あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

あれから1年

2012-03-12 11:57:50 | インポート

昨日の新聞の第1面に、東日本大震災関連の記事が大きく掲載されていました。現段階での被害状況について、次ような数値が示されていました。

  ○死者:1万5,854人  ○行方不明者:3,155人  ○避難者:34万3,935人

  ○家族が離ればなれの方 3割  

     ※そのうち一緒に暮らせる見通しが立たない人が 68%

  ○仕事失ったままの方 4割

  ○福島県の県外に避難した人の数が 6万3000人 

改めて被害の大きさと 現在でも被災された人々が困難な状況に置かれていることを実感する数値です。復興に向けた足取りは重く、避難されている方々の住宅や仕事の確保、安全・安心な町づくりの推進、がれきや放射性廃棄物の処理、除染作業等、課題は山積しています。これらの課題が一つ一つ解決され、復興に向けた動きが加速され、被災された方々にとって物心両面での負担が少しでも軽減されることを切に望みます。

南三陸町戸倉中学校の卒業式では、20名の生徒たちが新たな旅立ちの時を迎えました。卒業生代表の小野寺さんが答辞の中で、次のような決意を語りました。

『今日という日は、もっと生きたかった人の今日でもある。亡くなった先生や後輩の分まで僕らは生きたい。』

復興の鐘づくりや地元の復興計画に携わった岩手県釜石市の岩間さんは、次のように語りました。

『家を無くし、祖父母を亡くし、ゆっくり考える時間もなかった。これからどこに向かうかは分からない。でも、明日があると思うからやっていける。明日は、今日と同じように日が昇るから』

今日付けの天声人語では、福島県生まれの詩人:長田弘さんの詩集『詩の木の下で』の一節が取り上げられていました。

   あらゆるものには距離があるのだ。

   あらゆるものは距離を生きているのだ。

   そして、あらゆるものとのあいだの距離を測りながら、

   人間は いつも考えているのだ。

   幸福というのは なんだろうと  ……

      幸福を定義してきたものは、いつのときでも距離だった ……

離れているから、あらゆるものを客観的に見つめることができるのかもしれません。でも、今回の震災は、あまりにも遠くにあらゆるものを押し流してしまいました。幸福を定義する力さえ奪い去っていった思いがします。離れすぎた距離を縮め、人間が幸福について考えることのできる範囲にもってくることが、復興なのかもしれません。

天声人語は次のように結ばれています。

『時計の針は戻せない。だが復興とは、あらゆるものとの距離を、人がよりよく取り戻していくことだと思いたい。きのうの追悼の祈り。そしてきょうからまた、共に歩みながら』

昨日あった国主催の追悼式で、津波で両親と子ども二人を失った宮城の奥田さんは、次のように語っています。

『…… 愛する人たちを思う気持ちがある限り、私たちの悲しみが消えることはないでしょう。遺族はその悲しみを一生抱いて生きていくしかありません。だから涙をこらえて強くなるしかありません。』

この思いを真摯に受けとめることが、被災された方々との距離を縮めることでもあると思います。被災された方々が、自ら幸福について定義できるような距離に近づくことを祈りながら、共に歩むことができたらと思います。

 


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