飛行中年

空を飛ぶことに薪ストーブ、そして、旅をこよなく愛する一人の中年のブログです。

私が乗ったハンググライダーの名機 10

2014-01-31 21:50:48 | ハング(hangglider)

今回は、もっともポピュラーなハンググライダーと言っていい機体をご紹介致します。

Laminar2013_id906

イタリアはイカロ社の「ラミナール」です。

この機体は登場して、もう20年近くになりますが、いまだに後継機が続々と登場している不屈の名作です。

最初、イカロ社はヨーロッパモイスとして登場し、当時本家のオーストラリアで生産していた「XS」のライセンス生産をしていましたが、自立した技術で新しい機体が作れる自信がついたため、独立してイカロ社を設立しました。

そして、最初に登場したのがこの「ラミナール」だったのです。

当時、フレームのスパーは適度なしなりがなければ良いハンググライダーは出来ない!と、思われていましたが、イカロ社は60ミリの7075アルミを使用した剛性の高いスパーを敢えて使用し、セールのつくりでたわみをもたせてハンドリングを出すという新しい発想のもとに作った機体でした。

その発想は見事に大正解で、現在のハンググライダーの作り方の基本となるものとなりました。

設計思想が正しかったため、その後細かな改良は加わったものの、大幅な改良の必要性がなかったため、そのまま現在までその名を引き継ぐものとなったのです。

最初に私がこの機体に乗った時の感想は、「ハンドリングが軽いのに、何でこんなに高速性能が高いのか!」そんな強烈な印象と感動がありました。

VGを引くと、今までにないくらいベースバーの位置が手前に移動し、加速力がグンと増します。

明らかにセールの張りが今までとは別次元の機体に仕上がっていました。

しかし、登場当時は新しい設計思想による弊害も若干発生し、セールの張り、弛みが今までの機体よりも大きかったため、ラフラインの設定が追いつかず、よくバテンの後端に弛んだラフラインが引っかかってしまうことが起こりました。(笑)

もちろん今のラミナールではそんなことは起こりませんが、時代の最先端を進んでいた機体だったため、そんなトラブルも予想は困難だったようです。

何はともあれ、このラミナールはその後キングポストレス機にも無理なく進化し、基本設計はそのままで今に至る、ハンググライダーの歴史の中で一番と言っていいほどの不屈の名作となったのです。

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私が乗ったハンググライダーの名機 9

2014-01-13 22:22:23 | ハング(hangglider)

前回エクスタシーをご紹介したので、今回はこれしかないでしょう!

Atos_id114 ドイツ、A.I.R社のATOSです。

この機体は、前回ご紹介したエクスタシーと同じ設計者により作られた機体です。

その名はフェリックス‥。

エクスタシーは、フェリックスがフライトデザイン社で開発した機体ですが、その後、フェリックスはフライトデザイン社を退社。

その動きを見逃さなかった、当時UPヨーロッパの社長バーンド氏が、「新しい固定翼機を開発しないか」と誘い、設計はフェリックス、プロデュースをバーンド氏が引き受けて開発されたのがこのATOSです。

私がこのATOSを名機と考えたのは、実はその設計のスゴサにあります。

これについてはほとんどの方は気が付いてないのではないでしょうか?

ATOSは今まで様々な発展型が作られましたが、実はこれらの機体は、わずか2種類のカーボンのモール(型)によって作られているのです!

カーボンによる固定翼機を作る場合、どうしてもリーディングエッジを構成する通称「Dボックス」を作るためには、高価なモールが必要です。

このモールをつくるためには大きな「人件費」が必要なため、おいそれとは新しいものは作れません。

そのため、最初にこのモールを作るときには、十分な将来的発展を考えて作らなければならないのですが、ATOSではそれを見事に最初のモールでやってのけているのです。

現在ATOSの発展型としては

Atosvq_id755

ATOS VQ

Vr10_id847

ATOS VRがありますが、これらの機体も、最初に製作された2種類のモールをそのまま利用し作られているのです。

そのために、開発期間やその費用が大幅に抑えられています。

力学的に考えて、ATOSの発展型のVQ,VRは、航空界では珍し「クレセント翼」(三日月翼)が採用されていますが、この種の翼は翼に大きな「ねじれ荷重」がかかるため、強固に作る必要がありますが、その辺の将来的な発展も見越して、強度的な余裕が出せるようにフェリックスは最初にモールを開発したのだと思います。

この辺の「先見の明」は、さすがはフェリックスで天才と呼ぶにふさわしいと思います。

過去航空界では、このような将来性を見越して開発し、のちに名機と言われるようになったものに、ドイツのメッサーシュミットBf109や、イギリスのスピットファイヤー、アメリカのムスタングなどがあり、日本でも飛燕などが、かなり将来性を見越して設計されたと言われた機体がありました。

おそらくフェリックスも、そのような歴史を知っていたからこそ、将来的発展性を考えて、どうにでも融通のきくモールを最初に開発したのだと思います。

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