飛行中年

空を飛ぶことに薪ストーブ、そして、旅をこよなく愛する一人の中年のブログです。

星の王子様 その1

2008-10-20 22:18:11 | ロマン飛行(romance of flying )

先日、北海道を旅行した際、私は大好きな霧多布岬(釧路より更に東)で、潮風を感じながら久しぶりに「星の王子様」を一日かけてじっくり読んだ。旅先では決まってこの本をよく読んでいる。いつもと違う環境だと、また、新しい発見があるように思えるからだ。

この本を語る前に、まず、作者について紹介しておかなければならない。

作者はフランス人のサンテグジュペリ(後、長いので愛称のサンテックという)人で、実は、かなり情熱的な飛行家であった。幼少のころから飛行機に異常なまでの興味をしめしており、賞金目当て(当時はリンドバークに代表されるように冒険飛行に賞金がかけられていた)の飛行に幾度も挑戦し、そして、何度も墜落を経験していたが、決して飛ぶことを辞め様とはしなかった。

そして、同時に小説も手がけ、「南方飛行」「夜間飛行」「人間と土地」などの作品を発表し、小説家としても社会にその地位を築いた。

これらの小説に共通していることは、人とは違う視点で物事を見て作品を書いていることがあげられるであろう。

彼は我々とまったく同じ景色を見ているうちに、おそらく、人とは違うものの見方が出来るようになったのであろう。

その後彼は、郵便航路の開拓の仕事も手がけ(当時、航空郵便は通信手段がまだ未発達だったため、重要視されていた)、航路を開拓のために、言葉の通じないアフリカの原住民とうちとける手段として、得意のトランプマジックを披露していたという。

そのうち時代は大戦へと移り、サンテックは渡米。そこで志願して偵察機のパイロットとなった。

しかし、ナチスが降伏する半年前に地中海コルシカ島近くで謎の死を遂げてしまった。

この死については、実は今年初め、元ドイツ軍パイロットが「私がサンテックを撃墜した」との告白があり、今のところはサンテックは撃墜されたことに落ち着いている。

しかし、私としては少し疑問視はしている。なぜならば、数年前に引き上げられたサンテックの機体F-5B(P38戦闘機を偵察機に改造した機体)には弾痕の跡が無く、まっさかさまに墜落した形跡があったからだ。

以前からサンテックの死は自殺、撃墜死、両方の説があった。

数年前に引き上げられたF-5Bの状況は、どちらかというと自殺とも思える状況だったのだ。

また、彼が最後を遂げたコルシカ島近くは、彼が幼少を過ごした場所でもあったため、なおさら自殺の匂いもする。

ただ、少し不自然なのは、サンテックは自分が愛する妻、コンスエロの名を刻んだ指輪をしたまま死んだことだ。愛する人を持ったまま自殺するのも不自然な気もする。

更に、サンテックが死んだ時期と場所を考えると、サンテックを撃墜したとされる機体はドイツのジェット戦闘機Me262だった可能性が一番高く、同機はF-5Bよりも200Km/hも速度が速かったため、サンテックは自殺でもするかのごとく、ジェット戦闘機から逃れるために急降下に入らざるを得なかったのかも知れない。

更に、Me262の武装は標準の場合、機首に30mm機関砲が4門もあり、この機関砲に打たれた場合、破壊力がありすぎ(おそらく一発で車が吹き飛ぶ適度)、弾痕が残るどころではなかった可能性も否定できない。

いずれにしても、「星の王子様」をかいたサンテックの死の真相については、私自身の中では、本当に撃墜だったのか、一部の可能性のある自殺だったのかは、釈然としないものを感じている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

砺波の教訓 その5

2008-10-14 22:11:49 | ハング(hangglider)

今まで昨年の砺波のアクシデントについて、偉そうに述べさせていただきましたが、それでは、そのときの私の行動はどうであったか?については、実は、かなりお恥ずかしいものでありました。

当日はキャンセルを予想しながらも、「もしや、うまく積乱雲がなくなってくれたら」と色気を出してしまい、私はレッドラインまで飛んでしまいました。

ガストフロントに気づいたときは、もともと緊急時はこちらに逃げようと決めていた方向へと、回避行動に移りましたが、ときすでに遅し。ほぼ同時に無線機からキャンセルの連絡を聞きましたが、アッというまに沸いた雲に、あたり一面覆われてしまいました。

幸いリフトはそれほど強くなく安定しており、周りが見えないだけだったので、もともと決めていた回避場所に向かって、手元にあるGPS二台を使い、それぞれ場所がわかっていた違う二点を表示させ、三角測量の要領でその場所にほぼまっすぐに向かいましたが、それでも、おそらく2分程度は完全な雲中飛行を行ってしまったと思います。

実にお恥ずかしい話です。

砺波のアクシデントを振返り、最も今後考えていかなければならないことは、私は「選手の判断力」だと思います。

大会側が競技を進めているから、天気予報会社が大丈夫というから、という理由で、本当は危険が自分の身に迫っているのに、人の言うことを信じて、選手は競技を続けようとした、その判断力の弱さを考えなければならないように感じます。

人間の体は空を飛ぶようには出来ていませんが、しかし、人間は空を飛ぶことが出来る智恵をもっています。しかし、この智恵をちゃんと使わなければ、とたんに人間は空を飛ぶことが出来なくなります。

私達は空を飛ぶことにあまりにも慣れすぎて、そんな基本的なことを、いつの間にか忘れてしまっていたのではないでしょうか。

私を含め、今後、フライヤーみんなが考えていかなければならない問題だと思います。

そして、もう二度と砺波のアクシデントのような愚かな行為は、繰り返さないようにしなければなりません。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

砺波の教訓 その4

2008-10-07 22:57:31 | ハング(hangglider)

この「砺波の教訓」では、今まで悪いことばかり述べてきましたが、しかし、あの時のアクシデント時、すばらしい出来事もありました。

当事者の方々ならばお分かりいただけると思いますが、行方不明者の発見のために、そのときその場にいた皆さんが、それぞれ自分の出来ることを考えて、そして、それを実行に移していったことです。

情報の混乱を防ぐため、現場にあった黒板を利用し、一つ一つの情報を記録することにより、まず、情報をひとつひとつ整理していきました。

そして、それぞれが行方不明者の発見を目的とした、さまざまな手法を出し合い、そして、決して個人的な行動をとらずに、それを皆で話し合い、可能性のあるものは次々と実行に移していきました。

このときの行動は、大変的確であったと思います。そして万一、今後同様のアクシデントが発生したときも、あの日のあの行動、体験は、生かしていく出来だと思います。

ただ、今でも少しまずかったのでは?と思うのは、「行方不明者らしきものが見える」との不確的情報から、夜中の山の中に捜索隊を出してしまったことです。

もちろん多人数で、GPS等の装備ももち、出来る限るの安全策をとった状態ではありましたが、しかし、昼間ならいざ知らず、夜中の山の中を歩くことは、やはり大きな危険を伴うものであったと思います。

しかも、その情報は結局は間違ったものでした。

幸い二重遭難が起こらなかったから良かったのですが、あの時は今一度、夜中の山中に捜索隊を出すことを考え直すべきだったように思います。

考えてみれば、あの時は、セーフティーコミッティー、タスクコミッティーの方々がそれぞれ自分の責任を感じられて、行方不明者の発見を急ぎ、少々焦ってしまっていたようにも思えます。

私も含め、やはりあの時は比較的冷静な人間が、客観的に判断し、夜中の山中の捜索を止めさせるべきであったのでは?と、考えています。

最後に、これは私事なのですが、あの時、ひとりの行方不明者を助けるために、その場にいた皆が見事にひとつになり、行動した出来事は、人生の中でも忘れられない出来事であったと思います。そして、今後もこの大事な経験は忘れてはいけないものの様に思えました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

砺波の教訓 その3

2008-10-02 21:59:50 | ハング(hangglider)

さて、辛口な評価が続いてしまいましたが、ここで、砺波のアクシデント時に、不幸にして雲に吸い込まれてしまった選手が、その後下した判断で、その結果どのようなことが起こったか紹介してみます。

まず、皆さんから頂いたアンケートを調べて見ると、雲中飛行に入ってしまった際、急いで高度を落として、雲から出ようとした選手が何人かいましたが、実は、この選手の多くが、方向や自分の居場所を見失い、山沈してしまう結果になってしまったようです。

反対に、方向を決めて、まっすぐに飛んでいった選手。これらの選手はほとんどは無事に雲から出られたという結果になっていました。

つまり、あってはいけないことですが、不幸にして、もし、雲中飛行になってしまった場合、慌てずに安全な方向にまっすぐに進んでいった方が良いというものでした。

しかし、このようなことが出来るのは、少なくとも、雲に吸い込まれる前に、どちらに逃げれば安全か、考えがまとまっていなければ当然出来ることではなく、そういった意味でも、やはり、積乱雲の位置等、そのときの気象を、はじめから観察していなければ出来ることではないでしょう。

いずれにしても、パニックを起こしてしまっては当然冷静な判断は出来ません。

まずは、そのような危険な状況に自分を置かない。ということが当然一番大事なことですが、不幸にして、もし、雲に吸い込まれてしまった場合は、ひとつの知識として、冷静に考えて一番安全と思える方向にまっすぐに逃げたほうが、より、確立の高い生還が可能であり、あまり、無理に高度処理を行って強引に雲から出ようとすると、良い結果には結びつきにくい。とうことが見えてきました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする