今回、以前より私が調べていました特攻機「神龍」について、その実物大模型があると聞き、四国は香川県の矢立峠まで足を運んだわけで
すが…。
それではなぜ、この矢立峠に神龍の実物大模型があるのか?
神龍は、このブログでもご紹介したように、私の住む茨城県は石岡市で開発された機体です。
一体この矢立峠と神龍にはどんな関係があるのか?
私が香川県まで赴いたのは、これを調べることも一つの目的だったのです。
で、これについてはわかりました!
実は、この神龍の実物大模型を作るという企画は、この街にお住いのY氏が立ち上げたものなのですが、このY氏の恩師のN氏が、昔予科練生として
茨城で訓練を受けていて、その恩師N氏の同期にあたるI氏が、この神龍を使って特攻するための訓練を受けていたのだそうです。
そのI氏の話をN氏が聞き、その話を更にY氏に伝え、この事実をの後世に伝えなければいけないというY氏の思いの元、神龍の実物大模型を作って矢
立峠に展示することになったようです。
そして、この神龍が展示されている公園には、皆さんに是非とも読んでいただきたい看板がありました。
その内容は…。
問題。太平洋戦争での戦死者で、飢餓と海死(船の沈没による死)によるものは、全体の何パーセントでしょうか?
答えは70パーセント!
上記の理由の死以外にも、戦地ではマラリアなどによる病気の死や、事故死なども多かったと聞きます。
つまり…。
皆さんは戦争というと、いわゆる戦闘で命を落とすものというイメージがあると思うのですが、実際は、大半の兵
士が上記のような戦闘以外の理由で命を落としているのです。
他にもこの公園には、戦争が起こった理由などを記した看板も設置されており、それらを読むと、太平洋戦争がいかに無情なものであったのかを
知ることができます。
「特攻」の本当の目的って、皆さんお判りでしょうか?
戦果をあげること…。
確かに、特攻が始まった当初はその目的だったのですが…。
戦局が悪化し、海軍の空母や戦艦がほとんど沈められて、日本の負けが「確定的」になってから、特攻の目的は変わりました。
その目的とは、徹底的に交戦することにより、敗戦条件を良くすること…。
当時は「国体維持」と言っていましたが、日本は敗戦後日本の国が混乱しないように、主に「天皇制」の存続を目的とて、若い兵士に特攻を強制さ
せたのです。
表向きは、特攻は「本人希望」の形をとっていましたが、実際はとても特攻が拒否できる雰囲気ではなかったそうです。
もともとは、満州国で軍が暴走して始まってしまった日中戦争。
そこから、太平洋戦争へと発展してしまい、日本の状況は最悪になりました。
これらの責任を取るため…。
いわば軍の「尻ぬぐい」をするために…。
若い兵士たちが、次々と特攻していったのです。
そのおかげで…。
日本の天皇制は存続し、戦後の日本は大きな混乱を避けることができたのです。
この歴史の流れについては、是非とも皆さんに知っておいてもらいたいと、私は思います。
すが…。
それではなぜ、この矢立峠に神龍の実物大模型があるのか?
神龍は、このブログでもご紹介したように、私の住む茨城県は石岡市で開発された機体です。
一体この矢立峠と神龍にはどんな関係があるのか?
私が香川県まで赴いたのは、これを調べることも一つの目的だったのです。
で、これについてはわかりました!
実は、この神龍の実物大模型を作るという企画は、この街にお住いのY氏が立ち上げたものなのですが、このY氏の恩師のN氏が、昔予科練生として
茨城で訓練を受けていて、その恩師N氏の同期にあたるI氏が、この神龍を使って特攻するための訓練を受けていたのだそうです。
そのI氏の話をN氏が聞き、その話を更にY氏に伝え、この事実をの後世に伝えなければいけないというY氏の思いの元、神龍の実物大模型を作って矢
立峠に展示することになったようです。
そして、この神龍が展示されている公園には、皆さんに是非とも読んでいただきたい看板がありました。
その内容は…。
問題。太平洋戦争での戦死者で、飢餓と海死(船の沈没による死)によるものは、全体の何パーセントでしょうか?
答えは70パーセント!
上記の理由の死以外にも、戦地ではマラリアなどによる病気の死や、事故死なども多かったと聞きます。
つまり…。
皆さんは戦争というと、いわゆる戦闘で命を落とすものというイメージがあると思うのですが、実際は、大半の兵
士が上記のような戦闘以外の理由で命を落としているのです。
他にもこの公園には、戦争が起こった理由などを記した看板も設置されており、それらを読むと、太平洋戦争がいかに無情なものであったのかを
知ることができます。
「特攻」の本当の目的って、皆さんお判りでしょうか?
戦果をあげること…。
確かに、特攻が始まった当初はその目的だったのですが…。
戦局が悪化し、海軍の空母や戦艦がほとんど沈められて、日本の負けが「確定的」になってから、特攻の目的は変わりました。
その目的とは、徹底的に交戦することにより、敗戦条件を良くすること…。
当時は「国体維持」と言っていましたが、日本は敗戦後日本の国が混乱しないように、主に「天皇制」の存続を目的とて、若い兵士に特攻を強制さ
せたのです。
表向きは、特攻は「本人希望」の形をとっていましたが、実際はとても特攻が拒否できる雰囲気ではなかったそうです。
もともとは、満州国で軍が暴走して始まってしまった日中戦争。
そこから、太平洋戦争へと発展してしまい、日本の状況は最悪になりました。
これらの責任を取るため…。
いわば軍の「尻ぬぐい」をするために…。
若い兵士たちが、次々と特攻していったのです。
そのおかげで…。
日本の天皇制は存続し、戦後の日本は大きな混乱を避けることができたのです。
この歴史の流れについては、是非とも皆さんに知っておいてもらいたいと、私は思います。