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三陸海岸の旅~ 南三陸町、奇跡の一本松、碁石海岸で

2019年05月20日 14時12分22秒 | 青い空の日は旅立(全般)
5月13日(月)

昨夕は南三陸町の中心を通って、少し内陸に入ったこの道の駅↓でお泊り。



▲ 道の駅・三滝堂(みたきどう)での朝、今日も晴天。

南三陸の町へ再度出かける。




▲ 南三陸さんさん商店街へ。

志津川地区の事業者が集まり、2012年に仮設商店街として開設後、2017年に本設商店街に移行。28店(仮設時代は32店)が軒を連ね、賑わい再生の拠点となっている。(ウィキ)商店街の裏にまわってみる。




▲ 案内板

2011年3月13日(大津波2日後)の写真。
川向うの、左に防災対策庁舎。右に公立志津川病院が写っている。

ボクが同年の11月にこの地を訪れた時には、まだ志津川病院は残っていたがその後解体、移設されたようだ。
献花台がその前に設置されていたあの防災対策庁舎は・・・

橋を渡って回り込んでみると



▲ あの赤い鉄骨は庁舎・・保存されたようだ。





▲ 三階建ての防災対策庁舎。屋上の電波塔は保存されている。

防災庁舎の悲劇についてはあえて書くまい。




▲ この一帯は、川の堤防の復旧の他に、広く整地工事が進行中。

ずっと向こうに、大きく古墳のごとく盛り土工事がなされていた。




▲ もう一つの案内図。

防災庁舎の遺構保存だけでなく、震災復興祈念公園として造成されるようだ。
あの盛り土された場所は、「祈りの丘」になる。(来年秋に完成予定)


南三陸町をあとにして、国道45号の北上を続ける。



▲ 海岸線に沿う国道45号を走っていると、ところどころでこの標識↑(右)に出くわす。




▲ 浸水区域を示す標識だ。

この浸水区域Startのあと、防波堤工事が延々と目に入り、国道が高台に上ると「ここまでEnd 浸水区間」が現れる。

そして「○○団地」の地区表示が出てくる。
それは高台に津波後に造成された宅地箇所のようだ。

国道45号ではこの繰り返しが続く。


気仙沼市を越えて、陸前高田に入る。



▲ 奇跡の一本松
一本松の下は、陸前高田ユースホステルの遺構。




▲ 広田湾に面したここ高田松原は、7万本の松が茂り日本百景に指定されていた景勝地。

写真にもある一本松は、前面の松林とホステルに遮られてか、この松だけなぎ倒されなかった。
しかしその後枯れ死。
現在保存処理をされて、モニュメントとして保存されている。

陸前高田の隣町の大船渡へ移動する。
そこには昔からの景勝地、碁石海岸がある。



▲ 名前の由来となった碁石浜には下りず、この高台展望台へ来た。




▲ 展望台右横には、左の雷岩と右の切り立った絶壁・乱曝谷。

右の大きな雷岩では、その下部の洞に波が打ち付ける度に、ドーン、ドーンと雷のような音が。
その低い音はボクの耳に、心に響く。




▲ 展望台の左横は、ここは三陸海岸。

あくまで美しいリアス式海岸が続く。




▲ 碁石海岸のレストハウスでランチ。

上の蕎麦椀は、ここらへんの名産・柚子が練り込んであった。
海鮮丼は、もちろん満足、満足(^^)。

ランチ後は、45号線で釜石市を過ぎて、山田町で250円の立ち寄り温泉に寄って(シャンプー、ソープが無くて焦った)、宮古市へ。今日はかなり走った。




▲ 宮古市にある道の駅・みやこへ到着。

今晩はここでお泊り。
すぐ隣は、宮古湾に面した海抜ゼロメートル。トイレがすぐ後ろにあるからココ。

して、明日はすぐ近くの名勝・浄土ヶ浜へ行けるから。

( 浄土? キミ、大丈夫か? )


関連過去記事: 「北帰行 被災地へ」2011.11.26


今日の走行ルートは


赤線ルート