青い空とわたし

青い空の日  白い雲の帆船をみていると

どこかへ どこまでも Harmonyと

走っていきたくなります

黒岳登山~ ブナの深い森と富士山の眺めを堪能する

2019年05月31日 18時10分59秒 | 同上 (山歩き)
5月30日(木) その1

すずらん群生地入口駐車場での朝は、雲混じりの晴れ。

7時過ぎに出発。
舗装された林道を40分ほど歩く。



▲ 「釈迦ヶ岳⇔黒岳 登山口」(どんべい峠)との表記のある処まで来た。

この場所はガイドブックルートでは歩き過ぎていたが気づかず。(30分ほどルートが膨らんだ)
しかも、黒岳へはこの黄色いゲートを越えて直進すればよい、と考えて直進。
30分ほど歩いても?? 舗装林道は下って行く。
これはおかしい、間違えた!

戻り直して(45分ロス)、もう一度このポイントで周囲を見直す。
右端の赤印の標識を見落としていた




▲ 「釈迦ヶ岳⇔黒岳」 の標識が、あるじゃん!

黒岳へは、右手の細い山道を登っていくのだった。
ちと、注意が足らなかったな。
舗装林道での戻りだったから、体力ロスも少ないが、これが山道の引き返しだったら・・体力もさることながら山道で試行錯誤をやると道に迷うリスクが高いよ。




▲ 気を取り直して、ブナとミズナラに囲まれた、木漏れ日も差し込む森を歩き続けた。

最後は急坂に少し息を切らしながら・・

出会ったのは一人だけで、「これ黒岳に行く道ですよね?」
「そうですよ、もうすぐですよ」女性ハイカーだった。




▲ 黒岳頂上 1793m 9:39AM

頂上は展望が無くて、左手奥へ200mほど行ったところに展望所がある。





▲ 展望所へ来た。





▲ 左右に広がるあれは河口湖。小さい島、鵜の島が有るから分かる。

その後ろに拡がる山影は、富士山に違いないが、雲とカスミでハッキリしないな。
残念。

お断りしなければならない。この記事のタイトル「ブナの深い森と富士山の眺めを堪能する」はボクのガイドブックの黒岳紹介のキャッチコピーなので。 キャッチどおりいかないこともある(笑)。

「クルマで行く山あるき 関東周辺」(JTB大人の遠足BOOKシリーズ)




▲ この花がチラホラと咲いていた。

アカヤシオ(赤八汐)? ミツバツツジ(三葉躑躅)? いつも迷うのだが
枝先からの葉数が5枚ではなくて3枚だから、ミツバツツジだろう。


 すずらん峠 を過ぎて

 破風山 も過ぎて




 追記

▲ こんな花も咲いていて(名前不詳)

シロバナノヘビイチゴ (jun さんよりご指摘いただきました)





▲ 新道峠の第一展望台へ来た。

ここでは富士山を眺められるのだ♪

男女二人がボクに駆け寄ってきて、熊ベルを鳴らさないようにと??



▲ 山梨放送が、山旅の収録をしていた。

向こうの青服の女性が山旅ライターさんで、山梨放送がインタビューしている途中だった。

「みなさん、天候も良くなってきました。山登りしましょう」 とかなんとか、言っていた。

山登りしてるよ。

背景になるフジヤマは・・・




▲ ああ残念。まだ雲がかかっている。

言っておくけど、「富士山の眺めを堪能する」はあくまでキャッチだから(笑)。




▲ ま、弁当を堪能して、ちょっと待ってみようか。

と、助六寿司を開く。
やっぱり昨日買ったのは硬めだな。




▲ 近くに咲いていた赤い花を観賞したりしていると

この花はボケ、自生しているのでクサボケ (jun さんよりご指摘いただきました)




▲ オオッ、雲がとれてきたよ!

TVのスタッフともども歓喜の声をあげる。




▲ 頂上で輝く雪面模様が、キレイだ!

アータマーをクーモノ上にダシー♪

思わず、みんなで歌い出した。

しかし、雲の上に出たのはここまでで、またすぐに雲に隠れてしまった。

スタッフもボクも打ちひしがれた思いで、まもなく第一展望台を撤収した。


新道峠から林道へ下りて



▲ 舗装林道を30分ほどてくてくと下ると、

「すずらん群生地」 の標識が出てきた。

この下を下っていけばよいのか♪




▲ その前に、この林道脇で、

「ワタシを見て、見て」 と言わんばかりにこちらを向いて咲いていた、黄色い名も無い花があったので(キミが知らんだけだろ) アップしておこう。

このあとに拡がるすずらん畑は、次回続くということで。

となると、いくらなんでも読者に叱られそうなので、
もうスマホの待ち受け画面に使ったすずらんを、ちょっとだけよ。(古いな)



【続く】



ようやく清々しくなったので

2019年05月29日 17時52分10秒 | 同上 (山歩き)
5月29日(水)

三陸から帰って、このところ猛暑日だったり、雨が降ったりで、爽やかな5月には縁遠かった。。
が、あしたは 清々しい「快晴」日 になりそうだ。



▲ で、昼食後、家を出てしまった(笑)。

富士・河口湖の上方の、この駐車場に3時前にトーチャコ。
始め数台乗用車が停まっていたが、皆さんいつものように帰ってしまって・・

alone again




▲ 明日は、今が花期のすずらんを見る。

今すぐ見れるが、もう汗はかくのは嫌なので、明日の楽しみにしよう。




▲ まず、黒岳 1793m に登る。

山梨百名山か。この案内地図ではずいぶん立派に見えるなー。
登れるかなあ (冗談です。たいていの方は登れるはずです)。

明日は、予報どおり晴れてね。



東北の旅~ 三陸久慈 そして 最後は奥入瀬 ・十和田湖で

2019年05月24日 06時00分00秒 | 青い空の日は旅立(全般)
3月15日(水)

道の駅・くじ で朝を迎えた。
今日は、残念ながら曇り空だ。
久慈の海岸に向かう。



▲ 「北限の海女」の地 だとか。

久慈の小袖地区。
よくわからんが。



▲ 「小袖海女センター」の建物

「あまちゃん ロケ地」でスマホ検索したら、ここを示したので来たのだ。





▲ ここは、「あまちゃん」のロケ地 というポスターが貼ってある。

今調べてみると、朝ドラ「あまちゃん」(2013年)の主要舞台は架空の「北三陸市」。そのメインロケ地が久慈市だったようだ。主要場面が久慈市にあると言われても、ボクは「あまちゃん」はあまり見ていない。そりゃそうだろう、まだリタイヤしていなかったのだから、朝ドラなんか(笑)。

それに、この「海女センター」でウニ丼が食べれると出ていたので、ここへ来たのだが。センターは9時にならないと開館しない。まだ8時過ぎだよ。ボクは、リサーチ不足の 「アホちゃん」 だ。




▲ センター前の海岸だけ眺めて、出発!


これでとにもかくも、三陸の旅は無事終わった 

では、次は八戸へ向けて進行!


八戸市を通過して、昼頃に道の駅・奥入瀬に到着。



▲ 内陸に入ってしまうと海鮮食事は、メニューからなくなった。

野菜ビーフシチューを注文。




▲ 道の駅・奥入瀬からは、きれいな山並みが見えた。

店員さんに尋ねてみると、やはり八甲田山連峰だ。
八甲田山という山は無くて、大きな広がりを持つ山系だ。
去年の夏に登ったよね♪


クルマは、奥入瀬渓流に入ってきた。



▲ 奥入瀬は、2007年の8月に東北5大祭り巡りをしたときに来て以来だから、12年ぶりだ。





▲ 奥入瀬の中間点の石ヶ戸(いしげど)休憩所に停める。前回と同じ。

ここから、十和田湖の方向へ歩こう。
前回は「阿修羅の流れ」まで歩いたから、今回は「雲井の滝」ぐらいまで歩こう。
片道45分か。




▲ 渓流に沿って遊歩道が整備されている。





▲ 石ヶ戸の辺りは、水量が多く流れもゆったりだ。





▲ 「阿修羅の流れ」辺りまでくると、川幅も狭くなり流れが速くなる。





▲ 雲井の滝まで来た。

じゃあ、とって帰ろう。




▲ 石ヶ戸に戻った時に、急に大雨が降ってきた。まもなく止んだ。



十和田湖へ向かって、奥入瀬沿いに走る。



▲ 銚子大滝

奥入瀬で一番大きい滝ということで、クルマを停めて写真だけ撮ってきた。


十和田湖に到着。



▲ 十和田湖畔。

もう夕方5時で、観光客は最後の客が出発しようとしていた。
湖の端の方へ歩いていく。
これを見るために。




▲ 静かに立つ 乙女の像

高村光太郎の最後の作品(1953)。

ちょっと逆光だから前に回ってみよう。




▲ これでフォルムがはっきりする。

「あらっ、これなら私のほうが・・」 と、思わず小さくつぶやくご婦人がおられるかもしれない。

「乙女」のモデルは千恵子だと言われている。
体形が「乙女」かどうかより、光太郎にとっては千恵子が精神的に「永遠の乙女」だったということだろう。
ダンテにとってベアトリ-チェが、ゲーテにとってグレートヘンが「永遠の女性」だったのと同じだ。
男とはそういうものだ。

もし、「私のほうが・・」 と思われる方がおられれば、ご主人かパートナーに 「ワタシってひょっとして乙女?」 と確認されたら良い。 (全部冗談ですので本気になさらないように)





▲ 最後に、発荷峠から眺めた十和田湖

少し晴れてきたな。



このあと、十和田ICから帰路の東北道に乗った。

翌日午後8時ごろ、自宅へ無事帰着。
7日間の総走行距離数は1850kmだった。



奥入瀬・十和田湖は





三陸海岸の旅~ 田老町防潮堤、鵜の巣断崖、島越駅、北山崎にて

2019年05月22日 19時00分33秒 | 青い空の日は旅立(全般)
5月14日(火) その2

浄土ヶ浜のあと、北上を続け宮古市の田老(たろう)地区に来た。

田老は過去に、津波を受けた回数及び浸水程度が他の三陸地区比でも大きかった歴史がある。
従って防災意識も高く、防潮堤でしっかり囲まれた地区との評価があった。

しかし、2011.3.11 の大津波では・・防潮堤は乗り越えられてしまった。



▲ 決壊した防潮堤。

右側が海。
X 字形状の防潮堤はこのポイントで2分岐するが、赤矢印に続く防潮堤は決壊してしまった。




▲ 右先に続く防潮堤は喪失したままになっている。

その下にある案内図によれば




▲ 現在地は、黄色の残った防潮堤と赤色の現在復旧中の防潮堤が交差する位置。


現在建設中の新しい防潮堤を見てみると、



▲ こんな造りで、通路が数カ所設けられている。




▲ こんな厚さで





▲ こんな高さ。

防潮堤をより高くしてどんな津波も防ぐという考えもあれば、防潮堤は諦めて盛り土をしてより高台に住むのが先決という考えもあるようだ。漁業の海へのアクセスの容易さ、観光上の景観という考慮要素もある。費用はかかるのだから費用対効果も考えねばならない。「復興」の前提としての防災環境決定は、実はそう簡単なものではないようだ。




▲ 津波遺構として、「たろう観光ホテル」も保存されている。

海岸に出ると、



▲ 津波表示箇所に出くわす。

過去3回の津波時の最高浸水ポイントが表記されている。

上から、



▲ 津波水位表記

平成17.3m ~ 平成23年3月11日 東日本大震災

明治15.0m ~ 明治29年6月15日 明治三陸大津波

昭和10.0m ~ 昭和8年3月3日 昭和三陸大津波



道の駅・たろう に戻ってランチにしよう。



▲ 善助屋食堂

数日前、NHKのローカル放送でこの店が紹介されていて、実は狙っていたのだ。




▲ どんこ唐揚げ丼 を勧められたとおり注文。

「どんこ」とは「エゾイアイナメ」というタラ科の白身魚。
唐揚げされた「どんこ」を口に含むと柔らかいそれでいて質量のあるモノが口内で砕けた。
唐揚げの薄い皮の塩っぽさと相まって、うむ、ウマイ。だったよ。


田老をあとにして、北上。田野畑村というところへ。




▲ 駐車場からずっと続く松林の中、ウッドチップが敷き詰められたフカフカの遊歩道を歩いて、高さ500mの展望台へ。




▲ 鵜の巣断崖

弓状にえぐられた高さ200mもの断崖が、屏風のように5列に連なる。
崖の中腹には、ウミウの巣があることからこの名が付けられた。




▲ アップしてみると

産卵期ではないからか、ウミウが飛んでいる姿は見えなかった。


断崖を離れて、海岸線をもう少し走ると



▲ 島越駅(しまのこし)

島越駅の旧駅舎は、もともと宮沢賢治の小説からとった「カルボナード島越」という別名と、メルヘンチックな外観の駅で人気だったらしい。しかし大津波で跡形も無く流出。2014年に復元したという。




▲ プラットフォーム

向こうにトンネルが見える。




▲ プラットフォームの前は、海だ。


ふーむ・・ と立ち去ろうとすると




▲ 列車がトンネルから出て、走ってきた。

三陸鉄道リアス線

3月23日にJRの宮古駅~釜石駅間が三陸鉄道に移管されて、日本最長の第三セクター鉄道になった。

更に北上して、



▲ 北山崎展望台から

三陸海岸でも、そのリアス式海岸の断崖の特徴をよく現わしている箇所。


さあ、今日はこの辺りまでだな。
色々見たよ(^^)。


今日のねぐらは、「あまちゃん」で有名になった久慈だ。
もう少し走ろう。


道の駅・くじ には午後5時過ぎに到着。



▲ 道の駅のレストラン・山里海 で夕食だ。

海鮮丼を注文。具が色々あって、これも満足。値段は忘れたがリーズナブルだったよ。

食事のあとは、近くの立ち寄り湯・久慈健康ランド古墳の湯へ行こう。

では、おやすみなさいまし。



【続く】

この辺りは







三陸海岸の旅 ~ さながら浄土ヶ浜は・・

2019年05月21日 17時05分47秒 | 青い空の日は旅立(全般)
5月14日(火) その1



▲ 道の駅・みやこ での朝。

朝食を済ませて、道の駅を出て行く時、目に入った。




▲ 道の駅の建物に、表記があった。(赤印)

「2011.3.11 津波浸水 表示ライン」

あそこまで海水に浸かったのか・・ もちろん車高3.2mの Harmony を超える高さだ。

その下に、写真パネルが埋め込まれていた。(小さい赤丸)

それによれば、




▲ 3月11日の津波浸水時。

赤矢印の下が、今日の朝までボクが寝ていたところ。



▲ 津波が引いたあと。



行こう!




▲ 道の駅の横の半島をぐるっと回って

浄土ヶ浜第1駐車場に到着。
ビジターセンターのエレベーターで地下1階に降りて、海岸に出た。




▲ 遊歩道を歩いて行く。

あの船に乗ると、青の洞窟とやらに連れていってくれるそうだが。




▲ ボクは、この遊歩道を歩いて、浄土ヶ浜を見れれば充分だろう♪

水がきれいだ。





▲ 白い岩。流紋岩だそうだ。

ボートが走る。




▲ 右端に、浜が見えてきた。





▲ 浄土ヶ浜に着いた。


ワイド画面で撮ると




スマホ・タブレット用のワイド画面は
 (クリック)





▲ 左端の二つの岩も撮りたくなって。






▲ ボートに乗って、海中を覗いている人。

ウニでも捕っているのかな。


レストハウスの屋上から、浄土ヶ浜を俯瞰してみよう。



▲ 300年前に宮古山常安寺7世の霊鏡和尚が、この辺り一帯を見て 「さながら極楽浄土のごとし」 と感嘆したのが「浄土ヶ浜」の地名の由来だとか。

なるほどね。
極楽、極楽・・

心の中に極楽があったほうがいいかな。




▲ カモメに餌をやる人たち。





【続く】

ここは浄土ヶ浜





三陸海岸の旅~ 南三陸町、奇跡の一本松、碁石海岸で

2019年05月20日 14時12分22秒 | 青い空の日は旅立(全般)
5月13日(月)

昨夕は南三陸町の中心を通って、少し内陸に入ったこの道の駅↓でお泊り。



▲ 道の駅・三滝堂(みたきどう)での朝、今日も晴天。

南三陸の町へ再度出かける。




▲ 南三陸さんさん商店街へ。

志津川地区の事業者が集まり、2012年に仮設商店街として開設後、2017年に本設商店街に移行。28店(仮設時代は32店)が軒を連ね、賑わい再生の拠点となっている。(ウィキ)商店街の裏にまわってみる。




▲ 案内板

2011年3月13日(大津波2日後)の写真。
川向うの、左に防災対策庁舎。右に公立志津川病院が写っている。

ボクが同年の11月にこの地を訪れた時には、まだ志津川病院は残っていたがその後解体、移設されたようだ。
献花台がその前に設置されていたあの防災対策庁舎は・・・

橋を渡って回り込んでみると



▲ あの赤い鉄骨は庁舎・・保存されたようだ。





▲ 三階建ての防災対策庁舎。屋上の電波塔は保存されている。

防災庁舎の悲劇についてはあえて書くまい。




▲ この一帯は、川の堤防の復旧の他に、広く整地工事が進行中。

ずっと向こうに、大きく古墳のごとく盛り土工事がなされていた。




▲ もう一つの案内図。

防災庁舎の遺構保存だけでなく、震災復興祈念公園として造成されるようだ。
あの盛り土された場所は、「祈りの丘」になる。(来年秋に完成予定)


南三陸町をあとにして、国道45号の北上を続ける。



▲ 海岸線に沿う国道45号を走っていると、ところどころでこの標識↑(右)に出くわす。




▲ 浸水区域を示す標識だ。

この浸水区域Startのあと、防波堤工事が延々と目に入り、国道が高台に上ると「ここまでEnd 浸水区間」が現れる。

そして「○○団地」の地区表示が出てくる。
それは高台に津波後に造成された宅地箇所のようだ。

国道45号ではこの繰り返しが続く。


気仙沼市を越えて、陸前高田に入る。



▲ 奇跡の一本松
一本松の下は、陸前高田ユースホステルの遺構。




▲ 広田湾に面したここ高田松原は、7万本の松が茂り日本百景に指定されていた景勝地。

写真にもある一本松は、前面の松林とホステルに遮られてか、この松だけなぎ倒されなかった。
しかしその後枯れ死。
現在保存処理をされて、モニュメントとして保存されている。

陸前高田の隣町の大船渡へ移動する。
そこには昔からの景勝地、碁石海岸がある。



▲ 名前の由来となった碁石浜には下りず、この高台展望台へ来た。




▲ 展望台右横には、左の雷岩と右の切り立った絶壁・乱曝谷。

右の大きな雷岩では、その下部の洞に波が打ち付ける度に、ドーン、ドーンと雷のような音が。
その低い音はボクの耳に、心に響く。




▲ 展望台の左横は、ここは三陸海岸。

あくまで美しいリアス式海岸が続く。




▲ 碁石海岸のレストハウスでランチ。

上の蕎麦椀は、ここらへんの名産・柚子が練り込んであった。
海鮮丼は、もちろん満足、満足(^^)。

ランチ後は、45号線で釜石市を過ぎて、山田町で250円の立ち寄り温泉に寄って(シャンプー、ソープが無くて焦った)、宮古市へ。今日はかなり走った。




▲ 宮古市にある道の駅・みやこへ到着。

今晩はここでお泊り。
すぐ隣は、宮古湾に面した海抜ゼロメートル。トイレがすぐ後ろにあるからココ。

して、明日はすぐ近くの名勝・浄土ヶ浜へ行けるから。

( 浄土? キミ、大丈夫か? )


関連過去記事: 「北帰行 被災地へ」2011.11.26


今日の走行ルートは


赤線ルート

三陸海岸の旅 ~ 松島や ああ松島や

2019年05月18日 22時52分24秒 | 青い空の日は旅立(全般)
5月12日(日)

昨日道の駅に向かうときに、松島を通り過ぎていった。

しかし、松島はやはり見てこないとなあ。



▲ 奥松島へは2度目(前回は2007年8月)になるが、再度ここに寄った。

松島湾の小さな半島先にある大高森

「壮観 大高森」の標識のある登山口から登る。




▲ 登ると言っても標高100mの山だからたいしたことはない。

前回は家内ですら登ったのだから(笑)。




▲ 30分ほどで大高森頂上の展望台へ到着。

島々が散在する松島湾のビューポイントは湾に4カ所ある。それぞれの景観の特色から、壮観、幽観、麗観、偉観と呼ばれている。




▲ 大高森のこの景観は、「壮観」と名づけられた。

「松島や ああ松島や 松島や」

と芭蕉が詠んだ(異説有り)のはここからか、どうかは知らないが、
高台だけに「壮観、壮観、壮観」なことには間違いない。




▲ ボートが疾走していく。

筏(いかだ)が多数あるが、なにを養殖しているのだろうか。
やはり、牡蠣(かき)かな。

石巻市を過ぎて、次に向かったのは牡鹿(おしか)半島、そしてその先端へ。



▲ 御番所公園という半島の高台だ。

ここに展望棟があった。




▲ ここからは、対岸の金華山がよく見える。





▲ 金華山には神社があって5人ほどの神職が住んでいるだけ(ウイキペディア)。

あとは手つかずの自然だけの国有地。
それが魅力なのか、金華山観光のフェリーが定期運航しているようだ。




▲ 展望棟から見た御番所公園の駐車場。

公衆トイレもあって、見晴らし景色がいいから、ボクは金華山に渡らなくとも、ここでしばらく車中泊していたいと思った。




▲ 陽に照り輝く松島湾。

牡鹿半島先端から付け根の女川町(おながわ)へ向かうとき、見えた光景だ。


女川町に入って見た標識



▲ ここに女川交番所があったという標識。





▲ その標識の後ろには、杭が地面から抜かれた状態で横たわる交番所。

これからは、こういう保存された津波遺物を目にしていく。





▲ 女川町を通り抜けて、海岸沿いに走行して南三陸町へ向かった。

南三陸町は、2011年11月以来の再訪だ。


【続く】

牡鹿半島は、




東北・三陸の旅 ~ あの人はもういない

2019年05月17日 19時01分37秒 | 青い空の日は旅立(全般)
5月11日(土)

昨日の昼に自宅をたって、東北道へのって仙台市近くのインターチェンジを下りて、立ち寄り湯に寄って道の駅へ。



▲ 今日は、道の駅・おおさと(大郷)での朝だ。

晴天。
予報ではしばらく晴れの日が続きそうだ。
ラッキー!




▲ 朝一番に来たのが、瑞鳳殿(ずいほうでん)

瑞鳳殿は、伊達政宗が遺言で造らせた自分の霊屋(おたまや)墓所。
これは入口の涅槃門。
550円を払って入る。




▲ 奥に進んで、瑞鳳殿の前。

希望すれば、ボランティアさんのガイドを受けられる。





▲ きらびやかな桃山文化風の瑞鳳殿。

実は1945年の戦災で焼失したが、1979年に忠実に再建された。
この建物の下には、政宗の本物の遺骸が眠る。


瑞鳳殿を囲むようにして流れる有名な川がある。



▲ 橋のたもとからその川を眺めよう。





▲ 広瀬川 だ。

右側の方向は仙台の中心、仙台駅の方向。その近くに川は流れる。




▲ 左側は、川の上流で山へ向かう。

 広瀬川流れる岸辺 想い出は帰らず
 早瀬躍る光に 揺れていた君の瞳
 時はめぐり また夏が来て
 あの日同じ流れの岸
 瀬音ゆかしき
 杜(もり)の都(みやこ)
 あの人はもういない





それでは、橋を渡って青葉城へ行こう。








▲ 大手門




▲ マンホールまでお城だ。

仙台城の跡は、緑いっぱいの青葉城公園と東北大のキャンパスの一部になっている。

ほんとにここは、杜の都 だよ。


街の中心に出て、



▲ 青葉通り

 青葉通り薫る葉緑 想い出は帰らず
 樹かげにこぼれる灯(ともしび)に
 ぬれていた君の頬
 時はめぐり また夏が来て
 あの日と同じ通りの角(かど)
 吹く風やさしき
 杜(もり)の都(みやこ)
 あの人はもういない

(青葉城恋歌/さとう宗幸)




▲ 和風パスタを食べた。





▲ この日のねぐらは、道の駅・上品(じょうぽん)の郷。

温泉ふたごの湯を併設していて便利。
松島に近い。


【続く】



旅の前のウッドデッキ改修は・・

2019年05月09日 21時42分28秒 | 日々の思い
5月6日~9日

さてさて、次は駐車場上のウッドデッキの改修だということで、



▲ 資材調達に、瑞穂のジョイフル本田のホムセンにやってきた。





▲ 8F(243cm)の防腐レッドウッドを3本、10F(305cm)を4本購入した。

今日はホムセンから軽トラックを借りるのではなくて、Harmonyへ直接に後ろ窓から積み込んだ。
Harmonyだってトラックだからな(笑)。




▲ まず、傷みの激しかった7枚のボードを剥がした(右上)。

次に購入したレッドウッドを、寸法を合わせて切断。一応、載せてみる(右下)。

そして、防腐防虫ペイントを今回も3度塗りした。




▲ で、出来上がったボード7枚を仮置きしてみる。

うん、いいんでないの。

後は、釘打ちをして、ラティスを少し改修して、そのあと他の部分も全部塗り直して終わり。
その作業は、旅から帰ってからまたやりますので。
decoさま、明日から1週間ほど北のほうですが、私も旅に出てよろしいでしょうか。

レポはy、また帰ってからということで。




大河ドラマ いだてん 考

2019年05月07日 19時53分51秒 | 文芸・アート
3年前にリタイヤしてから予想通りというか、TVを見る時間が多くなった。見ながらブツブツ文句を言うので、横にいる家内に嫌がられる。「黙っててよッ」。 それでも、ブツブツ。面白い番組も多いが、イラ立つ番組も多い。「そんなことあり得ないだろうっ」。ま、もうそれは見なければ済むのだが。しかし、イラ立つ番組が多くなると、世の中全体にハラが立ってくるので穏やかではない。これ老人の兆候だね。

で、見ながらブツブツ言うより、いっそ自分のブログで吐き出したほうが、周りに迷惑をかけないかも。自分も溜め込まずにスッキリするかもしれない、ということでTV番組へのブツブツを書いてみることにした。もちろん感心した番組についても書いてみるつもりだ。

自分のストレス発散が主目的だから、あらかじめお断りしておくが、私のブツブツへの批判は遠慮願う。よくあるのは「何も知らないくせに、偉そうに」的な反論というよりも理屈なしの反発だ。しかも「通りすがりの者」と匿名性を確保したうえでだ。あらかじめ言っておこう。批判したいかたは当ブログを言及して構わないから、自分のブログでやってくれ。そもそも当ブログは私的ブログ。嫌なら読まなければ良い。


さてさて、前口上が長くなったが。しょっぱなに取り上げたいのは、NHK大河ドラマの「いだてん」だ。



本日GW明けで、過去二週間の視聴率がドバッと出た。第16回4月28日が7.1%、第17回5月5日が7.7% でとうとう7%台に陥落してしまった。特に7.1%は、大河史上の最悪記録だとか。

「いだてん」の視聴率が他の大河ドラマに比べて低いのは当初から話題になっていた(笑)。

・二つの時系列が並行して、わかりにくい。
・主人公らしき人物も、金栗四三と落語家が交互に出てきて? 関連性も見当たらない。更にタケシも解説に加わり何のこっちゃ?
・金栗三四といっても、Who is he? でそもそも関心がもてない etc

さまざまの理由が指摘されてきたが、ボクには全部当たっていると思う。

一番大きなミスは、宮藤官九郎(クドカン)の脚本自体が面白くないということだろう。
中村勘九郎演じるいだてんを、純朴かつコミカルに演じさせようとしたのだろうが、じぇんじぇん可笑しくない。ヒエーと冷水をかぶるシーン、間違ってフンドシ姿を綾瀬はるかに見せてしまうシーン、前だけを見つめて手を振らずに走る走法、みんな笑いを誘うとクドカンは期待したシーンだろうが可笑しくなくて、いだてんは可哀想に、アタマが少し悪い知恵遅れの青年に見えるだけだ。はっきり言って小手先だけのコミカルシーンの演出を連発して、ボクは演出者は視聴者をバカにしてるとハラを立てている(笑)。

金栗四三はベルリンオリンピックが中止になったあとも、アントワープ(16位)、パリ(途中棄権)オリンピックにも出場し続けた、むしろ悲劇の部分を中心に描いたほうがよっぽど感動を呼んだであろう。

二番目のミスは、中村勘九郎の演技。アタマが弱いイメージは脚本がそうなのだからしょうがないとしても、細かい心理表現ができてない。ベルリンオリンピックが中止になったと聞かされたときの四三の表情。目を見開いてはいるが、のべーっとした表情のままだ。もう少し驚き、動揺、悲しみ、怒りの心理を交錯せんかい。たぶん歌舞伎役者の演技は、大げさな表情に終始するから、そもそもドラマでの微妙な表情変化は無理なのでは。

三番目の、一番大きなミスは「いだてん」が国営放送の国策オリンピックそんたくドラマだということだ。来年のオリンピックを盛り上げるために、過去のオリンピックの歩みを総花的に盛り込んで製作したため、鑑賞に堪えるドラマにはならない。視聴率が低くても、NHKの経営委員会は「よくやってくれた」と任命権をもつ内閣総理大臣に褒められることだろう。
これもあらかじめ言っておこう。ボクは初めから東京オリンピック開催に反対だ。今日本に必要なのは「パンとサーカス」ではないゆえ。



参考ニュース:「NHKいだてん視聴率が大河ワーストの7.1%」