと思うのです。

 

そういえば最近樹木希林さんが亡くなられ、ガン告知以降、お元気で、独特の語りで死への心構えというか、生のあり方を示されていたかと思います。どのような事態となっても、病や死はいつどのような形で起こるか分かりませんし、必然の出来事ですので、高齢者として常に意識しておきたいことと思っています。

 

他方で、病から死に至る中で、家族などに大きな影響を与えることも、この小説で一つのあり方を示してくれているようにも思えます。そこにも魅了されたかもしれません。

 

今日はこれにておしまい。また明日。

 

 

 


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