あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

幼児の臓器提供について

2012-06-20 09:09:47 | インポート

心にずうっと留まっている出来事がありました。

先日、富山大学付属病院で入院中の6歳未満の男児が、臓器移植法に基づいて脳死と判定され、家族の了解を得て、臓器提供をすることになりました。摘出された臓器は、移植を必要とする患者さんに提供され、新たな命として生きることになります。昨日は、提供された角膜移植のニュースも報道されました。

幼児の両親の思いを綴ったメッセージも、新聞に掲載されていました。亡くなった息子さんを家族みんなで大切に育て、どんな愛情を注いできたかが、よくわかりました。また、その上で息子さんが新たな命として生きることに、誇りを感じるという思いが綴られていました。

愛しい息子さんの死を受け入れながら、臓器提供を決断した両親の考えに、頭が下がります。脳死状態であっても、生きている我が子の温かい体を目の前にしては、私だったら決断できかねます。子供の回復力を信じ、わずかな希望であっても奇跡が訪れることを待ち続けるのではないかと思います。

病院では、院外の第三者の医師にも脳死状態であることを確認してもらったとのこと。両親は、そういった客観的な判断と回復の見込みがないことを受け入れ、息子さんが新たな形で生きる道を選択されたのではないかと思います。深い悲しみの上での尊く重い決断だったのだと思います。「息子を誇りに思う」という言葉の内に、両親の思いのすべてが込められている気がしました。

現在の医療状況下では、臓器移植しか治療方法のない患者は、数少ない提供を待ちつづけていたり、海外での移植手術に頼らざるを得ないとのこと。こういった現状を考えると、臓器移植の必要性を強く感じると共に、自分の臓器提供についても意志を明確にしておくことが必要だと考えるようになりました。そのためには、自らの死生観と向き合うことが必要となります。脳死を死と認めるかどうかという判断も必要となります。じっくり考え、自らの意志を確認しておきたいと思います。

また、一方では ES細胞など最先端の研究の中で、臓器移植に頼らない医療方法や技術の進歩もみられるとのこと。こういった医療の進歩と発展が、臓器移植を待つ人々に朗報をもたらすことを期待したいと思います。

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