5月12日(日)
昨日道の駅に向かうときに、松島を通り過ぎていった。
しかし、松島はやはり見てこないとなあ。
▲ 奥松島へは2度目(前回は2007年8月)になるが、再度ここに寄った。
松島湾の小さな半島先にある大高森。
「壮観 大高森」の標識のある登山口から登る。
▲ 登ると言っても標高100mの山だからたいしたことはない。
前回は家内ですら登ったのだから(笑)。
▲ 30分ほどで大高森頂上の展望台へ到着。
島々が散在する松島湾のビューポイントは湾に4カ所ある。それぞれの景観の特色から、壮観、幽観、麗観、偉観と呼ばれている。
▲ 大高森のこの景観は、「壮観」と名づけられた。
「松島や ああ松島や 松島や」
と芭蕉が詠んだ(異説有り)のはここからか、どうかは知らないが、
高台だけに「壮観、壮観、壮観」なことには間違いない。
▲ ボートが疾走していく。
筏(いかだ)が多数あるが、なにを養殖しているのだろうか。
やはり、牡蠣(かき)かな。
石巻市を過ぎて、次に向かったのは牡鹿(おしか)半島、そしてその先端へ。
▲ 御番所公園という半島の高台だ。
ここに展望棟があった。
▲ ここからは、対岸の金華山がよく見える。
▲ 金華山には神社があって5人ほどの神職が住んでいるだけ(ウイキペディア)。
あとは手つかずの自然だけの国有地。
それが魅力なのか、金華山観光のフェリーが定期運航しているようだ。
▲ 展望棟から見た御番所公園の駐車場。
公衆トイレもあって、見晴らし景色がいいから、ボクは金華山に渡らなくとも、ここでしばらく車中泊していたいと思った。
▲ 陽に照り輝く松島湾。
牡鹿半島先端から付け根の女川町(おながわ)へ向かうとき、見えた光景だ。
女川町に入って見た標識
▲ ここに女川交番所があったという標識。
▲ その標識の後ろには、杭が地面から抜かれた状態で横たわる交番所。
これからは、こういう保存された津波遺物を目にしていく。
▲ 女川町を通り抜けて、海岸沿いに走行して南三陸町へ向かった。
南三陸町は、2011年11月以来の再訪だ。
【続く】
牡鹿半島は、
昨日道の駅に向かうときに、松島を通り過ぎていった。
しかし、松島はやはり見てこないとなあ。
▲ 奥松島へは2度目(前回は2007年8月)になるが、再度ここに寄った。
松島湾の小さな半島先にある大高森。
「壮観 大高森」の標識のある登山口から登る。
▲ 登ると言っても標高100mの山だからたいしたことはない。
前回は家内ですら登ったのだから(笑)。
▲ 30分ほどで大高森頂上の展望台へ到着。
島々が散在する松島湾のビューポイントは湾に4カ所ある。それぞれの景観の特色から、壮観、幽観、麗観、偉観と呼ばれている。
▲ 大高森のこの景観は、「壮観」と名づけられた。
「松島や ああ松島や 松島や」
と芭蕉が詠んだ(異説有り)のはここからか、どうかは知らないが、
高台だけに「壮観、壮観、壮観」なことには間違いない。
▲ ボートが疾走していく。
筏(いかだ)が多数あるが、なにを養殖しているのだろうか。
やはり、牡蠣(かき)かな。
石巻市を過ぎて、次に向かったのは牡鹿(おしか)半島、そしてその先端へ。
▲ 御番所公園という半島の高台だ。
ここに展望棟があった。
▲ ここからは、対岸の金華山がよく見える。
▲ 金華山には神社があって5人ほどの神職が住んでいるだけ(ウイキペディア)。
あとは手つかずの自然だけの国有地。
それが魅力なのか、金華山観光のフェリーが定期運航しているようだ。
▲ 展望棟から見た御番所公園の駐車場。
公衆トイレもあって、見晴らし景色がいいから、ボクは金華山に渡らなくとも、ここでしばらく車中泊していたいと思った。
▲ 陽に照り輝く松島湾。
牡鹿半島先端から付け根の女川町(おながわ)へ向かうとき、見えた光景だ。
女川町に入って見た標識
▲ ここに女川交番所があったという標識。
▲ その標識の後ろには、杭が地面から抜かれた状態で横たわる交番所。
これからは、こういう保存された津波遺物を目にしていく。
▲ 女川町を通り抜けて、海岸沿いに走行して南三陸町へ向かった。
南三陸町は、2011年11月以来の再訪だ。
【続く】
牡鹿半島は、