あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

猫の再訪とクウタ

2012-01-05 21:38:38 | インポート

クウタのえさを求めて、久しぶりに白い子猫がまたやってきました。猫対クウタでは、圧倒的にクウタが劣勢ですが、今日は人間(私と娘)がいたので、クウタも強気だったようです。猫の方が物置の縁の下に隠れてしまいました。それをいいことに、クウタはえさを食べたり、縁の下の猫の様子を見に行ったり忙しく(本当は落ちつかず)動き回っていました。何とも気の優しい(正しくは気の弱い)犬なのだということを改めて感じながら、その様子をながめていました。

猫の方は、縁の下の近くで私が呼びかけると、かわいい声で鳴きます。その反応をみると、人間に慣れているところもあるので、もしかすると飼い猫なのかもしれません。その声を聞くと、私もついつい猫に同情し(おなかがすいているんだろうなと思い)えさをあげたくなってしまうので困ってしまいます。クウタの飼い主としては、愛犬のえさを奪いにきた不届き猫として厳しく対処しなければならない立場なのですが、そこを強く表現できないところにクウタとの共通性を感じてしまいます。外の風が冷たくなってきたので、私と娘も家の中に入ることにしました。その後に、どんなことが起こるのかはわかりませんが(人間の姿が見えなくなると、縁の下の子猫がクウタの存在を無視してえさを食べるかもしれませんが)……。

新しい年を迎えて、2000年生まれの我が家の愛犬クウタも、12才になりました。子猫は何才なのかわかりませんが、クウタも子猫も元気であることに、大きな喜びを感じます。いつか、クウタと子猫が仲良くえさを食べるようになるのではと、不安(?)に思うところもあるのですが……

◆クウタの兄弟が近くにいて、散歩の時に見かけます。こちらは、全身茶色で白いクウタとは対照的な毛の色をしています。離れたところでお互いに見合ったりしているのですが、兄弟として理解し合っているのかどうかは不明です。兄弟共に元気なのは何よりだと思っています。

命あるものの命が その輝きを失わない年で ありますように! と 心から願います。


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2 コメント

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季節の移り変わり、旬の食材、自然が見せてくれる... (ささのすけ)
2012-01-06 00:45:27
季節の移り変わり、旬の食材、自然が見せてくれる生命の素晴らしさ…
青空人さんのブログの中には、私が都会の暮らしの中で無性に欲しくなるものが沢山詰まっていました。


大好きな読書、毎日の新聞記事…季節、食べ物、戦争の事実、家族、命への思い…

小さい頃に両親から、大切にしなさいと言われて育ったものばかりです。

震災の日は、私の誕生日でした。

高層ビルの間を抜けて、ラッシュアワーのような混雑の中を、五時間歩いて家にたどり着きました。

防衛庁のいかつい顔の門番の前を通ったときに、
何故ここはいつも通りの重圧感ばかりで、体調の悪い人や年配の方をいたわる場所にならないのか。

自分の意思では何も動けないことに、慣れきってしまっているのか、彼を問いただしたくなりました。


でも、震災から十ヶ月たとうという今、動けないのは自分も同じだと思い知らされています。

日常の生活をこなすのに一生懸命で、あっという間に時間が過ぎていきます。

自分の与えられた仕事を丁寧に…
それしかできないでいます。

自分の生まれた日に沢山の命が失われた…
とても重いです。

そして息子は9月11日生まれです。
誕生日に沢山の命が一瞬に消えてしまったこと…
僕は毎年必死で受け止めているんだ…
そう言っていました。
子どもの方が、私よりずっと先を歩いていたようです。

毎日丁寧に頑張って…

そんな中で疲れて行き詰まったとき、車を出して一人で森林浴に行って、ボーッとして…

時々そんな時間を作って、心のリセットをしていましたが、都会にいても、ラッシュの電車の中でも、青空人さんのブログにくれば、安心が待っていてくれるような気がします。


今年は、素敵な出会いから始まりました。

また時々遊びにきます。

ありがとうございました。
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ささのすけさん、コメントありがとうございました。 (青空人)
2012-01-06 22:49:12
ささのすけさん、コメントありがとうございました。
読みながら込み上げるものがありました。祝福される日であるはずの誕生日に、親子共に忘れることのできない哀しい出来事があったのですから。親子共に心優しいが故に自分のこと以上に震災とテロで亡くなった人々のことを考えてしまうのですね。かけがえのない命の尊さと重さとを深く受け止めるからこそ、辛くなってしまうのでしょうか。
吉野弘さんの書いた「夕焼け」という詩を思い出します。
  ……… 略
  やさしい心の持ち主は
  いつでもどこでも
  われにもあらず受難者となる。
  何故って
  やさしい心の持主は
  他人のつらさを自分のつらさのように
  感じるから。
  やさしい心に責められながら
  娘はどこまでゆけるだろう。
  下唇を噛んで
  つらい気持で
  美しい夕焼けも見ないで。
やさしい心で自分を責める つらいやさしさも あるのですね。やさしさには、目に見えるやさしさ と 目に見えないやさしさがあるのですね。でも、やさしさという本質においては、どちらも同じ温かさと深さを持っているのだと思います。この世界がそういったやさしさで満たされたら、誰もが幸せを感じることのできる平和でおだやかな世界が実現できるのかもしれません。
ていねいに仕事に打ち込むことは、誠実に生きるということでもあると思います。時には張りつめた心の糸をゆるめ、青い空でものんびりとながめながら、新たな年の一日一日を大切に歩んでいきたいものですね。
どうぞ、これからも時々ブログの方へお立ち寄りください。お待ちしています。            青空人
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