たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

生死と即身成仏 <ネルケ無方著『迷える者の禅修行』>を読んで

2018-12-01 | 人の生と死、生き方

181201 生死と即身成仏 <ネルケ無方著『迷える者の禅修行』>を読んで

 

私が自らの死をどのようにするかを常日頃考えていることを話すと、共感していただける人がいます。滅多矢鱈と話をするわけではありません。重い病気を抱えている人や日々の生活に悪戦苦闘している人などなど、当然ながら話題にはしません。おそらく世の中、いろいろ悩んでいる人がいると思いますが、生死のことを真剣に悩む人は少ないのかもしれません。死はいつ突然に訪れるかもしれない、あるいは判断能力が突如失われることもあるでしょう。さまざまな医療措置を講じてようやく生命維持が図られる状態がある日突発的に発生するかもしれません。少なくともそのようなことを事前に考えておくことは、社会に生きる大人としての作法の一つかもしれません。

 

死の作法ともいうべきものは、現在の救急医療や葬送儀礼のレベルでは、選択肢がある程度想定できますので、それ自体のチョイスは丁寧にしっかりと考えておけば、結論を導き出すことはそれほど難しいことではないと思います。むろんいずれも自分の判断能力とか意識がなくなったり、「死後の世界」ですから、だれかにその意思の実現を委ねないといけませんから、それなりに明確にしておいて伝達方法も整えていないといけませんね。

 

しかし、死の作法というか、死を迎える道は実際は多様であり、それをどのようにするかとなると、なかなか選択肢というレベルではなく、自ら間が抜く必要がありますが、よい手本はなかなか見当たりません。仏教なり宗教がその道しるべになるかといえば、なりうるとは思いつつ、なかなか素人では読み解く(それが正しいかどうかは別として)ことが困難です。では僧侶なり宗教家がその案内役となりうるかというと、それも見いだすのが厳しいように思えます。

 

そんなとき「ドイツ人住職が見た日本仏教」という副題でネルケ無方氏が11年1月に出版した『迷える者の禅修行』に出会いました。

 

ネルケさんの仏教修行の顛末を見事に再現していて、一般的な仏教修行ともひと味も二味も異なる独特な内容であることに加えて、日本仏教への痛烈な批判を的確にされており、とても興味深く読むことができました。むろんネルケさんの指摘がすべての日本仏教の僧侶にあてはまることではないことは当然です。

 

ただ、次のようなことばはもうたいていの日本人は意識しつつも、言われてみると然りと思いつつ、それでよいのかと改めて思うのです。

 

たとえば「日本では仏教が見つからない」という見出しで、

「日本のお坊さんは、もはや一般の人に仏教を広める「聖職」にあらず、単にお寺の管理人兼葬式法要を執り行うサービス業に成り下がってしまっています。」と。

 

そして「日本の若い人が既成仏教に救いを求めないのも、不思議でも何でもなく、当然のことです。それは、若い日本人が自分の生き方に悩み苦しんでいないからではなく、お坊さんが悩み苦しみを超えた生き方を提唱していないからです。」と現代人が生きていく中で抱えている悩みに答えていないというのです。それこそが仏教の、僧侶の役割ではないかと。

 

ネルケさんは来日し、本来の仏教を求め、曹洞宗の安泰寺という少し変わった寺で、そこでは仏教教本や教えを学ぶのではなく、師匠ともいえる僧から言われたのは自ら安泰寺を創りなさいということだったのですね。そしてその修行なるもの、人間扱いされない無茶苦茶な修行生活を2年続けたものの意義を感じなかったようで、ドイツに帰国することを先輩に相談したところ、京都にある臨済宗本山(匿名になっています)での修行をすすめられ、京都での修行が始まります。TV放映されたあの玄侑宗久さんの入山のやりとりのようなことから、修行は安泰寺とは勝手が異なるより過酷なものであったようです。疲労骨折で修行途中で一旦、寺を去ります。

 

でもネルケさんは何かを得たようです。安泰寺を出た後のことを次のように述べています。

「すべては生きている!皆が私の命!」

一年弱の修行で得たのは、この実感です。今振りかえってみても、この実感を得るためだけでも、あの一年の価値はあったと思います。どん底においても、命の働きそのものが私を支えてくれているという確信をつかめました。「命が命を、私が私を生きている」というのが、同一の働きでした。また、これだけ「自分を殺す」環境に身を置いたのですから、これから安泰寺に戻っても、どこへ行っても、そう安易な自己主張に流されることはもうないでしょう。

 

無我という心的体験で新しい自分を、周りの環境を見ることができるようになったのでしょうか。そこには日本仏教への失望とは少し異なる心持ちになっていたようです。ただ、同じように修行していたお坊さんたちがそういう心境になれたかは怪しい感じですが。

 

多くの修行僧は、寺の跡取りということで、先祖から引き継がれた(実際、そのような継承はそれほど古い時代まで遡らないのがほとんどの寺だと思いますが)住職になることを願っています。でもネルケさんの心には住職になることは念頭にありません。次に選んだ道は大阪城公園でのホームレスです。01年9月13日がホームレス雲水生活の始まりとのこと。

 

そのころ私もなんどか大阪城公園を散策していますが、まだホームレスが住処としている段ボールやブルーシートがあちこちにあり、東京をふくめ関東ではなかなか見られない光景だなと思いました。その後しばらくして行政の撤去が強制的に始まったんですね。

 

ホームレス生活をするネルケさんは意に介さず、釈尊こそ王子の地位を捨てこの道をあるいたのだと。そして、「葬儀屋の下働きをして、せっせとお経を棒読みしているキチさんのような日本のお坊さんの方が、「随分変わっている」と思いました。」と本来の仏教の姿を求めるのです。

 

少し長々と、中途半端な引用をしてきましたが、要は次のネルケさんのことばを取り上げたいために、余分な前置きをしてしまいました。

 

「仏になるのに、簡単な方法がある。悪いことをしない、生死にとらわれない、生きとし生けるもののためを深く考え、上(内なる親=仏)を敬い、下(内なる子=凡夫)を憐れみ、何者に対しても嫌がったり、あれこれほしがったり、心に一物をもったり、心配したりしない自分、これを仏と呼ぶ。この自分の他に、捜し求めても意味がない。

ここに道元禅師のみならず、宗教そのものの極意があると思います。実践しようという心こそが仏であり、その他には仏などどこにもないのです。」

 

心のあり方を、当たり前のような、しかし実際は難解なところに、もっていくことこそ、煩悩を超えることができるということかもしれません。

 

とはいえ、ネルケさんは、それでも「迷える者」であり続けることを宣言しています。

 

私自身、理解できているわけではありませんが、共感というか共鳴というか、そういう心境になります。

 

今日はこれにておしまい。また明日。


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