あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

小出裕章先生の話を聞いて

2012-01-21 23:22:41 | インポート

反原発の立場を貫いてきた京都大学の小出裕章先生の話を、インターネットで聴く機会がありました。その明快な話しぶりと科学者としての誠実な姿勢に、好感をもちました。

なぜ東京電力の原発施設が、東北電力のエリアにあるのか。原発でつくられた電力は、東京電力のエリアで使われるものなのに、どうして東京から離れた福島や新潟に原発を設置し、東京につくらないのか。

小出先生の論理は、明快です。万が一の原発の危険性を承知しているから、被害の及ばない離れたところに設置しているのだということです。恩恵だけは我がものとし、危険だけは他者に委ねるという身勝手な論理が、根底にあるからだというのです。そういった自分勝手な考えた方が許せないという思いが、反原発を貫く姿勢につながったとのことです。

原発はひとつの機械であり、機械は壊れるものである。その機械を操るのは人間であり、人間がその操作を誤る場合もある。その可能性を否定できないからこそ、原発は不必要である。

福島での今回の事故は、想定外の事故とすることで、責任の所在をあいまいにしてしまう面がありました。それだけ人間の手によるコントロールが難しく管理の及ばないものが原発なのだとしたら、なおさら原発そのものが危険な存在と言えるのではないかと思います。

小出先生はまた、事故が起きて以来政府が情報を提供する姿勢は、安全・安心であるから心配しないようにという感情面に働きかける情報が先行し、正確な情報提供が後回しになり、避難指示や対策が後手後手に回ったことを指摘しています。

正しく正確な情報提供こそが、被害を最小にとどめる有効な方法である。科学者としての誠実な姿勢を持ちつづけているからこそ、語ることのできる重い言葉なのではないかと思います。

放射能の除染作業が進められる中、二本松市のマンションの基礎部分から高度な放射能汚染が発見され、ニュースになりました。汚染された砕石の使用は、千か所以上にのぼり特定するのが難しい状況にあるとのことです。新たな汚染状況が発見され、また新たな対策が必要となります。汚染された瓦礫や土、焼却灰の行き先が見つからず、復興やゴミ処理対策の面でさまざまな支障も出ているようです。

私の住んでいる地域でも、米やキノコなどから国の基準を上回る放射能が測定されています。我が菜園も、測定はしていませんが何らかの汚染が想定されます。福島以外の地域でも、放射能による汚染は、さまざまな影響を与えていることを実感します。

事故によるコストは、どれだけになるのでしょうか。経済的な面だけではなく、汚染された土地が元にもどるのには、どれだけの年月がかかるのでしょうか。故郷にもどりたくてももどることのできない人々の精神的な苦痛は、どれだけのものでしょうか。安全だと言われる地域で生活する子どもたちの健康不安も一生涯消えることはないのではないでしょうか。

果たして原発は必要なのでしょうか。

小出先生は、そうは言っても電気は必要なのだから原発は必要なのだと 語る言葉を耳にし、落胆してしまうそうです。たかが電気のことなのに……。原発に依存しないでも、化石燃料<原油、石炭、天然ガス>や自然エネルギーを活用して電気をつくることはできるのに……。

今だからこそ、ドイツの英断を見習い、脱原発の方向へはっきりと踏み出すベきなのではないかと思います。40年という期限を設けるのではなく、原発に依存しないエネルギー政策へと大きな一歩を踏み出すことが必要なのではないかと考えます。

人の幸せとは何なのでしょうか。事故が起こる前に営まれていた日々の暮らしの中に、福島の人々は幸せを感じていたのではないでしょうか。その日常の幸せが、今は取り戻せない状況にあるのです。

事故が起こってからでは、大切な幸せを取り戻すことができないのだ ということをしっかりと心に刻んでおきたいと思います。

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