あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

大飯原発 再稼働について

2012-06-17 21:23:45 | インポート

野田首相は、福井県知事の依頼もあり、8日に記者会見を開いて 「原発を止めたままでは、日本の社会は立ちゆかない。」と強調し、再稼働の必要性を語りました。今日(6/17付)の新聞によると、福井県知事の同意を受け、政府は大飯原発3・4号機の再稼働を正式に決めたとのことです。これを契機に、日本各地にある原発の再稼働がなし崩し的に進められていくのではないかと心配になります。

福島の原発事故から政府は何を学んだのでしょうか。再稼働にあたって、疑問に思うことがたくさんあります。

○放射能汚染による健康被害は、一番に子どもが受けるということ。子どもたちの未来を奪ってしまう 危険な原発に頼ることで、どんな未来を期待できるのか。

○事故が起きた時の国の対応は、どうだったのか。情報を的確に住民に知らせ、避難は適切に行われたのかどうか。避難先が、さらに汚染された地域だったり、避難できずに置き去りにされて亡くなった方がいたことを、どう考えるのか。

○汚染された土地のため、故郷に戻ることができない人、作物もつくれず魚も取れず牛も育てることができず、自ら命を断った人がたくさんいたという事実をどう考えるのか。

○二度と事故は起こらないと確信できるのかどうか。安全神話は、福島の事故で消滅し、原子力の制御は人智を超えたものだと学ぶことができたのではないか。

○事故によって汚染された土地は、不毛の土地になってしまうことを、今回の事故やチェルノブイリの事故から学ぶことができたのではないか。

○事故が起これば、そこに住む人々だけではなく、広い範囲に渡って日本中に放射能汚染が広がり、国境を超えて近隣諸国にも多大な迷惑をかけてしまう。

○地震の多い日本は、原発の立地条件に最もふさわしくない地域と言えないか。

○今でさえ手に余る 高濃度の放射性廃棄物や使用済み核燃料の 処理や管理をどう進めていくのか。 

再稼働という結論は、これらの疑問に応えるものだったのどうか、納得ができません。

原発に対する安全神話を信じ、容認してきた 一人の大人として、福島の事故の責任の一端を自らが背負っていることを 強く自覚します。だからこそ、痛感するのです。

こんなもの(原発)は、いらない。

未来ある 子どもたちが 青い空の下で 思いっきり 走り回り 澄んだ空気を 胸いっぱい 吸いこむことのできる 地球環境を残してあげたい。

ドイツが脱原発に踏み切ったように、世界で唯一の被爆国である日本も、原発に頼らない未来に向けて、一歩を踏み出してほしいと 切望します。

原発を再稼働させるかどうかは、子どもの未来に対する責任を 大人がどう負っていくかを試される 結論でもあると思うのです。たかが電気のことで子どもたちの未来を奪っていいのか、大人たちには そんな問いを課せられているように感じます。

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シャボン玉 づくり

2012-06-14 09:25:37 | インポート

妻が担任する子どもからの依頼を受け、久しぶりにシャボン玉液づくりをしました。昨年の秋に、ある催し物でつくって以来の楽しい作業でした。その時と同じ要領で つくってみました。

インターネットで調べたレシピに従い、市販されている台所用洗剤・合成洗濯のり(PVA)・グリセリン・水道水を材料につくりました。

一つは、界面活性剤が33%の台所用洗剤:PVA:水を1:5:10の割合で混ぜ、

もう一つは界面活性剤が45%の台所用洗剤:PVA:水:グリセリンを1:3:10:0.33の割合で混ぜてつくりました。

できるシャボン玉の大きさ、割れ具合、色合い等を比較するために2種類つくってみたのですが、それほど大きな違いがないような気がしました。

材料として台所用洗剤を使うため、ストローではなく、針金でつくった輪に毛糸を巻いたものを使って、シャボン玉液をすくい、遊びます。百円ショップで売っている 揚げ物をすくったりする用具なども、中の網を切り取って外側の輪に毛糸を巻くと、手ごろなシャボン玉作成器になります。網ではなく小さな穴のあいた金物の用具を使ってシャボン玉をつくると、小さなシャボン玉を大量につくることができます。秋にやった時には、打ち出の小づちから 次から次へと かわいいシャボン玉がたくさんできるので 子どもたちに大人気でした。

適度な風があると、輪にシャボン液をつけるだけで、そこから つらなるように 大きなシャボン玉が 飛び出していきます。空に向かって 舞い上がる シャボン玉を見ているだけで、心がはずんできます。

ゆとりがある時には、安全な石鹸を使って(石鹸を小さく削って、ぬるま湯で溶かす)、ストローで かわいいシャボン玉飛ばしをするのもいいですね。どっちが大きくできたか、数多く飛ばせたか、きれいにできたか などを 楽しく 子どもたちと 語り合いながら 遊ぶのもいいですね。

シャボン玉を見ていると、大人である私も ワクワクした気持ちになります。忘れていた童心をとりもどすことができたような気持ちになります。舞い上がるシャボン玉に、あこがれにも似た思いを感じるからなのでしょうか。遠い日の自分、夢みる自分……さまざまな自分と重ね合わせながら、ゆうゆうと飛ぶ 虹色の玉を 見上げるからなのでしょうか。 

子どもたちが にぎやかに 夢中になって シャボン玉遊びをしている姿が 目に見えるようです。 

時には、大人も ひっそりと 夢見るように シャボン玉遊びに挑戦するのはいかがでしょうか。 

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演劇「闇に咲く花」を見て

2012-06-12 09:54:40 | インポート

こまつ座による演劇 井上ひさし作 「闇に咲く花」を見ました。仙台演劇鑑賞会の6月例会の演目でした。重いテーマではありましたが、深刻にならないよう 笑いとユーモアも盛り込んでありました。ギター演奏(ギターの弾き手も出演者)が効果的で、物語に合わせて 怒りや喜びといった心情を表現し、悲しみは レクイエムのように心に響いてきました。

戦後の混乱期の時代の 小さな神社が舞台です。そこで暮らす神主と5人の未亡人が、悪戦苦闘しながらヤミ米の調達をし生計を立てています。そのたくましさに、当時の庶民の生きる強さを感じました。

そんな中、死んだはずの神主の息子が帰還してきて大騒動となります。生きて戻ってきたことをみんなで喜びます。息子は果たせなかったプロ野球選手への夢を叶えます。ところが、そんな喜びもつかの間 息子はGHQによってC級戦犯としてつかまってしまいます。異国の地で裁判を受け、二度と日本に戻ってくることはなかったのです。戦後、敗戦国であるが故に背負わせられた 理不尽な罪 (C級戦犯となった息子)によって 裁かれた人々もたくさんいたのではないでしょうか。 

◆C級戦犯:人道に関する罪~戦前の行為を含む一般住民に対する殺戮、せん滅などの 非人道的行為、または政治的、人種的、宗教的理由による迫害……話の中では、息子が異国の地で行なった野球のゲームでデッドボールを投げ、相手を傷つけてしまったことが、一般住民に対する非人道的行為とされてしまいます。

息子は、つかまる前に 神主である父に、切々と訴えます。

  花は黙って咲いている。人が見ていなくても平気だ。

  人にほめられたからといって奢らない。ましてや人に命令をくだしたりしない。

  神社は 道ばたの 名もない小さな花なんだ。

神社が人の幸せを祈る場所ではなく、死地の場所に人々を送りだすことになったことを 息子は悲しみ、神社本来の姿・役割を 道ばたの花にたとえ、父に訴えます。戦争時代の非を認め、花のような人であり、神社であってほしいことを 強く求めます。

「闇に咲く花」というタイトルの 「闇」は、暗い戦争時代を指していると同時に、人生における闇を表しているのかなと思います。どんな暗い時代であっても、人生の中の辛い時代であっても、花のような存在として生きることの意味や大切さを 作者は伝えたかったのではないかと思いました。

戦争に利用された神道、戦地(死地)に送り出す神社、祈る神主、旗を振って見送った人たち、戦争という海に呑み込まれてしまった過去と向き合いながら、どう生きていくか、こういった重いテーマが 随所にちりばめられていた演劇だったように思います。

演劇を見ながら、小学校国語の教科書にも取り上げられている物語 今西祐行作「一つの花」の 父と娘の別れの場面を思い出しました。

……

おなかをすかせ 「一つだけ、一つだけ。」と言いながら泣きだした 娘のゆみ子を見て、出征する父は 一輪のコスモスの花を あげます。プラットホームのはしっぽの、ごみすて場のような所に、わすれられたようにさいていた、コスモスの花でした。

「ゆみ。一つだけあげよう。一つだけのお花、だいじにするんだよう……。」 

ゆみ子は、お父さんに花をもらうと、きゃっきゃっと、足をばたつかせて喜びました。

お父さんは、それを見て、にっこり笑うと、何も言わずに汽車に乗っていってしまいました。ゆみ子のにぎっている一つの花を見つめながら……

……

花に目を向けることさえ 余裕のない戦争時代。最期の別れに父がおくったものは、一輪のコスモスでした。欲しがる食物ではないのに、娘は体全体で喜んでくれました。娘のにぎる花を見つめながら、父は何を思っていたのでしょうか。物語の最後の場面で、それから10年後のゆみ子が登場します。買い物かごをさげ、スキップをしながら 家のまわりの コスモスのトンネルをくぐって出てきます。父は、そんな娘の成長した姿を 娘のにぎる一つの花の向こうに 夢見ていたのではないでしょうか。

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「風の市兵衛」を読んで

2012-06-10 14:52:07 | インポート

辻童 魁 という人の書いた 時代小説「風の市兵衛」を読んで、その面白さにのめり込んでしまいました。大好きな佐伯泰英さんの作品と同様、登場人物がとても魅力的な存在です。

算盤侍と言われるほど数字に強くまた経済的なしくみに精通した知識を売り物にして、「渡り用人」として商人や武士に雇われ、誠実に仕事に打ち込む姿。その人柄を知り、窮地を救ってもらうことで、雇用する側も市兵衛に深い信頼を寄せるようになります。

風の市兵衛は、風のような剣を使う人物でもあります。雇用者を守るために剣を奮い、戦いに臨みます。雇用契約を結んだ以上全力でその責任を果たそうとし、契約以上の報酬は決して受け取りません。

旗本の家に生まれながら、若くしてその家を出、上方にのぼって剣を修行し、算盤や商いを学び、ものづくりを学び、諸国を旅することで人間を学んだ後、江戸に住んで「渡り用人」として暮らしています。

市兵衛の周りに登場する人物たちも魅力的です。江戸で再会した公儀十人目付筆頭支配の兄、その兄の配下である弥陀ノ介(やがて友となる)、北町奉行所同心の渋井。いずれも個性的で心優しい、市兵衛の人柄を慕い、支える仲間です。

武士に生まれながら、その生き方を選ばず、庶民の立場で物事を考え、幅広い知識と視野に立って犯罪を暴き、矛盾した社会のゆがみや弱い立場にいる人の悲しみを真摯に受けとめ 生きていく主人公の市兵衛。風のような剣技以上に、自由な立場で風のようにさわやかに生きる姿が心に残ります。

シリーズは、これまで 7巻が刊行されています。1巻読むたびに、市兵衛という人物が好きになり、その活躍を応援したくなってくるから不思議です。

機会がありましたら、是非 一読を!

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ホトトギスとウグイス

2012-06-09 21:42:21 | インポート

最近 朝早くから トッキョキョカキョク といった鳥の鳴き声が聞こえてきます。ときおり、ホーホケキョ の鳴き声も混じります。ホトトギスとウグイスの鳴き声です。

さあ、朝ですよ。さわやかな空気を吸い込んで目覚めなさい。

まるで、そんなかけ声をかけてもらっているような気がしますが、心地よい朝の眠りの魅力に負けてしまうことがたびたびです。

調べてみると、驚きました。

ホトトギスは、なんと卵をウグイスの巣に産んで育ててもらうとのこと。二種類の鳥の鳴き声が聞こえた理由がわかりました。しかもホトトギスは、インドや中国南部で越冬し、5月頃に日本にやってくる渡り鳥なのだそうです。スウグイスは留鳥なのですが、日本の暖地で冬を越す場合もあるそうです。子育ての頼りにするウグイスを求めて、遥か南の土地からホトトギスは長旅をしてくるのでしょう。

体の大きさは、ウグイスがスズメ大で、ホトトギスはヒヨドリより大きくハトより少しだけ小さめの大きさだそうです。体の大きいホトトギスの方が、ウグイスの力を借りていることに、微笑ましさを感じました。長旅ごくろうさま!という思いで、ウグイスは抱卵しているのかもしれませんね。

明日の朝は、鳴き声に出会えるのかどうか、朝の楽しみが一つ増えたような気がします。

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