飛行中年

空を飛ぶことに薪ストーブ、そして、旅をこよなく愛する一人の中年のブログです。

特攻機「神龍」について、更に調べました。 その3

2021-01-28 16:56:51 | 日記(diary)
今回、以前より私が調べていました特攻機「神龍」について、その実物大模型があると聞き、四国は香川県の矢立峠まで足を運んだわけで

すが…。




それではなぜ、この矢立峠に神龍の実物大模型があるのか?

神龍は、このブログでもご紹介したように、私の住む茨城県は石岡市で開発された機体です。

一体この矢立峠と神龍にはどんな関係があるのか?

私が香川県まで赴いたのは、これを調べることも一つの目的だったのです。

で、これについてはわかりました!

実は、この神龍の実物大模型を作るという企画は、この街にお住いのY氏が立ち上げたものなのですが、このY氏の恩師のN氏が、昔予科練生として

茨城で訓練を受けていて、その恩師N氏の同期にあたるI氏が、この神龍を使って特攻するための訓練を受けていたのだそうです。

そのI氏の話をN氏が聞き、その話を更にY氏に伝え、この事実をの後世に伝えなければいけないというY氏の思いの元、神龍の実物大模型を作って矢

立峠に展示することになったようです。

そして、この神龍が展示されている公園には、皆さんに是非とも読んでいただきたい看板がありました。

その内容は…。

問題。太平洋戦争での戦死者で、飢餓と海死(船の沈没による死)によるものは、全体の何パーセントでしょうか?

答えは70パーセント!

上記の理由の死以外にも、戦地ではマラリアなどによる病気の死や、事故死なども多かったと聞きます。

つまり…。

皆さんは戦争というと、いわゆる戦闘で命を落とすものというイメージがあると思うのですが、実際は、大半の兵

士が上記のような戦闘以外の理由で命を落としているのです。


他にもこの公園には、戦争が起こった理由などを記した看板も設置されており、それらを読むと、太平洋戦争がいかに無情なものであったのかを

知ることができます。


「特攻」の本当の目的って、皆さんお判りでしょうか?

戦果をあげること…。

確かに、特攻が始まった当初はその目的だったのですが…。

戦局が悪化し、海軍の空母や戦艦がほとんど沈められて、日本の負けが「確定的」になってから、特攻の目的は変わりました。

その目的とは、徹底的に交戦することにより、敗戦条件を良くすること…。

当時は「国体維持」と言っていましたが、日本は敗戦後日本の国が混乱しないように、主に「天皇制」の存続を目的とて、若い兵士に特攻を強制さ

せたのです。

表向きは、特攻は「本人希望」の形をとっていましたが、実際はとても特攻が拒否できる雰囲気ではなかったそうです。

もともとは、満州国で軍が暴走して始まってしまった日中戦争。

そこから、太平洋戦争へと発展してしまい、日本の状況は最悪になりました。

これらの責任を取るため…。

いわば軍の「尻ぬぐい」をするために…。

若い兵士たちが、次々と特攻していったのです。

そのおかげで…。

日本の天皇制は存続し、戦後の日本は大きな混乱を避けることができたのです。

この歴史の流れについては、是非とも皆さんに知っておいてもらいたいと、私は思います。




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特攻機「神龍」について、さらに調べてみました。その2

2021-01-23 14:12:42 | 日記(diary)
前回ご紹介しました特攻グライダー神龍について、今回はその機体の詳細についてご紹介したいと思います。


この神龍は、太平洋戦争末期、アメリカ軍が海軍の重要設備のある茨城県の鹿島に上陸しようとした際に、まだ年端もいかぬ予科練生に特攻を強制させ

るために開発された機体です。



この神龍には3基の個体燃料ロケットエンジンが装備されていました。

固体燃料ロケットエンジンとは、わかりやすく言うとロケット花火の大きなものみたいなもので、第二次世界大戦中の日本軍では、飛行機の離陸距離

を縮めるためだとか、同じく飛行機をカタパルトから射出させる目的のためにしばしば使われていました。

上の写真で、胴体の下部にそのロケットエンジンの噴射口を見ることができます。

神龍では下図のような配置でロケットエンジンが取り付けられていました。



この3つのエンジンのうち、まずは左右の2基のエンジンを噴射させ、約200メートルの高度まで上昇。

その後、特攻目標が定まったら、中央の1基のエンジンを噴射させ、体当たりアタックをかけました。

おそらくですが、性能的に見て、一基当たりの推力は大体500キロくらい。噴射時間は10秒ないくらいだったと思います。

機体の外観から、神龍の総重量は400キロほど。このうち100キロが爆弾の重量、機体がだいたい200キロほどで、パイロットその他の重量で1

00ほどだったと思えます。

下の図は、神龍の操縦席です。



実物大模型ではこの操縦席に座ることもできます。

向かって右側には、おそらく速度計、高度計、昇降計があったと思われますが、実物大模型ではそれらしく見せるため、全く別の計器が装着されて

いました。

そして…。

向かって左側には、上昇のための第一弾ロケットエンジンのスイッチ。

         特攻目標にアタックをかけるための第二弾ロケットエンジンのスイッチ

         そして、爆薬安全装置解除のスイッチ

が、配置されています。

神龍で特攻をかけるには、まずは第一弾ロケットで上昇。

しばらく滑空しながら目標を見つけて、爆薬安全装置解除のスイッチを入れる。

その後は第二弾のアタック用のロケットに火を入れて特攻する…。という手順になります。

しかし…。

私は正直、これで本当に敵に向かって正確に体当たり出来たのか、疑問に感じてしまいました。

まず、第二弾のアタック用ロケットエンジンを噴射させた場合…。

一気に推力をかけた場合、機体は上に向かって飛んでいくはずです。

これは、飛行機がピッチ、つまり縦の自立安定をとるために、どうしてもこのような動きが出てしまいます。

この動きを抑え込むために、実際にアタックをかける際には、パイロットはかなりの力で操縦桿を押し下げる必要はあったと思います。

特攻はいわば「自殺」です。

そのように自殺行為をするために、パイロットは力ずくで操縦桿を押し下げながら、果たして本当に正確に敵に突入できたのか…。

かなり疑問に感じました。

本当ならば、ダイブブレーキなどを作動させて、空気抵抗が大きくなるようにして機体を安定させる必要があったと思いますが、おそらく、パイロ

ットの操縦負担を緩和するために、単純に主翼のアスペクトレシオ、つまり、縦横比を小さくすることにより抵抗を大きくし、特攻アタックしやす

く考えたのだと思われます。

そもそも、特攻アタックをかけるためにロケットエンジンを噴射する必要があったのか…。

そんなことも考えましたが、特攻アタックをかける際にはおびただしい機関銃による「弾幕」が想定されるため、それを潜り抜けるためのエンジン

だったのかもしれません。

いずれにしても…。

私には、この神龍で効果的な特攻ができたかどうか、かなり疑問に感じてしまいました。
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特攻機「神龍」について、更に調べました。

2021-01-07 19:41:06 | 日記(diary)
先日、どうしても調べたかった特攻機「神龍」について知りたかったため、四国まで行って来ました!

「神龍」は、私が以前より調べていた、太平洋戦争の時に開発された特攻機です。



なぜ私がこの特攻機について調べているのかというと、この特攻機を開発された「頓所好勝氏」が、私の大先輩にあたる方だから

なのです!




ここで、この「神龍」を開発された頓所氏についてご紹介いたします。

頓所氏は、今から80年近く前に、日本で当時世界最高の性能を持つグライダーを、わずか18歳で作った方です。



しかもこのグライダー、人の足を使ってテイクオフする、今でいう「ハンググライダー」でした。

時は流れ、その30年後くらいに、氏は再び自作のハンググライダーを製作します。

その機体の名は「マイウイング」…。



このハンググライダーの先駆けとなる機体を作った頓所氏。

実は、戦時中に軍の依頼により「特攻グライダー」を開発しました。

その機体が上に写真のある「神龍」なのです。

実はこの特攻グライダー、私が住む茨城県は石岡市にて開発されています。

私はハンググライダーの仕事がしたくてこの石岡市に移住してきたのですが、上記のように頓所氏とは、何かご縁があるように思えました。

しかも、今回ご紹介する特攻機「神龍」は、すでに歴史の闇に埋もれてしまいそうな機体であったため、今一度この機体について調べてみたかった

のです。



この神龍は、開発はされたものの、実際には使用はされませんでした。

この機体が開発された目的は、太平洋戦争末期、アメリが軍が海軍の重要な基地のある茨城県の鹿島に上陸することになったときに、それを阻止す

るために、まだ年端のいかぬ予科練生に特攻を強制させるためでした。

このいきさつについては、以前にこのブログでご紹介させていただいています。

そして、その時のブログを作成するときに、私はその実在を知っていた屋口氏にお会いすることができました。→その時のブログ



おそらくですが、神龍について、実際にそれを目撃されてご在命なのは、現在は屋口氏しかいないと思います。

屋口氏は、当時「学徒動員」で戦闘機などの修理をされていましたが、今回ご紹介する神龍についてもご記憶があったため、私は氏からいろい

ろとお話お伺うことができました。


…。

…。

こうして、私は神龍についていろいろと知ることができたのですが、実はこの神龍、実物大の模型が現存する

のです!


その実物大模型は、四国の香川県の矢立峠にあります。

私はまだそれを見たことがなかったため、今回そこに行ってみたのです。

そして、実際にその実物大の神龍を見た感想は…。

長くなったので、これについては次回に!

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