春の訪れを書いて以来、二度も雪が降り、雪かきに汗を流しました。水分の多い春先の雪ではありましたが、舞い降りる様子をながめては、春の足音が遠ざかってしまったような気がしました。でも、暦の上では昨日が啓蟄(けいちつ)であり、冬ごもりをしていた虫たちが動き出す時期を迎えました。昨日降った雪も、雨に変わり、道路の雪も溶け始めたようです。やはり、あの雪は、冬の足跡を残した なごり雪だったのかもしれません。命あるものの輝きが 地上にあふれ出る春の到来を待ち遠しく感じます。
先日、ラジオを聞いていたら、五官で春を探す話を聞きました。目で見る春だけではなく、耳をすまして春の音を聴いたり、鼻を使って春の香りを探したり、手でふれて春を体感したり、舌で春の味覚を味わったりして、春を探すことでした。
動き出す虫、色や光や形といった目に見える春はもちろんのこと、鳥の声、風や雨の音、水や空気の香り、風の感触や木の芽の触感、ふきのとうなどの春の味覚、五官で春を探すことで、これまで以上に多様な春を見つけることができるような気がしました。
教師時代に、朝の会の中に『発見コーナー』という時間を設けたことがありました。朝、学校に来る途中で、家に帰る途中で、いつもとちがうものを発見したら、そのことを発表しようというコーナーです。春先には、いろんな春の発見がありました。ふきのとうやネコヤナギ、オオイヌノフグリやつくしなど、実物をもって話をする子どもたちのいきいきとした表情を思い出します。目に見える春だけではなく、鳥の声や春のにおいを語る子どももいました。柔らかな感性は、いろんな春を探しだしてくるので、朝の会がなかなか終わらないこともありました。
子どもなったつもりで いやいや詩人になったつもりで いろんな春を探してみたいものですね。