脚と角

関西を中心に国内外のサッカーシーンを観測する蹴球的徒然草。

喜怒哀楽の真髄は蹴球にこそ有り。

「勝利」を目指す戦争はフットボールにあって然るべき

2007年11月10日 | 脚で語るJリーグ


 国内でもナビスコ杯決勝が終わり、リーグは終盤戦に差し掛かるこの11月。J各クラブは優勝争いや昇格争い、もしくは降格争いと油断を許さない時期になってきた。そして、同時に冬の足音と共に訪れるのが各クラブの契約更改及び人員整理の時期である。

 日本のファンは時として自身が応援するクラブの所属選手に強烈な愛着を持つ傾向がある。しかしながらプロの世界は非情なもので、結果が全てのこの世界では、それに応えられなかった多くの選手たちが毎年その所属クラブに別れを告げ、新天地を見つけにトライアウトなどの手段で自身を新たに売り込んでいかざるを得ない。主力選手でも有力クラブからの引き抜きはあって然りだ。本来は「勝利」を目指したクラブ間の戦争がそこには存在するべきなのだが。

 欧州に比べると日本の移籍市場はまだまだおとなしいのが現状だ。基本的に大物選手の移籍は少ない。移籍金発生時にそれを無理なく支払えるクラブ自体が少ないのが大きな要因でもあるが、欧州に比べると日本は契約年数に律儀である。これが欧州各国になると契約年数はあってないようなもの。莫大な移籍金が毎年どこかのクラブ間でやりとりされ、実力選手が次々と移籍していく。8/31の移籍期限ギリギリまで何が起こるか分からないスリリングな駆け引きが行われている。
 日本のストーブリーグはどちらかというと人員整理の色が濃いと言えよう。主に結果を出せなかった若手選手やピークを過ぎたベテラン選手が所属クラブに別れを告げ、密やかに引退を決意したり、格下のカテゴリーにその新天地を求めたり十人十色である。スリリングな実力派の選手の移籍劇はわずかだ。
 しかし、本来はクラブ財政を時に圧迫してでも「勝利」のために充分戦力として計算できる選手がやり取りされるべきであると考える。それにストイックに取り組まないからシーズン途中に外国人選手が入れ替わってワケが分からない。具体的にクラブ名を挙げるなら今季の大宮や横浜FCか。さながら選手名鑑を年に3回は改訂を必要とする有様だ。

 ストイックに外から補強した主力級の選手と下部組織から育成した選手がバランス良く噛み合えばそれはクラブとして理想である。イニエスタやボージャンが出番を多く掴んでいる今季のバルセロナはその極致かもしれない。しかしその理想郷は現在のJクラブに於いて実践できているクラブはほとんど皆無だ。現在はG大阪や広島に代表されるようにクラブユースの組織がしっかりしてきた。ジュニア世代から生え抜きを育成できるのは将来的にも非常に大きい。しかしそれだけでは結果を残すのに非常に長期的なスパンが必要になり、即戦力を補強し続けなければ長いリーグ戦を戦い抜くには辛い。思えばかつて黄金時代を築いた磐田や鹿島もユースからの出身者は少なかったが、生え抜き組と的確な補強策に基づいた強烈な外国人選手が見事に融合していた。現在2強と呼ばれる浦和とG大阪は、浦和が生え抜き組と極めて優良な外国人選手たちが融合を見せるのに対し、ユースからの育成組と外部から補強した選手たちが実に魅力的な攻撃サッカーを見せてくれるG大阪とスタイルは違えど実にムダがない。これが強豪クラブたる所以であろう。

 つまりは、このムダを生まない補強とそのベースがいかに出来ているかによってクラブの強さは決まる。浦和は勝てるベースがあると確信していたからこそ、今季初めに千葉から阿部ただ一人しか補強しなかった。G大阪はゴールこそが勝利に直結するというフィロソフィがあってこそマグノアウベスと播戸のいるFW陣に甲府からバレーを補強したのだ。
 しばしばこういった他クラブの主力選手を獲得するケースは「強奪」などと揶揄されることがあるかもしれないが、その言い方は正しいのかもしれない。なぜならプロフットボールは戦争であり、見限った選手をリストラする反面、「勝利」を確約する戦力と指揮官をあの手この手を使ってでもクラブは補強する義務があるのだ。もちろんフェアな交渉に則って事は進めるべきだが、まだ日本はこの面で本気度が足りないように思えてならない。もっとプラスに移籍市場が活発化すればなお面白さが増すのだが。個人の選手にアイドル的要素を求め、愛着たっぷりの日本のファンにはまだそのフットボール戦争が浸透していないのかもしれない。

 得点ランキング上位の選手たちが来季はすっかり違う色のユニフォームを纏っている。そんな光景もあればあるほどプロのフットボールは面白くなっていくのだろうが、そう「勝利」のためのフットボールが。