青い空とわたし

青い空の日  白い雲の帆船をみていると

どこかへ どこまでも Harmonyと

走っていきたくなります

秩父神社の節分祭り

2021年02月04日 20時03分18秒 | 同上(お祭り)

2月2日(火)

 

▲ 道の駅・ちちぶ での朝

レジャーで車中泊している人は・・いないんじゃない?

 

 

▲ あ、いたっ。

向こうに見えるのは、秩父のシンボル、武甲山。

 

 

▲ 朝食

きのうコンビニで買ったサンドイッチとコロッケで

かんたんだ。

 

朝食のあとは、市街をぶらりと歩こう。

 

▲ 道の駅の裏手を回って、

中心街へ。

家内が秩父神社へ行ったことがない、というのでそこへ行ってみよう。

 

▲ 秩父神社へ

秩父地方の総鎮守である。三峯神社宝登山神社とともに秩父三社の一社。12月の例祭「秩父夜祭」で知られる。(Wiki)

 

 

▲ おお、狛犬クンもマスクさせられて大変だね。

うん!? 「節分祭」?

今日じゃん。

 

 

▲ 御手洗い

ひしゃくはもう無くて、ニューノーマル様式での手洗い。

 

 

▲ 入って左手の神楽殿では雅楽と舞の奉納が行われていた。

しかし、誰も見ていない。コロナ禍下で?

 

 

▲ 横にいた神社の方にお聞きする。

「これ、なにをやってられるのですか?」

「年に何回か決まった日に、奉納する儀式」だとか。

「そうですかあ」

本当は、もっと詳細な説明があったようだが、理解できなかったようだ。

そんなことより、今日は豆まきが午後2時と3時と、午後7時にあるということを聞き出してきた。

 

 

▲ 御本殿

社務所のかたも手持ち無沙汰のようで。

 

 

▲ 御本殿の右横には、有名な彫り物がある

 

 

 

▲ 左甚五郎作の「つなぎの龍」

左甚五郎 Who? だってぇ。 日光東照宮の眠り猫を彫った名工だよ。

ま、これ伝承だろうけど。

 

▲ 秩父の天ヶ池に住み着いた龍が暴れた時に、この彫り物の龍を鎖で繋ぎ止めたらその後龍は現れなくなったとか。

 

 

▲ 神楽殿に戻ると、巫女さんみたいな人が舞っていた。

演目がいくつかあるようだ。これは6幕目となっていた。

垂れ幕が、葵の御紋なのは、江戸時代に徳川家康の命で社殿が新たに建てられたことによる。

 

午後2時の豆まきを見てみたいなあ。

いったん、道の駅へ戻る。

▲ 道の駅にある「ちちぶの水」。銘水らしい。

どれどれ、

やかんに水を入れてきた。

 

▲ 道の駅の売店で、今回も豚丼を買ってきた。600円。

 

 

▲ 上が豚味噌丼、下がわらじかつ丼

先ほどの「ちちぶの水」で味噌汁を溶かして、食べた。

水の味は?

そんなもん分からんよ。味噌汁だもんな。

ただ、軽トラで乗り付けてポリタンク20個ほどに注水しているかたがいたので

「喫茶店かやってられるのですか?」とボクは真面目に聞いたのだが、その人は「今年は渇水で畑に水を撒くのさ、この水はタダだからね」と答えた。銘水? 役にたっている水だことは間違いない。

 

昼食を食べたあとは、市街へ再度出て、冬12月の秩父祭りの山車(だし)が周る道をツレに教えながら町散歩。

1時45分ごろに、秩父神社境内に戻った。

▲ 入って右手の社務所の建物の前に、人々が集まってきた。

2階からの社務所の方の説明は、①今年は人出が少ないから皆さん必ず豆をゲットできるからあせらないこと ②スリに気を付けること の2点の注意があった。

よっしゃ!

 

▲ 先ず、こん棒を持った鬼さんの登場。

ワオー、ワオー

泣きだす子は誰もいない。

平日だから、幼児、就学児童はこんな所に来ていない。じゃあ、

悪いジジは いねがー   ワシを無視してコロリンピックをやりたがるジジはー

(なんのこっちゃ)

 

 

▲ ワオー、ワオー 

赤鬼、青鬼たちが練り歩く。(周回する)。

 

 

▲ 鬼たちが集結したところへ

豆が投げ込まれる。

鬼はソトー!、コロナはソトー!

コロナ鬼滅の豆だ。

 

 

▲ おおーッ!!

人々が鬼滅の豆を求めて、怒涛のごとく前進する。

あ、ツレも天を仰いで!

よっしゃ、行け!

 

 

▲ 戦果

二袋の鬼滅の豆と煎餅2個!

煎餅のほうは「あらっ、これスーパーで売っているせんべいと同じだ」(そりゃそうだろうが)

 

 

▲ 青鬼さんとツーショット

「オイ、オイ 大丈夫かよ」

「あらっ、青鬼さんは本当は優しいのよ」(「泣いた赤鬼」伝)

もう虚実入り混じってきて、最後にはわけわかんなくなった。

 

道の駅を出発する前に、道の駅の横のスーパーで「恵方巻」を買い求めた。

 

▲ 具材を色々変えた恵方巻が並んでいた

我々は、オーソドックスな具材ののり巻きを求めた。

 

 

▲ 自宅に戻って

恵方巻は丸食べしないと、効果がないというので、ボクは丸々食べた。ツレは半分食べきれないと残したので、それもかぶりついて。

「鬼コロナはソトーっ」 ウッドデッキの上で外へ投げた。

「福はウチーっ」 居間へ投げると、ポロンが食べ回った。

 

明日は立春。

春立ちぬ。

もう少しの辛抱だ。

 

 


湯西川温泉 かまくら祭り2~ 雪国が灯に輝く時

2019年02月26日 06時14分56秒 | 同上(お祭り)
2月22日(金) 続き

ゴ~ン~ ゴ~ン~
諸行無常の鐘が夢の中で鳴り響いて・・目が覚めた。

おー もう暗くなっている。
ボーッとしていてはいかん。行かなくては。



▲ 午後6時前に、先ほどの沢口河川敷ミニかまくら会場へ歩いていった。

5時半から、ミニかまくらに点灯が始まっている。




▲ 堤防の上段から土手の中段へと並ぶ、ミニかまくらの灯

おおっ、いいねー。
これをボクは見に来たのだ。





▲ 目を近づけて





▲ もっと近づけて





▲ 今度は堤防上段の正面から

ミニかまくらが、はるか向こうまで続く・・





▲ かまくらの灯が笑っている

よおく、とおくからきたのー、おぬし。





▲ かまくらには、一本の蝋燭が点けられているのだ

ぼーっ と、各自の命が光る。

お、おっ ボクのは、ユラユラと揺らめいているようだ。




▲ かまくらは、上段から中段へ、そして下段の河川敷へと続く

その数は、およそ千基。

「日本夜景遺産」に認定された、幻想的な輝きを放っている。





▲ 沢口橋の上から眺めると





▲ もっと遠景に目を遣ると





▲ さらに、遠景へ

もう光の点、点、点・・・



ミニかまくら会場の反対側へ、行ってみよう。



▲ かまくらバーベキュー会場だ

かまくらの中が、今は点灯されて明るい。


平家の里のメイン会場へ戻ろう。



▲ 駐在所の前を通って

パトカーもライトアップされている(笑)


平家の里の中へ、再入場。



▲ 館のライトアップと、ミニかまくら群に灯が灯されていた





▲ この冬季だけの、夜の部がオープンしていた





▲ かまくらも中が明るい

おばんです




▲ 立ち木もライトアップで、その存在が浮かび上がる





▲ 暗い夜空に、妖しげに浮かびあがる





▲ 夜の平家の里を、一回りしてきた

もう、これでいいかな。

今日は、日中からそれほど寒くなくて助かったよ。




▲ 平家の里の前の駐車場に停めておいたHarmony

今ここを出れば、道の駅・湯西川へ30分ほどで行けるな。
Harmony、じゃ出発だ。




▲ 道の駅・湯西川へ7時過ぎに到着

この道の駅には、温泉が併設されている(10時まで)。

湯に沈むと、体がなんたって冷えているから、ジワーッときたよ。
温泉は肌に粘着的にまとわり付く感じでした、ハイ。
イイと思います。

さあ、夕飯を作って、食って、寝るか(何を食べたかもう忘れたが!)。

で、明日はブログ書きか、天気が良ければスキーに行くか。


【続く】


湯西川温泉はここ


湯西川温泉 かまくら祭り1~ そこは平家落人の里だった

2019年02月24日 21時13分46秒 | 同上(お祭り)
2月22日(金)

昨日は東北道・大谷PAで前泊。
そして、今日はここに来た。



▲ 平家の里

栃木県の北部で福島県との県境近くの山奥、湯西川温泉だ。
他のブロガーさんの紹介記事で、そこでかまくら祭り(1/26~3/3)が開かれていることを初めて知り、やって来たのだ。
この平家の里はかまくら祭りのメイン会場だ。




▲ 平家の里の案内図

湯西川温泉は、平家落人伝説が古くから伝わる地だ。源氏の追手を逃れて身を隠すにはこの秘境の地が適していたようだ。落人達の生活様式を後世に残す拠点として、復元されたのがこの平家の里だ。

九つの館と神宮が復元されている。




▲ 復元家屋の他、冬季には祭り用のかまくらが造られている。





▲ 調度営みどころ

中に入ってみると古い生活調度品が陳列されている。




▲ 昔から湯西川はブナ材を原料にした調度品が盛んだった。





▲ 二階行火(にかいあんか)

下の箱に炭火を入れて、上から布団をかけてこたつのようにして使った。
炭火が布団に燃え移らないように二階建てにしてあるのだろう。
雪深いこの地では必要な暖房装置。よく考えたものだ。




▲ 大きなかまくらが数個造られている

かまくらの中には電気コタツが据えられていて、
隣の休憩所で1000円以上の甘味お産品を買うと、かまくらを利用できる。





▲ 資料館

平家落人伝説は日本各地に有る。
福井県には3カ所(福井市赤谷村、大野市西谷地区・和泉地区、越前市五分市町)
長野県には1カ所(伊那市長谷浦)

源氏の平家落人追討の厳しさを示すものとして、湯西川では鶏を飼わない、鯉のぼりを上げない習わしになっている。鶏の声、幟で人が住んでいることを知らしてしまうからだ。
実際、惨殺された地もあったようだ。




▲ 湯西川赤間神宮

下ノ関赤間神宮は平家が擁立、入水した安徳天皇の菩提寺。
平家の里完成に併せて分祠された。




▲ のぼり

平清盛が生誕して900年経つのか。




▲ これも展示館の一つで、中に





▲ 源氏と平家が時を越えて和睦した・・和議の書

平成6年に、両家の子孫代表が集まってこの地で和睦したらしい(笑)。
いや、笑ってはいかん。大真面目だ。





▲ 平家の里の前にあった食事処で

マイタケが一杯の蕎麦を食べる。
店の中はごちゃごちゃと風情があった(笑)。

平家の里の駐車場にHarmonyを置いたまま、
川べりの方にある沢口会場へ10分ほど歩いていく。

....



▲ かまくらバーベキュー会場

バーベキューを注文すると、このかまくらの中でBQができるという仕組み。
1500円/一人前(2人前から)+ 1500円

家族連れなら楽しいかも。


バーべキュー会場の前は、沢口河川敷ミニかまくら会場だ。



▲ 「日本夜景遺産」にも認定された(知らん)という、ミニかまくらが点灯される。

毎日点灯されるわけではなく、水曜日、木曜日はお休み。
今日は金曜日で、これを待って出かけてきたのだ。

この二日休みで、ミニかまくらも相当融雪した模様だな。
担当者が5時半の点灯前までに、かまくらの補修作業に忙しい。




▲ この黄色いバケツで、ミニかまくらを作ったり、通路に新しい雪を散布したりで忙しい。

ご苦労なこっただ。





▲ 沢口橋から、ミニかまくらを眺める

三段になった堤防にびっしりとミニかまくらが並べられて
下の河川敷にも、ミニかまくらが縦横に並べられていた。




▲ 河川敷のミニかまくら

うむむ・・ だいぶ崩れているよ。ああ、諸行無常。

夕方まで補修が間に合うかな。

しかし、楽しみだ。



沢口橋を渡って、川に沿って歩いてみる。
...



▲ 吊り橋(天楽堂橋)





▲ 川は、底が平らな岩になっていて薄緑色、キレイだな。





▲ 川べりに立つ旅館、食事処。

後ろには、もちろん温泉旅館、ホテルが並ぶが、派手さは全くない。




▲ 慈光寺

この地に都落ちした平家一門の菩提寺として祀られてきた。

ここにもかまくらが置いてあり、夜にはライトアップされるようだ。




▲ 平家落人民族資料館に入った。300エン。

ま、色んな資料が置かれている。
なんせ落人だから、たいしたものは持っていなくて当然だが。

まだ、午後3時でして、かまくらが点灯される午後5時半までには時間があるなあ。
クルマのなかで、TVを見ようにも山の中だから地デジ電波が届かない

じゃ、寝て待つか
祇園精舎の鐘が夢で聞こえてくるかな・・


【夜に続く】





わが町の ささやかな光の祭り

2018年10月29日 17時57分29秒 | 同上(お祭り)
週末に隣の駅前で、キャンドルなんとかをやるとかで行ってみた。



▲ 駅前の立体歩道に出ると・・

おお、何かきれいなスポットになっている。




▲ 見下ろすと

キャンドルとささやかな出店みたいなものもある。




▲ 地元の高校も三高ほど参加してキャンドルオブジェを作成したようだ





▲ これは、TRICK OR TREAT と書いて、カボチャか。





▲ 色付きのコップにロウソクを灯しているのだな。





▲ 主催者のキャンドルオブジェ

HALLOWEEN か。




▲ わが町も、ささやかなハロウィーンだ。

31日には、仮装した若い子も出てくるのだろうか。

まさか、こんな田舎ではそこまではやらないだろう (補導されるよ)




▲ じゃ、帰ろうか



北秋田市・綴子神社の大太鼓祭り

2018年07月18日 10時55分15秒 | 同上(お祭り)
7月14日(土)

森吉山に11日に登ったあと、道の駅・たかのすで12日、13日と逗留。
そろそろ出発しようかとしていたら、当地で14日、15日にはお祭りがあるではないか。

じゃあせっかくだ、お祭りを見ていこう。

14日は宵宮祭。午後7時からだ



▲ 道の駅から歩いて10分ほど、綴子(つづれこ)の集落に6時過ぎに来た。





▲ 綴子神社の前で。

1350年前に創建されたという東北地方最古の八幡宮。

町も神社まだ準備中という感じで、静かだ。

お祭りの本旨は、綴子は常時水不足に悩み、農民が大太鼓を打ち鳴らして雷鳴に似せて、天上の神に雨を請い祈願するものだった。鎌倉時代から始まったと伝えられる。
当初はその祈願が、上方(山手)と下方(下手)に分かれて競うような形となって、綴子神社への祈願先陣争いになっていた。それも当初は源氏VS平家になぞらえて、その後は徳川VS豊臣方の戦いに見立てて現在も行われている。

ただ先陣争いが激しくなり過ぎて、昭和5年からは上町(徳川)と下町(徳川)の1年交代の奉納行事として平和裏におこなわれるようになったとか(笑)。今年は上町の担当だ。







▲ 7時10分前に、指揮者の出陣の号令がくだった。

先頭は、ヤッパレ(棒使い)

ヤッパレとは野次払いが転訛したもの。村の防備と自己防衛のため、農民たちは棒で訓練していた棒術が行事に組み入れられた。
上町・徳川方だからみんな葵(あおい)の御紋の化粧回し?だ。




▲ その棒術の披露だ。

ヤッパレ、アッパレ。


次は、



▲ 子供達の行列(^^)。

鉾・槍を入れる入れ物? を担いでいる。ワカラン(笑)。

そのあともいくつかの行列が続くが、編集者権限で割愛。

行列のしんがりは、やはり



▲ 大太鼓の行進だ。

手前に、小さい太鼓が大と小で二つ。
そのあとに、大きい太鼓が三つ。その直径は、小が2.6m 中が3.3m 大が3.8m だ。




▲ 大きい太鼓は、トラクターで挽かれている。

この運搬も、当初は40人が縄で引いて、その後牛や馬で引いて、現在はトラクターがという歴史がある(笑)。




▲ 大太鼓が出てきた。

横で、綺麗どこのねーさん達が笛を弾いている。

子供が・・ オイオイ轢かれるよ。

大太鼓の胴材には秋田杉、皮面にはホルスタインの種雄牛を使用している。




▲ イイネー。 何が?(笑)






▲ オジサンたちもがんばっている。

1m余りのバチを上から叩く。




▲ まだまだ、やるでー (ここ秋田だよ)





▲ 太鼓にライトが点けられた。

先頭の覆面にーちゃんは、獅子三頭の一人。 後で境内で激しい獅子踊りをした。


一方、神社境内はどうなっている。先回りして行ってみる。



▲ 神社では、境内広場には人がいなくて静か。





▲ しかし、神社内では神事が執り行われていた。

覗いてみる。




▲ 巫女さんによる、雅楽に合わせての舞が・・


また行進に戻ると、



▲ おお、宵の薄闇の中、大太鼓がやってきている。





▲ 8時10分前頃に、神主さんに先導されて行進が入ってきた。


そして、まもなく境内での奉納行事が始まった。



▲ 棒使いさんによる舞。




▲ 先の覆面獅子舞さんによる獅子踊。激しく動く舞の奉納。

獅子は霊獣として崇められ、その力によって悪病、災禍を除くと信じられている。

ヨシっ、日本全国で獅子舞だ! (キミ、不謹慎だよ)



  

▲ 子供達による奴踊(やっこおどり)。

たいていこんなのになると、小さい子がついていけず突っ立っている子がいるものだが(笑)、うん、みんなちゃんと体を動かしている。

都会の子はもうこんな経験はできないだろうな。
Uちゃんなんか、バレーだ。
日本伝統文化、大丈夫か?




▲ 奉納踊りの最後は、にーさん達による奴踊。

6パターンぐらい連続してやったよ。
そもそもこの奴踊は、豊作を祈って農家の生活や農作業の様子を踊りで表現しているらしい。



▲ 太鼓打ちと笛使いの最後の演奏で、奉納行事は終わった。

これで今年の雨乞いは間違いなく成就だね。
おっと、と、ちょっと降りすぎなんじゃない?

日本の亜熱帯化に伴って、これからは別の神事・祈願が発展するかもしれないなあ・・(ひとりごと)




▲ 三つの大太鼓。

これは、境内には入ってこなくて、境内横にライトアップされて設置されていた。

うん。面白い、興味深いお祭りを見せていただいた。
この祭りは、極めてローカルなのだろう。
祭り用の駐車場はどこにもなく、もちろん田舎だから三井のコインパークもないし(笑)、そもそも観光客を想定していないように見える。おそらく大太鼓祭りを見にきたのは、上町、上町の住人だけだろう。おかげで、祭り見物につきものの場所取りなんか不要で、あちこち自由に歩き回れ撮れたよ。 これって、本来の地域住民のための祭りの形なんだろうか。


祭りが終わって、また道の駅まで田んぼ道を歩いて、ボクのねぐらに戻った。



▲ おおHarmonyちゃんが、待っているね。

ああー、明日はすっきり晴れてくれないかなー。

いつまでも秋田から出れないよー、秋田、飽きたなんちゃって。(また言ってる、失礼だよ)



野沢温泉の道祖神祭りは~熱い火祭りだった (3日目後半)

2018年01月20日 20時36分37秒 | 同上(お祭り)
1月15日(月)

暗くなって、道祖神火祭り会場に戻った。



▲ サーチライトに照らし出された社殿が待っていた。 18:29PM

社殿の上には、42歳厄年・真心会の面々が座している。




▲ 二つの初灯篭が運び込まれて、社殿の両脇に立てられライトアップされる。

右が、佐藤日向大くん
左が、森穂高くん のだ。




▲ 8時前に花火が数発、打ち上げられた。

火祭りが始まる!




▲ 火元到着。

厄年の代表者(あのリーダーさん)が、河野家に火をもらいに行き、火打ち石による採火儀式のあと、大きなたいまつに火を付けたまま、祭り会場に持ち込む。





▲ 社殿に正面対峙す火元に、運ばれたたいまつ火から点火された。





▲ 火元は、黒い天空に火の粉を上げながら、一気に燃え上がった。

さあ、いよいよ火祭りの攻防戦が始まるぞ。

社殿への火付けは最初、祭りの主催者である野沢組総代、次に灯篭の奉納者、その次は子供たち、そして、大人の火付けとなる。

大人の火付けがホン気もんだ。





▲ 大人の火付けが来たぞ!!

火元で火をつけたたいまつを持って、続々と。

それを防いで、社殿を守るのが25歳の厄年、燈悠会の青年だ! 10名ほどが正面の左右に分かれて守るようだ。




▲ 来た、来た。火付け部隊が。




▲ 火付け部隊もハチマキをして、本気だ。

しかし、火付け部隊はみんなニコニコ笑みを浮かべて嬉しそうだ。
そりゃあそうだ、火付けは楽しい。愉快犯すらいるのだから(語弊があるよ・笑)




▲ よおうし、来たか!!

多分、25歳厄年防衛隊の顔は、引きつっていただろう(と思うよ)。




▲ 右から、たいまつを持って突っ込んできた!

防衛隊は、左手で縄を握って、社殿から振り落とされないように身構えて。




▲ 火の付いたたいまつは容赦なく、防衛隊、社殿に打ち落とされる。

後方の41歳・励翔会はあくまでサポートだから、見守るだけ。




▲ 燈悠会の青年は、左手でロープを握りながら、右手で葉の付いた枝みたいなもので、火を打ち払い消火に勤める。




▲ それでも、たいまつを振りかざしながらの火付け行為は続く。





▲ 火花が飛び散る!

火を打ち消す!
万が一、社殿に火がついたら、上に座している真心会の先輩方々が丸焦げになる!





▲ もう、なにがなんだか、分からなくなってくる。





▲ 火付け攻撃が一時的に止むと、社殿の消火活動に夢中になって。


しかし、火付け攻撃は波状的にやってくる。



▲ おお、またやってきたか!

コイッ! (と言わないと、自分がオトナになれない)




▲ ということで、また双方、もみくちゃになって・・・

この火祭り攻防戦は、8時半から9時半頃まで1時間近く続いた。



9時半近くになって



▲ 社殿の上で、燈悠会青年を信頼して陣取っていた42歳厄年の真心会の皆さんが、次々に降りてきた。


攻防戦の手締めだ。



▲ 攻防戦は終了して、社殿に火が入れられる。





▲ 社殿はその役を終えて、火を付けられる。





▲ 火を付けられると、社殿は雨・雪を今回はほとんど被っておらず乾燥しており、火回りは早いはずだ。






▲ 社殿を放火から守った(笑)燈悠会の青年が地元放送局のインタビューを受けていた。

防衛隊の面々の顔は全員、ススで黒くなっていた。
そして同じ年頃の女の子が青年達にまとわって、ねぎらっていた。
やはり勇敢なオトコにオンナは集まる。古来から変わらないパターン。

昨日、会場で、年寄りが孫みたいな高校生に言ってたよ。
野沢では、25歳になるまで男は成人になれないと。

(あーよかった。野沢で生まれなくて)




▲ 両クンの初灯篭も、社殿と一緒に燃やされた。

キミたちの、野沢での次ぎの大きな節目は25歳だな。
元気でな、がんばってくれ。




▲ ああ、社殿が夜空を焦がして、熱く燃え上がる・・






▲ そして、火の粉を吹きながら、崩れ落ちる。

ア、アーッ !
お、おーっ !
・・・・




▲ 無くなっていく・・





▲ 終わった。

祭りは終わった。 22:39PM





▲ 駐車場へ下りる。

ありがとうね。

じーちゃんも、楽しく、熱く燃えたよ。



to be still conntinued...



野沢温泉の道祖神祭りは~青い空に社殿完成(3日目前半)

2018年01月19日 19時04分15秒 | 同上(お祭り)
1月15日(月)

今朝は、天気予報どおり快晴。

朝食もそこそこに、お祭り会場へ行ってみる。



▲ おお、そこには立派な社殿が形を成していた!





▲ 社殿上部を支える庇(ひさし)は、四層に綺麗に下から上に広がる形状で出来上がっている。

お見事!


それで次の工程は、社殿に燃える薪(たきぎ)を積み上げることだ。



▲ これには、梯子に5名が腰をかけて、持ってこられた薪を上へ手渡しで運び上げるというもの。

単純だが、手作業ではこれが確実。


もう一方の会場地では、



▲ 火もとになる藁(わら)を積み上げていた。





▲ 火元と社殿の位置関係。

夜の火祭りになると、(赤矢印で示したように)右手の火元で火を付けたたいまつを持って、社殿の正面に火をかけようと波状攻撃をするはずだ。





▲ 青い空を背景に、着々とはかどっていく。

涙が出るほど、気持ちがいい・・





▲ 社殿の上には、焦げ茶色の薪が1mほどの厚さで積み上げられた。





▲ なおも、今度は薄茶色の藁(わら)束を社殿に積み上げる。





▲ この藁束に火が付いたら一気に燃え上がるだろうなあ。


ここで改めて、社殿の下部のひさしに目をやると、



▲ 縦の半丸太と横の半丸太が組み合わさった四層構造になっている。

しかも、外側に向かって下から上へ反り出す形状になっている。

美しいねえ。この造形美。




▲ もっと見てみると、縄が十文字に丸太をギッシリと結束している。

針金や釘は一切使っていない。


この造形・・どこかで見たことがない?

アル、アル!




▲ 信州・別所温泉の安楽寺・国宝八角三重塔の同じくひさし部分だ。

おそらくこの形状は、ひさしの重みを支えてその重みを、力学的には中芯のご神木に上から下への荷重として流しているのだろう。

うむー、昔からの宮大工の知恵がこの社殿にも活かされている!

これぞ伝統の重みだ(笑)。





▲ 昼を過ぎた。社殿はほぼ完成だ。

社殿の上で、二人が何かを取り付けている↑。




▲ 巣箱じゃないよ。(また、バチアタリなことを)

木製の祠(ほこら)だ。






▲ 下部の締りも入念にチェックして。


社殿完成!


午後2時に花火がパパーンと鳴った。




▲ 神主さんの祝詞で、上棟式が始まった。


社殿にはしめ縄がかけられている。




▲ 完成社殿と上棟式の全景。

いい日和じゃないか。






▲ 式のあとは、記念撮影。

三夜講ごとに撮影。
これは本厄の42歳真心会の皆さん。




▲ 記念撮影の背後から。

中央に見える黒いユニフォームの人達が、25歳厄歳の燈悠会の皆さん。

燈悠会は、他の40代三会に比べて半数の10名しかいない。
少子化の影響で?

いずれ野沢温泉の道祖神祭りにも後継者問題が・・?


社殿完成で、ボクも小休憩。

 

▲ 道祖神の記念碑のあるところへ行った。

左:石の祠(ほこら)と、その後ろに記念碑があった。
右:記念碑には、「道祖神」と。




▲ 記念碑の裏側には、右列に

「天保十巳亥年」(1839年)と確かに刻まれている。

このあと、今晩は遅くなるから立ち寄り温泉に先に行った。





▲ 帰りに見た、夕焼けの中に立つ道祖神・社殿。17:05PM


いよいよクライマックスを迎える。


to be continued...


(別にもったいぶっているわけでも、ネタを引き伸ばそうとしているわけでもなくて、単に根気が続かないので休憩・笑)






野沢温泉の道祖神祭りで~社殿組み立ては見事なチームワーク(2日目)

2018年01月18日 23時41分53秒 | 同上(お祭り)
1月14日(日)

ノソノソ朝7時に起きて、ドアを少し開け外を見てみる。

おおっ、積もっている!
20cmほど新雪が、クルマの周囲に降り積もっている。

そのうち、除雪車がガーガーと駐車場の除雪にやってきた。
ヤバイ、クルマを動かさねば埋もれる!(笑)




▲ ということで、ボクのスペースを除雪してもらったあと、再度入りなおした↑。


朝食のあと、おもむろに祭りの会場に行ってみると、



▲ ご神木のうち一本が既にもう立てられていた。

四方八方の縄を引っ張り合って、垂直に成るように調整する。
調整後、2本の横棒で神木を挟んで、全員の人力で持ち上げて一気に落として土中により深く挿入する。ヨイトマケみたいな動作を何度か繰り返す。




▲ 2本目の神木を挿入する穴を、四角形にチェーンソーで切り取ったあと、スコップで雪を掘り出して穴を開ける。




▲ 穴を開けたあと、2本目の神木を皆で押し上げるようにして差し込む。





▲ 2本目のご神木が立った。

手前に、まだ雪を被った3本の神木が横たわっている。

4隅に1本づつ立て、中心に1本を立てるのだ。


 

▲ 4本の縄をねじり編んで1本の丈夫な縄ロープを作っていた。

この縄は社殿の櫓を組み立てるときに材木を縛り揚げるようだ。
社殿組み立てには、釘等の金具は一切用いないということだ。




▲ 4本目のご神木が立てられようとしている。





▲ 穴に神木の切っ先を入れ込んだあとは、人力で押し上げるだけだ。

掛け声をかけてのチームプレイだ。




▲ 祭り会場の1角には、「古神札納め箱」が設けられている。

正月の飾り、ダルマ等を村人がここへ持ってくるのだ。





▲ 5本のご神木が立てられたあと。

枯れ木を中心の神木を囲むようにして、びっしりと詰め込まれる。

木づつで叩き込んで、枯れ木を固める。
これが社殿が燃されるときの火種の核になるのだろう。




▲ 神木の下から2mほど上に櫓(やぐら)が作られ始めた。

櫓は4層5層の庇(ひさし)の上に作られるようだ。




▲ 櫓を組み立てる際に用いる木材も同時に切りそろえられている。

全ての手順が、担当者は違えど、見事に同時進行していく。




▲ 昼食のために、クルマに戻った。

屋根の雪がずり落ちてきて、つららもぶら下がってきた(^^)。


時刻も午後4時を過ぎた。



▲ 午前中に降った雪もすっかり上がって、青空になってきた。

陽も傾いてきたが、社殿組み立ての作業はノンストップで続く。




▲ 並べられた木材が、1本、1本、社殿に持ち上げられて。





▲ 組み立てられていく。

完全な手作業だ。
この上に、人が乗るからきっちり作らねばなるまい。





▲ さきほどの古神札納め箱所のダルマも大分集まった。

木造道祖神も何体か持ち込まれている。
気に入った男神か女神があればどちらかを交換して持ち帰ってもよいとか。
それが縁結びになるのだと。


もう、6時近くになった。
陽は完全に落ちて、サーチライトが点灯されている。



▲ 社殿組み立ての作業は、深夜まで続くという。

見てたジーちゃんが言うには、夜中の2時ごろまでやったことがあると・・



▲ 完全なチームワーク。

皆さん手袋をしているが、手は冷たくならないのだろうか。



 

▲ 材木を上に持ち上げるのも、少しずつの手渡しベースだ。





▲ クルマに戻る前に見た社殿組み立ての最後の様子。 19:47PM

庇(ひさし)も、もういくつか出来上がっているようだ。





▲ 駐車場から見上げた祭り会場の光景。


ボクはもう就寝についていたが、10時過ぎでもチェーンソーの切る音が聞こえてきていた。

さあ、明日はいよいよ道祖神祭りの本番、火祭り だ。


to be continued..


野沢温泉の道祖神祭りへ~御神木里曳き(1日目)

2018年01月14日 17時38分09秒 | 同上(お祭り)
1月13日(金)

朝晴れ。

馬場の原という祭りの会場に行ってみる。



▲ みなさんが雪をのけて整地作業を始めていた。




▲ 会場の横には、これから何度も目にするであろう木造道祖神が設置されている。

この男女の神様は、容姿が非常に見苦しいため婿にも嫁にも行けずにいたところ、めでたく男子が出生したという、縁結びと子宝の神であるとされているとか。

うむむ、差別意識というかホンネというか、素朴感丸出しの説明だな。しかし、見苦しいお顔立ちとは思えんが(笑)。

町に出てみよう。



▲ ここにも道祖神が。

そう、きょうは北信州・野沢温泉の道祖神祭り に来ている。

この祭りはボクが理解したところでは、

1.小正月に正月飾りやしめ飾りなどを焼く「どんど焼き」
2.共同体に厄災の侵入を防ぐ神、道祖神を祀る
3.併せて道祖神に、子供の成長や子宝祈願をする

の3要素が合体した祭りだ。

この祭りの1839年の碑も残っていて、国の重要無形民族文化財の指定を受けている。

観光案内所に寄って、もうひとつ教えてもらってきた。

ことしの初燈篭奉納者のおうちだ。



▲ あった、あった!

前年に子供(本来は長男)を出産した家では感謝の意と子の成長を祈願して燈篭(とうろう)を奉納するのだ。自宅の前に立っている。

森穂高(ほたか)君だ。
傘の根元には木造道祖神。
その上には、親戚や友人たちから寄せられた書き初め。



▲ 書き初めが、ひらひらと初春の青空に舞って・・

美しい・・



▲ 傘の頂上近くには、ほたかクンの似顔絵もあって

幸あれ・・


もう一軒尋ねた。



▲ 佐藤日向大(ひなた)君ちだ。




▲ お、おう。ここは祈願のたんざくがいっぱいだ。

「次世代のスーパースターになれ」。なんのこっちゃ(笑)。

元気でね。


初燈篭を見終わったあと、野沢の町をくるくる歩きながらスキー場へ向かった。

野沢スキー場の日影ゲレンデとパラダイスゲレンデの中間地点へ。
ここから、ご神木の曳きだしが午後1時から始まるのだ。



▲ 曳きだし開始前に、男衆のリーダー(委員長と呼ばれていたな)と副リーダーさんが地元TVのインタビューを受けていた。




▲ リーダーが、御神木の曳きだしならびに社殿を建てる男衆部隊を前に挨拶をする。




▲ 隊列の前には、これから曳き出される二本の御神木が横たわっている。

挨拶は、別に堅苦しいものではなくて、みんなで頑張りましょうといったもので、最後に「楽しみましょう」と締めくくったのが印象的だった。



▲ 男衆の背中。

道祖神祭りの執行部隊は「三夜講」と呼ぶ厄年の男たちだ。厄年を迎える数えで42歳・41歳・40歳の三つの年代の男が、同じ仲間で3年間行事を行うのだ。それに25歳の男の厄年が更に加わる。それぞれの年代で違うユニフォームを着ている。真心会、励翔会、光駿会。そして25歳の燈悠会。年代は学年ベースだから、みんな級友どおし。ファーストネームの呼び捨てで、指示が飛び交っていた。


さあ、1時。それでは曳きだし開始!

 

▲ まず今年幹事年代の真心会が引っ張る。



 

▲ 若手の燈悠会も引っ張る。





▲ リーダーの掛け声に合わせて、引っ張る。





▲ セーノッ! と続く。

スキー場を下りたあとは、温泉街を御神木を曳き歩く。

会場に到着するのは、4~5時と聞いたから、ボクは先に戻っていよう。

戻る途中で、



▲ 麻釜(おがま)のあるところにきた。

TVでもよく紹介されるところ。
地元の方が、日常的に野菜等を温泉の熱湯に浸して茹でるところだ。


 

▲ 地元民しか入れない。

この方が茹でようとしているのは・・温泉卵だった。


こんなものも。

  

▲ 雪ダルマの中の道祖神だった。


会場に入る通り手前の朝日屋旅館の前広場で。



▲ 三夜会の隊列の前で、会に寄進を受けたお神酒をみんなに紹介する。

その度に、「お、しょ、しょ、のしょー、しょー」 と全員が大声で唱和する。

まあ、このころには全員(多分リーダー以外)かなり酩酊状態で整列が乱れているが(笑)。




▲ さあ、一時休憩が終わると一気にお祭り広場へ向かって曳き出し開始だ!





▲ 5時過ぎに、ご神木が会場に入ってきた。

もう薄暗く、サーチライトの光が会場を照らす。




▲ また整列で、委員長リーダーより挨拶。

道祖神の唄の斉唱。

♪ 目度たく建てた 命あるなら来年も 来年も・・


朝の晴天は、午後に曇りへ、そして降りしきる雪に変わった。




▲ 山から引き出された2本の御神木。

この2本以外にもすでに前日から引き出されている3本の神木も別に横たわっている。





▲ ご神木にそっと触ってみる。

冷たい。
ブナの木だ。



▲ 青いヤッケを着た、三夜講とは別の、切り出し専門の人たちがご神木をチェーンソーで切り整える。




▲ 切っ先が三画状に切られたご神木を、三夜講部隊が掛け声とともに一斉に転がす。




▲ 明日の社殿完成作業のための下準備が続く。

うむ・・最後まで見届けているわけにはいかないので、私設レポーターはこれで勘弁を願おう。 (観光者はもとより誰もいないのだが)


で、温泉に行かせてもらいます。



▲ 「麻釜温泉公園 ふるさとの湯」500エン。

冷えた体には、いい湯だった。

コンビニ弁当を食べて、またあしただ。

(せっかくだから野沢菜のおやきでも食べろよとのメール頂きましたが、アレは歯に詰まるもので)

では。

to be continued