after you

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黄昏時・たそがれ時

2021年06月25日 23時02分08秒 |  AF-S 58mm F1.4G

Nikon AF-S NIKKOR58mm F1.4G( f1.4 NikonD850 )

 

「黄昏時」、それは夕焼けで薄暗い中、景色が黄金色に輝く時間帯を示す言葉であると説明されています。

午後七時前、これからその時間が始まろうとしています。私の一番好きな時間です。

調べて驚いたのですがこの「黄昏」、日が暮れて薄暗くなり相手の顔の見分けがつきにくく、

「あなたは誰ですか」と問いかける時間帯_ということで「たそがれ」になったのだとか。

この言葉は 誰ぞ彼(たれぞかれ)から変化したもので、漢字で「黄昏」と書くのは、当て字のようです。

一方、明け方の事は「かわたれ時」と言います。彼は誰ぞ(かわたれぞ)が変化したものです。

面白いですね、日本の言葉は。

二十年前のリールをある方から譲っていただきました。オーバーホールをしていてわかるのですが、

今のものと構造や機構はそれほど変わりません。

むしろその時代、メーカーを代表する機種には技術者のこだわりが随所にあり、作りは驚くほど精緻で丁寧です。

 

 

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梅雨の晴れ間

2021年06月19日 23時21分50秒 | AF-S 105mm F1.4E ED

Nikon AF-S NIKKOR 105mm F1.4E ED( f/1.4〜2.0  NikonD850 )

 

以前から気になっていた風景があります。それは自宅近くのクスノキの並木です。

高いものでは数十メートル、まさに天の鳥たちの休み場です。

しかし何本か伸びすぎて送電線に触れるため、二年前地上から5、6mのところで切られてしまいました。

見るたびに寂しさがこみあげていましたが、一年半経過した今、裸の状態から豊かな緑を取り戻しています。

自然界の造りは本当に偉大だと思える回復ぶりです。

梅雨の晴れ間、仕事には好都合の一週間でした。知人のビルを改修しています。

その近くに造り酒屋があり、昼食にそこの酒粕を使った粕汁が出てきました。

私の知っている酒粕は硬い板状で、いかにも「搾った後」であることを自から証明していますが、

この造り酒屋のものは少し違い、おからのような感じ_といえば雰囲気を理解していただけるでしょうか。

普段、好んで食べたりはしない範疇の料理なのですが、記憶にある味や風味を裏切る、別物でした。

 

これはそこの冷酒です。

私は「若い頃はバーボン一辺倒」でしたが、今は色々です。

ある方は「若い頃はウイスキー一辺倒」でしたが今はビールだとか・・・。

何を飲むにしても、早く集まりを取り戻し、かつての宴を楽しみたいですね。

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手作り感

2021年06月12日 16時39分51秒 | Carl Zeiss Makro Planar T*50 ZF.2

Carl Zeiss Makro Planar T*50 ZF.2( f/2.0 NikonD850 )

 

先回万年筆について触れました。

使っていたインクは水性なので内部のメンテナンスはしやすいのですが、

万年筆の軸にエボナイトやセルロイドが使われており、時間とともにもろくなります。経年変化です。

実は父からもらった一本がそのように。キャップが見事に割れ使う事ができなくなってしまいました。

残る一本もいつそうなるかわかりませんが、万年筆を楽しんでいこうと思います。

今年はレモンの木がよく成長し、実も順調に育っています。人差し指の先ぐらいでしょうか。

何事もなく、

このまま大きくなることを願うばかりです。

 

とても好きな配色バランス、ハツユキカズラです。

 

 

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万年筆

2021年06月05日 22時12分21秒 | Carl Zeiss Makro Planar T*50 ZF.2

Carl Zeiss Makro Planar T*50 ZF.2( f/2.0 NikonD850 )

 

父は公務員でした。次男の父は快活で頭も良く祖父母から寵愛を受けて育ったようです。

大学では工学部に進み、将来トンネルを掘るのが夢だったと聞いています。

実際にはそうした工事を監督する公務に着きましたが、多くの書類に追われる大変な仕事だったとか。

その父が仕事で愛用していた万年筆を、私に二本くれました。もう昔のことです。

当時ですら、万年筆でものを書くことは過去のものになりつつありました。

ところがそれからかなりの年月が経ち、コロナの影響で外出もままならない事がきっかけで、

万年筆で知人に手紙を書く機会が増えたのです

手紙といってもハガキ程度なのですが、タイプ文字のメールや SMS ではなく万年筆の手書きです。

同世代の人は懐かしく思ってくれるようです。

仕事の買い出しでホームセンターに行った時のこと、レジの傍らでメダカが売られていました。

その数週間前に二匹しかいなかったメダカの一方が死に、気落ちしていた者の目には一筋の光を見た、

そんな気持ちになりました、ここだけの話なのですが。

とはいえ仕事があるので持ち帰ることもできず、その日は諦め、後日買うことに。

時々人からなぜメダカを飼うのか、と聞かれます。

小さな命を見ていると愛着がわき、たとえ魚でも彼らの命に敬意が持てるようになります。

「だから貪欲な釣りをしなくて済みます」と答えています。

 

 

 

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