とある秋の日の夕暮れどき
ぼくは見知らぬ街の石畳の小路を
あてどもなくひとり歩いておりました
通りに人影はなく
朽ちた枯れ葉がただただ風に舞うばかり
空はどんよりと鈍色(にびいろ)にたれこめ
静かな寂びしい気配があたりを満たしておりました
と、どこからか
物憂げなメロディーが聴こえてきたのです
ふと音のする方に目をやると
いつからそこにいたのか
路端に男がひっそり立っておりました
男はどうしたわけか道化のいでたちをして
手まわしオルガンを奏でていたのです
ぼくの足はひとりでに歩くのをやめて
ぼんやり立ちつくしたまま
道化の奏でる哀愁をおびた旋律に
知らず知らず耳をかたむけておりました
ぼくにはこれといって
先を急ぐあてなどありませんでしたから
道化師がゆっくりとオルガンのハンドルをまわすにつれて
センチメンタルな美しい曲が流れだします
道化師の顔には
白塗りの厚い化粧がほどこされておりました
右の頬には涙がひと粒描かれていて
まるで泣きたいのを我慢して
無理に作り笑いを浮かべているような表情です
青みがかった瞳はどこか遠くを見つめているようで
深く澄んだ海の色をしています
そうこうするうちいつしかぼくの心は
手まわしオルガンのつむぎだすメロディーに
すっかりからめとられてしまったようで
魂は無意識の放浪をはじめていたのです
とある秋の日の夕暮れどき
見知らぬ街の石畳の小路には
朽ちた枯れ葉が風に舞っておりました
人通りの絶えた街角には
哀愁をおびた音楽が静かに静かに流れています
夕闇がせまりガス燈にぼんやり灯かりがともるころ
ふと気がつくと
ぼくはオルガンのハンドルを手にしていました
そうしてゆっくりゆっくりまわしていたのです
道化の恰好をして
顔には厚化粧をほどこして
人通りのすっかり絶えた街角で
手まわしオルガンを奏でていたのはぼく自身でした
いつのまにかぼくは
泣きたいのを我慢して
無理に作り笑いを浮かべるひとになっていたのです
やがてメランコリックな宵闇が
見知らぬ街ごと
静かにぼくを包んでゆきました
☆絵:ジャンセン☆



ふたり肩をならべて
果樹園の夢の小径を歩いていると
ふいに青く透きとおったガラスの果実が
枝からはなれて地に落ちました
熟しきった愛のように
ぼくらの愛はちょっとした油断で
簡単にこぼれ落ちてしまうのです
冬枯れのすずかけの並木の梢から
愛がこぼれ落ちてゆくように
見知らぬ異国の地から届いた絵葉書の行間から
愛がこぼれ落ちてゆくように
朝露に濡れて美しく輝く蜘蛛の巣から
そうして凍てつくような夜空から
きらきらと愛がこぼれ落ちてゆくように
ぼくらの愛はほんのちょっとしたいき違いで
あっけなくこぼれ落ちてしまうのです
けして偽りの愛ではないけれど
かといって
永久(とわ)を約束されたものでもないのですから
やさしくつないだ手と手のすき間から
そっとかさねた口唇の吐息から
愛はこぼれ落ちてしまうのです
きみのうるんだ瞳から
愛がこぼれ落ちてゆく
張り裂けたぼくの胸の傷口から
愛がこぼれ落ちてゆく
風にたゆたうあどけないきみの微笑みから
愛はこぼれ落ちてゆくのです
あんなにうるおっていた泉が枯れてゆきます
愛のように
あんなに瑞々しかった果実がしなびてゆきます
愛のように
あんなに満ちたりていた時が朽ちてゆきます
ぼくらふたりの愛のように



猫がいなくなったと きみはいうけど
はやく食べないと
せっかく剥いたりんごが色あせちゃうね
猫がいなくなったと きみはなげくけど
季節が日々のいとなみとは無関係に
すぎ去ってゆくよ
猫がいなくなったと きみは泣くけど
あの坂をのぼりきると
青い海が見えるということを知っているかい
猫がいなくなったその夜は
星のまたたくかすかな音が
きみの耳にもとどいたの
