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三陸海岸の旅~ 田老町防潮堤、鵜の巣断崖、島越駅、北山崎にて

2019年05月22日 19時00分33秒 | 青い空の日は旅立(全般)
5月14日(火) その2

浄土ヶ浜のあと、北上を続け宮古市の田老(たろう)地区に来た。

田老は過去に、津波を受けた回数及び浸水程度が他の三陸地区比でも大きかった歴史がある。
従って防災意識も高く、防潮堤でしっかり囲まれた地区との評価があった。

しかし、2011.3.11 の大津波では・・防潮堤は乗り越えられてしまった。



▲ 決壊した防潮堤。

右側が海。
X 字形状の防潮堤はこのポイントで2分岐するが、赤矢印に続く防潮堤は決壊してしまった。




▲ 右先に続く防潮堤は喪失したままになっている。

その下にある案内図によれば




▲ 現在地は、黄色の残った防潮堤と赤色の現在復旧中の防潮堤が交差する位置。


現在建設中の新しい防潮堤を見てみると、



▲ こんな造りで、通路が数カ所設けられている。




▲ こんな厚さで





▲ こんな高さ。

防潮堤をより高くしてどんな津波も防ぐという考えもあれば、防潮堤は諦めて盛り土をしてより高台に住むのが先決という考えもあるようだ。漁業の海へのアクセスの容易さ、観光上の景観という考慮要素もある。費用はかかるのだから費用対効果も考えねばならない。「復興」の前提としての防災環境決定は、実はそう簡単なものではないようだ。




▲ 津波遺構として、「たろう観光ホテル」も保存されている。

海岸に出ると、



▲ 津波表示箇所に出くわす。

過去3回の津波時の最高浸水ポイントが表記されている。

上から、



▲ 津波水位表記

平成17.3m ~ 平成23年3月11日 東日本大震災

明治15.0m ~ 明治29年6月15日 明治三陸大津波

昭和10.0m ~ 昭和8年3月3日 昭和三陸大津波



道の駅・たろう に戻ってランチにしよう。



▲ 善助屋食堂

数日前、NHKのローカル放送でこの店が紹介されていて、実は狙っていたのだ。




▲ どんこ唐揚げ丼 を勧められたとおり注文。

「どんこ」とは「エゾイアイナメ」というタラ科の白身魚。
唐揚げされた「どんこ」を口に含むと柔らかいそれでいて質量のあるモノが口内で砕けた。
唐揚げの薄い皮の塩っぽさと相まって、うむ、ウマイ。だったよ。


田老をあとにして、北上。田野畑村というところへ。




▲ 駐車場からずっと続く松林の中、ウッドチップが敷き詰められたフカフカの遊歩道を歩いて、高さ500mの展望台へ。




▲ 鵜の巣断崖

弓状にえぐられた高さ200mもの断崖が、屏風のように5列に連なる。
崖の中腹には、ウミウの巣があることからこの名が付けられた。




▲ アップしてみると

産卵期ではないからか、ウミウが飛んでいる姿は見えなかった。


断崖を離れて、海岸線をもう少し走ると



▲ 島越駅(しまのこし)

島越駅の旧駅舎は、もともと宮沢賢治の小説からとった「カルボナード島越」という別名と、メルヘンチックな外観の駅で人気だったらしい。しかし大津波で跡形も無く流出。2014年に復元したという。




▲ プラットフォーム

向こうにトンネルが見える。




▲ プラットフォームの前は、海だ。


ふーむ・・ と立ち去ろうとすると




▲ 列車がトンネルから出て、走ってきた。

三陸鉄道リアス線

3月23日にJRの宮古駅~釜石駅間が三陸鉄道に移管されて、日本最長の第三セクター鉄道になった。

更に北上して、



▲ 北山崎展望台から

三陸海岸でも、そのリアス式海岸の断崖の特徴をよく現わしている箇所。


さあ、今日はこの辺りまでだな。
色々見たよ(^^)。


今日のねぐらは、「あまちゃん」で有名になった久慈だ。
もう少し走ろう。


道の駅・くじ には午後5時過ぎに到着。



▲ 道の駅のレストラン・山里海 で夕食だ。

海鮮丼を注文。具が色々あって、これも満足。値段は忘れたがリーズナブルだったよ。

食事のあとは、近くの立ち寄り湯・久慈健康ランド古墳の湯へ行こう。

では、おやすみなさいまし。



【続く】

この辺りは