あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

映画「切腹」を見て

2012-01-12 21:41:43 | インポート

滝口康彦さんの書いた「異聞浪人記」が映画化された『切腹』<監督:小林正樹、脚本:橋本忍、主演:仲代達矢 松竹映画 1962年制作>を見ました。

原作のイメージが、どう映像化されているのか、興味深く見ました。率直な感想としては、原作で伝えようとしたものが、白黒映画ではありましたが見事に映像化されているという印象を受けました。名作映画として評価されることにも納得がいきました。

体面のみを取り繕う理不尽な武家社会に対する怒り、大切な家族を失った喪失感、切腹を強要された息子の死に対須る悔しさなど、主人公:津雲半四郎の心情が せつなく 哀しく伝わってきました。

病床にある妻子を救いたいという一念から、大名家の門前での切腹狂言を決意した息子。そこに至るまでの事情さえ問わず、ゆすり・たかりの類と見なして、切腹に追い込む家老と家臣。武士としての潔い覚悟を求めながら、一方では竹光での切腹を強要する 武家社会の身勝手な論理。

安定した身分の側にいる武士とその日その日の暮らしさえやっとという浪人。置かれている立場は対照的であるものの、覚悟を決めて竹光で切腹した息子とその無念の思いを命をかけて晴らした父の方が、はるかに人間的で真の武士道を貫いたのだということを、映画を見て改めて感じました。

映画には、主人公の津雲役として仲代達矢さん、義理の息子役として石浜朗さん、娘役として岩下志麻さん、仇役の家老役として三国連太郎さん、家臣役として丹波哲郎さん等が出演し、いずれも存在感のある役柄を演じていました。私にとっては、心に残る名作映画の一つになりました。DVDのレンタル店から借りて見ることができますので、機会がありましたらご覧いただきたいと思います。

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澤選手のバロンドール賞受賞を祝って

2012-01-10 21:19:00 | インポート

2011年の世界年間最優秀女子選手として、なでしこジャパンのキャプテンでもあった澤穂希選手が、国際サッカー連盟<FIFA>から表彰されました。スイスのチューリヒで表彰式があり、なでしこを率いた佐々木監督も監督賞を受賞し、日本サッカー協会もフェアプレー賞を受賞したとのこと。皆さんもニュース等でご覧になったのではないかと思います。

国際スポーツの中で、日本人選手が活躍し評価されるのはとてもうれしいことです。

澤選手は、ワールドカップでMVPと得点王を受賞した時に、チームメイトや監督・コーチ、家族や友人、応援してくれたファンに支えられて今の自分が在ることを語り、支えてくれた人々に感謝するメッセージを残しています。今回の受賞でも、支えてくれた人々に感謝する言葉を語っています。

サッカーはチームでプレーする競技であり、一人はみんなと みんなは一人と 支え・支えられる関係にあることを自覚しているからこそ、語れる言葉のように感じました。

自分は運動能力やサッカー技術に優れているわけではなく、ただもっと今より上手になれるかもしれないという向上心だけは持ち続けてきたとのこと。そういった謙虚な姿勢で18年間もサッカーに取り組んできた姿勢が、今回の賞をいただく原動力になったのではないかとも思います。

受賞式での着物姿は、とても似合っていました。ファンであるバルセロナのシャビ選手からは、なでしこの優勝おめでとう!の声をかけてもらったとのこと。一人の女性としても、忘れられない授賞式になったようです。

今年は、ロンドンオリンピックの年です。なでしこジャパンが、澤キャプテンを要としてどんな活躍を見せてくれるのか、今から楽しみです。

元始 女性は太陽であった という言葉もありますが、いやいやどうして 今も女性は輝き続ける太陽なのではないかと思います。

女性の輝きが、男性を輝かせる 何よりの光源なのかもしれません……?

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被災地の成人式の写真を見て

2012-01-09 10:56:20 | インポート

新聞の一面に、岩手県陸前高田市で行われた成人式の写真が掲載されていました。式場の椅子に置かれた遺影とその隣で涙ぐむ若者の姿が印象的な写真でした。

若者は、遺影を 亡くなった友人の両親から託されて式に臨んだとのこと。

遺影に写る ネクタイを結び盛装した若者の凛々しい姿から、希望に満ちたはずの未来が閉ざされたことの理不尽さを思いました。

同級生の友人たちと一緒に成人式を迎えさせてあげたいという両親の思いが、せつせつと心に響きます。

遺影と共に式に臨んだ若者は、「遼の分まで命を大切にして、精いっぱい生きます」と話したとのこと。

涙ぐむ若者の姿の内に、その決意と 友と一緒に未来を歩むことのできない悲しみを 感じました。

遺影の若者は、その若者の心の中で生き続け、一緒に未来を生きることになるのだと思います。息子さんを亡くされたご両親も、若者の生きる姿を通して息子さんの成長を見守っていかれるのではないでしょうか。

大切な友や家族を失い、悲しみの中から新たな一歩を踏み出そうとする若者たちの未来が、幸多い人生であることを心から願います。

夢半ばにして旅立たなければならなかった方々のご冥福を 心から祈ります。

新しい年が 新たな涙の生まれない 年でありますように!  改めて心に強く思いました。

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時代小説『一命』を読んで

2012-01-08 22:28:57 | インポート

滝口康彦(たきぐちやすひこ)さんの小説<講談社文庫・『一命』>を初めて読んで、深い感動を覚えました。藤沢周平さんの、江戸で暮らす庶民の悲哀を描いた作品と 共通するものを感じました。

権力を持つ側ではなく、弱い立場の側で生きる人々に焦点をあてているところや、武士社会の論理に与せず一人の人間として生きた人々の姿を描いたところに、共通した味わいを感じました。

中には六話の短編が収められており、どの作品も心に残るものがありました。その中の3編を次に取り上げて紹介します。

第一話 「異聞浪人記」  貧しい浪人たちが、大名家の門前で切腹することを願い出ることが流行した頃の話です。切腹は本意ではなく、仕官の道や小遣い稼ぎにつながる道として流行しました。この物語では、二人の浪人が主役となって登場し、切腹することが本意ではなかったのに、切腹することになります。その事情がわかるにつれ、武士社会の冷たい論理や、病床にある妻子を気遣いながら死んでいった若い浪人の無念の思い、その無念を晴らすために切腹に至った義父の心が、なんともせつなく心に伝わってきます。

この作品は、解説によれば、1962年に『切腹』というタイトルで映画化され、今も名作として評価される映画作品になっているとのこと。仲代達矢主演の映画だったそうで、是非映像でも味わってみたいと思いました。また、昨年に市川海老蔵主演で『一命』というタイトルで再映画化されたとのことで、こちらの映画の方も見てみたいと思いました。

第五話  「高柳父子」  子が、父の無念の思いを追腹を切ることで晴らそうする話です。主君の死に対して殉死することが美徳とされた時代に、父は仕方なく追腹を切ることになります。しかし、子の代になると殉死禁止の時代となり、子は父の無念の思いを禁止された殉死という形を取って晴らすというストーリーです。武士としての在り方を問うと同時に、父の無念を殉死という形で示して抗議する子の姿に心が打たれます。

権力を持つ側の都合で、武士としての生き方や価値観が変えられてしまう時代。それに順応する生き方を求められながら否とする態度を貫く親子。個としての存在が無にされる封建時代にあって、一人の武士としてその生き方や在り方を自らの命をかけて周りに問いかける姿に、作者の思いが込められているような気がしました。

第六話 「拝領妻始末」 藩主の側室となった女性が藩主から捨てられ、藩士に下げ渡されます。女性は、藩士との生活の中で幸せを得るのですが、やがて自分の生んだ子が藩主の後を継ぐことになり、生母として生きるために、藩士との別れを余儀なくされます。藩士は愛妻との別れを拒み幽閉されますが、二人の愛は離れ離れになっても心の内では変わることはありませんでした。

お家の都合で人生を変えられてしまう女性。その女性をひたむきに愛する藩士。藩士の思いを理解し共に幽閉される父。せつなく哀しい物語ですが、貫く愛に心打たれます。

どんな時代にあっても 一人一人が大切にされ 人間として背負う悲しみや苦しみ、辛さが 理解される社会。そんな社会を作者は求めていたのではないでしょうか。

作者の滝口さんは、2004年に逝去されたとのこと。

残された作品も限られており、もっとたくさんの作品を読んでみたかったと思います。

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猫の再訪とクウタ

2012-01-05 21:38:38 | インポート

クウタのえさを求めて、久しぶりに白い子猫がまたやってきました。猫対クウタでは、圧倒的にクウタが劣勢ですが、今日は人間(私と娘)がいたので、クウタも強気だったようです。猫の方が物置の縁の下に隠れてしまいました。それをいいことに、クウタはえさを食べたり、縁の下の猫の様子を見に行ったり忙しく(本当は落ちつかず)動き回っていました。何とも気の優しい(正しくは気の弱い)犬なのだということを改めて感じながら、その様子をながめていました。

猫の方は、縁の下の近くで私が呼びかけると、かわいい声で鳴きます。その反応をみると、人間に慣れているところもあるので、もしかすると飼い猫なのかもしれません。その声を聞くと、私もついつい猫に同情し(おなかがすいているんだろうなと思い)えさをあげたくなってしまうので困ってしまいます。クウタの飼い主としては、愛犬のえさを奪いにきた不届き猫として厳しく対処しなければならない立場なのですが、そこを強く表現できないところにクウタとの共通性を感じてしまいます。外の風が冷たくなってきたので、私と娘も家の中に入ることにしました。その後に、どんなことが起こるのかはわかりませんが(人間の姿が見えなくなると、縁の下の子猫がクウタの存在を無視してえさを食べるかもしれませんが)……。

新しい年を迎えて、2000年生まれの我が家の愛犬クウタも、12才になりました。子猫は何才なのかわかりませんが、クウタも子猫も元気であることに、大きな喜びを感じます。いつか、クウタと子猫が仲良くえさを食べるようになるのではと、不安(?)に思うところもあるのですが……

◆クウタの兄弟が近くにいて、散歩の時に見かけます。こちらは、全身茶色で白いクウタとは対照的な毛の色をしています。離れたところでお互いに見合ったりしているのですが、兄弟として理解し合っているのかどうかは不明です。兄弟共に元気なのは何よりだと思っています。

命あるものの命が その輝きを失わない年で ありますように! と 心から願います。

コメント (2)
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