先日、北海道を旅行した際、私は大好きな霧多布岬(釧路より更に東)で、潮風を感じながら久しぶりに「星の王子様」を一日かけてじっくり読んだ。旅先では決まってこの本をよく読んでいる。いつもと違う環境だと、また、新しい発見があるように思えるからだ。
この本を語る前に、まず、作者について紹介しておかなければならない。
作者はフランス人のサンテグジュペリ(後、長いので愛称のサンテックという)人で、実は、かなり情熱的な飛行家であった。幼少のころから飛行機に異常なまでの興味をしめしており、賞金目当て(当時はリンドバークに代表されるように冒険飛行に賞金がかけられていた)の飛行に幾度も挑戦し、そして、何度も墜落を経験していたが、決して飛ぶことを辞め様とはしなかった。
そして、同時に小説も手がけ、「南方飛行」「夜間飛行」「人間と土地」などの作品を発表し、小説家としても社会にその地位を築いた。
これらの小説に共通していることは、人とは違う視点で物事を見て作品を書いていることがあげられるであろう。
彼は我々とまったく同じ景色を見ているうちに、おそらく、人とは違うものの見方が出来るようになったのであろう。
その後彼は、郵便航路の開拓の仕事も手がけ(当時、航空郵便は通信手段がまだ未発達だったため、重要視されていた)、航路を開拓のために、言葉の通じないアフリカの原住民とうちとける手段として、得意のトランプマジックを披露していたという。
そのうち時代は大戦へと移り、サンテックは渡米。そこで志願して偵察機のパイロットとなった。
しかし、ナチスが降伏する半年前に地中海コルシカ島近くで謎の死を遂げてしまった。
この死については、実は今年初め、元ドイツ軍パイロットが「私がサンテックを撃墜した」との告白があり、今のところはサンテックは撃墜されたことに落ち着いている。
しかし、私としては少し疑問視はしている。なぜならば、数年前に引き上げられたサンテックの機体F-5B(P38戦闘機を偵察機に改造した機体)には弾痕の跡が無く、まっさかさまに墜落した形跡があったからだ。
以前からサンテックの死は自殺、撃墜死、両方の説があった。
数年前に引き上げられたF-5Bの状況は、どちらかというと自殺とも思える状況だったのだ。
また、彼が最後を遂げたコルシカ島近くは、彼が幼少を過ごした場所でもあったため、なおさら自殺の匂いもする。
ただ、少し不自然なのは、サンテックは自分が愛する妻、コンスエロの名を刻んだ指輪をしたまま死んだことだ。愛する人を持ったまま自殺するのも不自然な気もする。
更に、サンテックが死んだ時期と場所を考えると、サンテックを撃墜したとされる機体はドイツのジェット戦闘機Me262だった可能性が一番高く、同機はF-5Bよりも200Km/hも速度が速かったため、サンテックは自殺でもするかのごとく、ジェット戦闘機から逃れるために急降下に入らざるを得なかったのかも知れない。
更に、Me262の武装は標準の場合、機首に30mm機関砲が4門もあり、この機関砲に打たれた場合、破壊力がありすぎ(おそらく一発で車が吹き飛ぶ適度)、弾痕が残るどころではなかった可能性も否定できない。
いずれにしても、「星の王子様」をかいたサンテックの死の真相については、私自身の中では、本当に撃墜だったのか、一部の可能性のある自殺だったのかは、釈然としないものを感じている。