飛行中年

空を飛ぶことに薪ストーブ、そして、旅をこよなく愛する一人の中年のブログです。

「疾風」って、どんな飛行機?

2023-02-26 20:12:15 | ロマン飛行(romance of flying )

鹿児島県知覧町にある「平和祈念館」で保管されている「疾風」が…。

先日、重要航空遺産に指定されました!→こちら

この出来事、個人的にはかなりうれしいことです。

こんな素晴らしい設計がされた飛行機なんて、今では作れないのでは?と、思えるほど、疾風は素晴らしい飛行機

だからです!

そんなスゴイ設計がなされた疾風って、どんな飛行機だったのか…。

今夜はそんなお話です。

疾風は、第二次大戦時、日本の旧陸軍で使用された戦闘機です。

中島飛行機という会社が作り出しました。

旧日本軍が作った飛行機の中では「最強」と言われるほど、優れた性能をもっていました。(諸説あり…。)

2,000馬力級の「ハー45」エンジンを搭載し、充実した過給機を持っており…。

それなのに、当時の世界中の同クラスの、どの戦闘機よりも小型に出来ており、高い運動性を持っていました。

コレ、どのくらい凄かったかというと…。

このころ、アメリカで使用されていた、同じ2000馬力級の空冷エンジン搭載機に、「F6Fヘルキャット」という飛

行機がありましたが…。

単純に、この飛行機と疾風を比較すると…。

F6Fヘルキャット

重量 4.2トン   翼面積 31㎡

疾風

重量 2.7トン   翼面積 21㎡

これ、ほぼ同じ馬力のエンジンを搭載した飛行機のスペックなんです!

いかに疾風が小型軽量を追求した飛行機だったかが分かると思います。

更に…。

疾風には過給機、つまり、スーパーチャージャーが搭載されていましたが、これも、二段方式になっており、更

に、高高度になると、ギアチェンジして更に加給を強める、二速式構造になっていました。

ライバルのF6Fも、大型でありながら、ここまで加給を強める工夫はなされていませんでした。

小型ながらも、戦闘機に要求されるあらゆる要素を、バランスよく高次元でまとめ上げた戦闘機…。

それが、「疾風」だったんですね!

なのですが…。

なのですが…。

そんな高性能を持った疾風も、実は、実戦では大きな活躍を見ることはありませんでした…。

その理由は…。

高度なメカを持つ疾風を、当時、物資が不足していた日本軍が、維持しきれなかったこと…。

更に…。

この飛行機の高性能の要となる、ハー45エンジンが、本来の性能を出し切ることが出来なかったから…。

などが原因と言われています。

戦後、アメリカ軍が調査のために、引き揚げていった量産型疾風を、良質な燃料と点火栓に交換してテストしてみ

たら、大変な高性能を持っていたことが分かり、アメリカ人を驚嘆させた!なんて、逸話も残っています。

そのくらい、微妙な管理の差で、疾風はその高性能を出し切ることが出来なかった飛行機なんです…。

 

知覧の平和祈念館に行くと、この飛行機をいつでも見ることが出来ますが…。

とにかく、この疾風はきれいなんです!

2000馬力という高出力エンジンが搭載されているとは思えないくらい、スッキリした形状。

零戦より一回り程度大きな機体ではありますが、エンジン出力が倍もあること…。

中島飛行機が、苦心の末に完成させた戦闘機の形式…。

前縁が直線であること。

水平尾翼が前に、その後ろに垂直尾翼を配置していること…。

などの特徴があります。

これらは、一式戦闘機「隼」で確立した技術であり、その後同社で出来た「鍾馗」に受け継がれ…。

この疾風でも採用されました。

疾風は、あらゆる意味で、レシプロエンジン機としては完成された飛行機だったんですね!

…。

おそらくですが…。

これだけ美しく、完成された飛行機って、今の日本の航空技術者では作ることが出来ないのではないでしょうか?

だからこそ、この飛行機は後世まで残す必要があり、そのためにも、今回の重要航空遺産の指定は喜ばしいことだ

と私は思うのです!

 

ちなみに…。

この疾風を作った中島飛行機は、戦後、現在の富士重工「スバル」になったことは有名ですが…。

正確にいうと…。

中島飛行機の機体設計部門が、「スバル」になっています。

では、同じ中島飛行機で、疾風に搭載された高性能エンジン「ハー45」を作ったスタッフはどうなったのか…。

実は、このスタッフは、プリンス自動車を設立し、そこで、あのスカイラインやフェアレディを作ることになるん

です。

そして、これらの自動車は、ご存じのように現在でも、第一線を走ることになるんですね!

そういった意味でも、今回ご紹介した疾風は、忘れてはならない飛行機だと思います…。

 

 

 

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スペースジェットの失敗は、リサーチ不足?

2023-01-13 14:56:44 | ロマン飛行(romance of flying )

スペースジェット(旧MRJ)。

三菱航空機が、YS-11以来、久々の国産旅客機として開発していましたが…。

現在、暗礁に乗り上げてしまったことは、皆さんもご存じだと思います。

では、何故スペースジェットの開発は暗礁に乗り上げてしまったのでしょうか?

そこには、開発のごく初期段階での「リサーチ不足」があったようなのです…。

そもそも、飛行機は作ってすぐ、「はい飛ばしましょう!」というわけにはいかないものです。

「安全性の証明」が必要なのです。

この飛行機が安全であるかどうかを調べている機関が、日本では「JCAB」と言われているものです。

JCABは、日本で飛ぶ飛行機すべてについて、その安全性を審査しているわけです。

もちろん、国産の飛行機に対しても、JCABはその安全性を審査します。

スペースジェットも、もちろん、このJCABの審査を受けてパスしているため…。

日本国内に限り、飛行もできるし、販売もすることは出来ます。

しかし…。

私のような無知な人間が、こう言うのもおかしいかもしれませんが…。

JCABは、正直力不足で、国際的には信用されていないんです!

なぜならば…。

日本は現在、スペースジェットの試作を除けば、民間機を1機も作ってはいないからです。

だから…。

外国の航空会社は、そんな今一つ信用出来ないJCABの審査しか通っていないようなスペースジェットは、敬遠せざ

るを得ないんですね…。

…。

となると、スペースジェットも、国際的に信頼のある機関で審査して、世界中で飛ばせばいいじゃないか!

ということになりますよね。

その国際的に一番信用されているのが、アメリカのFAAという機関になります。

このFAAの歴史は古く、長期にわたって起こったすべての飛行機事故を把握しており、事故の度に再発防止策を講じ

て、二度と同じ原因の事故を繰り返さない努力を、ずっと続けているのです。

それだけに、事故防止策のノウハウをたくさん持っているため、国際的にも信用されているんですね!

この事故防止策について、長年の歴史を持っているだけに…。

実は、現在のFAAの審査基準は、ものすごく膨大で厳しいものになっています。

この膨大で厳しいFAAの審査基準。

日本にいては、処々の理由で、どうやら、そのFAAの審査基準を知ることが出来ないようなのです…。

だから…。

ホンダジェットは、アメリカにその製造拠点を設立しました!

ホンダジェットは、日本製ではなく、あくまで、日本資本が作ったアメリカの飛行機なんですね!

この、「アメリカ製の飛行機」ということが、上にも述べた、FAAの審査基準を、あらかじめ知ることが出来る

んです。

そのため、ホンダジェットの場合は、設計初期段階で、FAAの審査基準を反映させた設計で進めることが出来た

ので、その実用化に成功したんです。

対するスペースジェットはというと…。

すべて日本国内だけで、その開発がすすめられたため、FAAの審査基準が分からず、いざ、JCABの審査が通

って、いよいよFAAの審査という段階になってから、「なにこの飛行機?危なくない?」と、FAAからツッコ

ミが入ってしまったわけです。

このFAAからのツッコミ…。

実は、スペースジェットの設計の初期段階からやり直さなければいけない、とんでもないものだったのです!

…。

だから、スペースジェットは暗礁に乗り上げてしまったんですね!

考えてみれば、スペースジェットの開発の、ごく初期段階で、アメリカの会社との共同開発などの形をとっていれ

ば、このようなことにはならなかったはずなんです…。

かつて、三菱航空機の親会社である三菱重工は、MU-300というビジネスジェット機を作っています。

この時は、アメリカにも関連会社をおいて、FAAの情報をとっていました。詳細は→こちら

しかし、この飛行機、もう40年以上前に開発されたものです…。

私は勝手に思っているのですが、長年FAAの審査が必要な飛行機を作っていなかったため、このような基本的な

ことが分かる人材が、もはや、三菱航空機にはいなかったのではないか?

そう思えてしまうのです…。

 

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サンテグジュペリの死の真相 2

2020-02-11 17:16:59 | ロマン飛行(romance of flying )
星の王子さまの作者、サンテグジュペリ。

彼はコルシカ島付近を飛行中に、ドイツ軍機によって撃墜されたことになっています。

しかし、この出来事には、不思議な点があることについて、前回述べさせていただきました。

サンテグジュペリの乗っていた飛行機はP-38を改造したF-5B。高高度性能が優れた飛行機です。

それに対し、サンテグジュペリを撃墜したとされる飛行機は、Bf 109。P-38が飛ぶ高高度へはいけないはずの飛行機なのです…。



この不思議な点について、私は以前よりずいぶん考えていたのですが、これ以外には考えられないのでは?という一つの説を持っています。

その説とは…。

サンテグジュペリは、油断して低高度を飛んでしまったのではないか?

というものです。

実は、彼が墜落したコルシカ島は、彼が幼少のころ過ごした場所でもあります。

そして、ナチスはフランスに侵攻しながらも、まだ、コルシカ島付近はナチスの勢力域から離れていました。

つまり、ドイツ軍機があまり入ってこない空域だったのです。

そこで、サンテグジュペリは「まさかこの空域にドイツ軍機はいないだろう。」と考え、低空飛行してしまったのではないか?

低空飛行した理由は、彼は幼少のころ過ごした場所を、なるべく近くで見たかったのではないか?

という説です。

彼は、結構茶目っ気のある性格だったと聞いています。

また、誰よりも「飛行」を楽しむパイロットで、通常アメリカ軍は、30歳を過ぎるとパイロットは一線から退くならわしだったのを、彼は無理に4

0すぎまで、あらゆる手を使って飛行していたと聞いています。

そんな誰よりも飛ぶことを愛していた彼ならば、当然、人の目を盗んで、いたずらな飛び方をしていたとしても不思議はないと思えるのです。


もし、P-38とBf109が同高度で出会ったとしたら、速度、上昇性能で優れるP-38は、Bf109から逃げ切ることが出来ます。

P-38がBf109にやられるとしたら、圧倒的にP-38が低い位置にいたときです。

おそらくなんですが…。

サンテグジュペリは、懐かしい場所をもっとよく見ようとう、低空飛行をしていた時に、運悪くドイツ軍機がその上空にいたのではないか?

そう私は考えています。

P-38は独特な形をした飛行機ですから、見方機と間違うことはないので、ドイツ軍機は迷うことなく急降下をし、撃墜したと思います。


ちなみに…。

このドイツ軍機を操縦していたパイロットは、実はサンテグジュペリの作品を愛していたそうで、だから、ずっとそのことを話せないままでいたそう

です。






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サンテグジュペリの死の真相…。

2020-01-31 21:24:38 | ロマン飛行(romance of flying )
サンテグジュペリ…。

「星の王子さま」の著者です。

彼は小説家の顔のほかにも、「航空家」としての顔も持っており、第二次大戦にもパイロットとして参加。

アメリカ軍の偵察機を飛ばしています。

このサンテグジュペリの最後は、偵察任務遂行中に、コルシカ島付近での墜落だったのですが…。

この墜落について、「ドイツ機による撃墜説」と、「自殺説」の二つが言われていたのですが、彼を撃墜したドイツパイロットが名乗りを上げ

たため、現在は「撃墜説」で落ち着いています。


しかしこの撃墜説。実は、飛行機を専門的な目で見ていくと、不思議な点が浮かび上がってくるのです…。






サンテグジュペリが最後に搭乗していた飛行機は、アメリカ陸軍のP-38戦闘機を、偵察機に改良したF-

5B
です。



双胴の個性的な形をしていますが、この飛行機、もともと高高度戦闘機として開発されたため、このような独特な形になりました。

高高度戦闘機とは、第二次大戦中、高高度を飛ぶ爆撃機の護衛のため、あるいは、その当時は、戦闘機同士の戦いでは、最初に高度が高かった方が戦

闘を有利に進められるために、特別に開発された機体ことを言います。

なぜ、このような形の双胴の機体が、高高度戦闘機として都合が良いのかというと…。



上の図は、P-38の内部構造を表した図ですが、エンジンの後ろに注目していただきたいのです。

いろいろな機器が配置されていませんか?

これは何かというと…。

高高度を飛ぶために、エンジンに圧縮空気を送るための、ターボチャージャー、インタークーラー、スーパーチャージャー、更に、緊急時に無理やりエ

ンジン出力を上げるためにエンジンにぶち込む水とエタノールのタンクなども見ることが出来ます。

つまり、P-38は、高高度を飛行するために、胴体の中のこれだけのスペースを使って、必要な機器が装備された飛行機なのです。

対する、サンテグジュペリ機を撃墜したというパイロットが乗っていた飛行機は、Bf109



旧ドイツ空軍の主力戦闘機です。

ダイムラーベンツ製のV型12気筒エンジンが積まれた飛行機ですが、見てください。

エンジンの後ろがすぐ操縦席となっているため、P-38のように充実した過給機を積むことが出来ない構造になっているのです。

もちろん大戦後期になると、同じBf109でも「Kタイプ」なども現れて、高高度性能向上型なども出現しているのですが…。

所詮は付け焼刃…。最初から純粋な高高度戦闘機として開発されたP-38にかなうはずがないのです。

つまり、何が言いたいかというと…。

サンテグジュペリの任務は敵地の偵察。ならば、敵に落とされないように目いっぱいP-38の性能を使い切って、ドイツ機が来ることが出来

ない高い高度を飛ぶはずなのです!


本当にサンテグジュペリがドイツ機に撃墜されたとしたら、Bf109が容易に飛べる低い高度を飛んでいたことになるのです!

これはちょっと偵察機パイロットにしては間抜けなのでは?…。と、思えてしまうのです。

ならば、自殺説の方が正しいのか…。

昔は私もそう考えていたのですが…。

実は、「星の王子さま」の物語を読み込んでみると…。

星の王子さまは、この物語の中で、キツネと仲が良くなり(このキツネが、彼の親友レオンウェルトを表している)、このキツネから

本当に大事なことは何かをいくつか教えられているのですが、この会話の中で…。

面倒を見た相手には、いつまでも責任があるんだ。守らなきゃならないんだよ、バラとの約束をね…。

いう会話があるのです。

面倒を見た相手とは、サンテグジュペリの元妻、コンスエロを表しているといわれています。

コンスエロは浪費家だったため、サンテグジュペリは嫌になって彼女と別れて、単身アメリカに亡命。軍のパイロットになったと言われています。

そのサンテグジュペリが、キツネとの会話の中で、「面倒を見た相手には、いつまでも責任がある…。」と言っているということは、

つまり…。

コンスエロとやり直すこと!

を、考えていたといってもいいと思うのです…。

そんな彼が、果たして、そのコンスエロを見捨てて、「自殺」という道を選ぶであろうか…。


そんな疑問が私の中に沸き上がったのです…。

そして、私の中で「これならば疑問の多いサンテグジュペリの死の真相が説明できるのでは?」という一つの仮説に至りました。

その仮説についての説明は、長くなりましたのでまた次回!

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日本で熱気球世界選手権を開いた男

2017-03-19 09:15:37 | ロマン飛行(romance of flying )
先日、ハンググライダーの教員検定員(教員を教育する検定員)の研修会が開催された。

今回は優秀な講師の方々が来てくださったので、特に私の出る幕はなかったのであるが…。

今回の講義で、どうしても聞きたかったものがあった。

それが、この日本で熱気球世界選手権を開いた立役者、町田耕造氏の講義だ。

この方、熱気球をこよなく愛し、1980年ごろから熱気球というスポーツを活性化するために多くの大会を企画。

ついには佐賀県で世界選手権までも開催させてしまった張本人なのである。

この町田氏については、私は以前から大変興味を持っていた。

ハンググライダー業界よりもはるかに人口が少ない熱気球業界。

しかし、ハンググライダーとは比べ物にならないくらい社会貢献性の高い大会を開き、そして、そのことは熱気球というスポーツを活性化している…。

実に素晴らしい仕事をされているのだ。

どうすれば町田氏のように、町や行政を動かし、素晴らしい大会が開けるのか…。

私はどうしてもその秘密が知りたかった。




町田氏の講義は1時間余り…。

はっきり言って時間が少なすぎたが、しかし、その分大変内容の濃い講義であった。

まず町田氏が言われたことは、

地方自治体といったものは、自分たちを宣伝するために、イベントやお祭りを好む。

それは大きなお金がその地域に落ちることになるからだ。

しかし、そのイベントやお祭りは人を引きつけるものでなければならない。

その人をひきつけるものとして、スカイスポーツは有効である。

スカイスポーツでその地域の町おこしをすれば、大きな大会を開くことが出来るのだ!

ということなのである。

もっと分かりやすく言うと、大会運営側は、主に大会についての企画を手掛けて行けば良い。

お祭りとして盛り上げるのは、市や町の方であり、まずは市長などから口説き落とせば、青年会議所なども動き出し、ちゃんとお祭りとしての形を整えてくれる。

そのことは、市や町を世間に広くアピールし、そして、大きなお金がその地域に落ちることになるからだ。

町田氏はとにかくこのことを利用しない手はない!というのだ。


また、そのイベントでは、熱気球の大会だけにとらわれるのではなく、世間が必要としている企画も同時に開催することも効果的らしい。

例えば、佐久の熱気球イベント。

熱気球だけでなく、テーマに「子供たちに夢を」というものを設定し、子供が魚を手づかみしたり、田植えをしてみたりという自然体験をさせてみるということも企画されている。

これはなかなか体験できないことなので、意外と遠方からでも人を引っ張れる可能性があるとのことである。

このように、熱気球の競技だけにとらわれるのではなく、様々な人たちが楽しめるように、いろいろなことを企画することが、多くの人を集めることなる。そうだ。

確かに私もその通りだと感じた。

実は、昨年の夏、私は北海道は上士幌で開催された熱気球の大会を見学する機会があった。

会場に行ってみると、大きな駐車場は既に車で満杯状態…。

大会会場は50ほどのブースがあり、ものすごくにぎやかなのである。

食べ物屋が多く並び、地元の方たちのお店もあり…。

その中心では「アンパンマンショー」が開かれていて、子供たちも喜んでいる…。

でも、そこには実は熱気球は見当たらない…。

よく見ると、大会会場の横に、しぼんだ熱気球が一機置いているだけであった。

熱気球の競技自体は早朝に終了していたのだ。

それでも大会会場は人でいっぱいなのである…。


ちょっと不思議な光景に見えたが、人は元来お祭り好き…。

人が集まり、多くのお金がその地域に落ちれば、その地域が喜んでくれ、熱気球の大会も開きやすくなるのである。



私は、ハンググライダーの人間ではあるが、このような熱気球の人たちの努力は、大いに見習わなければならないことだと思う。

現在のハンググライダーの競技といえば、選手のみが集まり、人知れず行われている。

日本選手権ですら、地域の人たちがその開催を知らないことが多い。

そんな小規模な大会ばかりが開かれ、地域には何も利益をもたらされない。

これが続けられてしまうと、当然競技人口は減り続けてしまう。

実際、今のハンググライダーの大会は人が集まらなくなり、その開催をも危ぶまれているのもさえある。

また、何かそのエリアで問題が起こったとき、社会貢献性のある大会を開いていないと、その大会、あるいは、そのエリアの存続の問題に直結してしまう…。

今のハンググライダー界はそのことが見えていないのではないであろうか?


私は、今のハンググライダー界は熱気球の人たちがやっていることを学び、そして、自分たちの業界を盛り上げることを考えなければならないと思う。

そうしないと、大会そのものも開けなくなり、ハンググライダーというスポーツそのものが消滅してしまう危険性すらあると思う。




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