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飛行中年

空を飛ぶことに薪ストーブ、そして、旅をこよなく愛する一人の中年のブログです。

エドガーシュミード。

2024-09-30 07:55:17 | ロマン飛行(romance of flying )

P-51 ムスタング

F-86 セーバー

T-38 タロン

形も年代も違うこれらの飛行機。

実は、これらの飛行機には大きな共通点があります。

それは…。

設計者が同じエドガーシュミードという方なんです。

飛行機好きの方なら分かると思うのですが、上にあげた飛行機は、どれも名機と言われるものばかりです。

実は、私自身も最近この事実に気がつきました。

そして、そのことに気がついてから、このエドガーシュミードという方が気になりだしたのです…。

 

まずは上にあげた飛行機が、どれだけ凄いのかご紹介します。

まずはP-51

この飛行機は第二次大戦中の最高傑作と言われる戦闘機です。

日本の零戦よりも、戦闘時の速度が200キロも早く、大いに日本軍を苦しめました。

このP-51、速度が速いのには理由があります。

P-51は、当時最先端の技術であった「層流翼」を積極的に取り入れたからです。

層流翼は、当時理論は確立していましたが、正直、まだ海のものとも山のものともつかない代物…。

実際当時の技術でこの層流翼を取り入れようとすると、飛行機の重量が重くなってしまう可能性があったのです。

しかし、エドガーはこの層流翼の優れた特性を十分に理解し…。

翼の厚みを増して、構造的に軽くつくれるようにし、敢えて柔らかいアルミ材を外板に使い、凹凸のないきれいな翼の表

面に仕上げました。

零戦とは反対の設計思想で、零戦は軽量化のため、翼の表面の凹凸には目をつぶっていたのです。

それが…。

大戦が進むにつれ、飛躍的にエンジンの馬力が上がり…。

プロペラ戦闘機の速度も600Km/hを越えるようになると…。

この翼の表面の凹凸が大いに問題になってきたのです。

零戦は馬力を増していっても、なかなか速度が上がりません。

しかし、P-51は馬力の上昇と共に、大いにその層流翼の特性が生かされるようになったのです…。

 

次にF-86をご紹介します。

これも名機中の名機。

アメリカ空軍の主力戦闘機になりましたが、日本の航空自衛隊も、主力機として導入しましたよね!

当時、ドイツ人が唱えた主翼に後退角をつけるという理論を、積極的に取り入れました。

これにより、当時ライバルだった他のジェット戦闘機よりも、戦闘速度を100Km/hほど上げることが出来ました。

主翼に後退角を付けることは、機体重量を増すことになりますが、しかし、速度が上がることにより、ジェットエンジン

のラム圧による圧縮比も上がり、結果的に飛行機の航続距離を上げることにつながりました。

 

最後にT-38

この飛行機は最初は練習機として開発されました。

安価な標的用の量産ジェットエンジンを2基つみ…。

とにかく扱いやすくなるように、極力飛行機の小型化をすすめました。

その結果、整備性、性能、そして価格面についても、優れたものを持つことが出来ました。

あまりにT-38が優秀だったため、直ぐにこの飛行機をベースにして、F-5という戦闘機型が開発されました。

T-38とウリ二つですよね!

この戦闘機F-5は、あまりに優秀な性能を持っていたため、アメリカだけでなく、18カ国で運用されることになりま

す。

そして22年後…。

再びこのF-5の、整備性、性能、価格に注目され、最新技術で改良され、新しい戦闘機が開発されます。

F-20ですね!

このF-20は、基本設計が20数年前のエドガーシュミードのまま、エンジンをターボファンエンジン1基にし…。

最新のアビオニクスを取り入れた結果、あのF-16と同等の性能を発揮しました。

しかも、F-16よりもずっと安価に作ることが出来たのです。

しかし、名機であったはずのこのF-20も、政治的な圧力が加わったため、残念ながら3機しか作られずに終わってしまい

ました。

名機F-20の悲劇に、日本の漫画家新谷かおる氏が着目し、エリア88では主人公風間真の愛機として登場させていました

よね!

ここで凄いのは、エドガーシュミードが基本設計をした飛行機が、それから20年以上たって登場したF-16と同等だったと

いうことです!

移り変わりの激しい航空業界では、これはとんでもないことです!

 

今までお話ししたことをまとめますと…。

エドガーシュミードは、飛行機を深く理解し、移り変わりの激しい航空業界の技術の進化も予測し、高い次元でまとめら

た飛行機を設計していた! ということなんです。

まさに天才中の天才なんですよね!

 

エドガーの設計したF-5は、あまりに優秀だったため、この飛行機、のちのF-15の設計、そして、F-17 (F-18の前身)

の設計にも影響を与えたと言われています。

つまり…。

現在運用されている戦闘機の多くが、エドガーシュミードの設計思想が影響を与えているというとですね!

 

…。

ここで、ちょっとお分かりの方がいらっしゃいましたら、コメント頂きたいのですが…。

実は、このエドガー―シュミード。晩年になってからハンググライダーも設計していたという噂を、私、30年以上前に聞

いてたような気がするのです…。

機体は、かつてあったアメリカ、UP社のコメット…。

あまりに古い情報なので、確かめようがないのですが、ご存じの方がいらっしゃいましたら教えてください!

 

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スペースジェットの失敗は、リサーチ不足?

2023-01-13 14:56:44 | ロマン飛行(romance of flying )

スペースジェット(旧MRJ)。

三菱航空機が、YS-11以来、久々の国産旅客機として開発していましたが…。

現在、暗礁に乗り上げてしまったことは、皆さんもご存じだと思います。

では、何故スペースジェットの開発は暗礁に乗り上げてしまったのでしょうか?

そこには、開発のごく初期段階での「リサーチ不足」があったようなのです…。

そもそも、飛行機は作ってすぐ、「はい飛ばしましょう!」というわけにはいかないものです。

「安全性の証明」が必要なのです。

この飛行機が安全であるかどうかを調べている機関が、日本では「JCAB」と言われているものです。

JCABは、日本で飛ぶ飛行機すべてについて、その安全性を審査しているわけです。

もちろん、国産の飛行機に対しても、JCABはその安全性を審査します。

スペースジェットも、もちろん、このJCABの審査を受けてパスしているため…。

日本国内に限り、飛行もできるし、販売もすることは出来ます。

しかし…。

私のような無知な人間が、こう言うのもおかしいかもしれませんが…。

JCABは、正直力不足で、国際的には信用されていないんです!

なぜならば…。

日本は現在、スペースジェットの試作を除けば、民間機を1機も作ってはいないからです。

だから…。

外国の航空会社は、そんな今一つ信用出来ないJCABの審査しか通っていないようなスペースジェットは、敬遠せざ

るを得ないんですね…。

…。

となると、スペースジェットも、国際的に信頼のある機関で審査して、世界中で飛ばせばいいじゃないか!

ということになりますよね。

その国際的に一番信用されているのが、アメリカのFAAという機関になります。

このFAAの歴史は古く、長期にわたって起こったすべての飛行機事故を把握しており、事故の度に再発防止策を講じ

て、二度と同じ原因の事故を繰り返さない努力を、ずっと続けているのです。

それだけに、事故防止策のノウハウをたくさん持っているため、国際的にも信用されているんですね!

この事故防止策について、長年の歴史を持っているだけに…。

実は、現在のFAAの審査基準は、ものすごく膨大で厳しいものになっています。

この膨大で厳しいFAAの審査基準。

日本にいては、処々の理由で、どうやら、そのFAAの審査基準を知ることが出来ないようなのです…。

だから…。

ホンダジェットは、アメリカにその製造拠点を設立しました!

ホンダジェットは、日本製ではなく、あくまで、日本資本が作ったアメリカの飛行機なんですね!

この、「アメリカ製の飛行機」ということが、上にも述べた、FAAの審査基準を、あらかじめ知ることが出来る

んです。

そのため、ホンダジェットの場合は、設計初期段階で、FAAの審査基準を反映させた設計で進めることが出来た

ので、その実用化に成功したんです。

対するスペースジェットはというと…。

すべて日本国内だけで、その開発がすすめられたため、FAAの審査基準が分からず、いざ、JCABの審査が通

って、いよいよFAAの審査という段階になってから、「なにこの飛行機?危なくない?」と、FAAからツッコ

ミが入ってしまったわけです。

このFAAからのツッコミ…。

実は、スペースジェットの設計の初期段階からやり直さなければいけない、とんでもないものだったのです!

…。

だから、スペースジェットは暗礁に乗り上げてしまったんですね!

考えてみれば、スペースジェットの開発の、ごく初期段階で、アメリカの会社との共同開発などの形をとっていれ

ば、このようなことにはならなかったはずなんです…。

かつて、三菱航空機の親会社である三菱重工は、MU-300というビジネスジェット機を作っています。

この時は、アメリカにも関連会社をおいて、FAAの情報をとっていました。詳細は→こちら

しかし、この飛行機、もう40年以上前に開発されたものです…。

私は勝手に思っているのですが、長年FAAの審査が必要な飛行機を作っていなかったため、このような基本的な

ことが分かる人材が、もはや、三菱航空機にはいなかったのではないか?

そう思えてしまうのです…。

 

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サンテグジュペリの死の真相 2

2020-02-11 17:16:59 | ロマン飛行(romance of flying )
星の王子さまの作者、サンテグジュペリ。

彼はコルシカ島付近を飛行中に、ドイツ軍機によって撃墜されたことになっています。

しかし、この出来事には、不思議な点があることについて、前回述べさせていただきました。

サンテグジュペリの乗っていた飛行機はP-38を改造したF-5B。高高度性能が優れた飛行機です。

それに対し、サンテグジュペリを撃墜したとされる飛行機は、Bf 109。P-38が飛ぶ高高度へはいけないはずの飛行機なのです…。



この不思議な点について、私は以前よりずいぶん考えていたのですが、これ以外には考えられないのでは?という一つの説を持っています。

その説とは…。

サンテグジュペリは、油断して低高度を飛んでしまったのではないか?

というものです。

実は、彼が墜落したコルシカ島は、彼が幼少のころ過ごした場所でもあります。

そして、ナチスはフランスに侵攻しながらも、まだ、コルシカ島付近はナチスの勢力域から離れていました。

つまり、ドイツ軍機があまり入ってこない空域だったのです。

そこで、サンテグジュペリは「まさかこの空域にドイツ軍機はいないだろう。」と考え、低空飛行してしまったのではないか?

低空飛行した理由は、彼は幼少のころ過ごした場所を、なるべく近くで見たかったのではないか?

という説です。

彼は、結構茶目っ気のある性格だったと聞いています。

また、誰よりも「飛行」を楽しむパイロットで、通常アメリカ軍は、30歳を過ぎるとパイロットは一線から退くならわしだったのを、彼は無理に4

0すぎまで、あらゆる手を使って飛行していたと聞いています。

そんな誰よりも飛ぶことを愛していた彼ならば、当然、人の目を盗んで、いたずらな飛び方をしていたとしても不思議はないと思えるのです。


もし、P-38とBf109が同高度で出会ったとしたら、速度、上昇性能で優れるP-38は、Bf109から逃げ切ることが出来ます。

P-38がBf109にやられるとしたら、圧倒的にP-38が低い位置にいたときです。

おそらくなんですが…。

サンテグジュペリは、懐かしい場所をもっとよく見ようとう、低空飛行をしていた時に、運悪くドイツ軍機がその上空にいたのではないか?

そう私は考えています。

P-38は独特な形をした飛行機ですから、見方機と間違うことはないので、ドイツ軍機は迷うことなく急降下をし、撃墜したと思います。


ちなみに…。

このドイツ軍機を操縦していたパイロットは、実はサンテグジュペリの作品を愛していたそうで、だから、ずっとそのことを話せないままでいたそう

です。






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サンテグジュペリの死の真相…。

2020-01-31 21:24:38 | ロマン飛行(romance of flying )
サンテグジュペリ…。

「星の王子さま」の著者です。

彼は小説家の顔のほかにも、「航空家」としての顔も持っており、第二次大戦にもパイロットとして参加。

アメリカ軍の偵察機を飛ばしています。

このサンテグジュペリの最後は、偵察任務遂行中に、コルシカ島付近での墜落だったのですが…。

この墜落について、「ドイツ機による撃墜説」と、「自殺説」の二つが言われていたのですが、彼を撃墜したドイツパイロットが名乗りを上げ

たため、現在は「撃墜説」で落ち着いています。


しかしこの撃墜説。実は、飛行機を専門的な目で見ていくと、不思議な点が浮かび上がってくるのです…。






サンテグジュペリが最後に搭乗していた飛行機は、アメリカ陸軍のP-38戦闘機を、偵察機に改良したF-

5B
です。



双胴の個性的な形をしていますが、この飛行機、もともと高高度戦闘機として開発されたため、このような独特な形になりました。

高高度戦闘機とは、第二次大戦中、高高度を飛ぶ爆撃機の護衛のため、あるいは、その当時は、戦闘機同士の戦いでは、最初に高度が高かった方が戦

闘を有利に進められるために、特別に開発された機体ことを言います。

なぜ、このような形の双胴の機体が、高高度戦闘機として都合が良いのかというと…。



上の図は、P-38の内部構造を表した図ですが、エンジンの後ろに注目していただきたいのです。

いろいろな機器が配置されていませんか?

これは何かというと…。

高高度を飛ぶために、エンジンに圧縮空気を送るための、ターボチャージャー、インタークーラー、スーパーチャージャー、更に、緊急時に無理やりエ

ンジン出力を上げるためにエンジンにぶち込む水とエタノールのタンクなども見ることが出来ます。

つまり、P-38は、高高度を飛行するために、胴体の中のこれだけのスペースを使って、必要な機器が装備された飛行機なのです。

対する、サンテグジュペリ機を撃墜したというパイロットが乗っていた飛行機は、Bf109



旧ドイツ空軍の主力戦闘機です。

ダイムラーベンツ製のV型12気筒エンジンが積まれた飛行機ですが、見てください。

エンジンの後ろがすぐ操縦席となっているため、P-38のように充実した過給機を積むことが出来ない構造になっているのです。

もちろん大戦後期になると、同じBf109でも「Kタイプ」なども現れて、高高度性能向上型なども出現しているのですが…。

所詮は付け焼刃…。最初から純粋な高高度戦闘機として開発されたP-38にかなうはずがないのです。

つまり、何が言いたいかというと…。

サンテグジュペリの任務は敵地の偵察。ならば、敵に落とされないように目いっぱいP-38の性能を使い切って、ドイツ機が来ることが出来

ない高い高度を飛ぶはずなのです!


本当にサンテグジュペリがドイツ機に撃墜されたとしたら、Bf109が容易に飛べる低い高度を飛んでいたことになるのです!

これはちょっと偵察機パイロットにしては間抜けなのでは?…。と、思えてしまうのです。

ならば、自殺説の方が正しいのか…。

昔は私もそう考えていたのですが…。

実は、「星の王子さま」の物語を読み込んでみると…。

星の王子さまは、この物語の中で、キツネと仲が良くなり(このキツネが、彼の親友レオンウェルトを表している)、このキツネから

本当に大事なことは何かをいくつか教えられているのですが、この会話の中で…。

面倒を見た相手には、いつまでも責任があるんだ。守らなきゃならないんだよ、バラとの約束をね…。

いう会話があるのです。

面倒を見た相手とは、サンテグジュペリの元妻、コンスエロを表しているといわれています。

コンスエロは浪費家だったため、サンテグジュペリは嫌になって彼女と別れて、単身アメリカに亡命。軍のパイロットになったと言われています。

そのサンテグジュペリが、キツネとの会話の中で、「面倒を見た相手には、いつまでも責任がある…。」と言っているということは、

つまり…。

コンスエロとやり直すこと!

を、考えていたといってもいいと思うのです…。

そんな彼が、果たして、そのコンスエロを見捨てて、「自殺」という道を選ぶであろうか…。


そんな疑問が私の中に沸き上がったのです…。

そして、私の中で「これならば疑問の多いサンテグジュペリの死の真相が説明できるのでは?」という一つの仮説に至りました。

その仮説についての説明は、長くなりましたのでまた次回!

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C-46の思い出…。

2016-03-27 20:31:20 | ロマン飛行(romance of flying )
C-46と聞いて「あ!あの飛行機…。」と分かる方は、よほどの航空マニアだろう…。

かつて日本の空を飛んでいたC-46…。

私が中学生だったころまでは、確かまだ現役で飛んでいた飛行機である。



このC-46は、銀色に輝くアルミ合金と、腹に響くような重低音を響かせる星形レシプロエンジンを搭載し、かつてあった本当の飛行機

らしい匂いを醸し出している飛行機としては、最後まで頑張って日本の空を飛んでいた飛行機なのである。


時代が進み、飛行機がジェット化し、複合材の採用、そして、コンピューター制御と味気ないものに変わってしまった現在、妙にこ

のレシプロエンジンのC-46が懐かしくて仕方ないのである…。


私は和歌山の南の方の出身なのであるが、子供のころはよくこのC-46のエンジン音を聞いていた。

大出力星形エンジンのみが持つ、独特の「ゴロゴロ」という重低音と共に飛行するC-46をよく眺めていたものである。

はっきりとはしない情報なのであるが、私が小学生くらいの時に両親に聞いた記憶だと、確かこのC-46は紀伊半島突端の大島の航空自衛隊の基

地から飛び立っていたと聞いた記憶がある。

相当怪しい記憶であるが、でも、しょっちゅうこのC-46の飛行を子供のころ見ていたので、基地が近くにあったことだけは間違いないと思う。

このC-46。2000馬力級の星形エンジンを2基搭載したアメリカ カーチス社の作った輸送機なのであるが、2発エンジンの飛行機としては史上最

大のもので、第二次世界大戦中に活躍。戦後は日本の航空自衛隊に採用となり日本国内で飛行していたものらしい。

後から調べて分かったのであるが、このC-46に搭載されていたエンジンは、かつて日本軍を苦しめたコルセア、ヘルキャットに乗せられていた

エンジンと同型とのことである。



飛行機もどんどん進化を遂げて現在の姿へと変わってきたが、正直現在の飛行機は、なんか、飛行機というよりもコンピュータでかためられたただの機械を見てい

るような気になってしまう…。


その点、今回ご紹介するC-46はアナログっぽく、本当の飛行機らしい飛行機として妙に懐かしく感じるのである。

航空自衛隊では、かつて、このC-46を「空のデゴイチ」という愛称をつけていたそうであるが、なるほどうなずけるものがある。




正直、このC-46の飛行を生でみた記憶を持っているのは、私世代が最後だと思う。

今はもう、あの独特な「ゴロゴロ」っという重低音の星形レシプロエンジンの音はなかなか聞けないであろう。

単列の小排気量星形エンジンならば、まだ、日本国内でも生きている飛行機はあるようなのであるが、C-46のような2000馬力級ではおそらく現存していないと思う。

私はC-46のような本当に飛行機らしい飛行機が飛ぶのを、リアルタイムで見れていたことが今更ながら幸運であったと最近思えるようになった…。









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