たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

悩む自由 <人生相談 大学を除籍された息子=回答者・高橋源一郎><『秋萩の散る』>などを読みながら

2019-01-14 | 人の生と死、生き方

190114 悩む自由 <人生相談 大学を除籍された息子=回答者・高橋源一郎><『秋萩の散る』>などを読みながら

 

今日は(あるいは昨日は)成人式が各地で行われているのでしょう。前途洋々の気分は一時でしょうか。成人式の日くらいはそんな気持ちになっているかもしれません。

 

しかし、今朝の毎日・社説<次の扉へ 人口減少と日本社会 2040年代への準備は万全か>で指摘されているとおり、日本が置かれている状況は<国民生活が破綻の危機>であり、<出生率が高かった地方が衰退して現役世代が減っている>状況は変わらず、相変わらず東京集中が止まらず<地方再生>の見通しは見えませんね。国際的にも日韓、日米、日露、日中と隣国とも危うい状態になりつつあります。

 

そういう世の中の激動というものは個々人が成人になるかどうかとは直接関わりが無いものの、青春というものはやはり悩み多い時期だと思うのです。

 

同じ毎日の人生相談で<大学を除籍された息子=回答者・高橋源一郎>がありました。

相談者は子どものことで煩っています。

<22歳の息子が大学を除籍になりアルバイト生活です。私は彼が5歳の時に離婚し、現在は80代の母と暮らしております。・・・奨学金の返済や心配ごとが山ほどあり、話してほしいのに黙ってしまいます。・・もう放っておきたい気持ちと何とかしなければという気持ちのせめぎあいです。(58歳・女性)>母一人子一人で、自分の母親の世話もしないといけない中、悩み多いですね。

 

でも源一郎さんの回答は簡潔です。

<すいません。息子さん、ぼくがその年代でやったのとまったく同じことやってます……。>と。

そして<息子さんも、正確には自分のやりたいことがわからないのかもしれません。あるいは、心に秘めたやりたいことがあるのかもしれません。・・・ ぼくも自分が親になって気づいたのですが、親は子どもに「みんなと同じ」であってほしいと思います。けれども、時に「みんなと同じ」ではイヤだと思う子どもも出てくるのです。・・・ 「みんなと違う」困難な道を歩もうとしている息子さんを見守ってあげてください。>

 

そうですね。私も大学をドロップアウトしようと思い悩み、その崖っぷちまでいって、なぜか(運良く?)とどまりました。みんなと同じように売り手市場の就職活動に邁進なんてことは性に合わないと嫌ったため、大学は出たものの、あんなにあった企業の勧誘はぱたっとやみ、しばらく彷徨し、結局、官僚も会社勤めも向かないと、司法試験を選択したように思います。

 

おそらく成人式を迎えた若人も、これからさまざまな楽しいこともあるでしょうが、多くの試練にぶつかるでしょう。運もあれば不運もあるでしょう。でも自分の人生ですから、悩んだときは自分の心と対面して誠実に生きて欲しいと思うのです。その結果がいいか悪いかはたいしたことではないと思うのです。

 

いま澤田瞳子氏の著作を何冊か読んでいます。母親の澤田ふじ子氏ファンとして、その娘さん(77年生まれですから熟女でしょうか?)が書く内容がどんなか楽しみながら頁を繰っています。

 

で、瞳子氏の小説の中に、10代の若い人のものがいくつからあります。奈良時代の内裏に使える女官の話としては『夢も定かに』では、さすがに女性らしい女心の描写などを感じます。とはいえ多くは男性が主役のものが多いかなと、それほど読んでいませんが感じています。別の『夏芒の庭』(『秋萩の散る』所収)ではやはり10代の大学寮の学生が登場します。この中で、2人の学生が頻繁に争う場面がでます。一人は叔父が先帝の聖武天皇、当代の孝謙天皇の侍医という高い地位にあるものの、お追従でその地位を獲得したと陰口をたたかれています。もう一人はまだ25歳と若年ながら技術が高く一時天皇の侍医になったものの、地位に執着せず、貴族に限らずでも怪我をすれば見るという医学生を含め誰からも人望が厚かったのです。後者の弟は医学生として能力が高く、遣唐使の一員になる予定になっていたのです。他方で、前者の甥は医学生を試みたのですが、能力的に劣るためその道をあきらめていたこともあって、二人の学生が何かと争うのです。

 

ところが、ある日あの有名な政変、橘奈良麻呂の謀反が発覚したのです。そのとき有能な兄の医師も連座して処刑されるのです。ところが、それが競争相手であった叔父一味が陥れたことを知らされた甥は春日の森で自死します。彼はけんか相手の兄を敬慕していていたのです。そして有能だった弟も、大学寮を去りました。残ったのは平凡な?学生たちでした。

 

こういう描き方になにか母親と似通った空気を感じます。

 

そして今日の神髄?は、同じ短編『秋萩の散る』で取り上げた道鏡の心の内を探るものです。道鏡と言えば、女性天皇をたぶらかした怪僧とか、天皇の地位を狙った強欲な禅医とか、いろいろ悪い評判が人口に膾炙されています。

 

そして左遷と言えば、吉備真備や菅原道真など、だれもが西方に追放されるわけですが、道鏡はというと、後ろ盾だった孝謙天皇が崩御し陵に葬られた4日後に、下野という東方にある薬師寺別当に当てられたのですね。なんとまあ政争の厳しい現実でしょうか。彼もまた禅医として天皇の病気を治し、侍医に代わる立場で医療だけでなく政治にも口出ししたと言われています。

 

でも瞳子氏は、道鏡が僧侶として、人として、孝謙天皇の無垢で純粋な心持ちを慕い、その意に沿うよう動いたのだというのです。私は文献を多少しか読んでいませんし、原文なんかは見たこともないので、実態はわかりませんが、二人だけの世界で何があったか簡単にはいえないように思います。瞳子氏の見解も一理あると思うのです。だいたい宇佐八幡宮の神託なんてことは、忖度というか、ひどい話ですね。それを誰もが鵜呑みにしたのですから、なんともお粗末な政権だったのですね(現在も似たような話はありませんかね)。和気清麻呂が勇気を持って真実を告げると、孝謙天皇が怒り狂ったという話でした。

 

しかし、ここではいわば「それからの道鏡」を描いて、孝謙天皇との過去を偲ぶというか懊悩する様子が活写され、ついには道鏡の悩みは澄み渡ることになるのですね。彼は医師として、僧侶として、誠を尽くしたのかもしれません。そんな風なことをこの小説から感じました。

 

今日はこの辺でおしまい。また明日。


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