飛行中年

空を飛ぶことに薪ストーブ、そして、旅をこよなく愛する一人の中年のブログです。

ミシンが壊れた!

2022-06-29 20:56:13 | ハーネス(HG harness)

前回の旋盤に引き続き…。

今度はミシンが壊れました!

ウチは、4台のミシンを用途ごとに使い分けていますが…。

壊れたのは、よりによってメインで使っているミシン!

今回も、例によって自分で修理しました!

 

今回壊れたミシン。

ハングハーネスの製造の中で、いちばん使っているものです。

壊れた個所は、ニードルシャフトのボルト折れ…。

要は、縫い針を固定しているボルトが折れてしまったんですね!

このため、万一針が折れてしまうと、針の交換ができなくなってしまいました。

さてさて…。

部品を注文してもよいのですが、この手の物って結構お金をとられる!

ちょっと考えて、グッドアイデアが!

ネットオークションで同型ミシンのジャンク品を落としてしまうことです!

おそらく、ニードルシャフトを部品で買うのと、たいして変わらない値段でゲットできるはずです!

さらに、ジャンク品を落としておけば、ほかの部品の流用も、今後期待できるはずです!

さっそくネットオークションへ…。

…。

思った通りの価格で落とすことができました!

 

さて、ネットオークションで落としたジャンク品ミシンから部品を取り出して、それを移植します。

…。

実は、工業用ミシンとの付き合いは、すでに30年近くなので、私はミシンのオーバーホールはそれなりにできます。

ちゃちゃっと分解し、ニードルシャフトを移植します。

慣れもありますが、1時間ほどで完了しました!

最後、最もセンシティブな縫い針と、下釜爪の間隔、それと、下釜爪のタイミングの調整…。

これも、もはや慣れてしまっているので、10分ほど、一発で完璧に調整を出します。

(慣れていなかったときは、半日でも調整しきれなかったものですが…。)

こうして、無事、ミシンは完全な状態に戻すことができました。

折れたボルトは下の個所ですね。

前回の旋盤のトラブルもそうですが、結局、今回のミシンも自分で安価に修理してしまいました。

これって実は…。

このように自分で修理せざるを得ない事情もあるのです…。

ハンググライダー業界って、普通で考えれば成り立たない業界なんです。

人口があまりにも少なすぎ、その割には高性能化してしまったため、製造コスト、特に、設備コストがかかりすぎてしま

い、元が取れなくなってしまっているんです。

ウチで製造しているハーネスも、普通に工場、機械、設備をそろえると4桁になってしまいます。

それだけお金をかけてしまっては、日本のハンググライダー人口では元が取れるわけがありません…。

だから、この先ハンググライダーを日本で続けさせていくためには、とにかくコストをかけずに、製造、そして、アフタ

ーフォローを考えなければなりません。

そのために、自分ですべて修理もできるようにしておかなければならないんです…。

ちなみに…。

これ、世界的に見ても同じような状況に感じられます。

各社とも、現在、工業力、材料の手配などでかなり苦労されているはずです。…。

 

…。

この現実、結構わかっていない方が多いのでは?

 

 

 

 

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旋盤が壊れた!

2022-06-23 20:57:09 | ハーネス(HG harness)

長年使っていた、オンボロ旋盤。

とうとう動かなくなってしまいました!

これは一大事です!

こいつが動かなくなったら、もはや、日本でのハングハーネスの製造が途絶えてしまいます!

旋盤とは、金具や機械の部品などを、金属の塊から削り出して作ってしまう機械のことです。

 

初級ハーネスだけならいざ知らず、世界レベルの競技用ハングハーネスを作ろうとしたら、現在は、機械加工なくして作

ることができないんです。

しかも、ウチはその機械加工が世界的に見ても最も得意なメーカーで、ハーネス製造者自ら金具を作ることで、他社には

まねできない理想的な金具を作ることが実現していたんです!

目の前真っ暗…。

しかし…。

落ち着け!

落ち着け!

自分の力で何とかするんだ!

果たして、私はこの大掛かりな工業機械「旋盤」を、自分の力だけで直せるんでしょうか…。

 

 

この旋盤は古すぎて、もはや部品もないでしょう。

知人から好意でいただいたものだったので、修理業者を頼るわけにもいきません…。

この先もハーネスを作りたいのであれば…。

自分で修理するしか手がないのです…。

 

まずは分解して、構造を見ていきます。

すると…。

意外にも単純なことが分かりました!

今回動かなくなった理由は、明らかに電気系…。

その電気系は、じっくり見てみると…。

配線と動力モーター、そして、補器類しかなかったのです!

これだったら、自分で何とかなるかもしれません!

 

トラブルの原因として考えられるのは、配線の断線とモーターのパンクしかありません…。

そこで、まずは動力モーターを外し、直結で動作を確認してみることにします。

旋盤の中の配線をはずしていると、もはや配線が老化してボロボロになっています!

…。

これじゃダメだ…。

 

まずは動力モーターが生きているか…。

三相200Vのコンセントをつなげて、通電テストをしてみます…。

コンセントを差し込んでみると…。

回る!回るではないか!どうやら動力モーターは生きているようです!

超ラッキー!!

ならば、トラブルの理由は配線です!

 

配線を全部点検してもよいのですが、1トンほどの重量のある旋盤を持ち上げないとできないため、また、スイッチや補器

類の老化が原因の可能性も高いため、考えてみたんですが…。

この際、全く新しい配線を構築した方が確実そうです!

 

…。

と、いうことで、ホームセンターに行って、ケーブルや新しいスイッチ類などの部品を買ってきて組み上げます。

…。

…。

この間、あまりにも気持ちに余裕がなかったため、写真なし…。

 

出来上がりました!

動作チェックもOKです!

動力モーターを、再び旋盤に組み付けます。

ベルトの張りを調整して、旋盤を回してみます。

 

バッチリOK!復活しました!!

 

…。

でも、逆転している…。

 

しかし、心配無用。

簡単に直せます!

三相200Vのモーターを逆転させたいときは、三本ある配線のうちの2本を、入れ替えて結線してやるだけなんです!

これ、本職の電気工事士さんの世界では常識の話…。

図を描けばわかりやすく説明できますが、これで三相200Vのモーターは逆転させられます!

(…。と、いうよりは、もともとこの工場の電気配線をした業者さんが、おおもとの電源の配線を間違えていた…。私は的

確な配線をしたために、モーターが逆転してしまったんですよ!)

 

 

新しく構築したものが使いやすくなるように、スイッチの台を新設します!

これで完璧!

このスイッチのON/OFFにより、旋盤が動作するようになりました。

大事な旋盤がバッチリ復活しました!

緊急停止と逆転機能はありませんが、今まで使ったことはないし…。

まあ、自己責任ということで…。

 

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まだ焚く!いつまで焚く?

2022-06-20 20:31:45 | 薪ストーブってどんなもの?(what's woodstove)

この暑いのに、すいません…。

薪ストーブネタです。

しっかり焚いている、我が家のアクレイム…。

…。

と、言っても、これは先週のお話。

おそらく「焚き納め」だろうなと思い、写真に撮っておきました!

なんで、今頃まで薪ストーブを焚くの? 

おそらく、薪ストーブ体験がない方は疑問に思われるかもしれませんが…。

薪ストーブの温かさって、他の暖房器具にはない「心地よさ」があるから、どうしても焚きたくなってしまうんです!

薪ストーブは、炎が燃えているので、その炎の直接の熱が部屋を暖めているように思われているのですが…。

それは誤解!

実は、薪ストーブって、どちらかというと間接暖房器具なんです!

これ、どういうことかというと…。

薪ストーブの中で燃える炎は、まずは 薪ストーブ本体を暖めます。

次に、温まった薪ストーブは、後ろの炉壁を暖めます。

十分に薪ストーブ本体と、後ろの炉壁が暖めれば、次は、部屋本体を暖めるのです。

これらは、ほぼほぼ遠赤外線により熱が伝わって暖められているため、体の芯まで暖まり、とても心地が良いのです!

血行がよくなり、血流が良くなるために疲れが取れやすいのです!

ちょうど、温泉に入っている感じですね!

だから、そんなに寒くなくても、薪ストーブって焚きたくなってしまうんですね!

これは、実際に体験してみないとわからないと思います。

 

温泉に入ったような心地よさの中、きれいな炎を眺めながら薪ストーブを焚く…。

そこには、何物にも代えがたい贅沢な時間を体験することが出来ます。

 

でも、さすがにここまで暑くなってしまうと、しばらくは薪ストーブとはお別れですね!

煙突掃除も終えたので、次に焚くのは9月の終わりくらいでしょうか?

 

それまでは、この心地よい薪ストーブの温かさはお預けになってしまうでしょうね!

残念!

 

 

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二宮忠八は空を飛べたか?

2022-06-10 16:16:37 | 自作飛行機(homebuild airplane )

最初に飛行機を飛ばしたのは、ライト兄弟ということになっていますが…。

リリエンタールが滑空機の飛行に成功して以後…。

世界中で、「これに動力を付けてやれば、ずっと飛び続けられるものができる!」という共通認識が生まれ…。

実は、各国で飛行機の研究が行われていました。

日本でも、二宮忠八という方が、この飛行機(忠八は飛行器とした)の研究をしていましたが、ライト兄弟に先をこされ

ことで、その研究を断念しました。

さて、それでは、この二宮忠八の飛行器は、実際に飛ぶことが出来たのでしょうか?

今夜は、それについて考えてみたいと思います。

 

二宮忠八さん。この方、かなり飛行機の研究をしていたことは、まず間違いありません。

この方が作ったもので有名なものに、「カラス型飛行器」があります。

ゴム動力の模型飛行機なのですが、この飛行機よく見ると…。

方向安定は悪いものの、既に飛行に必要なものが備わっています!

文献によると、地上滑走による飛行、手投げによる飛行と成功しています。

確かに、この形であれば、飛ぶと思います。

驚くべきは、プロペラの位置、およびその角度。

ちゃんとピッチアップ、つまり、頭が上がる力を押さえつけることが出来るものになっています。

ピッチアップとは、飛行機のパワーが大きい時に、頭が上がってしまう現象をいいますが…。

この動きが出るということは、ちゃんとピッチの安定がとれていたとう証拠にもなるのです!

以前、私はこのブログの中で、「どんな形の飛行機でも飛ぶんです!」という連載をしたことがありますが…。

そこで、くどいくらい、主翼と水平尾翼の取り付け角の関係について述べさせていただきました。

主翼と水平尾翼は、浅い逆ハの字の関係になっていることが必要です。

↑これですね!

忠八は、既にこのことを知っていたのだと思います。

そのため、カラス型飛行器では、ゴムの動力が強い時、ピッチアップしてしまう動きを、プロペラの位置と角度で押さえ

つけ、うまく飛ぶように工夫していたことが考えられると思います。

さらに…。

主翼には、しっかりした上反角もあります。

つまり、ロールについても安定性が持たされたものになっているので、飛行体としてかなり完成された形になっていると

いうことです。

 

さて、それでは忠八が実際に自分が乗って飛ぼうとした「玉虫型飛行器」について、考えてみたいと思います。

これですね!

…。

なぜか…。

水平尾翼にあたるものがありません…。

普通に考えると、ピッチがあまりにも不安定なため、連続した飛行は難しいと思いますが…。

一瞬だけのジャンプ程度ならば可能であったのでは?と、私は思います。

カラス型飛行器では、ちゃんと水平尾翼があったのに…。

この玉虫型飛行器の場合、プランク翼という、主翼の後縁部分が反りあがった形のものでなければ、ピッチの安定を保つ

ことが出来ず、連続的な飛行は不可能なのです…。

ただ、下の翼が、今でいう補助翼の役目があったそうで…。

補助翼とは、エルロンとも呼ばれていますが、飛行機のロールの動きを制御するものです。

これは、世界で一番最初に忠八が考案した、先進的なアイデアなのでは?と、思います。

ライト兄弟は、これを主翼全体を捩じることにより、同様の効果を出していました。

実はこのロールの動きの制御をおこなうことが出来たのは、当時、世界的に見てもライト兄弟と忠八だけだったのです。

これについてはスゴイ!と思うのですが…。

う~ん…。

やはり、一瞬のジャンプ飛行くらいまでじゃなかったのかな~…。と、私は正直思います。

また、忠八は動力として12馬力のエンジンを使おうとしていたようですが…。

おそらくパワー不足…。

プロペラの抵抗が大きそうなので、少なくとも、その2倍以上のパワーが必要と思います…。

 

 

二宮忠八は、愛媛県の八幡浜の生まれ…。

幼少のころから好奇心旺盛で、いろいろなものにチャレンジしていたようです。

軍に入隊し、飛行機の有益性を訴え、飛行の研究を助成してもらおうとしましたが、それが認められず、自費で研究する

ことになります。

軍を退役後、薬関係の仕事をしますが、実は、その時の同僚に、塩野義さん、田辺さん、武田さんがいたようです。(説

明は不要ですよね!)

ライト兄弟が先に飛行に成功してしまい、飛行機の研究を断念しましたが、その後、飛行神社の神主として、日本の飛

行機の安全を祈ったそうです。

香川県、道の駅空の夢もみの木パークに隣接して、この方の資料館があります。

 

…。

さて、実を言いますと…。

私…。

この二宮忠八の子孫に会ったことがあります。

もう20年以上前、当時大学生だった彼は、私のところへハンググライダーを習いに来ていました。

現在、私はスカイスポーツ用品の製造メーカーを営んでおりますが、当時はハンググライダーのインストラクターをして

いたんです。

彼は、そこそこ飛べるようになりながらも、大学卒業とともに見かけなくなり、それっきり音信不通だったのですが…。

先日、そんな彼が、バイク関係ではそこそこ有名なユーチューバーをやっていることを見つけました。

ご興味のある方は…。→二宮祥平ホワイトベース

…。

ネットを使って幅広く仕事をしているようで、バイク関係の著書なども出版しているようです。

まさに…。

時代の先を見ながら仕事をし、そして、好奇心旺盛なところは、ご先祖譲りなのかもしれません…。

 

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清姫は裸だった⁈

2022-06-06 21:32:19 | うんちく・小ネタ(absurd story)

道成寺伝説…。

能、人形浄瑠璃などでは有名な演目ですね!

あらすじ…。

夫婦となる約束を破って逃げる安珍。

それを追う清姫。

まさに清姫が安珍に追いつこうとしたとき、安珍は日高川の渡し船に乗ることができ逃げ延びることが…。

しかし、その後を、大蛇に化けた清姫が日高川を渡り始めた。

恐れた安珍は道成寺へと逃げこみ、そして、鐘の中に身を隠す…。

しかし…。

それを見抜いた大蛇と化した清姫。火を吐き鐘の中の安珍ともども焼け死んだ…。 

 

そんな清姫の激しい恋を描いた物語なのですが…。

 

この物語、私には、実際にあった話をモデルにしているとしか思えないのです!

その理由を今夜はお話しいたします!

 

実は、私はこの物語の舞台となった、和歌山県南部の生まれです。

幼いころからこの物語を聞いて育ったのですが…。

この道成寺伝説、作り話にしては、妙に現実的でつじつまが合っていることを、ずっと不思議に感じていました!

まず清姫の出生がしっかり分かっていること。

清姫は、現在の田辺市中辺路町真砂(私の記憶が正しければ、「まさご」ではなく「まなご」と読んだと思う)の、富田川

のほとりの宿屋の娘とされており、この場所にはちゃんと清姫の墓が残っています。

対する安珍も、現在の福島県白河の出身ということが分かっており、安珍の墓も、道成寺に安珍塚として残っています。 

宿屋の娘の清姫は、熊野詣の途中の安珍とこの宿で出会い、恋に落ちます。

そして、夫婦になる約束をしますが…。

安珍は結婚を許されていない僧の身…。

熊野詣の帰りに立ち寄るという清姫との 約束を破り、安珍は一人逃げます。

それを知らない清姫。

今か今かと安珍を待ち続けていましたが…。

安珍が遅いので、旅する人たちに安珍を見かけなかったか聞いてみたところ、その僧はすでに立ち去ったとのこ

と…。

ここから清姫が安珍を追いかけて道成寺までいくことになるのですが…。

この足取りを示したのが上の図です。

安珍は清姫の家となる宿から、本宮大社、速玉大社、そして、那智大社と、矢印のルートで旅したと考えられます。

そして、清姫に会うことを避け、安珍はそのまま北上したことになります。

対する清姫は、安珍を待っていたのですが、その位置が上図で示した場所になるはずですが…。

清姫の生家からこの場所までは、大体15キロくらい…。

それほどおかしな距離ではありません。

この場所から、安珍が逃げたことを知った清姫は、道成寺まで追いかけることになりますが、この位置から道成寺まで

は、大体40キロほど…。

安珍を一途に思う清姫ならば、このくらいの距離は追いかけてもおかしくはありません。

そして…。

大蛇と化けた清姫から逃れるため、安珍は道成寺へと駆け込みますが…。

これも、とても自然な成り行きだと思えるのです。

なぜならば…。

当時のお寺は、旅の僧を泊めることは、しごく当然のことでした。

旅の僧は、そのようにお寺に泊めてもらいながら旅を続けて、同時に修行もしていたわけです。

安珍は「行き」の道中で、既に道成寺のお世話になっていた可能性が十分あります。

ならば…。

清姫に追いかけられている安珍は、既に知り合いのいる道成寺に逃げ込むことは、当たり前の成り行きだと思うのです。

さらに…。

今年初めの私のブログでもご紹介しましたが、道成寺の、当時鐘があった場所を発掘した際に、本当に焼けた土の跡が発

見されたことです。

…。

ここまでの私の話を聞いて、皆さんどう思われましたか?

まんざら、この道成寺伝説が、ただの作り話だと決めつけられないように思えませんか?

問題なのは…。

なぜ、この物語の中で、清姫は大蛇に化けさせる必要があったのか…。

さらに…。

道成寺で、多くの僧がいるにも関わらず、なぜ、小娘一人、清姫を取り押さえることが出来なかったのか…。

なんです。

これについて、考えてみたのですが…。

普通、日高川を泳いで渡ろうとすると、着物を着ていては溺れるんじゃない?

ということです。

清姫は、安珍を必死で追いかけていた…。

おもわず日高川に入り、泳いで渡ろうとしたが、当然着物が邪魔で溺れそうになる…。

ならば、清姫はどのような行動をとるか…。

普通、安珍を追いかけるため、そして、溺れないために、着物を脱ぎ棄ててしまうと思うんです…。

清姫は、前述のように、富田川のほとりで育ったため、泳ぎは達者だったことが考えられます。

そんな自負から、泳いで日高川を渡ろうとしたものの、さすがに着物を着ていてはどうしようもない…。

着物は、帯を緩めれば、水中でも簡単に脱ぐことが出来ます。

そうなると…。

恥じらいも捨てて、着物を脱ぐことを考えないでしょうか?

さらに…。

着物を脱ぎ棄てた清姫に、好都合なことがこの後起こります。

道成寺に逃げ込んだ安珍を、裸の清姫が追いかけます。

そして、安珍は鐘の中に隠れることになりますが…。

裸のまま安珍を追いかけて道成寺に現れた清姫…。

道成寺にいた僧たちも、さすがに、年頃の娘が裸で現れてしまうと、どうしようもありません…。

禁欲を重んじる僧たちは、とにかく、裸の清姫を見ないようにするしかなく、清姫のやりたい放題になってしまうはずで

す。

鐘の中に安珍が隠れていることは分かっている。

でも、一人の力では、この鐘を持ち上げることが出来ない。

しかし、このまま安珍を逃がしたくもない…。

半ば気が狂った清姫は、成就できない恋だと悟ると、そうなるくらいならばと、辺りにある木材などをかき集めて、安珍

とともにここで焼き死のうと考えてしまっても不思議はないと思えるんです。

 

…。

後に、この清姫の狂気に満ちた恋物語は語り継がれるようになりますが、さすがに清姫が裸で追いかけたとなると、なま

めかしすぎて都合が悪い。

だから…。当たり障りのないように、清姫は大蛇に化けたことにした…。

今年の初めに私は道成寺に立ちより、いろいろと見て回っているうちに…。

なんだか本当は、道成寺伝説ってそんな物語だったのではないか?

そう考えると、この物語の全部が無理なく説明できる…。

そんな風に私は考えたのです。

 

なお、今回の私のブログは、由緒ある道成寺伝説を冒涜するものではなく、あくまで、この物語は真実味があるため、実

際にあった出来事だと考え、それならば真実はいったいどんなものだったのか…。

そんな疑問から、勝手に私が想像の中だけで考えさせていただいたものです。

 

さて、本当の道成寺伝説はどんなものだったんでしょうか?

1000年も前の物語故、今はそれを知る方法はありません…。

 

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